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星火燎原  作者: 更紗 悟
序章
4/117

揺らめき

     3


 かがり火が、踊るように揺らめいた。その変化を、サイトはいち早く察した。

 よく見ると側に黒い影が動いている。布か何かを用い、灯りのこちら側を瞬間的に遮ったのだ。内部からだと、ただ風に揺らめいたと思える程度に、所定の間隔を開けて数回、炎が点滅して見えた。

 合図だ、と思うと同時に、すっと音が遠ざかった気がした。

 敷地内に密かに侵入するために、内部の者複数と話をつけてあった。彼らからの合図を見て、仲間達が多方面から忍び込んで行く手筈だ。

「……行くか」と、ハルロはサイトの顔を見ずに言った。その言葉には、特に何の感情も含まれていないように感じた。

 先を行くハルロは、まるで人ではないかのような動きを見せた。物音を立てず、人が動く際の気配が感じられない。彼の動き出しから眼で追っているサイトですら、まるで影そのものが動いていると錯覚してしまう程である。

 ところが、建物内へと踏み入ろうとした時だった。男達の怒号が聞こえた。思わず、全身の動きが止まった。

「走れ」と、ハルロが即座に言った。動き出した彼に反射的に従い、しばらく走って、ようやく思考が追い付いてきた。

 先ほどの声は、変事を告げる警告だ。ただし、場所が離れている。おそらく、見つかったのは自分達ではなく、反対側から忍び込もうとした仲間達なのだろう。

 極秘裏に事を進める事に失敗したならば、強引に押し入って目標を奪還する。向こうで騒ぎが持ち上がったので、敵の注意はそちらに集まる。ならばこちらが目標奪還に走らねばならない。ハルロは、瞬時にそう判断していた。

 前方の壁の向こうから、すっと手首だけが差し出されてきた。姿を現さず、その手は複数の動作をこなす。

 これは、味方―――?

 合図の後、顔を出したのは、侵入を手引きしてくれた瑗国人だった。

「こちらへ」

 男は手短に言って、サイト達を中へと導いた。

 もしもの場合、どう動くことになるか。その細かい割り振りまでは、この瑗国人に告げていない。騒ぎが持ち上がった時点で失敗と判断し、寝返るか逃げ出す可能性が高いと予測してのことだ。

 それなのに、彼はすぐにこちらの誘導に現れた。こういう事態になれば、どちらが重要なのか、きちんと読んでいたことになる。

 先ほども、合図無しに姿を現せば、きっと反射的に攻撃していた。こちらが冷静に対応できるようにと、配慮されたのだろう。

 以上から、このリェンという男に対してサイトは評価を変えた。内通の交渉をしていた時は、不慣れそうに綜の言葉を話す姿が気に障り、随分卑屈な男だと低く見ていた。だが、予想より障害が少なく、なんとか目的に辿り着けそうなのは、彼の誘導が的確なおかげだろう。自分達だけではこうはいかなかった。

 リェンは立ち止まり、ハルロに一度だけ頷いて見せた。言葉が無い事で、返って緊張感が伝わってくる。そこが、目的の部屋なのだ。

 サイト達に道を譲り、リェンは引き返して行った。どこかに紛れ込み、そ知らぬ振りをして逃れるつもりなのだろう。サイトは、すぐにその背を目で追うのを止めた。正直、彼らのその後を心配している余裕はなかった。

「手早くな」

 ハルロはそのまま中に入らず、後方を警戒している。

 サイトはそっと中に踏み込んだ。整然とした部屋だった。むしろ、最低限の調度しかない、素っ気無い空間だ。

 好奇心に溢れているであろう年齢を考えると、ここは間違いではないかと思えた。騒然とする外とは対称的に、室内はしんとしている。人がいるとは思えない。だが―――。

 いた。窓際に少年が一人立っている。他には誰もいない。

 彼、なのか―――?

 サイトには、一見して、彼がそうだという確信を得られなかった。綜人だという気がするが、かといって、瑗人ではないと断言もできなかった。クスルの面影は、確信を得るほどには感じなかった。

 ハルロが中をちらりと見て、連れ出せ、と低い声で言った。彼は出国前の標的の顔を知っている。

 サイトは足早に少年に近寄って行った。武器を持った闖入者を見ても、少年は取り乱す様子を見せない。何故かサイトの顔をじっと見つめていた。騒がれたり逃げようとしたりされるよりましだが、違和感を覚えた。

