Cafe Shelly 未来を見る男
今日もろくな仕事は見つからない。こうやって日雇いの仕事を探すようになってからどれくらい経つんだ? 三年前までは小さな印刷屋を営んでいた。が、やはり不況。こんな小さな印刷屋では誰も見向きもせず。なけなしの貯金はたいて、株をやっている友人に投資話にのってみたものの、詐欺同然に金を失い、同時に友人も消えて失った。失ったものはそれだけじゃない。その不始末に愛想をつかした女房と子どもまで失ってしまった。そして印刷屋も廃業。定職に就こうと思ったが、四十過ぎの何の取り柄もないオヤジを雇うところもなく。気がついたらこうやって職安を回っては仕事を探す毎日。派遣にも登録してるが、割のいい仕事はみつからねぇ。一日フルに働いても貯金なんてできやしない。
まぁオレの場合住むところがあるだけましか。今じゃ若い連中はネットカフェ難民だとか言って、毎日寝るのも苦労しているくらいだからなぁ。んとに、自分の未来がわからねぇ。オレ、このまま年とって朽ちていくんかなぁ。せめてオレに予知能力があって未来が見えてれば、あんとき株だって儲けることができたんだけどよ。あー、今日もつまんねぇ一日が終わる。また不安な夜を独りで過ごすのかよ。
「ちっ、結局今日は仕事にありつけなかったか」
こんな日は一人で街をブラブラする。とくにあてがあるわけじゃない。図書館で時間をつぶしたり、本屋にいることが多い。こう見えてもオレは勉強家なんだぜ。以前は成功を夢見ていろんな自己啓発の本を読んだもんだ。しかしどの本を読んでも、最後に行き着くのは同じ結論。まずはそうなる自分をイメージせよ。そんなの、何度もイメージしたさ。でも結果は今の通りだ。
さぁて、今日も図書館に…あ、今日は休館日だった。しっかし、九月になったというのにまだ暑いなぁ。こんなときはどこかの店に入って時間つぶし、といきたいが。実のところそんな贅沢をする金はない。まるで砂漠をさまよう遭難者のようにふらふらと足を運ばせる。自分でもどこに向かっていこうとしているのか、よくわからない。そこで踏み込んだある通り。ボーっとしていたが、なぜだか一気に目が覚めた気分だ。パステル色に彩られたブロックで敷き詰められた通り。夏だというのに、元気に花を咲かせる花壇が両脇にある。人は多くはないが、なんとなく元気を感じる。
「へぇ、こんなところがあったんだな」
オレはキョロキョロしながらこの通りを歩いた。そのとき、何気に目に入った看板。黒板にメニューが書かれてある喫茶店のやつ。ここで気になる文字を発見。
「明日の元気、みつけませんか?」
明日の元気、か。ぜひとも明日は元気になってみたいものだ。オレはしばらくその看板を眺めていた。が、その店に入るほどのぜいたくはできない。
そのまま立ち去ろうとしたとき、右側の路地に光るものを発見。なんだ? よく見ると五百円玉じゃないか。おっ、なんか運がいいな。本当はいけないことなのだろうが、今のオレには死活問題。このままポケットへ。そう思ったとき、さっきの喫茶店の看板が頭の中に浮かんだ。これでアイスコーヒーの一杯くらいは飲めるか。オレは五百円玉をグッと握りしめ、さっきの喫茶店へ戻った。
その喫茶店はビルの二階にある。階段をゆっくり上がる途中、女性客二人とすれ違った。なんか明るい顔をしてるな。オレもそうありたいものだ。
カラン、コロン、カラン
店のドアを開くと、心地よいカウベルの音。同時に
「いらっしゃいませ」
可愛らしい女性の声。見るとなかなかきれいな女性がにこやかに待ちかまえていた。ほう、これを見られただけでもついてるかもしれねぇな。オレは思わずにこりとしてしまった。
店内は思ったより小さい。窓際に半円型のテーブルと四つの席。このうち三つが女性客で埋まっていた。真ん中には丸テーブルに三つの席。ここではカップルが楽しそうに会話をしている。
「こちらへどうぞ」
