ミヤク
2
辿り着いた先には、確かに拓けた土地が広がっていた。視界を遮る森はここで途切れ、遠くまで見通せる。幾つかの点を除けば、煌というより、故郷の風景に近いと思える。
だが、ここが綜ではないのだと、強く思い知らせてくることがある。ボロボロと崩れる、黒い土壌。やけに脆く、しかも、地面が微熱を帯びている。だだっぴろい荒原の中には、草一本生えていない。もちろん動物の痕跡も無く、荒涼たる死の世界を再現しているように思えた。吹き付ける風は何かが腐っているような、不快感を抱かせる。そして……。
おお、と統士たちが感動の声をあげた。
遠くからでも、それは目立って見えた。曇天から差し込む陽の光を反射して、地面の一部が黄金色に煌いていた。その広さは、小さな泉ほどもある。
「金じゃないか」 と、その正体に気付いたセグが興奮して言った。「煌には本当に、黄金の湧き出る泉があるというのか」 今にも走って取りに行きかねない勢いだった。
「いけません」 と、サンノジが制止の声をあげた。思わぬお宝と遭遇して興奮していた統士たちは、不満げな表情でサンノジを見る。
「駄目です。近寄ってはいけません」 と、怯むことなくサンノジは言う。
「何故だ。あれだけあれば、一生遊んで暮らせる。しかも手つかずだ。取るなという方が無理だろう」
駄目なのです、と、サンノジは再度言う。「沸いてきている訳じゃない。あの金は、捧げられたものなのです」
「高価で希少なのに、こんな荒野に捨てていると言うのか? あんな量を?」
半ば睨むようにして、サンノジは答える。
「いつから始まったのか、誰が始めたのか。それにより何が得られるのか、正しい伝承は失われています。ですが、はるかに昔から、あそこには金が捧げられて来ました。小さな破片ばかりですが、投げ捨てられるうちに、寄り集まっていった。しかも熱に当てられ、溶けて混ざり合い、金の原のようになった」
「捧げたというが、一体何に対してなんだ?」
その問いを受けて、サンノジの顔に恐怖が宿った。このまま口を閉じてしまうかと思われたが、サンノジは黙って金の原の少し手前を指差した。
「あれ、にです」
金の輝きにまず目が眩んで、そこにある異様なものにまで気が届いていなかった。驚きと恐怖が混ざって、サイトたちは沈黙した。
「ここは、煌の言葉でミヤクと呼ばれています」 声を顰めるようにして、サンノジは言う。「あれは確かに生きている。この場所は、その証なのです」
名を口にするのも憚れる、あれ。大多数の者は、その正確な名すら伝えられず、ただ触れてはならないものと言い聞かされて育つ。バウトの上位素神だとも伝えられるが、一般にはすべての素真を統べる畏怖の対象と解される。
人々は畏れるあまりに、その存在を崇めつつも、目を逸らしている。素真への信仰心が深いとは言えない荒くれ者でさえも、周囲のものが密やかにそれを語るので、心の根本には同様に畏敬の念が染み付いている。
それはサイトも同様である。伝説伝承の類は誇張されており、山のように巨大な素真など実在はしないと思いつつも、しかし、畏れの対象はどこかに眠っているのではという思いはあった。
「あれは、脈打っている、のか……」
大地の一部に、楕円に近い亀裂が開いている。深さはそれほどではなく、周囲よりも色の濃い土が詰まっている。その中で、強烈に目立つ色彩がある。
太陽のような輝きを持つ液体が、いつまでも絶えることがないかのように、底から湧き出てきている。巨大な泡が、沸いてきては弾けている。空気の揺らぎから、そこに高熱が生じているのも見て取れる。
周期的に吹き出てくるのだが、何かの鼓動のようにも聞こえる。ただし、その中に流れているものは、血ではなく炎という決定的な差異がある。
名をも伏せられる、あれ。普段は大地と同化して眠っているとされる。伝えられる限りでは、その体に流れる血代わりの炎が、大地より流れ出ている箇所があるという。そうした場所は禁断の地とされる。ここミヤクはその土地だったのだ。
「確かにこれを見たら、あれは生きていて、そこに眠っていると思えるな」 サイトの言葉に、サンノジは無言で頷いた。
やがて、そう遠くない位置で、ゴウトクの隊を確認できた。待機の状態にあるように見え、それなら何事もなかったかと、安堵した。だが、それは逆で、最悪の事態ゆえの膠着状態だとすぐに分かってきた。サイトは早い段階で、そこに指揮官であるゴウトクの姿がない事に気付いた。
その集団の中に紛れ込んでいるバシーの姿を見つけ、何が起こったのかと、サイトは問い質した。指揮官としての任を放棄して、バシーは戦慄いていた。絶対の信頼を置いていたゴウトクがいなくなるに至った経緯を、バシーは震える声で語った。
ゴウトクは、狭い道で襲撃に怯える行軍に嫌気がさしていたので、もし待ち伏せにあっても、開けた場所で陣を敷き戦えるなら構わないと豪語していたという。禁断の地だとは知らず、強引に突っ切ろうとした。
だが、自分達が大きな間違いを犯そうとしているのだと、すぐに気付くことになる。
消える事のないかのような劫火が、大地より漏れ出し、燻り続けている。バシーの命令には服従してきたゴウトクも、ここに眠っている者が何かに思い当り、足を踏み入れる事を躊躇した。
だが、迷いはしたものの、ゴウトクは畏れてはいなかった。彼の祖父は西から来た流れ者であり、一族がこの地に定着してまだ歴史が浅い。火への畏敬の念が薄く、表面上は従っているが、バウトを禁じるという通例をも心中では馬鹿にしていた。どこか伝承を信じきれない所があったと、彼の部下が言い添えた。
そして、その炎の穴の向こう側には、金がある。燃えかすのような脆い土を踏みしめ、ゴウトクは進んでいった。その途中で、床板を踏み抜いたかのように、突如、ゴウトクの体が沈んだ。といっても全身ではなく、膝下くらいまでが見えなくなった。落とし穴にでも嵌ったかという驚きの直後に、彼は凄まじい絶叫を上げた。
部下の前では勇猛で通していた彼だが、この時ばかりは背筋も凍るような叫び声だった。絶望を感じさせる声色に、彼の部下達は恐怖した。
踏み抜いた下から炎が吹き出て、彼の全身へと這い上がってくる。正常の精神を取り戻して助けを呼ぶことはできず、彼はただ叫び続けた。
底なし沼に沈み込むように、彼の下半身は見えなくなっている。倒れ付した頭の先まで、炎が取り付き、煙を上げ、肉を舐っている。救出が不可能か否かというよりも、誰もそこに近づく気は起きなかった。
恐怖にかられ、彼の部下達は逃げ出した。置き去りにされたゴウトクが動かなくなるのに、そう大した時間は掛からなかった―――。
「喰われたか、ゴウトク……」 話を聞いたサイトは、そう呟いた。
さあ、もう分かったでしょう、とサンノジが言う。これまでになく性急で、強い口調だった。
「離れましょう。ここは人が足を踏み入れてはならない場所だ」
来た時と同じように、一人でも振り返らずに行ってしまいそうだ。彼は、よほどこの地が怖いのだろうなと、サイトは思った。
自分達を貶めようとしていたのなら、むしろ放っておけば良かったのだ。死傷者がもっと出て、全体が混乱に陥り、戦闘などおぼつかなくなったことだろう。罠に嵌めて皆殺しにするなら、これは絶好の好機である。もし自分達に悪心を抱いているなら、応援を連れて来ようなんてするはずがない。本当に職務に忠実なだけだというのか……。




