十八歳 浩介の場合
テレビで見る東京駅は、四方八方から人が飛び出してくるのに、さすがに朝の五時にはまだまばらだった。尖るように乱立した高層ビルが斜めに僕に迫ってくる。
ここは時間が進むのが早い。あっという間に、まるで蟻の巣に水を流し込んだみたいに、さっきまでまばらだった駅の構内には、どこから出てきたのかわからないほどたくさんの黒いスーツの人たちが溢れかえっていた。みんな険しい顔をして、いそいそと歩いている。
怒って溢れるほど出てくる黒い蟻。小学校二年生の時、結花と一緒にいたずらでやって、先生にこっぴどく怒られた。
スーツの人々があの時の蟻に見えた。ぼおっと目の前がぼやけたと思ったら、僕は泣いているみたいだった。
「夜行で来たの?疲れたでしょ?」
朝の七時に結花は息を弾ませて出てきてくれた。三月はもうすぐそこだけれど、まだまだ吐く息は白かった。
目が覚めるみたい真っ赤なマフラーに顔をうずめて、大きな目をぱちくりした結花は、さっきからころころと表情を変えながら僕の前で喋り続けている。
「それでね、入学式のスーツなんだけど、お母さんはこっちが良いっていうんだけど、私はこれがよくって。でも予算オーバーだからバイト詰めないと行けないし、喧嘩してるんだよね。」
結花の入学式。僕も隣にいるはずだった。僕の受験番号は結花と同じ、晴楓大学の商学部にちゃんとあった。
春から僕はこの忙しい街に住んで、結花のころころ変わる表情を飽きるほどに見て、結花の特別になる予定だった。
「浩介、勉強どう?聞いたら余計気重くなるかなと思って、関係ない話たくさんしちゃった。」
ちょっとばつが悪そうに、ハニーカフェオレをずずずっとすすった。僕は黙っていた。沈黙が耐えられないのか、結花はすっと窓の方に目をやった。長い睫の横顔がまぶしい。
好きだ。僕ははっきりとそう思った。
十八年しか生きていないけれど、僕は世界で一番、人生で一番、結花が好きだ。
「こうちゃん、四ばんの答え、おしえて?」
算数の授業中に、折り紙をきまじめに四つに折って、手で千切った紙に手紙を書いて、結花はプリントに混ぜて僕に送り込んできた。
とくん。心臓が鳴った。綺麗なクリーム色の折り紙だった。こうちゃん、の字だけが大きくなってしまって、だんだんと鉛筆の文字は苦しそうに小さな紙に収まっていた。
図々しいお願いをするからせめてもの愛嬌といわんばかりに、小さな隙間には赤鉛筆で花の絵が描いてあった。
僕が教えた答えで、結花はちゃんと当てられた問題に正解して、先生によくできましたと褒めてもらえた。結花は嬉しそうに僕の方を見た。
八歳の僕たちにとって、初めての、二人だけの秘密だった。
結花は黒いつやつやの長い髪を、お母さんに丁寧に結ってもらって、柔らかそうなポニーテールにしていた。周りの女子が、みんな二つくくりや三つ編みや、いろいろと凝った髪形をして、先生に黙ってこっそりファッション誌なんか買ってきて、カラフルでいい匂いのする文房具を使っておしゃれをしている中で、結花は茶色のランドセルを背負って、銀色の缶の筆箱にただのHBの鉛筆と赤鉛筆を二本ずつ入れていて、いつも柔らかそうな、シンプルなポニーテールにしていた。
黒いゴムで結っただけのポニーテール。僕にはそれがとても大人びて見えた。八重歯がちらっと見える結花の笑顔。
普段はおとなしくてそんなに目立つ方ではなかったけど、国語の時間に教科書を読むのは得意だった。ほっとするような、落ち着いた優しい声をしていた。
だからなんだろうか。今だって。結花はたくさん話しても、ころころと表情が変わっても、僕はちっともうるさく感じなかった。国語の教科書を、先生にあてられて読んでいたときと同じ、僕の好きな声で、僕の名前を呼んでくれる結花が、愛おしくて、この時間が永遠になればいいと思った。
