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星火燎原  作者: 更紗 悟
第一部 第一章 【真穿】
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真の


     9


 仮面の男は、素顔を隠す事を諦めた。毅然として立つその姿には、人を導く者の風格が漂い始めていた。綜の中枢部・真宮において、利権を奪い合う大人達の中に混じり、政争に明け暮れ、生き残ってきたのだから、当然なのかもしれない。

 そういえば、あの時のオウ・青もまた、深く強い意思を秘めた目をしていたと、サイトは思い出した。

 あの時――瑗真ショウ・源らに囲まれ、絶体絶命の窮地になった時――ショウは少年に問い掛けた。今ここで死ぬか、まだ生き延びたいか、と。

 人の勝手で生き死にを左右されることに対して憤っていたのだ。恥辱の生を選ぶことを良しとしないかもしれない。そう反発されれば、自分たちの命は無いな、とサイトは思った。

 だが、どういう心理なのか、オウはサイトの予想にない事を言った。

「ダロル・シンとなる」と宣言したのだ。

 綜と瑗、煌の地にまたがっている、昂国最大の湖がダロルである。そして、昂国全体を囲む円を描くと、その中心にダロル湖は位置している。ダロルの芯にいる者、ダロルの主とは、つまり、昂国全体の中心にいる者でもあり、全ての民の真となる者なのである。

 遥か昔から、いつかそのような者が現れ、人の世を統一すると言い伝えられている。その解釈には諸説あり、国々を制覇して唯一の支配国を創建する者であるとも、古の英雄コウ・ウのように民をまとめ導く者であるとも言われている。

 実際に全土統一という大願を掲げて、他国と闘った者は過去にも大勢いる。有名なのは、ガソウ・シイ・()と、デマムン・タグ・(てん)

 それぞれ綜、瑗から独立を宣言し、全土統一を掲げて闘った。だが、ガソウもデマムンも、威勢良く周囲の地を併合したのは良いが、いずれもそこで勢いは尽きている。拡大した領土を治めきれず、反乱を呼び、自国の力をも衰弱させてしまい、再併合の憂き目に遭ったのだ。

 サイトは、過去に統一を願って闘った者達の話をソンヴから聞いていたのだが、彼女はそうした者を否定的に見ていた。

 この島には複数の民族が住み着いており、その地域毎で独特の文化を形成している。それらを無視して強引に一体化してしまおうとする発想は無理があると、常々ソンヴは言っていた。サイトも同意見であった。

 無謀な挑戦を試みれば、我が身を滅ぼす結果に終わる。そういう教訓を示すものとして、ダロル・シンという名が使われることもある。

 それなのに、自分の命すら風前の灯火という状況で、オウはこの馬鹿げた宣言をした。真剣な顔をして大言を吐くオウの姿は、ショウのツボに嵌ったらしい。瑗の主は、ひとしきり大笑いして、言った。

 ―――ならば成ってみよ。その夢の果てで、お主が如何なる顔をしているか、見てみたい、と。

 驚くべき事に、本当にショウは追っ手もかけず、オウを自由にした。


 生き延びた四人と綜都へ向かう途中、サイトはショウの言葉を信じ切れなかった。これは真の戯れなのか。あるいは、また何か裏の意図があるのかと、勘ぐっていたものだった。


     *


「これを見よ!」 と、グラクは大声をあげた。

 グラクはある男の背後に忍び寄り、喉元に刃を当てた。自由を奪ったあと、これ見よがしに仮面を剥ぎ取って叫んだ。

 オウ・青に酷似した容貌を目にして、真穿の動きが止まった。

 グラクは、この仮面の男にねらいを定めていた。何者であるかの確信はないが、あの時、これは使えると感じた。

 誰の指示かは分からないが、射手が敵の隊長と思しき者を狙った時だ。命中はしなかったが、男の仮面が剥がされる事態となった。その際、一瞬ではあったが、見られてはならない者を見られた、という緊張が周囲に走っていた。

