俺たちの力
第二章 【烙道】
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季節は移ろい、寒季になろうとしていた。降雪の中でも行なわれる戦もあったが、さすがにこれほどの規模の人員を前線に維持し続けることは困難を伴う。モウ・牙も天候には勝てず、双方とも年中の決戦を諦め、戦は小康状態に入っていた。
綜の首都ダウスの郊外に、綜真により賜ったサイトの館がある。そこはまた、真穿の拠点でもある。
サイトは自室を出て、会合の場へと向かった。
頬を撫でていく風は同じだが、普段より静かである。大勢の人の気配を感じて、獣たち息を潜めているせいだろう。
館の外には、真穿の統士たちが整列している。
つねにこれだけの人数が常駐しているわけではない。今日は真穿の隊長格たちが顔を合わせることになっているが、召集されたのは隊長格だけだ。戦場に行くわけではないので、部隊を伴う必要はない。それでも、鍛え抜かれた自慢の部隊を見せ付けるべく、連れてきたのだろう。
三つほどの部隊が整然と並ぶ塊と、それに向き合うように立つ二つの部隊がある。その間には緊迫した空気があるが、もうひとつの部隊は、その対立を傍観するように距離を取っている。
部屋に向かいながら、その様子を見たサイトは、苦笑を洩らした。まだ誰が来ているか見ていないが、会合の様子が想像できてしまったのだ。
*
部屋に入る前に、サイトは小窓から中の様子を窺った。
予定の時刻にはまだ間があるが、すでに室内には熱気が籠もっているようだ。
「いえ、だから、ですね―――」 と、トオワ・迅の声がする。言葉使いは普段のままだが、少し甲高い声が部屋の外にまで漏れている。苛立ちが隠せなくなってきているようだ。
またか、とサイトは軽くため息をついた。
真穿には、大隊長サイトの下に、隊長格が九人いるが、召集に応じたのは六人だけ。二人は無言で聞き流し、一人は実戦以外の参加を辞退し続けている。
隊長格は仲間であると同時に、次期大隊長の座を狙う競争相手でもある。その六人の話し合いは、懲りもせずに同じ流れを辿る。どうやら本日も、そうであるらしい。
「だからな、トオワ」 と、トゼツ・霆が、低く威圧するような声で、新入り隊長格に向かって応えている。
対するトオワは、背筋を伸ばして、トゼツの鋭い視線を真っ向から受け止めていた。その真っ当さが気に入らないのか、目を細めてトゼツは言う。
「お前の理屈は、それはよく出来ている。確かに、そんな手で来たならば、俺ですら危うい。だがな、それは、頭で考えたことをそのまま実現できれば、の話だ。再現が無理であるならば、どれだけ検討しても、意味の無いことだ」
トゼツの額には、まるで生まれた時からそうであったかのように、深い皺が幾筋も刻まれている。皮膚は緩むことはなく、その堅さが意思の揺るがなさを示しているようにも見える。
「真っ正面からぶつかるだけの戦法は、敵より数で劣る我々には適さない。辛うじて勝利を得ても、被害もまた大きい。いつかは大敗し、立ち直れなくなる。そうなる前に、もっと適切な戦術を検討し、準備しておかなければならない。せっかくみなが集まったのです。今は、そのために時間を使うべきなのです」
トオワは丁寧な口調で答える。トゼツを前に、一歩も引かない。どこでも変わらない、生真面目な奴だなと、サイトは微笑ましく思った。
河津との戦は、緒戦のあと、一進一退を繰り返し、膠着状態にある。
しばらくは双方動かないと思われたため、真穿は都の側で待機している。とはいえ、ただの骨休みをしているだけではない。
これまで辛うじて大敗を避けて来られたのは、ソンヴ・識の指揮があってこそだと、サイトは自認している。
