芽吹く不穏
1
戦に勝利した側は、敗国の庇護下にあった全ての街を手中にして、中心的位置に設けられる石柱・真嶺を奪う権利がある。シンレイを抜かれると言う事は、誰のものでもなくなるという意味合いがあり、後ろ盾を失ったその街は、どこから侵略されても、誰も助けに来る事は無くなる。ビド蒐人によって住民を搾取され、無法地帯になり果て、廃れていく。
河津を下したオウ・青は、全土のシンレイをそのまま残した。
下したといっても河津の統士は頑固で扱いにくく、乱を起されては面倒だ。徹底して力を削ぐべきだという声もあるが、オウ・青は強攻策を取らなかった。我真・モウ・牙から、真たる証・我真という名を剥奪し、綜の一領主として封じた。後々禍根となる可能性は高く、オウ・青は甘すぎるという声が多く上がった。
ただ、この時期では已む無しという意見も少なくない。勇猛果敢で知られる河津の戦力を分解してしまうと、東の大国瑗環国が動き始める可能性がある。河津との戦いで綜自身も疲弊しており、南と東の両端に目を光らせることは困難であった。
また、河津攻略後に、別の不安要素が持ち上がり、南にばかり力を集中している余裕はなくなっていた。
北方の山岳地帯は、大きく分けて三つの山系がある。その中央、クス高峰を頂とする山系全域に広がっているのが、煌真国という国である。
寒冷の山地がほとんどで、豊かな土地とはいえない。だが、開祖コウ・ウの時より彼らはひっそりと暮らし、国交もほとんどないため、どのような生活をしているかも謎である。とはいえ、温厚な民かというとそうでもない。数百年に渡り境界を維持してきただけはあって、他国からの干渉を酷く嫌う。
それでいて、煌の側から境を南へと寄せようとしてくる。その期間は不定期で、十数年も間が空く事もあれば、数年で続けて起きる場合もある。そうした動向、または時期は、ハライ・コウと呼ばれている。
下手に押し返し、攻め入れば手酷い逆襲にあう。綜としては、極力この動きを静観してきた。不思議なことに、一定の期間が過ぎれば、煌の方から元に戻っていくのだ。国土を広げよう、得たままにしよう、という意志はないらしい。
無制限に民の移動を容認する訳にもいかず、また武器を持った者達の接近を見逃す訳にもいかない。徹底抗戦して境を守り、またはこれを機に煌へと攻め入るのだという過激な声もある。ただ領土を犯されるだけの受身の対応を厭い、反抗すべきだという声は日に日に強くなっていた。
*
夕暮れ時、二人の統士が対峙している。
長身の若者、サイト・成は、ゆっくりと腰を落とし、細やかな装飾が施された剣を構える。
綜人は昂の地の中で平均身長が高い方なのだが、母より受け継いだ異国の血ゆえか、サイトはその中でも目立って高い。父方の成家は武の血筋であり、その優れた武力を受け継いでいる。
対する大男は、海獣の毛皮で作った衣を着ているだけで、武装はしていない。全身に力を漲らせ、上段に構えた斧に力を込める。
「もし、俺が死んだら――――」 と、サイトが口を開いた。「――――何を聞いても、無かった事になるよな?」
「ああ?」 と、大男は戸惑う。
「逆に、俺が死ななかったら、先に聞いておかないと損だよな?」
「何を言っている?」
「決着が付けば、後の事は考えなくていい。だから、今答えておいてくれないか、という話だ。一言でいい。どこにいるんだ、モウ・牙は?」
河津の統士を挑発しつつ、いつでも飛び出せるようサイトは身を沈めた。
「このゴテス・揮を舐めるな。誰が、貴様らなんかに、屈するものかっ!」
なるほど、とサイトは納得した。この大男は名のある統士であろうと見積もっていた。揮という名に聞き覚えがあった。兄弟揃って勇猛で知られ、堅い巨岩を殴って、腕の半ばまで埋まったという逸話も聞いていた。
男が頭に血を登らせて喚いている間に、サイトは前方に跳ねた。羽織の下は鞣革の防具だけという軽装であり、サイトの動きは軽い。
ゴテスは敵を見失いかけ、一瞬焦りを見せた。
