迫り来るもの
8
北から攻めた真穿本隊の方は、ざっと見た所、一割強が脱落していた。一時は撤退かと思われたが、そこから粘りを見せた。
北側にいた河津攻団としてみれば、北と南を合せれば、ほぼ同規模の綜守団に攻められていることになる。その上で、背後からトゼツらが突撃してくれたので、どうにか壁を貫く事が出来た。
サイトは、勢いのまま敵中を蹂躙していた。前から後ろからと攻め立ててられ、攻団は大分混乱している。その機に乗じて、どれだけかき回し戦意を奪えるか。どれ程の主要な人物を落とせるかが、離脱の安全を高める。
ソンヴの予想によると、ここにいるだろうと言うことだが、どれがその人物だろうか。立て直しされそうな所があれば、真っ先にそこに駆けて行き、指示を出そうとしている者を狙った。
ちらと、南側に目をやる。トゼツやクウー達に続いて、残りの者達も付いて来ている。サーカとかいう曲者と思われる若者は見当たらないが、トオワという真面目そうな小隊長はいた。引き込んでおいて何だが、少しほっとした。
それから、最後尾をこの戦の功労者がやってくる。視線が合った瞬間、リェンは短く頷いた。
サイト達は、この戦場をずっと見守っていた。
シントの横暴とその後の最悪の事態を見越して、彼らの動向を監視していた。案の定、オスト・青は守団の足を引っ張り出した。
シント一団がもたもたしている姿と、攻団の動きを見ていたソンヴは、これはまずい状況になると踏んだ。即座に介入し、救い出すのかと思われたが、ソンヴは別の指示を出した。
単純に力押しだとこちらも巻き込まれて大きな損害を出すと予想したのか、それとも、多少はシントに痛い目を見てもらおうとしたのか、どちらかは分からない。その点に触れると、そら恐ろしい笑みが返って来るのだ。
ソンヴの対処は、誰か信頼できる者達を、シントの側に送りこんでおく事だった。現場で適切な判断ができる人材が求められるが、死地となる可能性が極めて高い任務だ。リェンほど適任者はいないが、命令するのは躊躇いがあった。
結果、リェンは上手くこちらの意図を伝え、足並みを合せて行動してくれた。頭の硬いシントと側近達を、よく説得できたものだ。自分にはきっと出来ないことだ。彼が小隊長として付いて来てきてくれて、本当に助かったとサイトは思っている。
「き、来た! 来たぞぉ。止めろ、ここで止めろ。怯むなぁ」 という、上ずった声が耳に入った。
―――いた。サイトは、目標とする人物を見つけた。
考分のグラクが仕切っている所から、攻団を任されているが、実権を与えてもらえない。自ら先頭に立ち皆を引き込むほどの腕も無い。退き時を理解せず、折れる事を良しとしない。狙いは、そんな人物だという。
サイトは迷いなく、その若者に向かって行った。
一直線にやって来る敵がいると気付いた途端、若者は凍りついた。周囲の者達は、彼の指示など待たずに迎撃に動いた。周囲にいる者達は戦慣れしている。前線ではなくこんな所に張り付いているということは、護衛に残れと命じられているのだろう。
「怯む、か。そう口にしたということは、認めているということだな―――」 サイトは言いながら、軽く敵をいなしつつ、一気にその間を詰めていく。
「―――俺達が、怖いと」
その通りだと認めるかのように、「ひっ、ひぃぃ」 と、若者は情けない声を上げた。
ソトロ様、と慌てて護衛が、サイトの進路を防ごうと割って入ってくる。上等な装備とそれなりの腕前からして、大隊長の一人かもしれない。だが、サイトの敵ではなかった。
軽く障害を排除して近寄っていくと、ソトロと呼ばれた者は、若いというより、幼いと思えた。大層な武具を揃えて纏っているものの、鍛えた形跡が一切見られず、そこらの統士に比べると際立って脆弱である。
ソトロは、落とすまいとするかのように、両手で大事そうに小剣を握り締めていた。
「う、うぅぅ!」
間近に迫ったサイトに向かって、ソトロは小剣を突き出してきた。腰が引けた体勢なので、十分に体重を乗せられていない。
サイトは、必要以上に強く、そのひ弱な攻撃を振り払った。弾き飛ばされた小剣は遠くまで飛んで行った。
硬直したソトロに向かって、サイトは剣を突き付けた。切っ先にこびりつく血に死を感じたのか、ソトロはただ震えていた。