オレは必然的に残りの四つあるカウンター席へ。ここも大学生らしいにいちゃんが一人で本を読んでいる。オレは一つ空けてカウンター席へと座った。ウェイトレスの女性がにっこりと笑ってメニューとお冷やを持ってきた。
「どうぞ。ゆっくりしていってくださいね」
そうか、オレには焦るほどの用事はないんだった。今日はここで時間をつぶすか。メニューを開くと真っ先に目に入った文字があった。
『今よりも幸せな気持ちになりたい貴方に』
「今よりも幸せ、か」
オレはふとそうつぶやいた。そのつぶやきがどうやら予想以上に大きかったらしい。
「お客さん、何か今心配事がありそうですね」
そうやってカウンター越しに声をかけてきたのは、ここの店のマスターらしい男性。中年で渋い声をしている。
「わかりますか?」
なぜだかオレはそう返事をしてしまった。誰かとしゃべろう、なんて思ってもいなかったのに。
「えぇ、今のお客さんの声がちょっと暗かったように感じたもので」
「暗い、か。やっぱりわかりますか…」
「何か悩みでも?」
「えぇ、恥ずかしながら今は定職についていないもので。派遣とか日雇いの仕事を探しながら過ごす毎日なんです。どうしても未来が見えなくて…」
ふぅ、とため息。ここで思い出した。
「そういえば下の看板に『明日の元気、みつけませんか?』ってありましたよね。それにこのメニューの『今よりも幸せな気持ちになりたい貴方に』。これってどういうことなんですか? コーヒー一杯で幸せや元気が見つかるっていうんですか?」
オレはちょっとムキになってマスターに問いかけた。
「あれを読んでいただいたんですね。ありがとうございます。そうだ、ご注文の前に一つおもしろい話をお聞きになりませんか?」
「おもしろい話?」
「はい、先ほど未来が見えないっておっしゃったので思い出したんです。『未来を見る男』って話なんですけどね。実はこの男、コーヒーを飲むことで未来を見ることができるというお話なんですよ」
そんなばかな。そう思いつつも、その未来を見る男の話は聞いてみたいと思った。どうせここで時間をつぶすにしてもやることはないんだし。
「じゃぁちょっとその話を聞かせて下さい」
「ではお話ししますね…」
とある街にあるとある通り。そこに疲れ切った中年の男が一人歩いていた。
「あ~、なんでこう商談がうまくいかねぇかなぁ。だいたいどうしてオレの読みはいつもはずれるんだよ。おかげで客の信頼もがた落ちだわ」
愚痴を言いながら一人ふらふらとさまよう男。そのとき男の携帯電話が鳴る。
「はい、安田です。えっ、キャンセルですか。はぁ、わかりました」
どうやらこの安田という男、お客さんとのアポがキャンセルになったらしい。
「ふぅ、このまま会社に帰ってもつまらねぇし。どっかで時間でもつぶすか」
そのときに目に入ったのは喫茶店。
「ここにでも入るか」
重くてどす黒い木の扉を開け中に入る。このとき、安田は一瞬ふわっと浮いたような感覚にみまわれた。もう季節は秋とはいえ外はまだ暑い。そんな中でクーラーの効いた店に入ったせいでくらっときたかな。安田はその程度にしか思わなかった。
「いらっしゃい」
縦長でカウンターしかない小さな喫茶店。その席数も八つしかない。おまけに客は誰もいない。薄暗い中、白いひげをたくわえた老人と呼んでもさしつかえのない男がカウンターに立っていた。
「お好きなところにどうぞ」
こんなときには性格が出るものだ。
「そいじゃぁここに座らせてもらうよ」
安田はカウンターのど真ん中、白ひげのマスターの目の前にあたる席に座った。どうやら安田は控えめという言葉を知らないらしい。
「どうぞ」
白ひげのマスターはカウンター越しにお冷やとおしぼりを差し出す。安田はおしぼりの袋をパンっとたたいて中身を取り出し、おもいっきり顔から首、そして腕まで拭いている。典型的なオヤジ族の儀式と言ってもいいだろう。
「オヤジ、アイスコーヒーをくれ、アイスコーヒー。ったくまだ外は暑いなぁ」
安田はイスにだらしなく座り、ぶっきらぼうに白ひげのマスターに注文を伝えた。
「お客さん、だいぶお疲れのようじゃな」
