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星火燎原  作者: 更紗 悟
第六章【河津の落日】
53/117

 

     3


 ガデロが討たれた、という衝撃が河津守団に走った。この時の混乱を逃さず、レクトは総攻撃をかけた。

 後手に回った守団を圧している。厳重に守られていた門をあと一押しで破れる感触があった。レクトはすかさず決断し、最大戦力を投じて、この好機を掴もうとしていた。

「我々も参加しましょう!」 と、トオワは意気込んだ。「一気に片をつけてやるんです!」

 だが、サイトはその動きに乗れなかった。先ほどの、ライという部下からの報告が、不安を掻き立てていた。

 『黒凝り』の事を知っていたように、煌由来のその知識には耳を傾ける価値がある。サイトは隊長格でもない彼の言葉を重くみた。

 彼によると、山頂から麓に向けて、幾つもの溝が走っている。人工で真新しいそれは不均等な間隔で設けられていた。非常に浅く狭い溝だが、石積みで隙間のない丁寧な造りだ。イマラからの排水設備なのだろう。

 その所々に枯れ草が積もっていた。火を放たれ、住民の多くが余所に避難しているとはいえ、急に使われなくなる事も無いだろう。それが、こうも短期間で枯れている。

 これはどうも匂うと、ライは溝を気にし続けた。そして、彼の悪い予感は的中した。

 再び戻ってきた彼は、異様な匂いのする、湿った枯れ草が見つけたという。おそらく一度流れ具合を試すか何かしたもので、その一部を回収し忘れたのだろう。その葉には、あの可燃性の高い液体がじっとりと染み込んでいた。

「この溝は、『黒凝り』を四方に流すのに最適だと思われます。しかも、溝を伝わらせることで、火の動きを制限しておける。敵は炎から逃れようと、火のない所へと逃げていく。残しておいた安全地帯へとやってきた敵を、巨石などで攻撃して、殲滅する」

 その読みは正しいだろうと、サイトは認めた。同時に、怒りと悲しみが混じった感覚に囚われた。

「烙道に落ちたな、ハイル・淑!」 とサイトは唸った。「こんなものを使ってまで、そうまでして勝ちたいのか!」

 バトウでもないのに火を使用するかどうか不明だが、その恐怖を深く知る真穿は途端に浮き足立った。これが何であれ、使用される前に溝を潰してしまえと、急いで埋めようとするものもいた。土の下は大地の素真の領域であり、いかに炎と雖も、猛威を振るうことはできない。

 一際大きな歓声が門の方向から上がった。

 興奮する味方の声からして、もうじき門を破れそうである。

 どうやら罠を使う機を逃したようだ。あるいは、これはライの心配しすぎで、罠ではなかったか。どちらにせよ、最悪の予想が的中せずに済んだかと思われた。

 ところが、その油断を待ち構えていたように、敵に動きがあった。

 城壁の上を、巨大な樽がゴロゴロと転がされて来た。中に何が入っているかは、想像に難くなかった。樽を転がす大男は、バトウ信徒に特有の衣服を纏っていた。にたにたと、残虐な笑みを浮かべているのが見えた。

「テイ・漂。貴様――――」

 彼がここにいる理由はすぐに思いついた。アヌンでの報復を目的に、真穿の後を追ってきたのだろう。

 テイが向かう先には、溝へと続く端がある。彼がそこに辿りつけば、炎の饗宴が再現される。わざわざ門の周囲に皆が殺到してきた時を狙って、大打撃を与えようと言う考えだろう。あるいは、負けた腹いせに、少しでも多くの人間を道連れにしようというのか―――。

「サイトさん! こちらです!」 と、そこへ聞き慣れた声がした。


     *


 城壁から離れた木立から、半身を隠すようにして、リェンが手招きしていた。アヌンを離れて以来、敵と通じているという証拠がないため、彼の縛は解かれていた。

 リェンは、瑗の指示により綜に送り込まれていた。アヌンでは、大事な人を失って精神の均衡を失いかけていた。信用してもよいのだろうかと、一瞬迷いが過ぎる。彼の呼びかけに応じて、その先に、危険が待っていないとは限らない。この混乱に紛れて、サイトの命を狙ってくるかもしれない。

