滞る、闇
7
まずい状況にあった。
アヌン守団は依然として外に出てくる気配はない。真穿は不用意に近付くこともできない。増援があるとしたら、それは片方だけ。長期戦はできない。
小隊長を集めて議論する内に、アヌンを離れて、そのまま東へと進んではどうか、という案が上がった。イマラではテイスグら攻団が闘っている。おそらく『爪』相手では苦戦しているはずだ。そこへ、西から真穿が攻撃をしかける。奇襲により、敵の動きを乱す事が出来るかもしれない。
それでエンイ・彗を捕まえるという目的が果たせなかった代償となるわけではないが、このまま有効性な手を打てず、増援が来て全滅するよりはましかもしれない。
アヌンに力を残したままで、東に向かう事に不安がない訳ではない。追撃される危惧はある。ただ、向こうはホウヴを失い、さらに士気が下がっているので、それはないかもしれない。
何にせよ、手を打たねばならない。だが、サイトは、決断を保留していた。
ある夜、天幕を抜け出て、一人陣中を視察していた時だった。
見張り役の二人の部下が、雑談をしていた。すぐ側を通ったが、男達は大隊長だと気付かなかった。月のない夜で、顔までは見えなかったようだ。
そのまま通り過ぎようとして、ふと気になる事があった。若い方が、あの時の男だったのだ。
「俺、思うんですけどね」 と言う。一風変わった武器を持っていた。極端に長く思える柄に、形状が妙に反り返った刀身が括りつけられていた。
「生意気だな、小僧の分際で」 と、もう一人の男が答える。
「後々を考えて、一つ、妥協するべきだと思う。そうすれば、有利な手を打てる」
「妥協ぉ? 理屈ではなく、個人の感情が問題ということか。具体的には、どういうことだ?」
それから若い男は、サイトの存在を気にしたわけではないだろうが、耳打ちして自分の案を囁いた。それでも、火という単語が聞こえ、サイトは身を強張らせた。
「確かに、効果的だな。だが、それは……」
「ええ。人のしていいことじゃないです。でもあいつらは……」 と言って、若い男は砦の方へと、顔を上げた。「人じゃない」
遠めに見ても、彼の顔に火傷の跡があるのが見えた。『黒凝り』のことを知っていた者だ。
後に確かめた所、名はライ・鶏と言って、煌の地で暮らした事があるらしい。煌では、火の扱いに対して他国よりも厳しいという。その悪用を是とするものを嫌悪するのは当然だろうとサイトは思った。
「あんなことができるのは、人じゃないからですよ。人じゃないんですよ、相手は。だったら良いじゃないですか。そりゃあ、僕だって行為そのものは恐ろしいですよ。でも、たとえば、暖を取るための薪を惜しいと思いますか? 食べ物を調理するのに酷使して申し訳ないと思いますか?」
「それは……。確かに、そうだが」
「だったら、やればいい。さっさと。人でなしなら、根絶やしにすればいい」
「しかし 、火に人を喰わせるのは、あまりに酷い」
「そう。問題とするのは、人の感情です。私情を完全に廃してもらえれば、きっと、これで有利な状況を造りだすことができる」
「それで、私情を挟んでいると、思うわけか」
「それは、そうでしょう。皆も同じだと、僕は思っていますよ。このアヌン攻略戦では、いつもの成様らしくない。間違ってはいませんが、決断が遅く、躊躇いが感じられる」
らしくない、と言う言葉は、サイトでもかわせない鋭い攻撃に思えた。その通りだ。どうも上手く行かないと、自覚していた。下っ端にまで見抜かれてしまうとはな、とサイトは思った。
「……それから、リェンの処遇は、甘いと思いませんか?」
「リェン様か。確かになぁ。とは言え、直接裏切っていた証拠があったわけではないからな」
「証拠? 証拠なんて、そんなボロは出しませんよ。でも、いいですか。ホウヴという女、その夫であったラヌは、あの瑗のカク・源に学んだというじゃないですか。そのラヌと関係があったリェンも、カク・源と繋がりがあった、と考えるのは、間違いですか? そんな人間が、あっさり繋がりを断てると思いますか?」
「……では、リェン様はまだ瑗と通じている……?」
「だと思いますよ。それに、知っていますか? 今回の遠征は、テイスグ攻団長の命だそうですよ。なんで、オウ様の部隊である真穿が、なぜ別の人間の命令を聞くんです?」
「そりゃあ、いくら直属といっても、統士には変わりが無い。カントの命とあれば断れない。しかも攻団長ならば、なおさらだ」
「何か裏があるんですよ。テイスグ様が真穿を活躍させまいと、こんな僻地に向かわせた理由が」
なんだそりゃ、と男は笑う。こちらは真面目に考えているというより、若者の真剣さを見て愉しんでいるだけのようだ。若者は気づかず、それに、と続ける。
「あの人は、瑗を排除すべきだと主張していたクスル・青様の賛同者です。オウ様も一応は同じ考えをしている。それなのにテイスグ様は、父君にしていたようには、オウ様に対して恭順の姿勢を示さないという。それは、やはり、あの方の周囲に瑗の匂いがするからじゃないですか?」
「瑗の匂い?」
「リェンは瑗出身で、もう一人の女隊長もそう。それから、何故か瑗から無事に帰ってきた英雄。テイスグ様は、そこに嫌悪を示しておられるのではないですか。それから……」
「それから?」
「……いえ、これは、ちょっと真偽が定かではないことでした」
「何だよ、気になるな。言うだけ言って見ろよ。忘れておくからさ」
「では、クスル様の奥方が、どこの出身か、知っていますか?」
「オウ様の母君、ということか? ええと、帰還の際にお亡くなりになったんだよな。どこだったかな……。ああ、そうだ。クスル様が、ミデンから連れ帰ってきたと聞いたことがある」
「ええ。でも、彼女はミデンで生まれた訳じゃない。ミデンまで流れてきて、そこでクスル様に出会っただけなんです。生まれは別にあった。そもそも、何故開戦前に、オウ様は瑗にいたのか。彼女はどこで生まれ、瑗の地にどういう関係があるのか?」
「お、おい……。それじゃあ、まるで……」
「確証はありません。クスル様が連れて来て、結婚された当初から、彼女の出自や過去について探る事は禁じられたから。本当の身の上については上層部だけが知っている」
「……クスル様と、オスト様は、確かにガーレ出身の両親を持つが……。オウル様の母も、ダウス出身と聞いている。だが、オウ様の母君だけは… …」
「瑗との関わりが多すぎる。そんな真から優遇され、異国人の部下を持つ。そういう人間は、どこに忠誠を誓うものなんでしょうか。命を懸けて良いと思うのは、どこに、なのでしょうか?」
「お前、疑っているのか? こんな状況に陥ったのは、成様が任務を遂行するのを、躊躇っているからだとでも言うのか? 別の国のために、綜の為になる事を躊躇っていると?」
若者の目に月光が反射して、やけに恐ろしい目をしているとサイトは思った。