「あぁ、わかるかい。いやぁ、オレっち営業の課長をやってんだけどよ。部下は思ったとおりに動かねぇし、客もなかなか商品を買ってくれねぇし。おまけにオレの読みがいつもはずれてよ。客からの信頼もがた落ちなんだよ」
安田は聞かれもしないことをペラペラとしゃべり出した。それだけグチが溜まっているということなのだろう。
「なるほどな。どうりでお客さんの顔には疲れが出ておるわけじゃ。ところでお客さん、今何か力を一つもらえるとしたら、どんな力が欲しいと思うかな?」
「何か力を? おいおい、いきなり何を言い出すんだ。あんた神様かよ」
安田は笑いながら白ひげのマスターの言うことを一笑した。
「まぁまぁ、この老人の戯言と思ってつきあってみんか。どうじゃ、どんな力が欲しい?」
マスターも笑いながらではあるが、安田にしつこく問いかけてくる。
「そうさなぁ、おねえちゃんにもてる力、なんてのもいいな。でもどうせならもっと権力ってのも欲しいし。部長にはいつもやりこめられてるからなぁ。でもそんなんじゃつまんねぇぞ。お、そうだ、予知能力なんてのがあるといいな。次はどんなものが流行るか、とかどんな未来がくるのか、なんてのが見通せると、オレっちも危険を避けることができるし、お客さんにもいい情報が渡せるだろう。そうだ、この力を持ってればおねえちゃんにもモテるぞ。それにあの頭の固てぇ部長にも一目置かれる存在になれそうだ。よし、予知能力、未来を見ることができる力、これにしよう」
「ほう、なるほど、未来を見る力か。なかなかおもしろいではないか。ではおまえさんにその力を与えるとしよう」
「へっ!?」
マスターの言葉に安田は目を丸くした。そのとき、安田の目の前で信じられないことが起こった。
「えぇいっ!」
マスターが大きな声をあげたと思ったら、ポンッと白い煙が。
「おわっ、な、なんだ?」
白い煙がゆっくりと晴れると、その向こうには白装束で杖をついた老人がそこに見えてきた。
「おいおい、ど、どうしたんだよ?」
安田がめをこらしてよく見ると、その白装束の老人はさっきのマスターではないか。
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」
「い、いったいあんた何者なんだ?」
「ワシか、ワシはやる気仙人。お前さんのようにやる気を無くしておるやつに、やる気を出させるのがワシの役目じゃ。お前さん、名はなんと申す?」
安田はまだ信じられないものを見ている形相で、目を白黒させている。
「ほれ、おまえさんの名前じゃ」
「お、オレっちか。オレは安田ってんだ…」
促されるままに名前をかたる安田。
「そうか、安田か。ではお前さんが望んでいる力を与えてやるとしよう。確か未来を見る力が欲しかったんじゃな」
「そ、そうだけどよ…あっちゃぁ、昨日飲んだ酒が今頃効いてきたのか? きっとこれは夢に違いない」
そのとき、やる気仙人の杖が安田の頭をコツンとこづいた。
「痛っ、いきなりなにしやがんだ!」
「ふぉっふぉっふぉっ、これで夢でないことはわかったろう?」
「ま、まぁ確かに夢じゃねぇな。ってことは、あんた本物の仙人なのか?」
「じゃから言っておるじゃろう」
「ってことは、未来を見る力ってのを本当にオレっちにくれるってのかよ?」
「うむ。ただしいつでも未来が見られるわけではない。自分がこの先どうしようか、判断に困ったとき。そのときにこの店に来るのじゃ。そして今から出すコーヒー、これを飲むとよい。そのときに見える未来。それがお前さんが欲しがっておる未来の姿なのじゃ」
安田の目は突然輝きはじめた。
「じゃ、じゃぁよ、早速その未来を見るコーヒーってのを飲ませてくれよ!」
「うむ、焦るでない。しばらく待つがよい」
そういってやる気仙人はコーヒーを入れはじめた。安田はその様子をジッと眺めている。そして…
「ほれ、できたぞ」
カウンターにコーヒーが差し出されるやいなや、安田は奪い取るようにそのコーヒーを手元に引き寄せ、一気に飲み干した。