「―――河津攻団幹隊長、だな?」 と、サイトは低く重い声で言った。
「う、うぅぅ」 と唸るソトロは、顔が真っ赤になって歪み、眼の端に涙が滲んでいた。
サイトは、少し間を置いて、少し語調を弱めて言った。
「まだ生きていたい。そうだよな?」
「だ、誰が。……とっ、投降など、しない……」 と、ソトロは震える声で言った。ただ、言葉とは裏腹に、口元には緩みが見えた。命だけは助かりそうだ、と安堵したのが見え見えだった。
荒々しい気配を伴って、サイトの後ろに誰かが近付いて来た。寄ってきたのは、クウー・骸だった。浅黒い顔に、ずんぐりした体格で、古い毛皮などを着ているので、見た目は小さ目の熊に思える。
彼を良く知るサイトには、捕虜を縛る手伝いに来てくれたとは思えない。彼は血に染まった小斧を両手に持っている。
「おい、言っておくが、こいつは――――」
クウーは歩調を緩めずサイト達の側まで来て、無造作に斧を振るった。驚愕の表情を浮かべたまま、ソトロは倒れていく。自分の身に何が起きたか、最期まで分からないままだろう。
「……クウー、お前」
「心を止めるな」 と、そのまま地に伏した小男には頓着せず、クウーは答える。「まだまだ暇そうにしている奴らがいる。皆平等に構ってやらないと、可哀想だろう」
「……ああ、分かってる」 と、サイトは頷いた。ソンヴの指示は幹隊長の排除で、それによる混乱を求めている。敵の頭を連れていては、真穿を逃すまいとする執着は途絶えず、離脱が困難となる。それは、サイトも承知していた。
最後に一度だけ、すでに絶命しているソトロを見下ろした。
やはり幼い。真面目すぎる性格が災いのだろうなと、しばし思う。
同時に、その死に顔をどこかで見たことがある気がした。全く見知らぬ顔だが、誰かと重ねてしまっているのだろうか。小賢しさが前面に出ていたときは、サイカクのそれに近い気がした。切り捨てられたことを信じられないかのような、この唖然とした顔。これは誰の……。
サイトは気持ちを切り替え、その哀れな小男の事を頭から消した。
*
トオワがその動きに気が付いたのは、偶然だった。
目まぐるしく動いていたサイト・成が止まった気がして、その姿を探していた。
すぐに見つかったが、その瞬間、トオワは駆け出した。
何者か知らないが、サイトは地面に倒れた男に視線を落としている。悼んでいるようだが、僅かな間であろうとも、戦場では迂闊な行為といえた。
その彼を狙う射手が、いた。弓が引き絞られているが、それに彼は気づいているのか。あの様子では、無理かもしれない、とトオワは思った。
空を切る音が聞こえた。目で追う余裕は無いが、矢が放たれたのだ。サイトの背に向かって、トオワは勢いにまかせてぶつかろうとした。
何故か、彼は失ってはならない人だ、と感じていた。不思議な事だが、つい先ほど会ったばかりの他人を、我が身に代えてでも、と思ったのだ。あえて言うならば、倒れた敵を悼んでいる所を見たからだろうか。
彼を押して、危険から逃そうとした。ところが、その直前で、くるりとサイトが振り返った。接近を察知されたのか、反射的な行動か。ついでに叩き切られるような気がしたが、サイトはさっと身をかわした。
目標が動いたことで矢は逸れて、地面に突き刺さった。この勘の良さと反応の速さならば、何もせずともかわせたか、と今さらながらトオワは思った。
ただ、トオワの方は勢いがついているので、すぐには止まれなかった。さらに不運なことに、そのすぐ先に人がいた。
ふいに突進してくる者が目に入り、その男は身を強張らせた。その顔が、仮面の下に隠れていなければ、ぎょっとした表情が見えたはずだ。
真穿と共に現れ、シントに向かって遠慮の無い発言をしていた男だった。
「あっ……!」
トオワは辛うじて激突を避けたが、わずかに接触してしまった。その衝撃で、仮面が外れてしまった。
「――え?」
その露になった素顔を目にして、トオワは驚きの声をあげた。
これは―――。
いや、まさか。しかし、この顔は忘れられない――――。
トオワは混乱し、男を凝視してしまう。
間違いない、彼は……。いや、あの方が、こんな戦場にいるはずがない―――。
綜統国の主、綜真オウ・青。
その名を口にしかけて、トオワは立ち尽くしていた。