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星火燎原  作者: 更紗 悟
序章
3/117

胸に秘めたもの


     2


 サイトは、闇の中に潜んでいた。不用意に動いて周囲の葉を揺らしたくなかったため、最低限の身動きしか取れず、体が冷えて強張ってきている。

 視線の先には、広い庭がある。数箇所でかがり火が焚かれており、さらには時折、武装した男達が巡回している。

 警備は厳重で、考えなしに侵入しようとすれば見つかってしまう。ただ、入念な情報収集と事前の仕込で、突破口は用意してある。

 だが、あれが……。

「―――気になるのか?」 と、間近で囁かれた。

 サイトは思わず、すぐ隣で潜んでいるハルロの方を向いてしまった。兄のように慕うハルロの顔も、普段より強張ってみえた。若手を導く立場にあるが、実際はまだ二十歳にもなっておらず、それほどサイトと経験の差がある訳ではない。

 見透かされたな、とサイトは思った。また、知らず知らずの内に、じっと()()を睨みつけていたらしい。

 いくら消火用の水桶が側に置いてあるとはいえ、あれを誰も見ていない。あれの扱い方が雑であるように思えてしまうのだ。

「……いえ、大丈夫です」と、サイトは、己にも言い聞かせるように答えた。

 ハルロは間をおいて、「……サイト。俺はな」 と静かな声で話し出した。その改まった態度から、ここに来て帰れと言われるのではと、サイトは身構えた。

「少し前に、クブ・トーの祗官から、あるお告げをもらった」

「お告げ……?」

 ハルロは口を開きつつも、狼のような鋭い眼で周囲を警戒していた。

 命のやり取りを経る内に、ハルロは硬い表情の方が馴染んで見えるようになっていた。ただその干渉を嫌うかのような冷たい顔をするのは、本心の裏返しなのだとサイトは知っている。無感情に見えるのは、任務を完遂できるように己を強く律し、失敗を犯して仲間を失う事態を避けたいがゆえのはず。全員無事で帰還した時、ほっとして緩んだ顔を見ればよく分かる。

「――お前は近々、シントとなる者の為に命を落とすだろう。そう言われた」

「シントのために、ですか……」 サイトは、合点が行かず、ただ言葉を繰り返した。

 シントとは、最上級階の人々のことである。

 サイトの祖国綜統国は、全ての民は六つの階に分かれている。成人すれば皆ユトという下から二番目の階に属し、どの階の者であるかを示す小さな玉が配られる。年齢を重ねる毎に階は上がっていくが、その昇進の速度は、所属する分野や、個人の功績の出来不出来に左右される。

 最上級階シントだけは特別で、なれるものが限られている。最も権力を持つ国の指導者は(しん)と呼ばれるが、真となった者の親族は、自動的にそのシントとなるのである。

 たとえば、ここ瑗環国の地では、(げん)という家柄がシント、その中で最も力を持つ血筋の若者ショウが、瑗真(エン国の主)となっている。

「詳しい事は教えてもらえなかったが、今の俺ら程度が、シントに接するなんて、まず考えられないよな」

 最下層の階であるビドは奴隷階層である為、まだ成人して程ないハルロが属するユトは、実質的に一番力を持たない階だ。国を動かす地位にあるシントとは、通常ならば関わり合いがあるはずがなかった。

「それが、今、何の関係が……?」 と、急くようにしてサイトは言った。

「まだ公表はされていないが、クスル・(せい)が次の綜真となる」

 無意識に、体が強張った。「つまり……」と、乾く舌を何とか動かし、サイトは続きを促した。

 今回の任務は、そのクスルの息子を密かに綜へ連れ戻す事だった。事情は知らないが、権力を得た者が、不遇の身である息子を手元に取り戻そうということは、不自然なことではない。そう思っていたが、まさか、クスルが真になるとは。