「ほれほれ、あわてるでない。で、何か頭に浮かんだかな?」
安田は目をつぶってジッと黙っている。しばし沈黙が続く。と、そのときであった。
「よぉし、そういうことか。これで次の商談はバッチリだ。わぁっはっは!」
「ほう、何か頭に浮かんだようじゃな」
「いやな、今から会う客によ、私は先の見通しがこうなっていると思うんですけど、いつも予想が外れるからこっちかもしれませんって伝えたんだよ。そしたらホントにそうなりやがってよ。おかげで客から感謝されるわ、ウチの商品を追加購入してくれるわで。部長からもお褒めの言葉をもらった、ってのが頭に浮かんだんだよ」
安田は満面の笑みでやる気仙人にそう語った。
「なるほどな。じゃったらそうしてくるとよい。それがお前さんの未来なのじゃからな」
「おぉ、その通りにしてくるわ。よぉし、なんだかやる気が出てきたぞ。じゃ、早速商談に行ってくるわ!」
安田が勢いよく店を飛び出そうとした瞬間
「これ安田よ、待つがよい」
安田を引き留めるやる気仙人。
「おっ、なんだよ、まだ何か見せてくれるのか?」
「そうではない。そうではないが肝心なことを忘れておるわい」
「肝心なこと? なんだよ、それ」
「それはな…」
神妙な顔つきで安田をジッとにらむやる気仙人。
「そ、それは…?」
やる気仙人の勢いに飲まれながらもやる気仙人をにらみ返す安田。
「それはな、さっきのコーヒー代、四百円をちゃんと支払ってくれんか」
「あらあらあら…」
安田はその場に崩れ落ちてしまった。
それから店を出た安田。足取りも軽く取引先と商談へ。いつもなら渋い顔で数字とにらめっこをしながら値段の駆け引きを行うところなのだが。
「いやぁ、この分野については私はこうなると予想しているんですけどね。でもご存じの通り、私の予想っていつもはずれるじゃないですか。だからきっとこれはこっちになるかもしれませんよ。わぁっはっは」
客先は軽いジョークと受け取ったようだ。商談の場は終始笑いに包まれ、結局安田の予想とは逆の方向の商品を購入することになった。
「おぉ、ホントにあの時に見た未来の通りになっちまったな。ってことはこの後はあの客から追加注文がくることになるのか。うっしっし」
中年男のスキップ姿なんて見たくはないものだが。まぁこの際許してあげるとしよう。そして商談から二日後、驚くべき事が起きた。
「はい、はい、そうですか、それはよかった。えっ、追加注文ですか! ありがとうございます」
なんと安田が見た未来の通りのことが起きてしまったのだ。しかも今までにない大量注文。そのおかげで部長もご満悦。その日の夜は部長のおごりで飲みに行くことになった。
「いやぁ、飲んだ飲んだ。おごりの酒ってのはいくらでも飲めるよなぁ~」
すっかり酔っぱらった安田課長。千鳥足でフラフラしながら歩いていると、安田の目にはある灯りが目に入った。
「おや、あれは…」
夜もかなり更けているというのに、あの喫茶店がまだ開いている。
「やる気仙人、結構歳くってるのに遅くまでがんばるなぁ。どぉれ、ひとつ励ましてやるとするか」
安田は木の扉を開けて店の中に入る。
「よぉ、やってるか?」
言いながら一歩店に踏み入れると、またふわっと浮いた感覚が安田を襲った。
「あちゃ、今日はえらく酔ってるなぁ」
安田が店を見回すと、客は一人もいない。そこにいるのは普通の格好をした白ひげの老人、やる気仙人だけであった。
「おいおい、閑古鳥が鳴いてるなぁ」
「なんじゃ、安田か。今日はやけにご機嫌じゃの」
「よぉ、やる気仙人。この前はありがとな。あの未来を見る力のおかげで商談は大成功だぜ」
「ほう、それはよかったのぉ」
ここで安田はあることをひらめいた。
「よぉ、仙人。オレの未来を見る力ってのはまだ続いてるのか?」
「うむ、ここであのコーヒーを飲めばな」
「じゃぁよ、今日もあのコーヒーを飲ませてくれよ。ほれ、今日は先に金払っとくわ」
安田はポケットから小銭を取り出してカウンターの上に置いた。
「まったく、せっかちなやつじゃな。どれ、しばらく待つがよい」
