果てるまで
8
「……勿体無い」 と低い声で女が呟いた。
「何が、だ?」 と、満身創痍になりつつあるスクルは無理をして答えた。
「貴方は、強くなれる。こんな所で死ななければ、だけど」
「……そりゃあ、どうも」
スクル、もういい、とトオワが声をかけてくる。逃げろと、強く繰り返す。
「今更そんな……」
「そいつの言う通りだ。お前は強くなれる。こんな所で死ぬことはない」
「トオワさんには、敵いませんよ」
「いや、お前は強くなれる。それは、一人きりではない時だ。俺なんかを庇って闘っているから、実力を発揮できたんだ。これから先、もっと大きなものを背負って闘えば、お前はもっと強くなれる」
「……俺が、もっと大きなものを?」
スクル自身も驚いていた。トオワを死なしてはならないと、必死に闘った。自分にそんな才能があるとは思っていなかった。ここまでやれた理由は、トオワの言う通りなのだろう。一人きりだと、どうにも詰めが甘いという自覚はある。ただ、追い詰められている時、特に誰かを巻き込んでしまっている時、どうにかしなければと奮迅する。
「その通り。だから、その前に、その命を採取する」 と、女は淡々と言う。「禍根は、残さない」
「―――だ、そうですよ」とスクルは微かに苦笑して言う。
「止せ、いいから逃げろ。俺がなんとか―――」
「駄目ですよ。だって、一人じゃ何もできないんでしょ? 背中を見せた途端、あっさりやられますよ」
その点、正しいだろうと確信していた。実力以上に闘えたとしても、スクルに勝ち目はない。鍛錬を怠っていなかったら、もう少しまともに戦えただろう。怠らなかったジエルならば、もっとましな展開に持っていけただろう。だが、それでも、彼女には適わない。元々の才覚が違いすぎる、とスクルは察していた。
「いやあ、なんだかね、納得できたんですよ」 と、スクルはいう。血まみれだが、晴れ晴れとした顔になっていた。
「トオワ様や、サイト様が強いのは、こういう所を切り抜けて来たからなんですね。それをまた、ずっと背負い続けている。強いはずですよ、思いがちがう。でも、少しだけ分かった。劣勢ですけど、トオワ様の言葉を聞いたら、やる気が出てきたんです」
「それは、良かったな」 と、女がいう。「上機嫌のまま、逝かしてやる」
「ははっ、それはそれは……。意外と優しいんだなぁ」
気が昂ぶっている所為か、ふと、頭の中に閃いたことがあった。全く何の根拠もない、完全な思いつきだった。
「お前――――」
女を指差して、スクルは言う。
「どこで会った?」
会った事があるのか? そう思い直すと、女の声にかすかに聞き覚えがあるような気がしていた。その体型をどこかで見たような気もした。
「……笑えないんだけど」
冗談と見なして、女が近寄ってくる。全身に満ちた殺気が、本気でスクルを殺すと告げていた。
これは、無理だなと、スクルは悟った。
そこへ、親友ジエルが駆けつけてくれた。頼りにしていたレクトが乱を鎮圧して、闘いを止めてくれた。冷たく見放したはずのジルが戻ってきて、華麗な技を披露してくれた。―――等々、都合の良い展開が脳裡をよぎったが、やはり、どの妄想も実現しない。
危機に落ちたのが自分の誤りからで、自分しか対処できないならば。
「やるしかない」
そう言い聞かせるように呟いて、スクルは思い出した。サイトの後ろ姿を。スクル達の前に立ち、生きるため闘ってきた彼の数々の勇姿を。
「俺も―――、いや、俺が、やるんだ」
繰り返し言って、スクルは覚悟を決めた。最後まで闘うんだ。あの人のように。誰かのために。
「勿体無い」と、何故か腹立たしそうに、女は再び呟いた。「輝く原石を見つけたのに、壊さないといけないなんてッ!」
怒声と共に、女が動く。
礫と剣閃が、怒涛のように、スクルに押し寄せてくる。全く反応が追いつかず、見る見る内に傷が増えていく。圧倒的な実力差により、一方的に攻撃されながらも、スクルの眼光は衰えを見せない。その目線が気に食わないのか、さらなる連撃が、スクルを削っていく。
スクルが、防御を捨てて、剣を構えた。もちろんそんな隙を見逃してくれるはずも無く、女は攻撃を叩き込む。その中には、致命傷といえる深い傷もあった。だが、スクルはじっと女を見据えた。突きの姿勢を保ったまま、じっと力を溜めていた。
「……このぉ!」
じれったくなったのか、女は叫び、体重をかけて剣を振るってきた。避ける技量もその気もないスクルは、肩を深く断ち割られた。
「スクルっ!」 トオワの悲痛な声が轟く。