 彼は統士としては幼く見えるが、それでいて、手練の多い大隊に参加している。身の振舞い方からして家格が高そうで、どことなくオスト・青に似ていなくもない。ありえないことだが、賭けて見る価値はある……。

 それからグラクは、供を振り切り、単独で敵陣に潜入した。見咎められず密かに彼に接近するため、防具を捨て、身一つの費奴(びど)のように振る舞った。その危険な綱渡りに成功して―――。

「最も大切な者の命は、我が手中にある! 握り潰すか否かは、貴様ら次第だ!」

「何を言っている? そんな若造の一人が、なんだというんだ!」 と、すかさず若い男が叫び返して来る。

 あのシントを先導して逃がした小隊長だ。奴は侮れない、とグラクは見ていた。その男が、間髪を入れずに反応して来た。

 有能な男なのだろうが、まだ若い。否定するのが少し早すぎる。出来るだけ早く否定しておきたい、それほど意識してもらいたくない対象だ、ということが、返ってはっきりした。

 グラクは、あえて追い詰められた風に振舞った。

「試してみるか? 俺が間抜けなら、単なる若僧が一人いなくなるだけだ。お前らが間抜けなら、国の支えが無くなるだけだ!」

 どうだ? とグラクは反応を見る。彼らは黙り込んでいる。ただの一統士ならば、そこまで躊躇しない。当たり、か。

「どうした? 何故迷う?」

 いいぞ、迷え、とグラクは思う。幹隊全体を立て直し、追撃に適切な形と速さを決める。その采配をするための時間が必要だ。時を稼ぐには、迷わせ、足を止めるのが一番だ。

 これは烙道(らくどう)、つまり統道に悖る行為である。それは分かっているが、とにかく使えそうなものは使うしかない。

 グラクは統士ではないとはいえ、このまま帰れば、ソトロを失った事を咎められる。なりふり構っていられない。

「―――確かに、迷う必要はないな」 と、落ち着いた声が割り込んできた。ソトロを討った男か、と思うと、瞬間的に感情が昂ぶる。

 まだ若いが、彼が大隊長であるらしい。希人ということだろうが、自分を手玉に取ったのは、この男だろうか。

 見当違いの愚行をしているグラクを見て楽しんでいるかのように、彼はうっすら笑みを浮かべていた。サイト様、と嗜める声がかけられていた。

「やればいいさ」 と、その男、サイトは、事も無さげに言う。「ただし、覚悟を決めてからだぞ。敵陣深くでたった一人、その上で人質を失えばどうなるか、言うまでもないよな?」

「あぁ、何もせずとも、どのみち俺は死ぬ。だが、良いのか? シントを失うのだぞ」

「それが、どうした?」 と、呆れたようにサイトは答えた。「ただの間抜けが死ぬか、間抜けのシントが死ぬか。どちらにせよ、間抜けが一人死ぬ。ただそれだけだ。それが、どうしたと?」

 サイトは、まるで恐れていないかのように近づいて来る。このまま、ソトロが斬られた時と同じように、無造作に始末されてしまうとグラクは感じた。

 迷った挙句、若者の拘束を解いて投降することにした。グラクは地面に膝を付き、項垂れた。



 開放された若者は、悠然としてサイトの元へ向かい、顔を顰めた。

「誰が、間抜けだと?」 と、青年は不満そうに言った。

「演技ですよ、もちろん」 と、サイトは声を抑えて答えた。「貴方は単なるキョウの費奴(びど)という設定です。最後まで演じてください」

 キョウとは、国に属することを拒んだ流浪の民を言う。階を持たず、無積でいるため、費奴と蔑まれ使役される。

「私がキョウか。費奴が国を仕切るというのは、面白い話ではないか」

 グラクの耳は、その小声のやり取りを聞き取った。真実を察して、表情が変わる。

「私は、騙された―――!」

 グラクは激怒して、食ってかかろうとした。その背後から、急に声がした。

「―――そんなに怒ることじゃ、ないですよ」

 不意を突かれ、グラクは動きを止めた。

 影のように、真後ろに誰かが、いるではないか!