やる気仙人は静かに、そしてゆっくりとコーヒーを入れた。店内には静寂が漂っている。その中にコーヒーの香りがいっぱいに広がる。安田は酔いも手伝って、意識が静寂に飲み込まれつつあった。
「ほれ、できたぞ」
「おっ、あ、あぁ。やっべぇ、寝そうになっちまった。どぉれ、酔い覚ましをいただくとするか」
安田は今度はゆっくりとコーヒーをのどに流し込んだ。そしてまた目をつぶる。今度は寝ているのではない。未来の映像を頭の中で浮かばせているのだ。
「いっひっひ。こりゃいいわ」
安田は突然笑いだし、にんまりとした顔をした。
「ほう、今度は何が見えたかの?」
「いやぁ、飲み屋のおねえちゃんにもててもてて。安田課長、かっこいいわ、なんて言われてよ。こりゃたまんねぇな」
「まったく、ろくでもない未来じゃな。まぁよい、それはきっとその通りになるんじゃろう」
「おう、こいつも期待してるぜ。さぁて、今夜はいい夢を見れそうだ。じゃ、またな」
そう言って安田は意気揚々と店を引き上げていった。
「そうか、あやつの望んだ未来はそういう姿か…」
後に残されたやる気仙人はぽつりとそうつぶやいた。
それから二日後、安田は取引先との接待へと招待されていた。どうやら先日の件でお客さんからかなり感謝されたらしい。
「安田さん、もう一軒いきましょう。ちょっといい店があるんですよ」
そう言って取引先の部長から連れて行かれたのは、安田の給料ではなかなか入れそうにない高級店。美人で若いホステスが安田の周りを取り囲む。
「こちら取引先の安田さん。今回はおかげで我が社に大きな利益をもたらしてくれてね。今日はしっかりおもてなしをしてあげてくれないか」
部長さんがそう言うと、ホステスは興味津々に安田のことを見始めた。
「きゃぁ、とてもステキな方ね。ね、どんな活躍したの。教えて欲しいわ」
そう言われると安田も天狗になってしまう。今回のことだけでなく、今までどんな仕事をしてきたのかといったことを鼻高々にしゃべる安田。
「安田さんってかっこいいわね。ファンになっちゃう」
冷静に見ればホステスのリップサービスなのは見え見えなのだが。男という生き物はそれを本気でとらえてしまう。安田としては夢のようなひとときが過ぎていった。
「まさかホントに実現しちまうとはな。ホント、やる気仙人さまさまだぜ」
その日の安田は上機嫌であった。
それからというもの、安田は頻繁にやる気仙人の喫茶店に訪れるようになった。目的はもちろん、コーヒーを飲んで未来を見ること。あるときは仕事の判断で迷ったときに、思いもしなかった未来を見てその通りに行動したら大成功をおさめたことがあった。またあるときは子どもの事で悩んでいたときに、ビシッと叱る強い父親像が見えてその通りにしたら問題が解決したこともあった。こうやって仕事のこと、家庭のことなどさまざまな未来を見た安田。そのおかげでどんなことにも自信をつけ、毎日が楽しくなってきたようだ。
ある日のこと、いつものように営業まわりのついでにやる気仙人の喫茶店に寄った安田。ふとあることに気づいた。
「よぉ、仙人。オレっちがいつもこの店に来る時って、客はオレだけだよな。他に客が入っているところを見たことがねぇけど。それでやっていけるのかよ?」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。心配には及ばんわい。ワシはあくまでも仙人。喫茶店は趣味でやっておるのじゃよ」
やる気仙人は笑いながらそう答えた。
「それならいいんだけどよ。それにしてもホントに客が入らねぇ店だな」
そもそもこの店のカウンターに白ひげを蓄えた老人がいることが似合わない。
「ところで安田よ、お前さん最近調子は良いようじゃな。ここに初めて来たときに比べてイキイキとしておるわい」
「おぉ、これも未来を見る力のおかげだよ。これで怖いもの無しだからな。わぁっはっは」
「なるほど。じゃが未来といっても良いことばかりが起きるわけではない。お前さん、悪い未来が見えたらどうするのじゃ?」