「浩ちゃん他の用事って何時から?」
「へ?」
何も考えていなくて、ただ結花に会いたくてここにいるから、アリバイ的なものは何も準備していなかった。
無論、結花に会ったら自分の気持ちを伝えるつもりだったから、そのあとにアリバイを作る必要もないし、その用意は全然なかった。
僕は。僕の返事を待って、じっと見てくる結花を眺めながら、僕は一体何をしにここへ来たんだろうとふと思った。
そうだ、僕は結花に自分の気持ちを伝えに来たんだった。十年前初めて好きになった結花に。四月から一緒の大学に行こう、僕と付き合ってほしい、そう伝えるつもりだった。
カバンの中で合格発表のページをコピーした紙が無造作に半分にたたまれていた。濡れてしわしわになっている紙が、急に僕を現実に引き戻した。
心のずっと奥では、もう結花だって僕と同じ気持ちなんだろうってわかっていた。でも僕は、今まであまりにも憧れてきた十年前の初恋と、ぽいっと簡単に恋愛を始めることができなかった。
かっこの悪い言葉で言えば、結花に釣り合う男になってから、結花を迎えに行きたかった。
結花は不審そうな顔をして、ぷいっと顔を背けた。細い指がいらいらと膝の上を叩いていた。
「浩ちゃん、あのね私、浩ちゃんに言いたいことがあるの。」
結花に先に言われてしまう。
僕は焦った。そうなってしまったら、僕は結花の気持ちを受け入れるのだろうか。受け入れたうえで、今日一日だけ、最後の永遠だけ、結花の特別として過ごすんだろか。
結花と堂々と手を繋いで、この東京の街を歩く僕を想像した。行ってみたかったテーマパークに、ショッピングセンターに、お洒落なカフェに、恋人としている二人を想像した。
狂おしいほど僕はその状況がほしくなった。もうあと一センチのところに、僕がずっと欲しかった、そんな永遠がある。
「結花、俺ここ行ってみたいんだ、ほら東京来る機会もそんなないからもったいないし。こっちの友達は結花だけだからさ。」
結花はふっとため息をついたけれど、すぐに元の結花の顔に戻った。
彼女は頭がいいから、遠距離恋愛は難しいからこれからも友達でいようと、僕が暗にそう伝えたと、飲み込んでくれたみたいだった。穏やかな結花の表情に戻っていた。
「なにそれ。浩ちゃん、東京 高校生 デートスポット とかで調べたでしょ?」
僕はまぬけなまとめサイトを開いて結花に見せた。いかにも田舎から来た僕が行きたがりそうな、定番の、あか抜けない、でも結花と行ってみたかったスポットがずらりと並んでいた。
結花は本当におかしそうにけらけらと笑いながら、笑いのなかにこっそり混ぜて、目じりにこぼれた小さな涙をぬぐった。
「行こ、全部。浩ちゃんの行きたいところ、私も行きたい。」
僕は小学校二年生の時に、初めて結花を見たときから、いつかはこの子の特別になりたいと思っていた。
そして今も。結花の一番そばにいたい。結花に触れてみたい。結花の表情を全部独り占めしたい。結花の今も、これからも僕が独り占めしたい。
僕は結局、大好きな結花を一人ぼっちにすることができなかった。最後の永遠を使って、結花の特別になることができたとしても、明日の朝になって、結花が一人ぼっちになってしまうことは耐えられなかった。
結花の今を、仮に独り占めできたとしても、結花のこれからを独り占めすることはできないから。絶対にできないから。
「綺麗…」
プラネタリウムを見上げながら、結花は嬉しそうに呟いた。ふわっとシャンプーの匂いが香った。
とくん。押し込めていたはずの愛おしさが舞い上がってくる。落ち着いたと思ったのに、ちょっとした衝撃で溢れて零れてしまうみたいに。
「動物園はさすがにどこにでもあるんじゃない?」