けれども、いつまでも彼女の頭脳にばかり頼っているわけには行かない。ソンヴは考分の者であって、統の戦に一時的に助力しているだけなのだ。
特例で自由行動を許されていても、真穿は所詮、大隊規模でしかない。その人数で的確に戦果を挙げ続けるには、どうすれば良いか。サイトは部下達に頭を使わせようとした。
ところが、会合を重ねても、目覚しい案にたどり着けない。まずトゼツらが、話し合いの前提を否定してくるからだ。
いくら温厚なトオワであっても、いつも同じように根本から拒絶されては、内心苛立ちもしているだろう。しかも、トゼツらの態度を硬化させているのが、自分への嫌がらせもあると承知していれば、尚更腹立たしいはずだ。
トゼツは、トオワより年上ではあるが、今の階はシトである。彼は元々、『支』分のドウトであったが、『統』分へ転属した。分の変更は階の降格を伴うため、今はシトとなっている。年下のトオワと同格になってしまっていることだけでも面白くないであろう。それに加えて、二人は完全に対等の立場とは言えない。
トオワの名は正式には、華・トオワ・迅という。国に対して多大な貢献をしたことがある者、またはその子孫は、名前の頭に〈か〉の音を付けることが出来る。そうした者達は〈佳属〉と呼ばれ、万事において優遇される。同じ階で、新入りであっても、華属迅家出身というだけで、トオワはトゼツより格上なのである。
生真面目なトオワは、引き継いだだけの家柄に物を言わすことはない。それが返って癪に障るらしく、トゼツは二人の仲間を引き連れてトオワと反目している。
「そもそもの話、だ。真っ向勝負は我々には適さないというが―――」 と、トゼツは唇を歪ませて言う。「―――本当に、そうなのか?」
「それは――」
「俺の率いる隊だけが、常に敵を打ち破り続けている。ふらふらと頼りない、他の隊の分までも、な」
トオワは口を閉ざしていた。事実、トゼツの隊だけが敵を打ち破り続けているのだった。
「―――俺の所と、他の奴らと。その違いは何だと、考えるまでもねぇ。戦闘方法だろうが。それで、俺はどんな戦法を取っている? 知っているよな、佳属のお偉いさんならよ」
トオワの斜め後ろには、彼の友人であるトラル・検がいる。言葉を詰まらせたトオワの肩を持つでもなく、ぼんやりとした顔をしている。
トオワの口惜しそうな表情を見て、トゼツは笑みを深める。同調して、トゼツの左右に座っている二人の男が低い声で笑った。
バシッ、とトゼツは音を立てて、自分の利き腕に作った力瘤を叩いてみせた。彼の体は左右均等ではなく、そちらの筋肉だけが際立って発達している。
「―――何よりも力、だ」 と、トゼツは断言した。
*
統道において、戦闘とは本来、互いの力量を余す事なく見せあい、そして、どちらが勝っているかを確認しあう行為である。また、主と崇める者のために行動し、そして、自分達を率いる主の方こそが勝っていると証明する。どれだけの力を持つ者達を従えているか、という点も、主の器を図る要素となる。
従来、罠に嵌めて相手の力を削ろうというやり方は、人間相手には用いない。統道では、とにかく勝てば何をしても良いというものではなく、互いの全力をぶつけあうのが正当とされていたからだ。
相手が全力を出し切る前に力を削るというのは、敵とはいえ、個人を尊重しない卑劣な行為とみなされる。そうした卑劣な行為を繰り返すことは統道に悖る事、烙道とされていた。
トゼツは、その古くからある統道の思想に染まっている。
「たとえ数的劣勢にあっても、個々に確かな力さえあれば、戦況を覆せるものだ。俺たちが生き延びていることが、それを証明している。真っ向から敵を打ち破れる強い統士を多く持った方が勝利する。それが統道だ」