十分な手ごたえに、女は気を良くする。だが、痛みで意識が飛びそうになりかけていたスクルだが、その瞳が一層強い光を帯びた。
はっとした女は、慌てて離れようとする。だが、それより速くスクルは手を伸ばし、女の手首を掴んだ。
あえて身を切らした上での、この好機。剣の間合いに、女を捕えることができた。後は、最後の死力を振り絞って、相打ちの一撃を叩きつけるだけ。そのはずだった。
「……へっ」
スクルは笑って、しかし、女の手を自分から離した。虚を突かれたように固まる女から飛び退って、スクルはトオワの傍に立った。女に背を向け、素早くトオワの縛めを断ち切り、そして剣を地面に突き立てた。
「スクル、お前……?」
トオワは驚いていた。スクルの最後の狙い、身を切らしての相打ちは、失敗するだろうと見抜いていたからだ。地力が違いすぎた。互いの命がかかった瞬間、女はスクルの手を振り払い、スクルの最後の一撃よりも速く、止めを刺す事ができたであろう。それだけの実力差が、二人の間にはあった。
だがスクルはそうせず、トオワの解放を優先した。そして、無防備な背を曝していたというのに、予想外の行動に体が動かず、女はその行動を許した。しかも、唯一の剣をスクルの体に残したまま、だ。
「まぁ、こんなものですね」 スクルは言って、淡く笑った。「後を、任せても、いいでしょうか?」
ふらりと、体が揺れる。あまりに血を流しすぎていた。もうすでに、意識を失いかけていた。
「よし」と、トオワは機敏に立ち上がった。そして、後ろからスクルの肩に手をやり、軽く叩いた。
「よくやった」
トオワ自身も疲弊している。立つことさえしんどいことだろう。それでも、トオワはしゃんと立ち、頷いてくれた。
やっぱり、敵わないな、とスクルは微笑む。
ゆっくりと、女の方を向き、スクルは言った。
「帰り道、楽しかったよ……」
その言葉を聞き、女は、思わずといった感じで手を口に当てた。
力を無くし、倒れ込もうとしたスクルを、トオワがしっかりと支えた。
*
トオワはスクルにより隅に横たえられた。トオワは残してくれた剣を引き抜いた。女の剣もスクルから外して、両手に持った。
「さあ、終いまで、だ」 と、トオワは言う。
トオワ自身も、スクルの決死の覚悟に発奮しているものの、本来の実力の半分も発揮できないと自覚していた。
女の方はほぼ無傷で、まだ手の内をさらけ出したわけではない。しかも、モウ・牙の暗殺に成功したのは、この女だろうと思えた。
ボク・牙から聞いていた容姿とも矛盾しないどれだけ上手く隙を突いたとしても、彼ほどの猛者を相手にできる者は綜国内に数少ない。
それがこの目前の女だとしたら。
相手にするには自殺行為に等しいが、そんな事は関係なかった。ここまでされて、ここまで見せ付けられて、退く事はできない。普段は理性的でまとめ役であるトオワもまた、サイトに感化された熱い男であった。
「……お前は危険だ。その男よりも、ずっと。刈り取っておかねば、取り返しがつかない害をなす。あるいは、その覇業を大いに幇助する」
「かもな」
「私はこんな所で死ねない。いらぬ闘いは避けたい。だけど、ここでお前を放置する訳には、行かないな」
そこから、壮絶な死闘が始まる。
華麗な体術を駆使し、周囲のものを自在に使い、多角的に攻めてくる女。二刀を煌かせ、神速にも思える速度で攻め続けるトオワ。
格上の闘いをその眼に焼き付けつつ、スクルは涙を流していた。悔しかった。こんな世界があると知ったのに、そこに到達することなく、果てようとしている自分に、腹が立った。鍛錬を至上のものとしていた親友を見ておきながら、特に何もしてこなかった事を後悔した。自分の愚かな言葉が胸に蘇るたび、熱い涙が込み上げてきた。
やがてスクルは、瞼を閉じた。
薄くなりつつある意識の最後に、最上のものを眼にできたので、まあ、最低ではないかと、スクルは思った。そしてそのまま、深い眠りに付いた。
*
スクルが意識を失った後。
謎の女とトオワは死闘を繰り広げた。だが、その決着は付かず、結局水入りに終わった。
ようやくグントラターグ達の動向を突き止めたジエルと、彼の配下達がなだれ込んできたのだ。
もはや、二人だけで真剣勝負という状況ではなくなった。劣勢の状況そのものよりも、勝負を汚された事に激怒しつつ、女は退いた。
疲労困憊だったトオワだが、逃げるのかと食い下がる。女は無言で、踵を返す。必ず決着をつけに行くからな、とトオワは声を枯らして叫ぶが、それが最後の気力だった。
トオワは再戦を心に刻み、そして、がくりと膝を付いた。




