真意
7
戦が終わり、ようやく、時間が取れたサイトは、久しぶりにソンヴを訪ねた。功績を認められ、サイトは正式に真穿大隊長に復帰していた。
戦で疲弊し切った部隊を立て直し、反乱分子の鎮圧などの任務に追われている。そうした話から始まり、一段落したところで、そういえば、とソンヴは言う。
「アヌンの話は、聞いたかしら?」
できれば聞きたくないし、思い出したくもないのだが、とは思っていたが、無視することもできない。
「河津は真嶺を抜くことにしたようね」
「そうか……」
テイ・漂は、やってはならない事をした。エンイ・彗は否定しているが、彼も大きく関わっていることは確かだ。禁教の温床という性質を危険視して、今回の処罰になったようだ。どのような処罰が待つか想像しなかったはずはない。下手をうって住民を巻き添えにした領主は、歴史上数多くいる。
真嶺を抜くということは、その土地に対する国の加護を失うという事である。河津領にありながらも、どんな施しも受けられない。あの僻地では、それでは立ち行かなくなるだろう。
真の庇護を求めて住民は離れ、町の機能は失われていく。人がいなくなればそれまで。逆に無頼者ばかりが集まる地と成り果ててしまえば、今度は粛清の対象となる。どちらにしろアヌンに燈っていた禁忌の炎は吹き消されることになる。
「異国ではもっと火の扱いは軽く、使用にさまざまな可能性を見ている所もある。ただ、戦に用いるのは別。こうして何度も使用例が増えていくと、人々の意識が変わる。癖になったら事だもの」
「そうだな……」
長年憎んできたバトウの民が集う街など、滅んでしまえば良いと言う思いもあるが、ガーレのように賑わいを失い、寂れていくのだと思うと、複雑な気持ちになる。
サイトは、咳払いをして話題を変えた。
「あの時、テイ・漂に何を言ったんだ? 何故、バトウの祗官があそこまで怖がった?」
気になっており、いつかソンヴに聞かなくてはと思っていたことだった。
「火の悪用すら躊躇わないあの男が、何をそんなに恐れたんだ?」
「大した話ではないのだけどね。火の使用を禁じる理由、その本来の意図を、思い出させてあげただけよ」
「本来の意図? 言うまでも無く、あれは危険で、使いこなせないからじゃないのか」
「そうね。それは、確かなこと。でも、古えには、別の意図があったの。いえ、意図というより、願いに近いのかもしれない」
「古え? そういえば、あの時も、クスがどうのこうのと言っていたな? 何を囁いた?」
「太古の頃には、もっと普通に火を使用していたの。禁忌などではなかった。でも、人々はあれと出会ってしまった。あれに襲われてしまった。本当に恐ろしいものだった。今いるどんな素よりも、恐ろしい力を持っていた」
「恐ろしい―――」 サイトは、恐怖に震えるテイ・漂の姿を思い出していた。
「古い伝承にあるように、人はその日が来るのを恐れた。あれが再び立ち上がることのないように、古えの人々は心の底から願った。ゆえに、あれの眷属である火すらも恐れ、それどころか、可能ならばその存在を封じようとしてきた」
「火よりも、恐れられていたものがある。それが、ジアジ―――?」 と、そこでソンヴはサイトの唇を指先で止めた。
「駄目よ。その名を口にしては駄目。さすがの私も、それを全て言い切ることは躊躇いを覚えるわ」
「口にするだけでも、か?」
「ええ。できるなら、あれの存在も忘れてしまいたい。でも、完全に忘却してはいけない。あれを禁じたということを覚えていて、備えを怠ってはいけない」
「だがそいつはもう随分長いこと出ていないのだろう? だったらもう二度と現れないかもしれない。怖がりすぎではないか。それとも、何かそれらしい兆候があるのか?」
ソンヴは、旅先で見たものを説明した。
その建造物は、土台を残して、周囲が深く深く掘り込まれていた。一個の建物というよりも、一つの小さな街がそこに広がっていた。内部の建物の中で一際大きな施設は、空気を遮断する念入りな造りからして、巨大な備蓄倉庫であり、相当の物資が蓄えられていると推測できた。
山奥の僻地にあって、この技術の高さと、膨大な蓄え。これが平地にあったのならば、綜にとって恐るべき敵国と言えるが、距離が離れすぎている。物資を運ぶだけでも余分に労力がいるし、交通の要所でもない場所に砦を構える意味も薄い。
当面の脅威とはならないだろうが、思っていたより、迫りつつある危機は大きいのかもしれないと、ソンヴは自説の修正を行った。
「私が煌で見てきたあの建物。これは思うに… …、抵抗の証、ではないかと思う」
「抵抗?」 と、予想外の答えに、サイトは戸惑った。
「圧倒的で、無慈悲で、万人に関わるもの―――」
――――運命に、とソンヴは言った。
「運命? それはどういう意味だ?」
「煌の民ですら、はっきりと聞き知っている訳ではない。漠然と、だが、ひしひしと感じ取っている。ゆえに、あの諦観が生まれたと、私は見ている」
「実体がないものに怯えて、全員がその諦めようになったというのか? どんな運命だというんだ?」
「絶対的な破局、全ての破壊、だとしたら、どう? 煌も綜も、瑗も河津も、全てが亡ぶのだとしたら? そういう未来を、垣間見てしまったのなら? しかもそう遠くないものだとしたら? そうならば、あの陰鬱さも、説明がつくと思わない?」
「何が起こるって言うんだ?」
ソンヴは、まだ分からないわ、と言って首を振った。