 父親が真となれば、その子もシントとなる。サイト達は、シントとなるべき者と出会うことになる。けれどもハルロは、シントの為に命を落とすと告げられている……。

「――この任務は上手く行かず、貴方が犠牲になる、と?」

「この話を聞いた時、すぐに腑に落ちたよ。ああ、彼が言っていたのは、このことかと」 と、ハルロは穏やかな声で言う。

「そんな……。しかし、お告げが必ずしも……」

「いいんだ」 と、ハルロはやんわりとサイトの反論を遮った。「いいんだよ、そのことは。俺は死ぬ。こんな非道ばかり行なってきたんだ、死に方に文句は付けられないさ。それに、単なる無駄死にではなく、何かを生かす代償だと言われれば、まだ良い方かと思える」

「代償……?」

「……俺に言葉を告げる際に、その祗官は指で円を描いたんだ」

「大いなる輪への敬意を示す動作ですね。―――個は滅ぶとも、先達の上に積み重なり、後続の礎となる―――」

「そう。それを、俺の胸に向けていたんだ。涙を流しながらな」

「大いなる輪を、貴方に向けて……? けど、それは通常個人に向けるものではないでしょう?」

 あらゆる植物を束ねるとされる素真(そしん)クブ・トー。その素真(神に相当する存在)を敬う輪教の教義で、大いなる輪への敬意は本来、個を繋ぎ、重ね、命を引き継いでいく事、その大いなる流れを讃えるものである。

 気の遠くなる年月をかけて形成された広大な森や、世代を繋いでなされた功績に出会った時に、敬意を示す行為である。

「何故、その大いなる輪を俺に向けて描いた? まるで俺が、人知を超える偉業を成し遂げる人物であるような気がするよな?」

 サイトは答えられなかった。

「そんなはずはない。しかし、輪は俺に向けられていたんだ。だとすれば、その対象は、俺が関わる事になる相手、そのシント、ということになる。まあ、それだけの人物を生き長らえさせる為の代償となるならば、少しは気も治まる」

 そうか、とサイトは気付いた。自分のことで頭が一杯でよく想像できなかったが、彼は今、死と向き合っているのだ。

 お告げの解釈が合っていれば、これから死ぬということだ。それは、死ぬかもしれないという予想とは、格段に重みが違う。怖くないはずがない。

 死は恐ろしいが、サイトの手前、平静に努めなければならない。彼はすでに、必死に闘っていたのだ。

 恐怖と、責任感とが、彼の中でせめぎ合っていた。なのに、その苦悩はほとんど表に出てこない。なんという精神力か。

 サイトは、小さく息を吸って、言った。

「ハルロさん、俺も、話しておきたいことがあるんです」

「何だ、長話はできんぞ」 とハルロは言って、顔を顰めた。「手短にな」

「俺、実は……」

 サイトは、口にする事をなおも躊躇った。ハルロの強さに背中を押されるようにして口を開いたものの、まだ踏み切れなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という事を打ち明けるのには、まだ勇気を要した。

 その事を思い出すと同時に、父親の顔が思い浮かんだ。あの時の言葉、あの時の感情……。

 結局サイトは、軽く頭を振って、別の事を口にした。

「親友から言われたんです。仲間を守れるような男になれと」

 彼からもらった言葉。彼女を背にして誓った自分の言葉。思い浮かんできたそれらの言葉が、サイトの胸を熱くした。内から溢れ出てくる思いに任せて、サイトは言った。

「ハルロさんも、こんな所で死んだりはしません。―――俺が、守って見せる」

 ハルロは、眼を見開いてサイトを見た。

「……お前に、そんな力があるのか?」

 ハルロは無言で、目の奥をじっと睨んでくる。怯まずに、サイトは言った。

「覚悟なら、ここにある」 サイトは、己の胸に手を当てて言った。「この熱が、その証拠だ」

 まあ、いいだろうとハルロは言った。「そこにあるのが、本物の覚悟かどうか。見せてもらおうか」

 それから、ハルロは少しだけ頬を緩めた。



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