「悪い未来? そういや今までそんな悪い未来なんて見たことなかったな。考えもしなかったぜ」
安田が首をひねりながら考えていると、やる気仙人はいつものコーヒーを差し出した。このとき、やる気仙人がにやりと笑ったことを安田は気づかなかった。
「まぁ気にせずいつものように未来を見てみらんか」
「おぉ仙人、ありがとよ」
安田はいつものようにコーヒーをのどに流し込む。そして目をつぶり未来を見ることに集中。このとき、いつもとは違い安田は眉間にしわを寄せて渋い顔をした。
「おや、どうしたのじゃ?」
「あ、いや。さっき仙人が悪い未来なんて言うもんだから、今日はちょっと良くねぇものを見ちまったよ」
「ほう、どんなものが見えたのじゃ?」
「客との約束をうっかり忘れてよ。それで会社にも迷惑かけて部長にこっぴどく怒られてんだよ」
「おやおや、そうならんように気をつけんとな」
「仙人、気をつけろといってもよぉ、この未来って必ずそうなるんだろ? 今までがそうだったんだから、こいつは必ず起こるってことかよ。あっちゃぁ、どうすっかなぁ…」
安田の嘆きにやる気仙人はただ笑っているだけであった。それに対して頭を抱えている安田。結局暗い顔のまま店を出て行くことになった。そしてその日の夕方。
「おい、安田っ!」
突然部長から呼ばれた安田。これから何が起こるのかはすでにわかっている。しかし何のミスをしたのかさっぱりわからない。
「安田、お前この前の会議で言った福沢工業との交渉。あれをすっぽかしたそうじゃないかっ!」
うそっ。福沢工業との交渉は確か来週のはずだが。安田はあわてて手帳を見る。が、確かに来週の金曜の約束になっている。
「さきほど先方からこっぴどく叱られたぞ。一体どうなってるんだ!」
「あ、部長、福沢工業との約束は来週になっているはずなのですが…」
「おい、会議では金曜に行くと言ってたじゃないか。だから私がわざわざ気を利かせて先方の部長に連絡をしておいたのに。お前、自分のミスを人のせいにするのか!そもそもお前は最近調子に乗りすぎなんだよ」
こりゃ部長の勘違いだ。そう反論したくなったが、ここはグッとガマンの安田。
「はぁ、すいませんでした」
これで自分の株を下げてしまった安田。失意のままとぼとぼと帰宅しようと思った。が、どうもむしゃくしゃする。こんなときには酒に限る。週末でもあるので、一人で憂さ晴らしに出かけた。結局飲み屋で一人で愚痴をこぼして帰ろうとしたとき、やる気仙人の喫茶店が目にとまった。まだムシャクシャしているので、ここはひとつやる気仙人にグチを聞いてもらうとするか。
「おい、仙人はいるか」
「なんじゃ、安田か。今日はやけに酔っておるが、何かあったのか?」
「何かあったかじゃねぇよ。おかげで今日は部長にこっぴどく怒られちまったじゃねぇか。一体どうしてくれるんだ!」
グチをこぼすつもりが文句になった安田。だがやる気仙人は安田の言葉をさらっと受け流し、こう答えた。
「それはお前さんが見た未来の通りのことが起きただけじゃろ。お前さんが望んだ力、それは未来を見る力じゃったな」
その言葉に安田は反論しようとした。が、その言葉が出ない。
「ま、まぁそうだけどよ…。でもあんな未来は見たくはねぇんだよ」
「おやおや、わがままなヤツじゃのぉ」
わがまま。やる気仙人からそう言われた安田だが、これについては反論をした。
「でもよ、人って悪い未来は見たくねぇもんだよ。あんな未来、信じなきゃよかった。そもそもどうしてあんな悪い未来を見ることになったんだよ。今までは調子が良かったのによぉ」
安田の言葉にやる気仙人は黙って、いつものコーヒーを差し出した。
「今日はワシのおごりじゃ。飲んでみぃ」
安田は差し出されたコーヒーに手をつけようとした。が、その動きは止まったまま。
「安田よ、どうした。何か恐れておるのかな?」
「そ、そりゃぁよぉ。またあんな不幸な未来を見ちまったら…これって本当に起こるんだろう?」