「いやいや、パンダ見たいじゃん。ニュースになってたし。」
「また来ればいいじゃん。」
結花は笑って言った。僕も笑って見せた、つもりだけれど、“また”がないのがあんまり悲しくて、うまく笑えてなかったみたいだった。
だめだ。先のことを考えては。独り占めできないこれからの結花を欲しがってはだめだ。だめだ。押し殺して押し殺して、僕は無理やり笑って見せようとするけど、うまくできなくて、焦っていた。
「ごめん、交通費かかるのに、やなこと言ったね。」
寂しそうな顔をした。結花だって訳が分からないと思う。話があるって言って、こうして朝から呼びつけて、慌ててやって来たのに。
結花はオフホワイトのふわふわのニットのワンピースに淡いピンクのコートを着ていた。目元をラメでキラキラとさせて、つやつやのピンクのグロスを塗っていた。柔らかい髪はもうポニーテールにはしていなくて、制服の時とは全然違う、ふんわりとした巻き髪になっていた。
眩しいほどにおしゃれをして来ているのがわかるから、そんなの最初にカフェで息を弾ませて来たときからわかるから、僕は苦しくてたまらなかった。
結花は僕の言葉を待っている。今日こそは、そう思って、今だってここにいるのに。
去年の夏に十年ぶりに会ってから、僕たちは毎日欠かさず連絡を取っていた。
今日学校であったこと、親に怒られたこと、新しく服を買ったこと、塾のテストでいい点数を取ったこと、友達と喧嘩をしたこと。なんでもかんでも報告していた。
会ったことのない結花の友達も、僕はもうみんな知っているし、結花も僕の世界をみんな知っている。
電話もたくさんした。たくさん会った。もう充分だった。今すぐにでも結花を抱きしめたい。結花に触れたい。なのになんで僕は、今こんなにも悲しくて泣いてしまいそうなんだろう。
「後で送るよ。」
結花は二人一緒に映った写真を、とてもとても撮りたがった。何かの願掛けみたいに、これで最後ではないと言い聞かせるみたいに。結花はたくさん撮りたがった。
僕はこっそりと積極的に、僕の携帯で撮るようにした。僕の方が腕が長いから、顔が小さく撮れるよ、なんてくだらないことを言って。
後で送るよ。絶対に無理な約束。
結花の携帯に今日の僕たちの、一日だけの永遠が、傷痕みたいに残ってしまわないように。
「去年は浩介とまた会えて、本当にいい年だったなあ。」
僕はぎくりとした。僕たちの別れの時間が少しずつ少しずつ近づいていた。
頭のいい彼女は、僕たちがまるでもう会えないのを知っているみたいに、悲しそうな顔をして僕をじっと見た。
「浩ちゃん、ありがとう。」
結花はそれだけ言って目を伏せた。
高校生には背伸びをし過ぎたレストランは、見たことがないほど夜景が綺麗で、空からこぼれる星みたいにキラキラと輝いていた。
僕は目を閉じて、ここで結花にプロポーズをする十年後の自分を想像した。結花は黒い長い髪をゆるく巻いたポニーテールにして、少し大人びた顔をしてそこにいた。
僕たちは同じ大学に行って、同じ授業に出て、僕が一人暮らしするマンションで映画を見ながら、結花の作ってくれたご飯を食べて、結花のバイト先のカフェをたまに覗いてわざとらしく勉強しに行って、僕は居酒屋と引越し屋のバイトで貯めたお金で結花の誕生日にネックレスを買ってあげていた。
ピンクゴールドのハートの形のネックレス。結花の首元でちらちらと輝いて、結花はとても嬉しそうな顔をしていた。イルミネーションがキラキラと輝いていた。
旅行にも行った。沖縄でマリンスポーツをした。四国に行ったときは食べ歩きをたくさんした。温泉にも行った。
冬になってきたら、家で鍋をたくさんした。僕は結花が家に来たくなるように、奮発してこたつを買った。クローゼットには結花の服が少しずつ増えていって、こっそりお泊りもたくさんした。洗面所に置いた二本の歯ブラシが嬉しくて、僕はこっそり写真を撮った。