 とにかく連れ出そうと、少年の手を取ろうとしたサイトは、動きを止めた。

「これは……」

 その右手首は一風変わっており、サイトはそこに目を止めてしまった。脳裏には、クブ・トーの宣託に眉を顰めていた父親の顔が思い浮かんでいた。

「サイトっ! 何を呆けている!」 と、後ろからのハルロの叱責に、サイトは我に返った。

 有無を言わさず少年の手首を掴み、振り返る。そこでサイトは、ぎょっとして、硬直した。

 サイトを急かすハルロのすぐ後ろに、見知らぬ男。つまり、敵が忍び寄っている。

 サイトが警告を口にしようとした所、事態を察したハルロが反射的に動いた。振り向きつつ、背後の空間に向かって剣を振るう。狙いを定めていない闇雲に放ったかと思われる一撃は、刹那の間に軌道を微調整した。

 振り向き様、見事に敵の胴を切り裂いたハルロの妙技に、サイトは身震いした。流石だと感心していたから、その直後、ハルロの身に起きた異変に戸惑った。

「……え?」

 敵の体から流れ出た血が、床に広がっていく。まるで競っているかのように、ハルロが膝を突いた床にも、同じ光景が繰り広げられる。気分の悪くなる金臭い匂いが強まってくる。

 ハルロは、自身の体に問いかけるように、深く傷ついた胸元をじっと見つめて動かない。さすがのハルロも、相打ちが精一杯であったのだ。

「これはもう、信じるしか、ないか……」

 ハルロは、大量の脂汗を浮かべた顔を微かに歪めた。それから振り返らずに、「サイト、行け」 と早口で命じた。

「そんな……」

 サイトは、これまでにも仲間を失ったことがある。その死を受け止め、乗り越えてきたが、今度はそうはいかないらしい。ハルロはもう駄目だ、見捨てて行くしかない、そうは思うが、気持ちが切り替えられない。体がやけに冷たく、いやな汗が流れていた。

 サイトが決断できない間に、辺りが騒がしくなってきた。数の劣勢を巻き返し、味方が勝ち残って来たとは期待できない。まず間違いなく少年の安否を確認しに来る敵だろう。

「サイト・成!」

 ハルロの一喝が、サイトの芯まで響いた。遠く朧気だった意識が、一気に眼前に戻ってくる。

「……行け、と言っている」

 ハルロは優しく言うが、短く区切らないと話せなくなっている。

「俺は、良いんだ。無駄死にではない。大いなる輪を活かすために、礎となるんだ」

 サイトを見ずに、自分に言い聞かせるように話しつつ、ハルロは立ち上がった。

「あの祗官達には、尋常じゃないほどの大きな流れが、見えていたのかもしれない。シント、シン……。あるいは、()()()の……。それほどのものを活かすためには、犠牲が付き物だ。俺が、その最初なんだ。ある意味、俺から始まる。だから、彼らは、俺をも、尊んだんだ……」

 ハルロは精一杯足早に、敵がやってくる方向に向かって行く。遠ざかっていく背中に、いつもの頼もしさは皆無だ。このまま行かせれば、もう帰って来ない。ここで止めなければ、確実に彼は死ぬ。はっきりと、そう分かった。

「ハルロさん!」

「本当は、生かしておけない……。だが、俺には、俺の生きてきた意味を、否定できない」

 彼を頼む、とハルロは懇願するように言った。

 サイトは振り返って少年を見た。静かなので、怯えているか気を失っているかと思っていたが、少年はただ冷ややかにこちらを見ていた。

 俺達は、お前の為に命をかけているんだぞ、何だその見下すような目は―――。

 サイトは少年に対して、身勝手な怒りを覚えた。

「くそっ!」

 サイトは、有無を言わさずに少年の手を引くなり、ハルロとは逆側へと向かって駆け出した。

 それほど間をおかず、ハルロの叫び声が聞こえた。敵を威圧しようとする荒々しい雄叫びであったが、そこには不遇に対する嘆きの念も含まれているように感じた。

 名を呼ばれた気もした。自分がどうしようもなく愚かで情けない気がして、サイトの心は軋んでいた。

 途絶えて欲しくないが、聞きているのも辛いその声は、次第に小さくなっていって、やがて消えた。


     *


 館を脱出したサイトは、少年を引き摺る様にして、何とか逃げ延びて来た。いつまで待っても、仲間が追いついてくる様子はない。注意を引き付ける側は、そういう運命にあると覚悟していた。ハルロがもう戻ってこないことも、認めざるを得ない。

 だからこそ―――。

「―――死なせは、しませんよ」 サイトは、少年を見据えて言った。

 どれだけ少年が憎くても、彼の為にハルロ達はその命を散らしたのだ。ここで見捨てる訳にはいかない。

 サイトは、すっと少年に近付いた。警戒する少年の顔を見たまま、素早く動き、少年の首を打ち据えた。

 少年の意識を刈り取った所で、気絶して脱力した体を背負い上げ、サイトは再び走り出した。背負えばサイトの負担は激増するが、それでも足の遅い少年の手を引きながらよりも、格段に早く進める。

 今はただ、別動隊と合流する。それだけを念じて、サイトは闇夜を駆けた。



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