サイトは突如、横方向へと跳ねた。視線しか付いて来られない大男の反撃は、誰もいない空間に振り下ろされていく。サイトはその側面へと体を滑り込ませ、すれ違い様にわき腹へと斬撃を加えようとする。
再び持ち上げるには、斧に乗った重力が強すぎて間に合わないはずだ。ところが、大男の腕は、意外なほどの速さで引き戻されていた。
振り下ろし、また持ち上げる、という攻撃をしてくると思われたが、違った。大男は途中で、斧の柄から手を離したのだ。身軽になった腕だけが引き戻され、そしてサイトを薙ぎ払おうとしている。
手の甲が相手の頬を打つ、とゴテスは衝撃を予想した。だが、その予想は外れ、手は何もない空を通り過ぎる。
サイトは更に地を蹴って、後方に飛び跳ねていた。一瞬相手が消えたとゴテスが勘違いしたほどの、驚くほどの反応の早さと身軽さである。
すぐさまサイトは再突進をかける。眼前に剣先を突きつけられ、ゴテスは体勢を崩し、倒れこんだ。
「屈するも倒れるも、大して変わらないと思うが、どうだ?」
「ぐぅ……」
悔しさに顔を歪ませるゴテスだが、その表情が一瞬だけ緩んだ。何かあるなと、サイトは警戒する。同時に、背後に人の気配を感じ取った。
「分かった、教えてやろう。モウ様は……」
背後の気配が動いた。ゴテスの部下が二人、サイトに襲いかかろうとしていた。だが、サイトは動じない。じっとゴテスから眼を離さない。
ずぶり、と口の中から剣先が突き出てきた。サイトは動じていない。ゴテスの口は驚きで開いている。
「一度に二人とは、腕を上げたな、トオワ」 と、サイトは背後を見ずに言葉をかける。
崩れ落ちる二人の背後には、両手にもった細身の直刀を突き出した姿勢の若者がいた。
華・トオワ・迅。名称に『華』を付ける事を許されるのは、『華』属といって、名家の出である者だけだ。同じ階級であっても優遇されることが常なので、傲慢に振舞う者が多いが、トオワは一度もその強権を行使した事はない。生真面目な性格が顔にまで顕れており、一見強そうに見えない。彼をよく知らない者は、家柄に頼るばかりの使えない奴という評価をすることが多いが、このように、真穿の中でも指折りの実力者となったのはトオワ自身の努力の賜物だ。
直刀を振って、トオワは滴る血を飛ばした。
「どうぞ、話の続きを」 と、なんでもない顔をして言う。
さて、とサイトは続けた。
「時間も与えた事だし、思い出してくれたか」 と問い掛ける。が、ゴテスの怒りに満ちた形相を見るだけで、覚悟の反撃に出てくるだろうと察しがついて、サイトはうんざりした。
「お前の名声は耳にしていた。できれば、我々の元でも、その腕を活かしてもらえればと思うが」
投降を勧めるサイトだが、ゴテスの怒りを煽っただけだった。
「待て待て、待てよお前」 と、そこへ離れた所から別の声が割って入ってきた。
「クウー。もう終わっている」 と、トオワは厳しい声で男を制止しようとする。
止めにかかるトオワを腕で払い、構わずに小走りでこちらにやってくるのは、クウー・骸というサイトの配下の統士だ。
浅黒い顔に、ずんぐりした体格、古い獣皮衣を着ていることから、熊に間違えられたこと度々。サイトより幾つか年上で、直にカント級に手が届くのだが、年齢など感じさせないほどの怪力は健在だ。
真穿の隊長格は、蒼く染められ、複雑な円紋が縫いこまれた陣羽織を纏う。【十獅】とも呼ばれる彼らは、仲間であると同時に、次期大隊長の座を狙う競争相手でもある。
その隊長格の一人であるクウーは、極めて好戦的な性格をしている。
「次は俺だ」 と、駆けつけるなり、クウーはゴテスの武器を拾い、持ち主に向かって放り投げた。
意外な行動に、ゴテスは戸惑った。
「クウー。意気込んでいるところ、悪いんだが……」
とばっちりを受けないよう下がりながら、サイトは声をかける。全く無視して、クウーはゴテスに笑いかける。
ゴテスが慌てて斧を持ち上げ、新手に向ける。
「さぁ、楽しもうぜ!」
一見軽く振り下ろしただけに見えたクウーの一撃は、相手の斧にヒビを入れ、武器を持つゴテスの手首を痛めつけた。
「なんだよ、おい。そりゃねぇだろう」
