駆け、引き
3
先手を打たれたからか、興奮状態で押し寄せてくる姿に怯んだからか、河津攻団の動きは整っていなかった。小高い丘の上という地形の利を活かし、まずは距離を詰められる前に矢を放つ者もいれば、こちらの熱気に応じて興奮し、駆け下る者もいる。
出足が遅れたトオワも戦線に加わった。所属する大隊は、先端に腕に自信のある猛者達を配し、遅れてその補助をする部隊が斜め後ろに続く。トオワの指揮する隊は中央におり、その後ろに大隊長バイローが位置している。
一見、こちら側が押しているように思えた。前へと流されつつ、トオワは慎重でいようとした。これはあくまで一時的な圧倒で、長続きはしないかもしれない。進退の機を測り間違えると痛い目を見る。
ふいに、敵の抵抗が緩んだ気がした。これは、敵の陣形が大崩れしたということだろうか。それとも、わざと退いて、その先で待ち受けるつもりか。
異変は大隊長の元へと通達されているはずだが、何の反応も返って来ない。見極めに慎重になっているのだろうか。
指示がないため守団の足は止まらず、退き始めた攻団をそのまま追いかけてしまう。なだらかな坂を越えると、登り切るまで先の状況を見通すことはできない。
トオワは、嫌な気分になった。早くここを突破して、その先が見たい。しかし、中々辿り着けない。先ほどよりも、敵の抵抗が強まっている、ということだ。
「―――嫌な感じですね」 と、後ろから声がかかった。
トオワは振り返らずに、サーカか、と答えた 。勝手な奴だと思った。彼の小隊はもっと後方にいるはずだ。
「誰かが突き崩さないといけない。でも、その前に横を見てください」
「横?」 と訝りながらも、トオワは左右を素早く見渡した。横には、味方がいる。それがどうしたのだと言いかけ、不思議なことに気づいた。
トオワの隊よりも後方にいるはずの隊が横に展開している。そういえば、サーカにも、追いつかれている……。
「なんだ、これは―――」
陣形が全く維持できていなかった。先端が滞り、中央がその背後に詰まっている。左右にいた者達はさらに横に流れ、前へ進もうと抵抗の少ない横へと広がっている。
トオワは、後ろを振り返った。
大隊を指揮するバイローは過剰なほどの保身を図る。普段は最奥にいて、戦線に近付こうとしない。その彼が今、すぐ近くまで近付いてきている。そのせいで横に流れざるを得なかったのだろう。
さらに、バイロー本隊の後方に、のこのこと付いて来ている一団が目に入り、眩暈がしそうになった
「だからか―――」と、トオワは唸った。バイローの命令が遅いのも、いつになく押してきたのも、このせいか。
「止まれ! 退んだ!」 と、トオワは大声をあげた。しかし、その声にすぐに応じてくれる者は少なかった。
下る勢いに乗れば、罠があろうと何のこともないと、反対の声すら上がった。年若い部隊長が尻込みしている、という空気があった。
敵はもちろん、できるだけ味方にも気付いて欲しくなかったが、仕方が無い。トオワは、あれを見ろ、と言って、後方を指差した。
そこには、とっくに離脱してくれていると思っていたシント達が、のこのこと死地について来ていた。
「死にたいのか、あの馬鹿は?」
敬うべき人物に向かっての暴言も聞こえた。実の所、トオワも同じ気持ちだったので、それは聞き流すことにした。
トオワ達は陣形を整え直そうとしたが、敵はこの動揺を待っていたようだ。
坂の向こうからの増援が次々と現れ、しかも、こちらの間延びしきった戦線をどこで貫くかを定め、そこに戦力を集中させて来た。やはりただ退いたのではなく、この状況を狙って、一旦下がっていただけ、ということだ。
戦線に幾つも穴があき、そこから敵が留めなく抜け出て来る。大隊ごと大きく囲うのに十分な数の敵が揃うまでに、時間は掛からないはずだ。
しかも、敵の一部が大隊に手を出さずそのまま駆け抜けていく。随分と足が速いが、これはまずシント達の足止めにと送り込まれたものだろう。
前には進めないし、後方・側面を抑えられては、シント一行に逃げ場はなくなる。彼らを守らねば、と幾つかの部隊が駆け寄ったが、逃がすまでには至らず、そのまま中に囚われてしまった。あっという間にシント一行は囲われ、その厚みは容易に突破できないものとなっていた。
ただ、シント確保に意識が集中しているようで、散り散りになって逃げ出そうとしている他の隊の追撃はそれほどではなかった。
バイローはとにかくこの場を逃げ出す事を選択した。屈辱的ではあったが、居残ったとして何もできない。トオワも、今はここを去ることにした。