就職しても、僕はそのまま東京に住んでいて、結花も自宅から会社に通っていて、二人の生活は変わらなくて、でも仕事から帰ると結花が待っていてくれる日が多くなって、デートももっとお金をかけられるようになって、買ってあげるネックレスももっと高いブランドになって、結花はいい匂いの香水をつけるようになって、どんどん綺麗になっていった。
でも僕たちは、他にどんな人が現れてもびくともしなかった。僕は、結花のお母さんに気に入ってもらって、お父さんとたまにお酒を飲んだりして、会社でも結花と付き合っていることを公言していて、結婚なんて文字が浮かんでくるようになっていた。
二十八歳の結花の誕生日に、ここで僕は結花にプロポーズをした。笑いながら、笑いのなかにこっそり混ぜて、目じりにこぼれた小さな涙をぬぐった。
うなずいた結花の顔は、とびきりキラキラとした笑顔だったけれど、ちらっと覗く八重歯が昔のまんまだった。
僕たちを祝うように、包み込んだイルミネーションみたいな、尖ったビルの夜景みたいな、透き通ったダイヤが結花の細くて綺麗な指の上でころころと表情を変えていた。
僕は目を開けた。十年間はあっという間だった。早く続きを想像したかった。
目を閉じて、その先の未来も、二人のこれからも、全部全部想像してしまいたかった。
「結花、ありがとう。」
やっと絞り出した。僕の答えは結局変わらなかった。僕の永遠は、結局変わらなかった。
僕たちは笑いあった。里見小学校二年二組で隣の席だった時と同じように。
「浩ちゃんが蟻の巣にホースで水入れたの、覚えてる?」
結花は笑いながら思い出の中に座り込んでいた。前に進まない僕に、落胆しているに違いなかったのに、そんな素振りは見せないで、思い出の中で優しく僕に手招きをした。
「結花がやれって言ったんだぞ。ほんとは俺よりやんちゃなくせに、清楚な見た目でごまかしやがって。」
「私、清楚?清楚なんだ、嬉しい!」
「いや、見た目だけな?大事なところ聞き逃した振りするなよ。」
ころころと変わる結花の表情が、指のダイヤみたいにキラキラと煌めいて、僕の手のひらの中にあった。
今日だけは結花を独り占めしていい。僕はやっと嬉しくなった。
「浩介、ここ高いんじゃない?大丈夫?」
都合がいいもので、なぜか僕はこんなばかみたいに高いレストランのお会計ができた。
夢だから仕方ない。本当はないんだ、今日は。二月二十九日は。急に現実に引き戻される。
「結花、門限大丈夫?送ってくよ。」
「浩介こそ時間は?いつもならもう特急出ちゃう時間じゃない。泊まりなの?それともまた夜行?」
結花は少し怒った顔をした。本当はまだ僕は受験生のはずだったから、泊まりはありえないのを結花は知っている。
「浩介、あのさ、夜行安いからいいのわかるけどさ、心配だからこれからはやめてね。あ、今、口うるさいと思ったでしょ?口うるさくても言うからね。友達として。」
うん。そうやって、僕はうなずいたんだろうか。
明日になって、本当のことがわかったら、きっと結花は怒るだろうな。あんなに言ったのに。浩介のばかって言って泣くんだろうな。僕の名前をテレビのニュースで見て、電話がつながらなくて、結花は泣くんだろうな。
全てを知った結花の涙が、友達としての涙であってほしかった。
今更遅いかもしれない。僕は結花といるだけで、話しているだけで、結花への気持ちが溢れるほどこぼれてきて、もう結花に今更友達だなんて、そんなおかしなことをどうやって言ったらいいのかわからなくなっていたけれど。
粘着力のなくなった粘土を必死に貼り付けるみたいに、必死に友達だと言い聞かせようとしていた。