自信の強力を打ち破られ、唖然として見上げてくるゴテスを一瞥して、クウーは彼への関心を失った。
もう遊び相手はいないかと、クウーが見渡すと、まだ残っていたゴテスの部下はみなひきつった顔になった。
「今の河津に、骨のある奴はそういない。国の終わりと共に、統士の芯まで折れてしまった」 サイトはどこか寂しそうに言う。
「じゃあ何で反乱なんか起こしたんだ。歯向う位の気骨はあるってことじゃねぇのかよ」 と、クウーは歯を剥いて唸る。
全くだなと、トオワは同意した。
*
河津が落ちる前に、オウ・青と我真・モウ・牙は直接剣を交えた事があった。
猛将で知られるモウ・牙の圧勝かと思われたが、オウ・青はよく粘った。そして、ついにオウ・青の大願がどうなるか、その行く末を見てやると、モウ・牙に言わしめる事に成功した。
その後、綜主動の支配体制への変革が行われるのだが、その際には、強固な反対が起きると覚悟していた。その筆頭的立場と目されるモウ・牙は、意外なほど協力的であった。
河津を下す事は綜の長年の願いだったが、その後の対処には温度差があった。それでも、モウ・牙の協力もあり、順調に変革は進んでいた。これで二国は一つになり、より高みを目指して手を取り合おうと望まれたが、やはり、危惧していた事態が起きた。
監視下にあったモウ・牙が不意に姿を消し、精鋭の統士達と共に都レシャスを出ていく姿が目撃された。反乱の兆しの報を受け、迅速にその真偽を確かめる為、サイトは真穿を率いて、河津に向かった。
モウ・牙本人に裏切りの真意を問いたい所だが、全く姿を現さない。河津の統士が行く手を遮り、敗戦の鬱憤もあってか、誰もが執拗な抵抗をしてくる。
とはいえ、降伏後河津の統士は、急速に弱体化していた。以前には、〈爪〉と呼ばれる戦術を駆使して、綜の進軍を撃破してきた強力な軍団だった。今では比べ物にならない。統率が取れていない。〈爪〉の主軸となる三人の猛者がいない今となっては、どれだけ個人の武力があっても烏合の衆にしか過ぎない。
真穿は抵抗を軽く蹴散らして、モウ・牙が潜んでいると思しき郊外の小さな町に辿り着いた。そこで出てきたゴテス・揮を下した後、そのまま町に攻め入る事もできたが、その前にモウ・牙の言葉を聞きたいと、サイトは思っていた。
オウ・青の行く末を見届けたいと言ったモウ・牙。あの時の言葉は、その場しのぎの偽りだったのか。同じくオウ・青を最後まで見届けると決めたサイトは、問わずにはいられなかった。
終戦間際には自ら戦線に出てきたほどの猛者であるモウ・牙だが、ここにきてもまだ姿を見せない。代わりに真穿の元へと出てきたのは、モウ・牙の息子ボク・牙だった。
勇猛豪胆で知られる牙家の血を引くだけあり、父と同じく体格はがっしりとしているがボク・牙の武の才能は乏しい。守ではなく考としての身分を優先して、先の決戦にも参戦していない。河津ではアザラシなどの海獣の皮で作る衣が一般的なのだが、ボク・牙は異国から仕入れたであろう華奢な布地でできた衣を着ている。
眼の力だけでも人を屈服できる父親に比べると、ボク・牙は貧弱である。むしろ真穿十獅の圧力に負け、目を逸らしそうになるのを堪えている。
確かに、モウ・牙は人に屈することを良しとしない、傲慢な性格だったと思う。だが同時に、一度心に響けば、その者を認める。約束を翻す事はない。そうした潔い性格であるのだろうと、思っていた。
モウ・牙は、オウ・青の大願を認めた。そして、その力添えをする事を受け入れた。内心では反発していたとしても、自分の口が言ったことなら、責任を持つ。そうした人物だと思っていた。
それは見込み違いだったのか。本人の口から真意を問いたくて、サイトはモウ・牙本人との対話を求めた。だがボク・牙は、それはできないと、首を横に振った。
「てめぇ、いい加減なことを言うんじゃねえぞ。有無を言わさず、皆殺しにしてもいいんだぞ」 と、真穿の一人、セグが後ろから声をかけてくる。普段は大人しく周囲を窺っているが、こうして相手が弱腰の時は容赦がない男である。
「できないんだ、もう。それは―――」
