迫るもの
第二部 地に潜む雷、頂に望む星
第一章 【地に潜む雷】
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昂国歴・深代末(西暦紀元482年)
伝説の英雄ウ・コウが煌国を建国。島の北方山岳地帯、クス山系を領土とし、不可侵と宣言した。以降、西の平原の部族・ソウと、東の森の部族・エンと並んで三部族抗争期となる。この時代を開代という。
十三国期、六国期を経た後、綜の南部・海岸地帯から河津という名の国が独立。代々好戦的な性質をもち、次々と隣国を併合するが、同時に政権分立して、小国の分離・併合を繰り返した。以降、煌真国・瑗環国・綜統国、そして河津という四国が争い、全土統一までの長い期間を戦代と言う。
西暦900年。北の煌真国、東の瑗環国、西の綜統国、南の河津で、互いを不可侵とする取り決めが行われ、小康状態に入る。戦代の内、この期間を特に四国時代と呼ぶ。
戦代55年(西暦955年)、度々取り決めを破ってきた河津が、またも約定を破り、綜を侵略・平定してしまう。
戦代129年(西暦1029年)、瑗の援助の元、綜が復権をかけて反乱を起す。その三年後、綜統国は独立を回復、再び四国並立状態に戻る。
戦代165年(西暦1065年)の暮れ、クスル・青が政権を獲得、綜真(綜統国の王)となる。それに先立って、同年夏、人質として遣わされていた青家・クスルの子オウが、瑗より密か帰還。
その四年後、綜・瑗連合は、ターレイル河下流にて、河津との決戦に挑んだ。ところが、その大戦の最中に、クスル・青が謎の死を遂げる。詳細は不明だが、河津の手の者により毒殺されたのだという。
亡き父クスルの後を継ぎ、オウ・青は18歳にして綜真となった。
綜の地で、後の国運を左右する大きな流れが生まれたのは、それから六年後。
戦代178年(西暦1078年)長く続いた四国時代に変化が生じた。
オウ・青は、南の河津に攻め入り、苦戦の果てに我真・モウ・牙を下した。これで綜は、中央の高原と、その南の土地、そして海岸にまで到る広大な領土を手にした。元々両国は一つの国であり、幾度か再統合を経ていたが、その際は、河津からの侵略はあっても、綜主体で併合したことはなかった。
年若き真であるオウ・青は、新設した直属部隊『真穿』と共に、宿願の勝利を収めた。ダロル・シン(全土統一の主)となる事を願う真は、ようやくその一歩を踏み出したのであった。
*
戦代185年(西暦1085年)夏、ソンヴ・識は、煌真国と呼ばれる国にいた。
生まれ育った綜統国から遠く離れ、北を目指し、山を登ること数日。煌の中核を担うとされる都ツークスに辿り着こうとしていた。
クス高峰に到る山道は、古の英雄コウ・ウをして、この地に入ったのは過ちだったと言わしめた難所である。
道中は厳しく、気候は人を拒絶するかのようであり、その上、煌は他国の者を歓迎しない。交易などはあり、国自体が閉ざされてはいないが、他国の武の侵入を拒絶する。少しでも統士に関連する要素がある者は帰って来られない。
近年の河津との大戦で、臨時従軍制度を利用して、ソンヴは戦場に出ていた。その情報が煌に伝わっていないとはいえない。ソンヴも侵入者と見做されるかもしれない。
彼女の本分はあくまで『考』分の学者である。卓越した武術など身につけていない。けれども、ソンヴはこの無茶な挑戦を成し遂げようとしていた。
―――さて、彼はどんな顔をするだろう。ソンヴは思った。
幼年期を共に過ごしたサイトに対し、険難の地に挑むと告げたとき、彼は止めなかった。
知りたいことがある、確かめたい事がある。自分がそう言い出したとき、妥協なく突き詰める癖がある事を、彼は良く知っている。
また、無理であるのか、勝算が薄いだけであるのか、きちんと見分ける力、さらには可能へと変えられる、飛び抜けた頭脳がある事も承知している。
だから、彼は澄ました顔をして頷いた。が、長い付き合いだ。心中は大荒れだったことだろう。それは無謀だと、縛ってでも行かせまい、あるいは、新設の部隊の大隊長という立場を捨ててでも付いて行く、そのどちらを、真剣に検討していただろう。
どちらの案に軍配があがったにせよ、結局、彼がそう言いだす事はない。自分はよく頑固だと言われるが、彼といい勝負だと、ソンヴは思っている。
この旅は、研究対象である英雄コウ・ウを知るためには欠かせない行程であり、綜上層部も報告を心待ちにしている。見聞した事を持ち帰るまでは気が抜けない。