友達じゃなくって特別になろうして、でも言葉にできなくなって、もう固まってしまいかけている僕たちの時間に、色が変わってしまった友達を、十年前の里見小学校二年二組の教室から掘り起こしてきたみたいな懐かしい友達を、無理やり貼り付けようとした。
僕は初めて結花を家まで送り届けた。
バス乗り場まで送りたいといった結花をけん制して、最後にわがままを叶えさせてもらった。
結花を帰してやらないと僕は不安だった。本当はなかったはずの今日に呼び出してしまったから、きちんとこの目で見て、結花が元の場所に帰るのを送り届けたかった。
少しでも一緒にいたい結花は、ほんの少しだけ膨れていたけれど、すぐに納得した。
結花はなんで納得したんだろう。もう会えないとわかっているから。それともわがままを言ったら僕に嫌われると思っているから。
健気に関係のない話をし続ける結花が、僕は悲しくて愛おしかった。
結花の家からは、懐かしい結花のお母さんの声が聞こえてきた。あたたかい、幸せな家族がそこにあった。ここに結花を帰してあげなくては。
結花は僕のものではない。結花はこれからも、結花の人生を生きていくんだから。
「じゃあね、浩介。気を付けて帰って。今日は本当に楽しかった。ありがとう。」
清々しい笑顔でそう言った。僕は最後に見た結花のその笑顔を絶対に忘れないように、頭の中に保存して、色褪せないようにたくさんたくさんコピーして、身体中の至るところに保存した。
行先も見ないで、がらがらの地下鉄に乗って、最後の永遠が終わるのを静かに待っていた。知らない駅をいくつも通り過ぎて、でも終点はいつまでたっても来なかった。
僕は目を閉じた。
二十八歳で結婚した次の年、僕たちの間には女の子が生まれた。その二年後に男の子が生まれた。
僕は一度、単身赴任をしたけれど、家族に会いたくて毎週末東京に帰ってきていた。女の子にはピアノを習わせて、男の子にはサッカーを習わせていた。
結花は、一度は仕事をやめたけれど、また復帰して、楽しそうに働いていた。
週末だけだけれど、僕たち家族はいろんなところに出かけた。家族でキャンプもした。海外旅行もいった。
下の子の高校受験の時に、また僕は家族のところに帰ってきて、それからは四人で毎日過ごした。結花が作ってくれる晩ごはんが僕の毎日の楽しみだった。
だんだんと子供たちが大きくなっていって、また二人の生活が始まった。僕たちはすっかり歳を取って白髪まじりになっていた。子どもたちはいつの間にか結婚して家を出ていた。
僕は定年まで勤めて、そのあとはゴルフをしたりして、のんびりと過ごしていた。結花は歳を取っても友達がたくさんいて、いつも楽しそうに笑っていた。
結花はたくさん長生きした後、温かい自宅のベッドで、僕に看取られながらこの世を去った。僕は結花のいなくなった生活を少しずつ受け入れて、静かに一人で暮らしていった。
想像の中の僕は、結花を一人ぼっちにさせることはなかった。僕がいつでもそばにいて、最後まで寂しくないように、結花の手を握っていた。
これが僕の一生だった。想像だけなら誰も取り上げたりしないはずだった。
僕の一生は、本当はこれだったんだ。そう思ったら嬉しくなった。
ごごごごと地下鉄の揺れる音がして、のんびりと時間が過ぎていった。
結花がバレンタインデーにくれたチョコについていたカードは、ピンクのキラキラしたハート柄をしていた。僕は少しだけ迷ったけれど、そのカードを開かないで、受験番号の載った紙と一緒にかばんにしまった。
今日結花と撮った写真は、いつの間にか白髪頭で二人で並んで座っている、六十年後の僕たちの写真に変わっていた。
全く、本当に都合がいい。僕は思わず笑ってしまった。いつまでもいつまでも写真を眺めながら、地下鉄は静かに走っていった。