囁かれる名
8
スクル・桧は、自分でも小心者だと認めている。
戦場に出た事はある。敵の命を絶った事もある。命令に従って目的を果たしたこともあり、部下を指揮した事もある。心配していたが、よくぞ一端の統士となったと、周りは誉めてくれる。
そう思っていると、スクルも気分が良い。時には増長して、態度が大きくなり過ぎているかと振り返る時もあるが、周りがそう言うのだから、流されていいと思っている。
でも実は、本心ではびくついている。サイトは言うまでもなく、トオワの働きぶりを見ていると、自分には到底こなせそうにないと思えてしまう。
だから、尊敬の念を集めている傑物と対等に話すなんて思いもしなかった。
それなのに今、その代表ともいえる人物、レクト・殊が目の前にいる。
綜の正規軍の中枢にあって、将来は全軍を指揮する立場まで登りつめるであろうと言われている。家柄も申し分なく、桧家とは肩を並べられるはずもない。早くから才能を発揮して、すでに大きな戦績を幾つも残している。武の才も備わり、しかも、容姿も格別だ。勝利の凱旋でもないのに、彼が行軍すると女たちが沿道に集まるほどだ。
以前サイトと行きあった酒場で、スクルはまたしてもこのレクトと出会った。雲の上に手をかけようとしている人物と同席しても、萎縮してしまって、何も話せない。
何故彼の目にとまったのだろう。何故こちらに来いと手招きされたのだろう。それに、スクルが来るまでは、美しい女と一緒にいたのだが、彼女は去り際スクルと目を合わさなかった。自分に追い出されたと不機嫌になっていたのではないか。
「どうした? 何だか悩みをたくさん抱えていそうじゃないか」 と、レクトはこちらの頓着など気にせず語りかけてくる。
世間の評判と随分ちがうじゃないかとスクルは思っていた。酒が入っている所為か、やけに怖い目でレクトはこちらを睨んでくる。
見えない圧力に負けて、恐る恐る、スクルは抱えている疑惑をすべて話した。サイトが相談せよと言っていたと、くどいくらい繰り返しつつ。
最初、舌の滑りは悪くなかったのだが、レクトは黙って真剣な顔でスクルをじっと見つめてくる。微動だにしない表情に相対していると、怒られるんじゃないかと言う気がしてきて、スクルの話は要領を得なくなっていく。レクトは静止したままで、なるほど、と最後に頷いた。
それから突然、豪快に笑い声を立てた。
所属も位も違い過ぎるので、レクトと接することは全くの初体験である。こうも砕けた笑い方をする人柄とは思ってもおらず、スクルは呆気にとられた。
「ないな。それは、ないよ」と、レクトは愉快そうに言う。
「え? そ、そうですか? でも……」
「無いものは、無い。無いのなら、対策もまた、無い。考えても、仕方がない」
違うか、と言ってレクトは口を開けて笑う。人の話をちゃんと聞いていてくれたのかと、スクルは不安に思った。
「レクト様がそう仰るなら、それは深い考えがあってのことなのでしょうから、疑ってはいません。ですが、先ほどお話したように、私にはどうにも気になることがあるのです。それが間違いだと確信があるならば、どう間違っているか、お教え頂けませんか?」
「ほぉう!」 と言って、レクトは表情を変えた。不慣れなスクルには、その顔が面白がっているようにもみえる。同時に、怒り出す直前のようにもみえて、よく分からず戸惑った。
「気になった事は、きちんと解決しておく。うむ、その姿勢は大事だな。大事なことでも、些細なことでも、きちんと答えをだしておかないと、後で引っかかることもある。大事にしろ些事にしろ、放置しておいて、後でどうにもならなくなって後悔する奴は愚かだ」
スクルはどうにか相槌を打った。
「ただ、気にするのは良いが、世の中には気にしなくていい事もあるわけだ。それに囚われ、やるべき事が何もできない奴もまた、愚かだな」
「……それは、確かに」
「だが、お前は、ちゃんと自分の役割をこなしている。その上で、さらに視野を大きく取ろうとしている。そう言うことだな?」
良し、と言ってレクトは素早く机を叩いた。
「他ならぬ、サイトが目をかけている者だ。知っていることは教えてやろう」
サイトに目をかけられている。そんな嬉しいことは初めて言われた。レクトの言葉を素直に受け取り、スクルの目頭が熱くなった。
「まずだな、君……。えっと、何と言ったかな?」
「え……?」
名前すら覚えてもらっていなかった。単に適当に言っただけかと、顔が引き攣らないようにと意識して、スクルは己を励ました。
「そうそう、スクルくん。まず、クドゥの旦那なんだがな」
そう言って、レクトは話し出した。
*
クドゥに反意はないと、レクトは請け負った。
スクルが問題視したクドゥの故郷は、タバナといって、河津と綜の境にある。河津平定の際、シンレイを抜かれるようになった数少ない街の一つである。大半がそのまま体制を維持できた中、手厳しい扱いを受けた。それを見せしめ的な非道な処置と取り、反乱を志したというのは、根拠としては弱いとレクトは言う。
タバナがシンレイを抜かれる対象となったのには、理由がある。禁教とされる火の素真ジバを奉じる者バトウ信者が、数多く潜んでいたことが判明したのだ。
この地ではバトウ信仰は禁じられているが、それでも密かに教団は引き継がれている。大概の街ではバトウと知れただけで追放される。そういう時に、見逃してもらう代わりに多大な賄賂を渡していたことが多いが、この町もそうだった。
表立ってバトウを容認し、教徒が幅を利かせていたアヌン同様に、卑劣な行為を容認する堕落的な溜まり場と見なされ、タバナは庇護を失ったのである。正統な理由があり、逆恨みされる筋合いはないのである。