「それほどの、何かが起きると考えれば、あの建物も、その用途が窺い知れる気がする。彼らは、あの中に籠もり、どうにか生き延びたいと思ったのじゃないかしら。破滅的な運命への、抵抗の意思を示そうとしたわけね。その証が、あれらの建物なの。膨大な蓄えと共に、深い亀裂で外界と隔絶する。そうすれば、災いから逃れられると信じて……」
*
「ねえ。サイト?」とソンヴは言う。「貴方は本当に、オウ・青がダロル・シンとなると信じている?」
サイトは、モウ・牙との闘いを思い出した。あの時、彼は格上の猛者を相手にして、予想に反して勝ってしまった。
「クブ・トーによれば、そうらしいな」
「予言だから、そうなるっていうの? 貴方は彼を見て、彼の資質を見極めて、そうなれるだろうって、決断を下したの?」
「……実は、まだ分からない。あいつ個人の技量とか生命力とかは、人並み程度だと俺は思う。もちろん、誰かが言ったから、そうだっていうのは、信じていない。他人がどうこう言おうと、本人次第という所があるだろうから」
「じゃあ、成功するとは限らないのに、彼は闘うの? 失敗すると分かっていても、貴方は彼に賭けているの?」
「俺は単純に、彼がなるっていうなら、その障害から彼を守るのが、俺の役目だと思っている。俺は命を賭けるが、結局は、なるようにしか、ならない」
「それでいいの?」
「そうとしか言いようがないな。結局、俺にできるのは、あいつを最後まで辿り着かせてやることだ。どこに行き着くかは、あいつ次第だな」
「そう……」
「お前は、信じていないのか? ……途中で失敗するくらいなら、最初からするなと、シアンのように説教するのか?」
苦い記憶が蘇る。親友であったシアントル・牧は、オウ・青の危険性を説き、敵に回った。その親友を、オウ・青の障害となるならばと、サイトは斬ったのだ。
「いいえ……。私は、むしろ、信じているわ」
「ほぅ。意外だな」
「先ほどの話。煌の民は、何かの出現を確信して、怯えているという」
「ああ。それが、どうした?」
「私は、この話は対になっていると思うの」
「対? 何と何が?」
「世界の壊滅と、ダロル・シンの実現」
「……それが、どう繋がるんだ?」
「ダロル・シンは、世界を統一する者。一般には、国同士の小競り合いを終結させ、統一国を打ち立てる権力者のことだと解釈されている。でも、それは一側面でしかないとしたら? つまり、滅びに瀕した世界にあって、生き残りたちを纏め、導く者。それが、真の意味だとしたら?」
「導く者? 一応、それでも統一者という意味合いは、あるのか……。しかし……」
「煌の民が危惧し続ける、世界の壊滅。その状況にならば、世界の導き手、すべての民の統一者という存在が、無理なく成立すると思わない? むしろ自然と、そういう存在が必要とされるようになると思えない?」
「ダロル・シンは、個人が成し得るものではないと? そういう運命の一環だと? そんな… …」
「おそらくショウ・源が、あなた達を生かした真の理由も、ここにある。血筋などのこともあるのだろうけど、それにしてもまどろっこしい。瑗が本気になって綜を落す方が、時間がかからなくて可能性が高いわ」
サイトは、素直に頷いた。「ショウ・源も、彼がそのための存在ではないかと疑っていた為、安易には消せなかった……。それどころか、死なせないように、リェンやジルを御守に付けた、ということか。それなら、彼らほどの腕前の者を綜に派遣した意味も分かる」
「暗殺するための仕込みだとしても、もっと良い方法がある。もっと身近に仕込める筈よ」
「だとしたら、瑗の主までもが信じているとしたら……」
「だから私は、とても怖いの。オウ・青が力を持つ度、その名を遠くに轟かせる度、彼は大きな存在へと一歩づつ近付いている。同時に、煌の地にも不穏な兆候がある。つまり、両者は近づいている。ダロル・シンの実現は、同時に絶対的な破壊との遭遇を免れなくなる。そう思うと、恐ろしくてたまらないの」
「それが起きると信じられる証拠は、もう見つけたのか?」
一拍置いて、ソンヴは残念そうに首を振った。
「それは、先ほどの話に戻るわね。煌の建物と同じで、そういう未来が到達する事への危惧、直感、虫の知らせとしか言いようがない。むしろ、何年経っても、どれだけ人間が進歩しても、見通すことはできないと私は思うわ。人の力が及ぶものではないのだから」
それは人には手に負えないと、ソンヴは言っている。初めて聞いた降参宣言なのだが、その顔をサイトはまじまじと見つめた。
彼女の表情は確かに諦めを表しているが、その瞳は違う。奥底には、決して絶えることのない強い意志を糧に燃える炎が宿っている。適わないと知りつつも、決して行動を止めることをしない。それが、ソンヴ・識という女であると、サイトは知っていた。
「その建物は、悲観に対する抵抗の証だと言ったな」
「え、ええ」 と、ソンヴは答える。上の空だったのは、すでに何事か思案している証拠だったのだろう。全く呆れたものだな、とサイトは苦笑いを零す。
「俺も、抵抗してみたいと、思う。未来は、自分達で変えられる。何かが起きるというのなら、それに備える事もできる。ダロル・シンの存在意義がその為だというならば、彼もまた、備えることができる。最低の中の、仄かな光。そのまたた瞬きを、より遠くまで届けられるようにする。そう導いていくのも、自分達次第。そうじゃないか?」
サイトの言葉にソンヴは頷く。
「彼ならばきっと―――」
「ああ。彼ならばきっと―――。そのためなら、俺は闘うよ。あいつのしたいように、道を拓いておく。何年先のことであろうとも、たとえ実現しなくても。それが、俺の役目だ」




