林檎
カランの里が入っている森は、ブンザバンザの故郷周辺とは様相がまるで異なるものだった。
ブンザバンザの故郷の森は、真っ直ぐ伸びる背の高い木が間隔を空けて並び立ち、その隙間に背の低い植物が寄り添うように生えていて、どちらかと言えば風通しの良い森だった。
一方現在ブンザバンザ達が進んでいるこの森は、鬱蒼としたという言葉が何より相応しい。
まず、木が太い。ブンザバンザの故郷の木の幹は彼が両手で囲めるくらいのものだったが、今いる森はそれの五、六倍の太さの木がそこらじゅうに生えている。ねじくれたような、ある種おどろおどろしい見た目の巨木からは人の胴体ほどもある根がいくつも張り出し、足を取られるほどの凹凸を地面に生み出していた。
地面は深緑の苔がびっしりと覆っていて、獣が通った後であろう場所だけが掘り返されて土を露出しているようだ。土は黒く湿っていて、内に含まれる豊富な栄養の匂いがブンザバンザの鼻を絶えず刺激する。
それとは別に鼻に届く甘い匂いは、嗅いだことがないがきっと果実のものだろう。巨木の他にも人の背丈くらいの低木が何種類も乱立し、それらの何割かは目に明るい赤や黄色の実をぶら下げている。
「これは、何ともすごい森だな・・・」
「そうか?」
「故郷と生えてる植物が全く違う。こんな森があるもんなのか・・・」
「私はここ以外の森をほとんど知らないからなあ、なんとも反応に困るが」
「これはカランがいなかったら迷いそうだな。こっちの方向であってるのかい?」
「ああ、このまま真っ直ぐだ。もうすぐ泉が見えてくるから、そこで一度休憩しよう」
真っ直ぐとは言われたが、先を見通すのが難しいほどに植物が茂っているのでそれらを避けるようにじぐざぐに進む。
背が高くて体力もあるタロは障害物の多さに鬱陶しそうにしてはいるが何とか進めている。普通の馬ではこの森に入って行くこと自体厳しそうだ。
「これを追われながら走って抜けたって言うんだから、カラン、あんた相当体力あるんだな」
「ふふ、ありがとう。怪我さえなければ、里で一番足が速い自信があるんだ・・・いたた」
「大丈夫か?」
「ははは、なんてことないよ」
一瞬痛みに顔を歪めたカランだったが、すぐ笑顔を作ってみせた。
彼女の怪我に響かないよう、タロの進む速度はゆっくりとしたものにしている。それでもカランが想定していたよりもずっと早く進むことができていた。
理由はタロの特性だ。霊馬は通常の馬が求める休息や補給をほとんど必要としない。生きる上での消耗を『魔』に減らしてもらっているのか、他の馬達を超える巨体であるにもかかわらず水や食糧、睡眠すら他の馬達の何分の一かという量で足りてしまう。
野営した場所から今まで、ブンザバンザとカランを乗せて進むタロは一度も足を止めていない。それでもタロ自身はまるで散歩でもするように疲れの欠片も見せないのだ。
ブンザバンザはこのことにすっかり慣れてしまっていたが、カランは大いに驚いていた。
「お、泉ってあそこか」
やがて辺りに水の匂いが漂い始め、視界の奥に明るく開けた場所が見えてきた。
小さな泉だった。水浴びはできそうにないが二人と一頭がたっぷり水を飲んでも問題なさそうなくらいの水量だ。見ると水辺の岩の上に木製の桶が五、六個逆さに置いて干してある。これから行くカランの里の住人も利用している場所のようだ。
「まだ陽が高い、こんなに早くここまで来れるとはな。これなら陽が落ちる前に里に着けそうだよ」
「そうか、じゃあ一先ず休憩だ。何か食べられる実でも取ってくるから、タロと休んでてくれ。ここには魔獣は来るか?」
「来ないことは無いが、害のあるものは少ない。大きいのが来ても気配で分かるよ」
「まあ何か感じたらすぐ戻ってくる。槍を一本持っていくけど、危険があったら残りは使っていいからな」
そう言って、ブンザバンザはタロの鞍に括り付けてある槍筒から、一本だけひときわ長い槍を抜き取る。