「―――ですが、トゼツ。その戦い方はもう古い。昔ならいず知らず、今は力だけが全てとは見なされていない。国を挙げての闘いとなれば、『考』分の参戦は、もう珍しいことではない。烙道の解釈も変わってきている。あの我津ですら、考分を多用している。ソンヴ・識の言葉には、貴方も拒絶せずに従うでしょう?」
トゼツは、その言葉を吹き飛ばそうとするように、ふんっ、と鼻を鳴した。さすがのトゼツも、ソンヴには口答えせずに従っている。ソンヴもまた、トゼツの性質と使い方を心得ている。
「それに、貴方の隊だけが特別という訳では無い。戦果は上げているが、その反面、あなたが暴走した穴を埋める為に、他隊にどれだけ負担が掛かっているか、分かっているのですか」
トオワは他の隊長達に同意を求めた。
最もとばっちりを食らい、トゼツの尻拭いをしている二人の隊長は、彼の腰巾着でもあるので、目を逸らして何も言わなかった。
他の二人も役には立たない。サーカ・狸は、どちらにも属さず、時折茶々を入れる隙を窺っているだけだ。トオワの唯一の味方であるトラルは、他人を論破できるほどの話術を持たない。ただトオワへの同意を示そうとして何度も頷くだけだ。
「ほぉ、言うじゃないか」 とトゼツが膝に手を当てて立ち上がろうとする。その際に、ドゴイ・芥とショウ・殿という同志二人に、何やら目配せしたのを、サイトは見逃さなかった。
「よし。トオワ・迅。お前が否定する俺達の力を見せてやろうじゃないか」
ドゴイとショウも立ち上がり、トゼツの前へ進み出てきた。
トラルも慌てて立ち上がる。そんな友人を手で制して、トオワは座ったままトゼツを見据える。
「闘いは、力だけでは立ち行かない。それは明白だ……。だが、人に話を聞いてもらうには、それなりの地力があると、まず示さねばならない。―――いいだろう、受けてたつ!」
あっさりと喧嘩を買ってしまったトオワは立ち上がり、トゼツへと向かって、大股で歩み寄って行った。興奮を示して、彼の頬にやや赤みがさしている。
ドゴイとショウは、気圧されたかのようにトオワに道を譲った。二人の側をトオワが通り過ぎた所で、トゼツも身構えた。
その時、トオワの首筋に、刃がぴたりと当てられた。トオワの視覚外から、それも、両側から同時に、である。
トオワの注意がトゼツに集中した頃合を見計らって、ドゴイとショウが背後から小刀を突き付けたのだ。
「ハッ!」 と、トゼツは吹き出した。「おいおい、トオワさんよぉ、なんだよ、その驚いた顔は」
「――――貴様」とだけトオワは唸るように言った。その顔面は蒼白になっていた。
「だから、言っただろう? 俺達の、実力を見せてやるってな。どうだ? ちゃんと理解できているだろう? お前が言う戦術ってのは、こういうことだろうが」
トオワは悔しさのあまり何も言えないが、彼は正しいとサイトは思った。
トゼツは、トオワの注意を自分だけに、正面だけに、向けさせた。真っ向対立だと相手に勘違いさせて、注意を向ける先を絞った。その後で、相手をできるだけ多方向から挟んだ。
この程度のことなら俺にもできる。自分達はそんなことは承知で、なおも力に頼るのだと、トゼツは豪語した。
トオワはさすがに感情を抑えきれず、後先を気にせずに、柄に手をかけた。けれども、そのまま剣を引き抜いたり、トゼツに向かって突進したりすることはしない。あと一歩で衝動に負けるという所で、トオワはぐっと踏み止まった。
「お。何だ、それは」 と、トゼツがさらに煽るように言う。「考えなしに行動するのは、時代遅れだ。そんなようなことを、言っていたのはお前だろう?」
再度のトゼツの挑発に、さすがのトオワも我慢の限界に達しそうだ。そう判断して、サイトは動いた。
「―――そこまでだ」 と声をかけた。急に降って湧いた大隊長の声に、皆が驚き、視線を向ける。