ボク・牙の言葉は、どこか虚だった。以前から覇気のない男だと思っていたが、この消沈具合はなんだろうと、サイトは嫌な予感を持った。
「おい、そりゃあ、どういう意味だ?」 セグ・臥がまた、脅そうとして大声を立てるが、サイトはそれを制していう。
「まさか……。モウ・牙は、すでに討たれたのか?」
ぼんやりとした眼で、ボク・牙はサイトを見据える。
―――モウは死んだ。暗殺されたのだと、淡々としてボク・牙は言った。
「暗殺? あの、モウ・牙を? まさか、そんな」
本当だよ、俺は見たんだと、ボク・牙はいう。
ようやく、ボク・牙の虚脱の理由にサイトは気付いた。
倣岸で、偉大な父モウ。平凡な才しか持たないボクは父を憎んでいたのかもしれない。憎悪を原動力にして、彼を殺すことを目標にして、己を支えていたのだろう。偉大なモウを乗り越えることで、否定された己の器を最上のものに変えられるのだと、未来を見ていた。
そのボク・牙が、無防備に己を晒そうとしている。それほどの衝撃を与えるのは、やはり、モウの死以外にないだろう。つまり、本当にモウ・牙は死んだ、殺されたのだと、サイトは悟った。
遠くで、馬の嘶きが聞こえた。部隊は停止したままだから、どこかから走ってきたのだろう。伝令かもしれない。気を利かせて、トオワが様子を見に行った。
「暗殺、といったな。しかも見たと。それならば、その犯人は? もう殺したのか」 サイトが言った。
「いいや。逃げたよ、あの女は」
「女ァ?」 と、部下の一人、トン・坂が高い声をあげる。「あの羆のような巨人を、女がやったと?」
信じられない思いはサイトも同じだった。だが、それは真実なのだろうとも思えた。自分よりも非力な者が、己が為しえなかった山越えをすんなりと成功させた。その落胆がまた、ボク・牙の気力を奪っているのだ。
「その女とは、一体―――?」
「よくは知らない。レシャスでは見た事がなかった。そもそも父がレシャスを出たのは、その女がここにいた為だ」
「嘘を付け。反乱の拠点にするためだろうが」 とセグが怒鳴る。
「嘘じゃない!」 とボク・牙が言い返す。「あの人は、反乱なんて考えていなかった。ただあの女を捕まえようとしただけだ」
「おいおい、女一人を捕まえるのに、あのモウ・牙が精鋭を引き連れて行ったっていうのか? それで、返り討ちにあったと?」
「本当だ。父はあいつに上手く騙されて、それで……」
「それが本当なら、どうしてお前はここに閉じこもっている? 綜に報せなかったのは何故?」 とトンが指摘する。
その女が綜の刺客だと思ったからだと、ガボクは言った。
ボク・牙が語る、その女の詳細。長い黒髪、白い肌、高圧的な物言い。そして、綜の考分として将来を有望されている立場であるということ。ボク・牙が特徴を一つ一つ告げるたび、サイトの顔から血の気が引いていた。
女は油断していたモウ・牙に剣を突き立てた。ゴテスらが躍起になって探そうとしたが、そのまま姿を眩ましてしまった。次は自分かと、ボク・牙は怯え、町から出ようとしなかった。女を綜の暗殺者だと思い込んだゴテスらは、再び綜と事を構える準備を始めていた。
ボク・牙の言葉を信じていいものかどうか、悩み始めていた。話は通るようだが、しかし、あのモウ・牙を女がという点で引っかかっている。
「―――その女は、何という名だ?」 とサイトは力ない声で言った。
ボク・牙はサイトを見て、気の毒そうな顔をした。
「ソンヴ・識と、名乗っていた」
サイトは茫然として、ボク・牙の顔を眺めた。
そこへ、「成様!」 と、トオワが駆け込んで来た。
やはり何か伝令が来たらしい。トオワは一瞬の迷いを見せた後、サイトに耳打ちしようとする。
ソンヴ・識が―――、と聞こえた瞬間、心臓が大きく高鳴った。
「――――煌の山中で行方不明になったそうです」
信頼するトオワでなければ、伝え間違いを疑っただろう。サイトはそれほどの衝撃を受けていた。
この時サイトにできたのは、崩れそうな内心を皆の前ではどうにか隠すことと、ああ、と気の抜けた返事をすることだけった。




