小騒
「森の方からか・・・お?」
先ほど向かおうとしていた森の方から、血や汗の臭い、それに肉が焼ける匂いを漂わせ影が二つ、こちらに向かって走ってくるのが見え、ブンザバンザは鋭く目を凝らす。
走ってくる二者の内、手前を走る姿は人型をしていた。やや薄い褐色の肌や振り乱される長い黒髪はブンザバンザと同じ豚人と似たものを感じさせたが、まだ遠目なので顔立ちはよく見えない。
胴体に革の鎧のような服を着、片手に長剣を握っているところを見るに戦士か何かだろうか。空いている手は逆側の肩を押さえ、走り方も若干ぎこちない。負傷しているのだろう。
対してそれより奥から手前の人物を追うように現れた存在は、先を走る者の五倍近い体格をしている。
頭から足先まで全身青っぽい長毛に覆われた猿のような獣で、タロの体躯の二倍ほどもある太い両腕で地を突き、まるで抉るような四足走行で前方の人物を追っている。体のあちこちに焦げ跡があり煙が上がっているが弱ってはいないようで、伸び放題で顔を覆う青毛の奥から赤い眼光が覗いている。
「『怒れる木の鬼』か。でかいな」
故郷の森で稀に見る魔獣だ。ブンザバンザの槍を握る手に力が入る。
ブンザバンザの故郷では獣とは別に、成長や生存の術を『魔』に頼る動物を魔獣と区分している。もともとそういう種の生き物として生まれるものや、普通の獣だったが何かのきっかけで世界に漂う魔を取り込み魔獣に変化するものなど色々いるが、共通するのは普通の獣よりも遥かに優れた生命力を備えるという点だ。数自体は普通の獣ほど多くないが知能が高い個体や攻撃的な個体もいるため、ブンザバンザの故郷では発見されたら狩人達が集まり、人の生活圏から離れるよう追い立てたり場合によっては狩猟したりする。いずれにせよ接する時は油断してはいけない特殊な生き物達である。
「そこの方ぁ!乗せてくれえぇっ!!」
遠くから微かに聞こえる声は手前を走る人物のものだ。こちらに気付いたらしく走りながら手を振っている。
遠目でよく見えなかったが声色を聞くに女性のようで、台詞を聞いた限り追われているのは確定だろう。
女性の走る速度は怪我のせいかあまり速くない。怒れる木の鬼の速度は女性よりずっと速いので、このままでは追いつかれるのは時間の問題だ。
故郷を出てから初めて他人を見つけたブンザバンザとしてはもう少し穏やかな出会いが良かったと思わなくもなかったが、危機を認めたからには力を貸さねばなるまい。
「タロ、あの人を乗せるぞ!」
ブンザバンザがそう言うとタロはぶるると短く鳴いて自ら進路を変え、女性と魔獣が走ってくる方向目掛けて強く駆け始めた。ブンザバンザは走りをタロに任せ女性に向かって大声で意思を伝える。
「手を貸す!もう少しだけ頑張れ!!」
タロの全速力によって女性との距離はみるみる縮まっていく。これなら程なく女性を拾って引き返し、魔獣を振り切って逃げることが出来るだろう。
ブンザバンザは出来ることなら魔獣を殺さずにこの場を離脱したかった。魔獣は敵対すれば危険な存在だが、個々が強力故に生態系に大きく関わる生き物でもある。無闇に殺傷しては周囲の環境にどんな悪影響があるか分からないのだ。
ブンザバンザも故郷で「魔を軽んじては森を荒らす」と年長者達に教えられたものだ。
そう考えている間にも距離は縮まり、逃げていた女性とお互いに顔が見えるあたりまで近づいた。
女性の表情には色濃い疲労と僅かな安堵が見える。が、こちらの顔を認識したらしいところで、急に表情を強張らせ足を止めてしまった。
ブンザバンザは不審に感じたが、あまり悠長にしている時間はない。構わずタロを走らせ、すぐに女性のそばに到着する。女性は先ほどとは打って変わって、こちらを警戒するような目で見つめている。剣を握る手に力が入っているのが気配で分かった。
「豚人・・・」
「どうした、逃げるぞ!手を貸すから早く後ろ乗りなさい!」
「お前、森を荒らす賊の仲間か!」
「何?」
「森に入り魔獣の子を攫う者どもの一味かと聞いている!!」
「いや、俺は・・・ああ、とにかく話は後だ!」
そう言い女性に自分の後ろに乗るよう促すが、女性は応じるどころか僅かに後退り、両手で剣を握り前に突き出してきた。
「おい何をしてる!?急いで乗れ!逃げるんだ!」
「お前を信用出来ない!逃げるなら一人で逃げるが良い!」
「何を、その怪我で・・・っ!!!」
ブンザバンザは台詞を言い切ることが出来なかった。女性の後方少し離れた位置で、魔獣が地面を掘り抉り、小石の大量に混じった土が握られた手を振りかぶったのだ。
おそらくタロを見て追いつけなくなる可能性を感じ取り、礫での攻撃を考えたのだろう。賢い魔獣だ。
女性もこちらの視線が背後に動いたことに気付き素早く振り返るが、魔獣は今まさに礫の嵐をこちらに投げようとしている。彼女の怪我の様子では素早く避けることは出来そうもない。
「許せっ!」
「なっ・・・・・がっ!?」
ブンザバンザはタロを魔獣に気を取られた女性のすぐ横まで走らせ、自分は空いた方の手ですれ違いざまに女性の襟を掴んで無理やり馬上へ引っ張った。タロは速度を落とすことなく、ブンザバンザの指示を聞く前に自ら礫の射線から外れるように進路を急変する。
直後、女性が立っていた場所に致死の攻撃が飛来した。びゅんと風を切り拳大の石達が遥か彼方まで一直線に飛んでいく。地面を削って飛んだ一部の石によって、直撃を回避したブンザバンザ達にも大量の土と小石が降りかかってきた。
「止まるなタロ!!急いで離れろ!!」
ブンザバンザの声に応じ、既に普通の体躯の馬では追いつけない速度だったタロが更に加速する。タロの速度と走った後に広がる激しい土煙に混乱したのか、魔獣は動きを止め警戒するようにこちらを睨みつけていた。これならばもうしばらく全力で走れば諦めてくれそうだ。
「おいあんた、大丈夫・・・!」
「う・・・・・」
ここへ来てようやくブンザバンザは、小脇に抱えるようにしている女性の意識が無いことに気付いた。見れば額から真新しい血が流れ筋を作っている。どうやら地面から弾けた石かなにかが頭に当たったらしい。
「あんた、しっかりしろ!おい!」
「ぐ、あ・・・・」
「くそ!なああんた、しばらく辛抱しろ!安全になったら手当てするから!」
後ろを見れば、魔獣は遠く小さな粒になりつつある。もう追っては来ていないようだ。
まだ日は高い。もう少し離れたら、暗くなる前に落ち着ける場所を探して、女性の怪我を診なければ。
ブンザバンザは息を整え、頭を働かせ始めた。
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