「せ、成様……」 とトオワが驚いて言う。
トゼツは体勢を立て直し、苦々しい顔をして口を開いた。
「大隊長。少し白熱しすぎた感がありますが、議論は滞りなく進んでおりますよ」
二人の同志がさっと武器を隠すのは確認したが、話し合いに武器を持ち込んだ事を、咎められるのではと焦っているようだ。
「あぁ、結論は出たようだな」
サイトは苦笑して、顎でトゼツの背後を示した。
「な、にを?」 と、訳も分からず、トゼツはうろたえて振り返る。
いつの間に忍び寄っていたのか、そこにはサーカがいた。
「お、お前―――?」 とトゼツは驚き、近すぎる距離を嫌って、ばっと飛び退った。
サイトは、二人を制して言った。
「トオワの話は、正しいと身に沁みたな?」
えっ、とトオワが顔を上げた。トゼツも不可解な顔をした。
「トオワ、先ほどお前は罠にかかり、死にかけた。トオワの前には障害が三つ、待ち構えていた。だが、トゼツ―――」 とサイトはそこで語気を強めた。「お前も死にかけていた。経緯はどうあれ、隙を突かれたことによりな」
全く気付かないままで背後を取られたこと、それはつまり、命を握られた事と同義だとトゼツは知っている。真っ向勝負ならそんな醜態は見せないが、そんなトゼツですら、やり方次第で出し抜かれる。トオワの言うとおりなのだ。
サイトは拳を作り、もう一方の掌に、ばちんと当てて見せる。
「真っ向からぶち当たり、風穴をあける。それも良い。小気味良いな。また、少数であっても、上手く立ち回れば、敵の急所を突ける。先ほどのように」
トゼツは悔しさのあまり真っ赤な顔をしていたが、それでも、自身がいかに危険な位置にいたかを知っているようで、反論はしなかった。
*
その日の帰路で、サイトを待ち受けていた者がいた。
渋い顔をして立ち塞がったのは、トゼツだった。
少し離れて、彼がいつも連れ歩いている若者が腕を組んでこちらを窺っている。名は知らないが、武闘派のトゼツのお気に入りであり、腕が立つ男だ。
恥をかかされた仕返しかと、サイトは距離を取って立ち止まった。
「俺の器を疑い、認めないというんだな。上への叛旗は烙道に相当するが、俺は構わん。真っ当な統士ではないからな。さぁ、やるか」
「―――そんなんじゃ、ありませんよ」 トゼツは神妙な顔をして言った。
「八つ当たりじゃないのか。なら、何だ?」
「分かっていると思いますがね。警告しておこうと思って」
「サーカのことか?」
トゼツの隙を突き、背後を取る事はサイトにもできる。ただ、一人ではあそこまで上手く行かない。
サイトの登場に乗じて、全員の注意がそちらに向いた時だからこそ、難なく実行できた。また、それをなすには、サイトの存在に気付き、動く機も読んでいなければならない。サーカ・狸は、やはり只者ではない。
「いえ。あれは、こちら側にいる限り、放って置けば良い。―――それよりも、トオワ・迅だ」
「トウワが、なんだ? 気に食わないから、外せと?」
「嫌いな奴は、あいつに限らず、大勢いる。そうじゃなくて。―――あいつ、死にますぜ? 戦場で、あっさり」
戦場は、確かに若く前途有望であろう命が、あっけなく散っていく場所だ。サイトの脳裡にも、ある死に顔が浮かんだ。
「大隊長も分かっているでしょう。あいつは前線向きじゃない。それで一人で死ぬなら、まぁ、まだ良いさ。だが、あんたは奴を拾い上げ、重用した。それであいつが崩れたら、全体が崩れる。それが、危うい、と言いたくてな」
「あいつは―――」 前線でも生きていける。そう断言することには、躊躇いがあった。
「これは、やり込められた仕返しから言うわけじゃない。佳属だからといって、僻んでいる訳でもない。経験から来る予感だ」
何を守るのか、ようく考えてくださいよ。そう言い捨てて、トゼツは去っていった。