妬ましかった
5
トオワの目に、トゼツの隊が映った。
セイ部隊は、追ってきていない。ソンギ部隊も、退き始めたトオワらを追いかけてこなかった。別の獲物を見つけたのかもしれない。
トゼツの隊は、ボロボロにされていた。数で劣っていたのに、一歩も退かず闘い続けたことは驚異的であり、よく闘ったというべきだ。
「トゼツ! 本隊が危険だ。戻りましょう!」 とトオワは声をかけた。
満身創痍であっても、強者のトゼツを吸収して戻れば、皆の士気も上がる。いるだけで良いのだ。ガデロと言えども、追い払えるかもしれない。
トオワはトゼツの元へ駆け寄ったが、どうにもトゼツの様子がおかしい。何度声をかけても、突っ立ったまま、少しの反応すら返してくれなかった。
「トゼツ……? おい、まさか」
彼の衣には、べっとりと自身が流した血が付いていた。一見しただけで、これは生死の境を彷徨う羽目になると分るほど、傷は深かかった。特に利き腕が酷い有り様だった。自慢の豪腕はだらりと下がり、ぱっくりと開いた大きな裂傷が幾つもあり、鮮血が流れ落ちている。
「その傷……! 早く手当てを!」
すぐに処置しなければトゼツは死ぬ。トオワは彼の部下たちに命じようとした。ところが、いち早く動いているはずのトゼツの部下達は、神妙な面持ちで見ているだけだった。
「お前ら、何をやっている!」 と、トオワは叱責しようとしたが、その前に、トゼツが口を開いた。
「クロトロ、来い」 と、力の抜ける手で剣を握り、差し出して見せる。
名を呼ばれた男は、一歩前に出てトゼツを見つめた。トオワは名前くらいしか知らないが、トゼツが信頼を寄せてよく連れていた男だった。
トゼツは一度剣を地に突き刺し、それから柄を逆手で掴んだ。そのまま、クロトロに向かって差し出す。
トゼツの意図を察したのか、クロトロは無言で剣を受け取った。
「お前が、仕切れ」
クロトロは、じっと差し出された剣を見つめた。それから、トゼツを見つめて頷いた。どうやら、指揮権をクロトロに譲ったらしい。
「分かったな。―――それから、悪いが、何でも良いので剣をくれ」
クロトロは震えるトゼツの利き手を取り、自身の剣を握らせた。それから片方の手を取り、両手を重ねさせ、上から布で固定していく。執拗なまでに堅く結んで、クロトロは頷いた。
それから部下たちを振り返り、「行くぞ」 と最初の命令を下した。
当然、トゼツを誰かが介抱して連れて行くものだと思っていたトオワは、その気配がないことに戸惑った。皆、そこに瀕死の上官がいる事を忘れているかのように、移動していくのだ。
「お、おい。トゼツを……」
クロトロは、良いんだ、と静かに言い切った。
トゼツはと見ると、瀕死の傷を受けているはずなのに、まるで傷など一つも負っていないかのように起立していた。敵を見据えて威圧して、容易に近寄ってくる事を拒んでいた。
彼の部下たちは、トゼツのぐっと伸びた背中を一時見つめ、それから踵を返し、後退していく。誰もなにも発せず、何かを飲み込むかのような表情をしている。トオワには、何故彼らが隊長を置いていくかが理解できない。
「トゼツ、何をしているんです? 早く手当てを。やせ我慢しているようだが、その傷、相当深いはずだ」
トゼツは言葉を返さず、倦んだ様な視線で、トオワの顔を見た。
「トゼツ、貴方はまた! こんな時まで、見栄など張らず……」
「これは、俺の最期の仕事だ」 と、トゼツは静かに言った。トオワは、はっとしてうろたえた。
「良いんだよ。俺は間違えた。だから、責任を取って、ここで死ぬ。それは、間違っちゃいねぇだろう」
「間違いだって? 何を言っているか分からないが、そうだとしても、死ぬことはない! 生き残って、これを教訓に……」
「華・トオワ・迅!」 とトゼツが叫んだ。初めて彼から佳属として、名を呼ばれたことに、トオワは震えた。「行けよ。お前まで間に合わなくなる」
「し、しかし」 動揺しているトオワを見て、トゼツは仕方がない奴だな、と小さく呟いた。
「いいか、お前がいつも言っていたように、古き良き統道は廃れていくんだろうさ。頭も使わねばらなず、隙を突かれれば死ぬ。どれだけ力を持っていようと、使い切る暇も無い。そういうのが、今後主流となっていく。気に食わねぇ奴だが、小賢しいリェンや、識の嬢ちゃんの采配ぶりを見ていりゃあ、嫌でも分かる。そうだろうと、俺も承知している」
「分ってくれたのだったら……!」
だがな、と言葉を遮って、トゼツは剣を横に振った。その反動で、傷口がさらに開いたらしく、トゼツは盛大に顔を顰めた。急速に悪くなる顔色を見て、トオワは焦る。
「皆が皆、そう変われるとは限らねぇんだ。しくじって死ぬのは、皆を死地へ導いてしまった隊長一人で十分だ。間抜けなのは俺であって、あいつらじゃない。俺は人を統べる器じゃなかった、というだけの事だ。だが、俺は俺のやり方で、最後まで戦い抜く。他の奴らは間抜けな俺を、お前のいう教訓とやらにして、生き残る術を探る。そうして変わって行く。それで良いんだ」
「変わる……」
「そうだ。だから、俺はここでいい。お前は行け。やるべきことが、あるだろう」
「……」
「このグズが。ほら、寄って来ちまっただろうが」 と、トゼツが舌打ちする。見ると、ソンギ部隊の一部が分かれて、死にかけのトゼツ隊を追撃しようとしている。
「……トゼツ。一つだけ、言っておく」
「何だ。手短にな」 と言いながら、トゼツは億劫そうに武器を構えた。
「……妬ましかった」
「あぁ?」
「貴方の強さ。妬ましかった」
トゼツは思わず、意表を付かれた様な顔をした。それから、繁々とトオワの顔を見る。
「俺は、お前が大嫌い、だったぜ」 とトゼツは言う。「佳属なんぞに、俺より器がでかい奴が実際にいるなんて、認められる訳ないからな」
「いませんよ、そんな人は」
トオワは、不思議に自然と微笑むことができた。そのままトゼツから眼を離し、踵を返した。
その背に、トゼツの高笑いが聞こえてきた。自暴自棄なものではなく、どこか満足げな笑い声に聞こえた。