しかも、クドゥ自身は、さほど故郷への愛着がないようである。住んでいたのはビドが数多くいた僻地であり、幾度か周辺民族の襲撃にあっているのだが、町の中枢部は見て見ぬ振りをしてきた。端っこが削られるだけなら放置して良いと、考えられていた節があるのである。
こうした対応を受けて育ったために、クドゥのタバナへの愛着は無いに等しい。両親も親しい者も失い、青年になった所で出奔して、二度と故郷に戻っていない。
次に問題なのは、彼の武力の偏りである。
彼の右腕であるのがゴウトクという統士である。それなりに名を馳せた部隊であるが、主導者たる彼が卓越しすぎている。こういう部隊は、頭が崩れれば弱いものだとレクトは語る。
ゴウトクは、攻撃はさほどではないが、守備には定評があり、またその力を最大限に活かすための策謀もそれなりにできる。
ただし、ゴウトクの手腕により引っ張られ戦闘を重ねているが、彼の成長に周りが全く追いついていない。彼に何かあった時、部下に任せるには力量差がありすぎ、部隊を上手く運用できなくなる。
そのゴウトクは、今はダウスを遠く離れた所にいる。クドゥの派閥においては、乱を起こすほどの胆力行動力のあるものは他にいない。クドゥが今動くには手駒不足だと、レクトは断じた。
「一人では、動かないと?」
「俺はクドゥじゃないので、どう考えるかは分からない。絶対ありえない事では無いが、少なくとも、俺は御免だな。一人で反旗を翻すというのなら、よほどの決意がないと己を支えきれないだろう」
「そんなものですか……」
ああ、とレクトは深く頷いた。
他に何かあるかと、レクトは言うが、スクルはすぐに思いつかなかった。けれども、満足げなレクトを見ていると、すんなりと納得するには抵抗があった。上位の者の言葉であり一応は納得できたのだから、さすがと褒め称えるなりすべきなのだが、そう素直な気持ちにさせてくれない人物のようだ。
まだまだ気になる者はいる。
サイカクはどうだ、と言いかけて、スクルは口篭る。さすがに腹心の部下であるレクトに、後援者が反乱の首謀者だろうと疑いをぶつける事はできない。
スクルが調べた所、サイカクの動向に反乱に結びつくものはなかった。もし反乱があるなら、下準備に追われて何らかの尻尾を残すことだろう。
また、サイカクは必要以上にオウ・青を持ち上げる傾向がある。と同時に、誰の目にも明らかな事に、彼はそれほど忠義の臣ではない。オウ・青という人物を認め、主の威光を広めようとしているのではない。綜真という絶対的立場の者を崇めるという態度を取る事で、より高みに己を近づけ、その威を借りようとしている。権威を欲しているが、なるべく労せずして庇護されたいという発想が根底にある。そんな彼が今の立場を捨て、自分が頂点に立つために危険を犯すとは思えないのである。
さらに、サイカクは最近、暴漢に襲われていたことが判明している。側にレクトがいたため命は助かったが、礫を投げつけられたことにより傷を負っている。レクトが追いかけると、その犯人はすぐさま逃げに転じた。その身軽さから、どうやら女であったと目されている。
モウ・牙を襲ったのも綜の女であったということは皆が知っている。同じ犯人が綜にも現れ、要人に害をなしたのだろうかと考えられている。自分を綜の重要人物だと思いたいサイカクは、また命を狙われる事を恐れ、厳重な警護をつけて家に引きこもっている。サイカクは、違うのだろうとスクルは考えている。
「ん? どうした? 次は何だったかな」 と、レクトが促してくる。
反戦論者のタナトをどう思いますかと、スクルは、一応といった体で口にした。
「タナト? 何故ここでそんな奴の名前が出てくる?」 と、レクトは意外そうに言う。
「戦を毛嫌いする彼にとって、次々と戦闘を重ねるオウ様は、全く相容れない存在ではないでしょうか? 平和の為には排除すべきだと、そう思い込んで行動に……」
「いや、あいつは口だけだよ。何の牙も爪も持っていない」
「では、例えば、こういう手はどうでしょうか? タナトの反戦主義に賛同する者がいます。ツ・ローと言って、キョウの出身だったと思います。今、サイト様は煌にいます。大勢のキョウと共に、戦場に居ます。普段ならキョウに遅れを取る方ではありませんが、戦場ならどうでしょうか? 一応は味方としているキョウの者が、いきなり襲い掛かってきたら? サイト様を、もし万が一ですが、害することができたのなら……。考えたくもないですが、真穿を崩して、オウ様の手足を奪い、そして、引き摺り落すことを企んでいたら……」
「同感だな」とレクトは言った。「俺も考えたくない。あのサイト・成が、そんな手に引っ掛かるものか。それは、あいつといい勝負しかできない俺も、同程度に見られているということだぞ」
「い、いや、そんな……」
「ふん。しかも、サイトを排除したとして、それでどうする? そんな程度では意味がない。もっと派手にひっくり返さないといけない。だがどうだ? タナトにそんな器量があるのか? そんな度胸があるのか?」
「そうは、見えません……」
スクルは念のため、タナトが懇意にしている者たちの詳細を洗っていた。だが、そのどれも荒々しい武を匂わせるものはいない。人の生き死について嘆くような、知識に片寄った考分の者ばかりだ。
もし、一時だけ闘える者達を雇ったとしても、そんな有象無象、即座に叩き潰してやると、自信に満ちてレクトは断じた。
スクルは考え込む。
反乱というのは、考えすぎなのか?
