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星火燎原  作者: 更紗 悟
第二章 【キジュラガル】
69/117

恐るべきもの

 

     2


 足取りは重く、無言の行軍となった。時折聞こえてくるサヨウの啜り泣きが、気分をさらに押し下げる。ドウゴ率いるキョウの統士達だけが、いつもと変わらぬ歩調だった。

 サイトは、睨むようにして行先を見据えていた。これでよかったのかという迷いは、依然として心の片隅にこびり付いていた。

 その斜め後ろに、すっと移動してきたものがいた。後続から歩を早めてきたのは、ラヅモ・(しょう)という老練の猛者だ。彼は『支』分のシイド級であり、参戦する必要はないのだが、自主的に付いて来ている。

「……貴方も、間違っていたと思いますか」

 何か言われる前に、サイトは彼が言いたそうな事を口にした。

「あぁ、間違っているさ」 と鼻をならしてラヅモは答えた。「こんな沈んだ雰囲気になってるってことが、間違いだよ。オメェらは正しい判断をしたんだからな」

「……あれで、良かったと?」とサイトは力のない声で言う。

 ラヅモは、髭をしごきながら、苦々しい顔で言った。

「言うまでも無いが、俺ァ『統』分じゃないからよ、普段は畑耕したり鹿を捌いて売り歩いている。今でこそ土地持ちだから、そう動かなくて済むが、昔はそうじゃなかった。仕事に応じて転々と移動していた時期もあった。時にゃあ、北へ北へと流れたこともあった。そこいらで、流れ者達と枕を並べたこともある。ちょいとキョウの奴らと懇意になったこともある。色々教えてもらった。だから、分かるんだが。ありゃあ……」

 ――――()()()()()()だったと、ラヅモは言う。楽天的な性格の育ての親がみせた硬い表情に、サイトは眉を顰める。

「それは、一体?」

「キ・ジュ・ラガル。山の者の言葉で、〈現在最も忌むべき獣〉だとか、〈現在最も恐れる獣〉とかいう意味らしいな」

「どうして、あれがそうだったと思う?」

「傷を見た。尋常ならざる力による骨までの粉砕。鋭い牙か何かによる刺し傷……。巨大な羆のようなものに蹂躙された、ように見える」

 サイトは同意した。まず思いついた凶暴な獣。それは、綜の地でも森の暴君として恐れられている羆だった。西の地ルクや河津の一部では神として崇められているという。

 煌の地でも同じように棲息している可能性は高い。実際、サンノジによると、確かに森には羆もおり、警戒すべき生物とみられている、という話だ。

 ただし、これは羆の仕業ではないとサンノジは見立てている。そう告げると、俺も同感だとラヅモは言う。

「コウ・ウの時代から山に入るようになった訳だが、その太古の時代より恐れられてきたものがある。被害の大小ではなく、その打倒が至難だという意味でだ。そいつは、シデンという、四足の猫に似た巨大な獣だ。音も立てず獲物に忍び寄り、そして眼にも留まらぬ素早さで襲い掛かる。重石のような力で踏みつけられると身動きできなくなる。仮に最初の襲撃を避けられたとしても、槍先のような鋭い牙と、鎌のような爪が肉を削ぎ取ってくる。勝てない。逃げられない。生かしてくれない。その姿を見た時はもう手遅れなので、死を伝えるもの、シデンと呼ばれ始めたそうな」

「確かに状況は似ているが……。そいつなのか?」

 どうだろうか、とラヅモは言った。

「基本は夜行性らしいんだが、まあ、幻獣と呼ばれるだけあって、昼間でも出てくることもあるらしい。それよりも違和感があるのは、こいつは孤高の生き物だということだ。古の英雄コウ・ウを感嘆せしめたというほどに。狩りは単体で十分こなせる。ましてや人ごときに対して、同属の手を借りるまでもないだろう」

「……サヨウは、ずっと出てきた森の方を気にしていた。すぐそこまで追って来ていたからこそ、また襲われると怯えていた。あのとき、おそらくまだそこにいたんだな」

「あぁ。()()()()、いた」と、ラヅモは言った。「少し離れた、最初に森に入った場所近くで、部下が生き残っていた。断末魔の叫びを上げさせたということは、()()()()()()()()。つまり―――」

「こいつらは、少なくとも二匹はいた。襲撃の凄まじさからして、二匹どころか群をなしていた、と考えるのが妥当か。となると、シデンではないな」

「そうだ。これがキジュラガルの特徴だ。単体でも脅威だというのに、群れで動き、しかも、賢すぎる。物音立てずに行動できて、命をもぎ取っていけるのに、どうして最後だけは、盛大に声をあげさせたか。―――罠だったんだ、最後の悲鳴は。さらなる獲物を招きいれるために、わざと残していた」

「賢しいな……。だが、これだけ人がいて、倒せないということはない」

「そう。倒せなくはない。これだけ人数がいれば、数匹は仕留めることができる。だが、それはいけない。それが一番、いけない」

「致命傷をおうと、死に物狂いで暴れるからか? いや、そいつら、もしかして……」

「おう。やつらは、決して、諦めないんだ。仲間を傷つけた者達を許さない。一体でも生き残ったら、同種の仲間を集めて、意地でも全滅させようとしてくる」

「随分執着するんだな。それじゃあまるで……」

 サイトは息を飲んで、ゆっくり発音した。「人、じゃないか」

「ああ。キジュラガルは、巨大な猿だ。凶暴で強力で、しかも人に近い狡猾さもある」

「それは……。となると、あの傷は、もしや?」

「うむ。物を使うこともできる。尖った木片が、サヨウの体に刺さっているのを見た。逃げる足を奪うため、刺したのだろう」

「そこまでできるなら、もう獣じゃないな。人に似たものではなく、気の狂った人のなれの果て、と思える 」

「かもしれん。このキジュラガルは、古においてそれほど脅威ではなかった。ここまでの知恵と行動力はなかった。むしろシデンの餌だった。だが、見てくれは麓にもいる猿に近かったものが、いつしか馬鹿げたほど強靭でずる賢くなっていたという」

「そんなものが、この森に……。だから、ドウゴはあれほど……」

 なあ、ラヅモと、サイトは言い慣れた名を呼んだ。

「古のコウ・ウは、どうしてこんな魔所に足を踏み入れたんだ? ここは人が安穏として生きていける場所ではない。それに、彼の子孫達もまた、ずっと居続けている。行く当てがないというのもあるだろうが、なぜ、ここなんだ?」

「それは……。いや、それは、俺なんぞには判りかねる。そう言うことなら、きっとソンヴ殿の方が詳しいだろう。逢えたら根掘り葉掘り聞いたら良いぜ」

「……ああ、そうだな」

 遠くを見つめながら、サイトは頷いた。




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