 サイトは、素早く決断した。罠であるかもしれないが、飛び込むしかない。

 リェンはサイトが一人で近付いてきたのを確かめると、木立の中へ消えた。サイトはその後を追い、死角へと足を踏み出す。

 少し行くと、僅かに拓けた場所に出た。リェンが無表情で、こちらを向いて立っている。彼の手には、愛用の曲刀が抜き身で下げられている。

 リェンは無言で、地面を指差した。砂をかけて隠してあるが、そこには板が隠してあった。一度、移動させた痕跡がある。

「板の下に、抜け穴があります。それはあの砦の中へと繋がっています。抜けてすぐ側に、上へ上がる階段があり、そこを登ればテイのところまで最短で行けます」

「抜け穴? こんなもの、一体いつ見つけたんだ?」

 開戦前からですよ、とリェンは澄ました顔でいう。「私が、誰の指示でここに来たか、察しがついているでしょう? 私は、瑗の策士カク・源様の弟子なのですよ」

「綜攻団がここまで来ると読んでいたのか」

「実際河津が勝つか、綜が勝つか。それは分かりませんでしたが、どちらにせよ、いずれ瑗が攻め込んだ時に使うつもりでした」

「来るべきとに備え、部下を潜り込ませていたのか。何とも気長な事だが、今は有り難い。これでテイの所まで行けるんだな?」

 リェンは頷くが、ただし、と曲刀をサイトへと向けた。

「一つだけ、聞きたい」

「時間がないんだ。リェン」

「オウ・青の本性は、聞いていますね。それでも、貴方は戻ってきた……。何故です? どういう心理で、そう決意したんですか?」

「それは……」

「貴方は一度オウ・青の所へ行っている。親友の真の動機を聞いて、穏やかではいられない。おそらくは、殺意があったはず」

「それは、確かだ。一度は、シアンの言う通り、危険な男だと思って排除を考えた。……だが、そうだな、逆に問いたい。お前たちは、オウ・青のために命を賭けてきた。それは命令だったから、なのだろうが、そこにお前自身の気持ちは無かったか? 彼の運命を信じる事はなかったか?」

「私は……。単なる駒です。カク様により、ここに、配されただけ。命じられた事をするだけ」

「オウ・青の行く末を、自分で確かめてみたいと、思わなかったか?」

「……」

「お前達も人間だ。考える事があったんじゃないか? あのジルでさえ、熱い思いを持っていたぞ」

「理屈ではなく、感情で思う所がある。彼に期待してしまう所がある。行く末を見てみたい。それが、答えですか?」

「ああ」 と、サイトは頷く。リェンは、無言でサイトを見返す。

 普段は飄々として揺らぎを見せない男だが、この時は違って見えた。同じように表情こそ変えないものの、その眸は迷いを示すかのように揺れていた。

 命令にだけ従い、言われたならばどんなことでも完遂する事と、その際に生じる自身の感情を無視し続ける事、その二つを抱えることが、上手くできなくなっているのだ。

 オウ・青のために闘えと命じられ、そのおかげで、かつて愛した人を死に追いやったのだ。これ以上続ける事に、抵抗はあるだろう。

 けれどもリェンは、ため息混じりに口を開いた。

「……いいでしょう。自分で、確かめてくれば良い」

「確かめる?」

「もう先に潜り込んでいますよ。あの人と供に」

「あの人?」

「恐ろしい人ですね。今は、『考』の仕事を捨てられないようだけど、いつか彼女が本腰を入れたら、我が師にも匹敵しうるかもしれない」

「……ソンヴのことか。やはり、来ていたか。()()()も連れて来ているんだな?」

「ええ」

「分かった。この眼で見極める」

 サイトさん、とリェンが最後に声をかけてきた。その顔は、どういった感情を表に出そうかと迷い、決めかねているように、複雑な表情をしていた。

 結局リェンは、「まだ、死なないでくださいね」 と言った。



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