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星火燎原  作者: 更紗 悟
第二章 【キジュラガル】
74/117

跳べ

 

     7


「まずいな、もうじき日が暮れる」

 周囲はトドマツなどの針葉樹だけでなくミズナラなどの広葉樹も混じった混成森であるだけに照度は低い。それを差し引いても、頭上の葉の切れ間から見える陽の光は大分弱まっている。その変化の早さに焦りを覚えながら、サイトはラヅモに話し掛ける。

「ライ達も戻って来ないな。どこかですれ違ってしまったか?」

 両者とも真っ直ぐ進んでいるとしたら、もうそろそろ出くわしてもおかしくない距離のはずだった。だが、オウ・青に出会わずにここまで来てしまった。行き違いを避けるため、ライとカフは先に立ち、広範囲を検査して進んでいる。大分離れてしまったのか、中々戻ってこない。

 サイトの問いかけに対して、ラヅモから全く反応がなかった。熟練の猛者が戦場で仲間の声を聞き逃すはずはない。

「ラヅモ……?」

 声を落して、もう一度問い掛けると同時に、頭を動かさず、目線だけをラヅモへと向けた。

 ラヅモはそこにいた。だが、金縛りにあったかのように、ぴくりとも動かない。その顔は、驚愕に強張ったまま、蒼白になっている。

 ゆっくりと、両者の視線が合う。ほんの一瞬、時が止まる。

「跳べ!」 突如、ラヅモが叫ぶ。

 サイトは反射的に背後へと、跳ねた。

 後ろに何があるか確認などしていない、捨て身の行動であった。だが、この意表を突いた判断のお蔭で、サイトは助かった。

 背後には何もなく、茂みがあるだけと思っていた。ところが、そうではなかった。どすん、と何かにぶつかった。体を預けたそのすぐ先、思いがけないほどすぐ側に、巨大な質量があったのだ。

 時が動き出した瞬間、背後のそれも、獰猛な気配を解き放ち、サイトへと襲い掛かっていた。鋭い爪を振りかざし、両腕が獲物を掴もうとしていた。その、ぎりぎりの隙間をぬってすり抜け、背中からの体当たりをかけた形となった。口を開き切り、牙をつきたてるよりも早く、サイトの体が鼻先へとぶつかった。

 背後に忍び寄っていたそれは、今にもサイトへと襲い掛かろうとしていた。もし、振り向こうとしていたら、その無防備な首に食いつかれていただろう。または、前へと逃れようとしていたら、鋭い爪が背中に突き立てられていただろう。さらには、左右に跳ねていたとしても、どちらかの前足に引っ掛けられていただろう。

 もちろん、自分がいつの間にかそうした窮地にあると知っていたわけでは無い。ただ、ラヅモが気付き、サイトが知る術のない方向は、背後だけだった。

 その必殺の範囲内にいたサイトは、それの思いがけない行動、自ら身を投げるという意表を突いた選択により、命拾いしたのだった。

 ほんの僅かの間だが、背後のそれは驚き、獲物の位置を見失っていた。その隙に、サイトは横方向へと転がり、すばやく反転してそれと向き合った。体勢が整う前に追撃がかけられそうになるが、ラヅモによる牽制で、何とか免れた。

 眼前のそれを睨みつける。

 そこには、四足の獣がいた。猫に似たしなやかさを持つが、段違いに強靭な体躯をしている。白い体毛に覆われた巨体は、犬や狼よりも重量感をもって見える。

 隣にラヅモがいるはずだが、目線を動かすことすらできそうにない。ほんの一瞬意識を逸らしただけで、やられる。後手に回ったら最後、手におえない。先ほどから全身が怖気だち、戦慄きが抑え切れなくなりそうだった。

 その牙が届く距離まで迫られていたのに、まるで気付いていなかったのだ。ラヅモがいなければ、すでに首をへし折られていたか、あっさりと押し倒されていただろう。

「なるほど……。これは、確かに……」 サイトは呟いた。

 その存在に気付いた時には、すでに死が確定している。その異名を肌で実感したサイトは、それが何かに気付いていた。

 シデン。先のキジュラガル。

「だな」 と、ラヅモも短く答える。

 こちらの隙を窺うように、シデンはゆっくりと足踏みをする。だが底光りする眼光は一瞬たりともこちらを逃さない。

 ウゥゥゥ、とシデンが低く唸った。

 来るか、とサイトは身構える。だが、その唸り声は次第に小さくなり、途切れてしまう。そして、シデンは唐突に、くるりと背を向けてしまう。元いた茂みへと、戻っていこうとする。

「サイト様、何所ですか」 と、カフの声が聞こえた。どうやらライ達が戻ってきたようだ。

 まだ離れた所にいるようだが、シデンはその接近を察知していたらしい。どこに敵となるものがいるか分からないのに、遠方から声をかけられるのは好ましくないが、今回は、それでシデンの警戒心を呼び起こしてくれたらしい。

 襲撃を諦めてくれたようだが、サイトは気を緩めなかった。まだ攻撃範囲にいるような気がしてならない。

 シデンが茂みへと入り込んで行く。その際、葉などに身が擦れているのだが、物音が全くしない。実体がないかのように、するりとすり抜ける。目を凝らしていると、それが、極柔の体毛に包まれているおかげなのかと気付いた。ふさふさの体毛の下は、意外と細い体なのかもしれない。そうして物音を断つことに成功しているのではないか。

 しかも、体毛は白色ではなく、透明であるらしい。光が当っているうちは白く見えるが、おそらくその地肌は黒いのだろう。暗がりに入るに連れて色を失い、体が闇に溶け込んでいく。

 シデンは最後に振り返り、こちらを睨みつけ、またも低く唸る。それから茂みの奥へと立ち去り、今度こそ気配が消えた。

 立ち去ってから、充分すぎるほどの間を空けて、サイトは構えを解いた。

「ふぅううう……」 ようやくサイトは、深く息を吐いた。




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