機、至る
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綜の都ダウスの中央にある、国の要たる真が住まう宮・真宮。その奥深くで話し合いが行なわれている。考分の政人、統分のカントが議題に応じて呼ばれる。その結果、シント、綜真により決定する。
急遽帰国したサイトは、副官代理としてスクル・桧を伴い、参加していた。
今回の主な議題は、ハライ・コウに対する対応である。すでにこれまでも議論が交わされてきたが、結論に至っていない。
まずはこの動向に対する基本姿勢が、場を二つに分けていた。為されるがままでよいのか、それとも、抗すべきか。
綜の地を侵すつもりならば、こちらも手を拱いて待ってなどいてはならない、断固とした態度を取るべきだと、声高に主張する一派がある。彼等は盛り上がり、反対にこちらから煌に攻め入り、これを機に平定してしまえ、とまで言い出している。
それに対して、侵入してきているのは生活に窮している民のみ。武力を持って押し入るのではないのなら、まだ他に対処はあるのではないか。今こそ良い隣人関係を作るべきと、事態の静観を主張する者達の一派がある。
また、降りてきた民を、綜の民として迎え入れればどうかという声もあるが、二国の狭間に生きる〈キョウ〉と呼ばれる者たちの悲痛な訴えにより沈黙した。キョウの地は到底豊かとはいえず、中央からの援助を受けてようやく成り立っている所も多い。煌との衝突も何度も繰り返され、到底仲良くやっていける空気ではない。
煌への態度をどう決めるにせよ、とにかく武力を用いるのは反対だという者もいた。血を流し合う事を避けようとする志は立派だが、明確な対策はなく、ただ戦はいけないという主張なので、これも端に追いやられている。
衝突を厭う者達は、年老いて引退した将や極端な行動を嫌う政人が多い。開戦を願う者達は若く、血気盛んな将が多い。いつしか議論の場は、開戦派の勢いに飲まれつつあった。
そうした中、主たるオウ・青は、じっと話の推移を見守っていた。最終的に、彼の首肯をもって対処が決まるので、皆、オウ・青の顔色には注目していた。
だが、クドゥという政人を主軸とする開戦派の内心では、オウ・青は反対しないだろうという見込みがあった。
オウ・青は即位以来、周囲の小部族を平定して回り、そして、河津を下して綜の領土を拡大することに成功している。河津だけでなく、煌真国・瑗環国も含めた、ダロル・シン〈全てを統べる者〉になるのだと公言している。彼の右手首の骨には特徴的があり、一見、腕輪をしているような形に見える。輪は和に通じ、円は調和を意味する。それを体現するかのような特徴をもって生まれた事で、オウ・青が本当にダロル・シンとなるのではという期待もある。
煌も国を名乗る以上、綜を脅かす力があるはずで、放置はできない。いつ平定に動くかと言う段階であったので、オウ・青はこれを機に動き出すのではという予想が立っていた。
名を呼ばれて、サイトは顔を上げた。声をかけてきたのは、オウ・青の側にいる男である。
「貴方らしくないですね、成殿。なぜ黙っているんです? あれほど反対していたのに、どうしました? 心変わりされましたか?」
挑戦的な口調のこの男は、綜真の護衛官でカフという。元々はサイトの部下であったが、綜真の護衛をする内に気に入られて異動した。綜で最も偉いとされるもの側にいるうちに、己の立場を慢心したか、カフの態度は以前と大きく変わっていた。
「いえ……」 と、低い声でサイトは言葉を濁す。
真穿は綜真直属の部隊である。その主から命が下れば否は唱えられないが、静観している今は、意見を申し出ることができる。真穿は先の大戦で功績を挙げており、その大隊長であるサイトも一目置かれている。
サイトは、ハライ・コウに対して、まずは反対派の立場に立っていた。だがカフの指摘通り、今日は口を開いて反論することはなかった。サイトに迷いがあることは、誰の目にも確かだった。
「サイト様……」 と、スクルが背後より囁いた。「時間がありません。すぐにでも」
「……それは、話が別だ」 サイトは小さく頭を振った。
将としての己の立場、人としての己の有り様、その狭間にあって悩んでいる。そう追い込まれた理由を知っているスクルは、もどかしそうな顔をした。
従者には発言権はなく、サイトは言い出さないだろう。何故迷うのだと、スクルは苛立ちを覚えた。
言ってしまえば良いではないか。彼女を欠く事は国としての損失と言う事ができる。慎重であらねばらないというのは分かるが、この場合なら、致し方がないだろう。こちらに非は無いのだから。いくらか同情も得られるのではないか。
サイトとソンヴの仲はスクルも知っている。サイトの愛用する剣を飾るものの内、鞘はサイト自身が彫ったものだが、その帯は女性に織ってもらったものだ。他の装束はしっかりしているのに、その帯だけが妙にたどたどしい織り方をしているのだが、サイトはそれを大事に使い続けている。考分随一とされる才女も、家庭的な技能は極めて低いということも有名だった。
行動に出るべきだという誰かの声に、スクルは思わず同意の頷きをしてしまう。その時、開戦強硬派の一人と目が合ってしまった。