「わかった。ところで、何故こんなに槍を持ち運んでいるんだ?十本近くあるが」
「基本狩猟用だ。ぶん投げて使う。この一本だけ長いのは振り回す用な」
「弓は?」
「加減がわからなくて壊しちまうんだよ。だから投げ槍に変えた」
「そんな話生まれて初めて聞いたぞ・・・」
カランが困ったような顔で笑っている。ブンザバンザはタロに顔を向けた。
「やばくなったらカランを乗せてやってくれよ」
そう言って背中をぺしっと叩くと、タロは落ち着いた様子でこっくりと頷いた。
「あちこちになってた赤くて丸っこい実、あれ食べられるやつか?」
「ああ、美味しいぞ。私も良く食べる」
「よし。じゃあ行ってくるよ、すぐ戻る」
一人と一頭を水辺に残して、ブンザバンザは長槍を手に食糧を探し始めた。と言っても話に出ていた赤い実は道中数えきれないほど見かけたので大して苦労するとは思っていない。
それにしても、と周りをきょろきょろ見渡す。彼の知っている森とは何もかもが違う。木も草も苔も見覚えのない色や形をしている。時折視界を掠める羽虫は何という名前だろうか。
しばらく甘い匂いを頼りに茂みをかき分けて進んでいると、やがて真っ赤に熟れた実を沢山つけた果樹を発見した。その木の前まで来たブンザバンザは、手近にあった大きな実を一つもぎ取る。知らない見た目の実だがカランは良く食べると言っていたから大丈夫だろう。試しにその場で一口齧ってみる。
「お、美味い」
しゃくしゃくとした瑞々しい食感の後に、すっきりとした甘さが口の中に広がった。そのままじゃくじゃくと食べ進め、あっという間に真ん中の芯だけになった。すぐに次の実を手に取り思い切り齧りついた。これなら何個でも食べられそうだ。
熟れた実はまだいくつもなっている。タロも食べられそうなので、これを食べ終わったら手一杯にもいで行ってやろう。
「美味い美味い。こんなのがうちの森にもありゃ・・・・・!」
すん、と鼻から鋭く息を吸う。何か、複数の生き物の臭いが空気に混じった。獣臭ではなく、人の汗のような臭いだ。
果実を齧るのを止め、動きを最小限にして周囲の気配を探る。長槍を握る右手に力が入った。
もし人だとしたら、カランの里の住人だろうか。魔獣に害をなすと言う、謎の集団だろうか。
ゆっくりと周りを見渡す。臭いは複数するが、姿が見えない上に足音や話し声が聞こえない。空気が張り詰めたような感じがする。
「・・・・!!」
突然『魔』の匂いが濃くなったのを嗅ぎ取り振り向く。ブンザバンザから少し離れた位置に生える巨木、その樹上が赤く輝いたかと思うと、なんとブンザバンザの頭ほどの大きさの火球が複数、真っ直ぐ彼に向って飛んできた。
「うおおおっ!?」
咄嗟にその場から飛び退くブンザバンザ。直後にどん、どんっと耳に響く音を立てて数舜前に彼が立っていた地面が弾け飛んだ。見ると弾けた地面が黒く焦げ、周囲には火の粉が舞っている。
ブンザバンザは火球が飛んできた場所から身を隠すように近くの木に走り寄った。
「なんだなんだ・・・!?」
気付けば複数の気配は分散し、ブンザバンザの周りを取り囲むように広がっている。
やがてあちこちの茂みから人影が姿を現した。
薄い褐色肌、黒い髪、黒い瞳。カランによく似た特徴を持つ男女が九人。見た目の老若は様々だが、多かれ少なかれ全員に『魔』の匂いが漂っている。カランほど濃い匂いの者はいないが、皆カランと同じ精霊人だろうか。全員が剣や槍、弓矢で武装し、それらをブンザバンザに向けている。目には敵対の色がありありと見て取れた。
「あんたらは・・・」
「逃がさんぞ、汚らわしい賊めが!」
ブンザバンザが問おうとすると、それを遮るように男の怒声が響いた。声の方向に向き直ると先程火球が飛んできた樹上から人が飛び降り、剣を手にゆっくりと近づいてきている。目つきの鋭く、冷たい印象の男だった。