「どうせこの世は、嘘ばかりじゃないですか」

 グラクにだけ聞こえる程度の静かな声が、実に恐ろしかった。

「う、嘘だと……」 と、乾いた喉から、ようやく声を振り絞った。

「そう。偽りがお嫌なら、真実の世界へと、案内しよう。この、()・サガン・()が―――」 と、グラクの耳元で男は囁く。

 グラクがその意味を考える間もなく、背中に猛烈な痛みが生じた。灼熱の塊が肉の間に差し込まれ、その激痛にグラクは悶絶した。

「世界は、本当は、嘘も苦悩も、何もない所だ―――」

 ぐりぐりと剣を押し込んでくる非情さとは裏腹に、背後の声は優しく教導的である。

「そら、そろそろ見えるはずだ、真実の世界が。―――嘘など入り込む余地のない、純粋な世界。何もかもが平等な、真っ黒な世界が、見えてきただろう?」

「い、嫌だ……。やめてくれ……」

「いや、むしろ、真っ白か? 何にせよ、それが真の世界だ。普段は、余計なものを見ていただけだ。……まぁ、それが分かる頃には、もう二度と、戻って来られないのだが―――」

 それがグラクの意識が拾った最後の言葉となった。男の言う通り、グラクの瞳はもう何も映していなかった。


     *


 まだ大軍が残っていたが、河津攻団は意思の統一を図れる者が居らず、個々で勝手に動いていた。そのおかげで、真穿は上手く逃げ延びる事が出来た。

 少数で大軍とやりあったため、被害は少なくない。だが、グラクが単独行動を取らず、全体の指揮を優先して追撃をかけてきたら、あわや壊滅という損害を受けていたかもしれない。その点、上手く行ったと言えた

 南に逃げたオスト・青らは、別の大隊と合流した。河津攻団はしつこく追って来たようで、相当の犠牲が出ていたが、何とか逃げ果せた。

 戦地を脱すると、サイカクらは声の大きさを取り戻した。真穿は確かに果敢に闘ったが、救出には至っていない。内からオストらが協調して来なかったら、突破は無理だっただろう。その決断をしたオストは素晴らしい、と言っている。

 まさかシントを焚き付けて死地に向かわせたとは言えないので、真穿もこの点は黙っている。オストとしても、不甲斐なく囚われかけたという失態を取り消す為に、美談が必要だった。ゆえに、真穿は協力したものの、脱出はシントの自力によるもの、という所で落ち着いた。

 サイカクは、追撃を振り切った功を主張していたようだが、その声は小さい。彼自身にも後ろめたい事がある。シントに気に入られたいばかりに、無茶な要求を通してきたこと、それに一度主を見捨てて側を離れたこと。この点を追求されないよう、サイカクは自身に関することは短めに抑えた。



 緒戦が終わった所で、総合的にみれば、河津と痛み分けといった所だった。

 幹隊の一つは数的に均衡していた事もあり、大差は出ていない。

 また、綜守団将テイスグ・傳が直接指揮する幹隊は健闘して、河津攻団に痛手を負わせ、撃退に成功していた。幹隊副将を支える二人の若手大隊長が目まぐるしい活躍をしたと言われている。

 結局、シントが関わった幹隊だけが損害を出した。ただ、幹隊長への叱責は重くはならなかった。シントに振り回されても、取り囲まれても我慢し、無事逃がすことができた功による。元々彼らが目立ちすぎており、そのため、ソトロ幹隊にはできうる限りの手勢が割り振られていたことも後に分かった。

 かくして対河津の緒戦は、辛くも大敗を免れた形で終わった。



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