その男の名はクドゥ・淡、名門の出で排他的な政策ばかり主張するカント級の男だ。普段は素通りされていた鋭い眼が、ふいにスクルに留まった。一瞬、こちらの思惑を読み取ろうとするかのように、ただでさえ細い目が眇められる。
「―――よいかな?」 と、クドゥが口を開いた。
場がしんとなるにつれ、スクルは、自分が愚かな間違いを犯した気がした。
「あれやこれやと、話が進みませんな。どうにも、反対派の面々はただただ非協力的なだけで、話し合いに応じてくれない。ただ気が進まないと言うだけで、何も論じようとしない。利と不利を上げてもらわないと、検討のしようがないのは、是非もないこと」
そんなことはないと声があがるが、しかし、クドゥが視線を廻らせると皆口籠もってしまう。すでに彼に論じ負けて、心を折られているためである。唯一、張り合っていたサイトは、今日は俯いて口を開こうとしない。
「特に、成殿。本日は凝物のようにダンマリだ。如何なされた?」
「……慎重に、考えているだけだ」
「ほぅ。考慮に値するような事なら、是非、皆で話し合おうではないか。そうすれば、案外、別の結論がでるかもしれない。これは性急過ぎたかと、泡を食ったバシー殿が見られるかもしれない」
クドゥの軽口に、好戦派の若年カント、バシー・蕨は苦笑いし、追従するような低い笑い声があがる。
「どうも今日は皆出席を拒み、変わりに凝物でも寄越してきたらしい。古のコランならさておき、凝物とは話などできぬ。―――そこで、だ。異例のことではあるが、若者からも、意見を聞いてみたい」
会場がざわめく。スクルも戸惑った。
まずは、とクドゥは勝手に話を進める。そして、スクルを指差す。
「君、だ。君は成殿が信頼を寄せる者、なのだろう。どうかな? 何か我々の目を覚まさせるような、新鮮な意見を聞かせてくれないか」
皆の視線が集中する事態にあって、スクルは目を瞬かせた。急の重圧に、内臓がぎゅっと締まった。
「クドゥ殿! 御戯れを」 と、サイトがスクルの前に立つ。 「この者は一同に意見できるほどの経験も知識もない。手慣れた部下が不在ゆえ連れてきたが、気に障っていたというなら、勘弁願いたい。即座に下がらせ、然るべき処置をしよう」
サイトの言葉は慣例を重視した対応で、他の誰の副官が名指しされても同じ事だったろう。スクル自身、普段なら助かったと胸を撫で下ろしている所だ。だが、この時のスクルは違った。ただ頭ごなしに否定してきたサイトに比べて、クドゥの瞳が同意を示してくれている、ように思ってしまったのだ。
――――言ってしまえ、何も悪い事ではない、と内心で囁く声が聞こえた気がした。スクルの口が恐る恐る開く。
「申し上げたいことがあります……」
「スクル! 控えよ!」
「これは些細なことではありません! 是非、考慮すべきことです」
「ほぅ? 何か大事な事を話してくれそうですな」
そう言ったクドゥの目は、いつもの恐ろしさを感じる眼に戻っていた。自分は踏み込んではならない場所に足を下ろしたのだと、今更ながらスクルは感じた。
止むに止められず、消え入りそうな声で、スクルは言った。
「……『考』分の逸材、ソンヴ・識殿のことは、皆様ご存知でしょうか?」
『考』分の者は、彼女の業績を知らないものは居らず、『統』分の者でも、先の戦での功績を見知っており、その場の大半が頷いた。
「では、その彼女が消息を絶った事は、どうでしょうか? それも、あの煌の地で、不穏なことが起きた、としたら―――」
衝撃を受け、場がざわめく。その波が概ね一方向なのを見て、クドゥは満足そうにほくそえんでいた。
サイトは、激情を悟られぬよう、己の甲をじっと睨み続けていた。
*
ソンヴの身に起きた異変が皆に知られることになった。
サイトは、煌への恨みだけに固執しないようにと、煌進撃を即断する事に反対していた。不安定な時勢にあって、その遠征は危険が多すぎると説得を試みていた。
だが、サイトの努力もむなしく、場の流れは一気に傾いた。
開戦へと意向が固まった決め手となったのは、クドゥによる切り札の開示だった。それは、瑗環国からの書状だった。内容は、瑗真・ショウ・源の腹心カク・源による、共闘の申し入れだった。
そもそもはソンヴ・識からカク・源個人に持ちかけた話だったという。ハライ・コウでの被害は、同じく北に接する地をもつ瑗も同様だ。下手に刺激すれば猛反撃に遭うであろうことも変わりない。
ならば、綜と瑗、二方から同時に攻め入り、これを機に北の脅威を除くというのはどうか。このようにソンヴ・識から持ちかけられていた話に応じて、統士団を派遣する用意があるとカク・源は言ってきた。また、旧河津への牽制も引き受け、主力の留守の内に、下手な動きが生じぬよう目を光らせておいてくれるという。
開戦を思い留まらせていた一因である近隣情勢への不安。それが解消されるとあって、反対派の声は一気に小さくなった。
未だ燻る河津勢の反抗も抑えられ、しかも、瑗の戦力が北と南に向いていてくれれば、より安心して行動に移せると、とオウ・青は提案を受け入れる事を決めた。
戦代185年(西暦1085年)夏の終わりに、綜はツークスを目指して進軍を開始した。
ダロル・シンとなる大願への次の一歩、煌平定に向けて、動き出したのだった。




