勝手
1
軽く息を切らして、サイト・成は闇夜を走り続けていた。
道は平坦ではなく、見通しも悪い。人目を避けるため、街道を外れた森の中を駆けている。
一際濃い茂みに入り込んだ所で、サイトは立ち止まり、振り返った。
追っ手を警戒してのことだが、サイト達に付いてきているのは、遥か高みからこちらを見下ろしている月だけだった。満月ならば輪の恩恵を願えるものだが、今は鋭い鎌を思わせる三日月だ。不吉なものを感じ、サイトは目を逸らし、額の汗を拭った。
―――追っ手の姿が見えるようになれば、きっと、もう終わりだろう。このままでは逃げ切れない。
早く選択しなければならない。あくまで仲間が待つ所まで向かうのか、どこかに潜んで危難をやり過ごすか、それとも……。
手を引いている少年を、サイトは見下ろした。
歳はそう変わらないはずだが、ずいぶん幼く見える。顔色が悪く、乱れた息は中々おさまらない。身分からすれば、こんなに長く運動し続けることは稀だろうから、意識を失って倒れないだけマシと思うべきか。
だがどうしても、少年を見るサイトの視線は自然と険しくなってしまう。
力を込めてしまわないよう、サイトは一度手を離した。特徴のある手首が露となると、少年は反射的にか、サイトの目から腕を隠そうとした。
――余裕はないだろうに、そんなことだけは気になるのか。
口を開かないよう、サイトは我慢していた。一度漏れ出たら、怒りを押さえ切れなくなり、彼を守ろうとは思えなくなるだろう。そうなれば、何のために仲間達が死んだのか分からなくなる。
「急ぐぞ」と、サイトは短く言った。
有無を言わさず、再び手を取り、歩きそうとした。だが抵抗がある。少年の体が重く、協力しようという意志が感じられない。
―――分かっているのか、こいつ。
サイトは感情を抑えつつ、言葉遣いを変えた。
「急いで、ください。追い付かれれば、もうおしまいなのですよ」
少年の顔が歪んだ。強引にサイトの手を振り払おうとしたことから、恐怖ではなく、別の感情があるらしい。
「勝手な!」と、少年は吐き出した。
連れ出そうとした時からさほど抵抗を示してこなかったので、サイトは意外に思った。
「いいですか―――」
諭すように、サイトは静かに言う。
「敵に会えば、私は殺されます。それは、貴方も同じです。保護されて、また元の生活に戻れるなどと思っていませんか? 違いますよ。脱走した事実は変えられず、貴方の価値は零に近付いた。つまり、もう貴方は私と逃げるしか他に選択肢は―――」
だから、と少年が遮って言った。
「私の命運を、私ではなく、他人が決める。それを、勝手と言ったのだ!」
サイトは口を開かなかった。その通りだと思うからだ。
確かに、勝手なことだ。少年の意思など考慮していないし、失敗して、少年の命を脅かしてしまったのだから。
この少年は、綜統国から母子共々連れてこられ、瑗環国で暮らしていた。監視されていたが、とりあえず身の安全は保証されていた。その平穏を、サイト達がぶち壊した。少年を奪還してくるよう、命じられたからだ。
ただ、他人の都合で振り回されるのは、人の世の常というものだろう。その不条理な現実は、すでにサイトの身に染みている。
サイトと少年は、無言で睨みあった。
少年の言い分が正しかろうと、引くわけにはいかない。投げ出すわけにはいかない理由が、できたばかりなのだ。
何度も勝手に思い出してしまう。
あの時のことを―――。