ソンヴはツークス付近まで達し、煌の民の今を知る事ができた。しかし、ここまで来る事は一番の問題ではなく、帰れなくなる要因があるとしたら、この後にあると、ソンヴは睨んでいた。
これで満足して山を降りれば問題はない。煌の実情を報告して、コウウ伝説の検証もできる。常人なら帰りの心配をしはじめる所だが、ソンヴは違った。
「ねぇ、あれは一体何なの? 中には入れてくれないの?」 と、ソンヴは傍らの男に問う。
「さあ、廃墟でしょう。何もありませよ」 と、男は借りてきたような言葉を返してくる。
ツークスに近づいた時、一人の男がソンヴの旅に加わった。彼はこの街を取り仕切る名家から派遣されてきた。女の身でよくここまでと感心し、残りの道程を無事に辿り着いて欲しいということで、案内役を買って出てきたが、その真の役目は明らかである。
聞きもしない事を調子よく喋ったかと思えば、街の規模や支配体制などについては、どれだけ問い詰めても知らないの一点張りの時もある。ソンヴが余計な事を知り過ぎないための、体の良い監視役である。
鬱陶しいが、逆に利用できることもある。
この先には、何か大事なことがある。彼の反応を観察することにより、その何かとの距離を測れるのである。
*
ソンヴはある領域へと踏み込んだ。
その建造物は、堅固な石壁が中の様子を見ることを拒んでいる。
かなりの年代ものである。数世代、いやもっと前からあるのだろう。山深くにこうしたものがあるかもと、ある程度は予想していたが、ここまでの規模だとは想像外だった。
これが低地にあったのならば、綜にとって恐るべき敵対国になりうると言えるが、距離が離れすぎている。物資を運ぶだけでも余分に労力がいるし、交通の要所でもない場所に砦を構える意味も薄い。
―――つまりこれって、それほど切羽詰まっていたってことよね……。
思っていたより、迫りつつある危機は大きいのかもしれない。ソンヴは自説の修正を行っていた。
そうこうしている内に、子供が二人、側を通りかかった。
ソンヴたちを見た途端、子供たちは一瞬で顔色を変えて、逃げ出した。こんな所で人に会うとは思っていなかったのか、動揺して森の中に逃げこもうとした。
「待って、中は危ない!」 とソンヴは二人を呼び止めた。
子ども達もそれは承知しているのか、立ち止まる。前の森か、後ろの成人達か。どちらと向き合うべきか悩んでいる。
こうも怯えている理由に推測は付いていた。こちらを窺う子供達の視線が、自分ではなく、背後の男の様子に注がれていることにソンヴは気付いた。背中に眼があれば、さぞかし怖い形相を拝めた事だろう。
ソンヴが苦笑いをして、食べたりはしないわよ、と安心させようとした時。
ガサ、と物音がした。
ソンヴは瞬時に身構えた。
森の端からのそりと、大型の獣が出てきた。
「ひっ……」 と、女の子が短く悲鳴をあげた。
最悪だった。巨大な猫に似た俊敏そうな体躯で、見るからに厄介そうだ。不意を付いて襲ってこず、わざわざ出てきて威嚇してきたことから、仕留めるのは容易だと判断されたようだ。ソンヴが駆け寄る前に、どちらかの子どもの首を咥える事など造作もないことなのだろう。
見張りの男は剣を帯びていたが、立ち振舞いから察するに、さほどの武才はない。精々が自分の身を守り、獣を近づけさせない程度だろう。しかも、任務であるから、ソンヴから眼を離すことはしない。
本能的に身を竦ませる鋭い眼光を浴びせながら、獣は静かに距離を縮めて来る。
そこで、男の子が女の子を庇い、前に立った。
「う……、くっ……」
自分も泣きそうなのに、それでも必死に獣を睨み返している。こちらに助けを求める事もしない。後方へ懇願の目を向けた途端、その隙に仕留められる事を予想できているようだ。
「まいったな、これじゃあ、まるで―――」
思い起こされたのは、幼少の頃のこと。状況は違うが、ソンヴも同じような窮地に追い込まれていた。
その時、自分の為に動いてくれた男の子がいた。何ができるでもなく、どうしようもないと、二人とも悟っていた。
それでも―――。
男の子は動いてくれた。我が身を呈して、業火から庇ってくれた。
―――今のように。
「仕方がないなぁ」
そう言って、ソンヴは頭を掻いた。
「放っておく訳には、いかないじゃない」
ソンヴは機敏に振り返る。前方の獣に対して警戒していた男の反応が遅れる。その間に男との距離を詰め、腰の剣を引き抜く。
前へと向き直る。男が何事か背後で叫んでいる。こちらの急な騒ぎに気を取られ、獣の動きが鈍った。
その隙にソンヴは一気に駆け寄り、獣へと剣を向けた。