いや違う。まだ別の名が挙がっていた。それは、誰だったか……。
「グントラターグ……」 とスクルは呟いた。
「何だと?」と、レクトの声が固くなった。
「そう。確か、グントラターグ」と、スクルは繰り返した。
「何か、奴の動きを掴んでいるのか?」 そう言われてスクルはレクトを見た。表情は変わらないが、目つきが変わっていた。
いや、そんな訳では……と、スクルはしどろもどろで答えた。
「ただ最近、その名前を何度か耳にしました。えっと、確か、煌への進軍に参加せず、領地からも姿を消している、だとか」
ヅフ・ラターグ・グント、通称グントラターグは、数々の戦功を糧に、真の血族でもないのにシント級にまでのし上がった人物である。
彼が治める西の街ルブラはダウスから溢れ者達が多く流れて来る上に、キョウ、煌に近いだけあって騒動の絶えない街であった。だが今では些細な小競り合いも含めて、ピタリと争い事はなくなった。
ダウスに赴く時の彼は田舎者の成りをした柔和な老人といった風である。多くのものが、彼はその人柄で小さな街を何とか治めているのだと、過小評価していた。
だが、実際にルブラに足を運び、実際に彼の実像を聞いた者達は知っている。彼は勇猛果敢で苛烈、疾風のように押し寄せ怒濤の勢いで歯向かうものには容赦しない。その怒りに触れることは雷に向かって手を差し出す事に等しいと。
ルブラの統士たちの錬度は高く、主への忠誠心も持ち合わせている。鍛え上げられた統士たちには感心と脅威を覚えると、ルブラに行った事のあるジエルも言っていた。
ダウスでも、ふとした拍子に、皆が顔を翳らして言う。どうもきな臭い事が起きようとしているのではないか。それは、一体誰が、となる。そこで、大抵の場合、こう囁かれる。
グントラターグが、と。
どれだけ小声であっても、その名が出た後は、ピタリと口を閉ざしてしまう。そんなはずはないのに、訊かれてしまったかと畏れ、慄くようにして。
レクトもまた、グントラターグねぇ、と小声で言った。
「確かに、姿を見せない。そこは気になる」
だが、奴は動かないだろうよと、レクトは言った。
「何故ですか? 皆の言葉の端々から、彼を恐れていると伝わってくる。どう動くか分からない警戒すべき相手なんでしょう?」
「そうだな。確かに、恐るべき存在ではある」
それでも、動かないだろうと、レクトは繰り返した。
「何故ですか? 弱みでも握っているんですか」
「弱み、弱みねぇ。そうとも言えるかな。怖いんだよ、奴は。恐れているんだ」
「な、何を、ですか?」
「ソンヴ・識さ」
レクトは自嘲気味に笑う。付き合いといえるほどの時間を経ていないのだが、これはきっと、ふだんの彼にはありえない表情なのだと思えた。
「え? 識さんを……?」
グントラターグは、ソンヴが考分として台頭してきた時機を同じくして、ダウスに現れなくなった。
両者の間に何があったかは定かではない。その少し前に、コウ・ウの研究報告を読んで、恐ろしい女だと評したと言われている。また、当時の綜真に対して、彼女の扱いについて提言して、その後ダウスを去ったという。
それから、グントラターグはダウスに寄り付かなくなった。まるで名声を上げるようになったソンヴを避けるようにと、レクトは言う。
「彼女が綜にいる限り、奴は動かない。それほど彼女を恐れているんだ」
レクトは言って、軽く溜息を付いてみせた。