安田のその問いにやる気仙人は何も答えない。ただ笑って安田の顔を見ているだけであった。
「わかった、わかったよ。飲みゃぁいいんだろう」
そう言ってコーヒーカップを口元まで運ぶ安田。だがどうしてもそれを飲むことができない。
「やっぱダメだ。もう未来なんか見たくねぇよ。決まり切った未来なんてつまんねぇ。オレはオレの力で未来をつくる。そう、未来は自分でつくるものだよなぁ」
安田の言葉に、ようやくやる気仙人が反応した。
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。やっと気づいたようじゃな」
「気づいたって、どういうこったい?」
「ここでちょいとだけお前さんに謝らなければいかんことがある。お前さんに授けた未来を見る力、あれはウソじゃ」
「ウソって、よけいにワケがわかんねぇよ。コーヒーを飲んで見えた光景、あれはそのままその通りになっていたじゃねぇかよ」
「そうじゃ、その通りじゃ」
「だからオレっちは未来を見てたんじゃねぇのか?」
「いいや、そうではない。あれはお前さんがその未来を引き寄せた。それだけに過ぎん」
「オレが未来を引き寄せた?」
「そうじゃ。コーヒーを飲んで見えたもの、未来はその通りになると信じ込んでおったろう?」
「あ、あぁ」
「だからその通りになっただけの事じゃ。良くも悪くも、人生は自分が望んだとおりにしか進まん。その未来があたりまえに起こると思えば、それはあたりまえに起こるのじゃよ」
「じゃぁ何かい、オレっちは仙人にだまされてたってことか? あれは未来を見たんじゃなくて、未来にこうなりたいと思ったものが映し出されていたってことか?」
「うむ。このコーヒーにはその力がある。今自分が望んだものを見せてくれる力がな。この力は本物じゃ」
「じゃぁ、部長に叱られるのもオレが望んだことなのか?」
「そうなるのぉ」
「そうなるって、オレはそんなこと望んじゃいねぇぞ」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。お前さん、あのとき悪い未来というものが頭の中に一瞬横切らなかったかの?」
「あのとき…そういや今まで悪い未来なんて考えもしなかったけど、ちょっとだけ不安になったよなぁ」
「それじゃ。その不安というヤツもお前さんが望んで作り出したものじゃ」
「オレっちが不安を作り出した?」
「そうじゃ。人の感情というものは誰かが与えたものではない。全ては自分の中から生み出されたものじゃ。このコーヒーはそれをとらえて、お前さんに映像として見せただけのことじゃ」
安田はここでしばらく考えた。ということは、全ては自分が作り出した未来が原因ということなのか。良いことも悪いことも、今起きているのは全て自分がそうしたいと思ったからそうなったということか。望んでいないと思っていても、心の奥ではそうなると思ったからそうなったのか。同じような言葉がグルグルと頭の中で駆けめぐっていた。そして安田の中から一つの答が出てきた。
「そうか、仙人、やっとわかったぞ」
「うむ、やっと人生の真理に気づいたようじゃな」
やる気仙人はニコリと安田に微笑んだ。
「で、その安田さんはそれからどうなったんですか?」
オレは気が付いたらマスターの話に聞き入っていた。
「どうなったと思いますか?」
「まぁ昔話だったら、幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたしってところなんだろうけど。人生はそんなに簡単にはいかないですよねぇ」
「はい。しかしきっとこの話の安田課長は今までとは違った人生を送っていけたと思いますよ」
「そうだな。でもよ、最後にやる気仙人が言った『人生の真理』ってのはなんなんだよ。それが気になるなぁ」
「そうですね、えっと…そういえばまだお名前をうかがっていなかったですね」
「あ、オレは結城ってんだ」
「結城さん、ですね。結城さんはやる気仙人が言った人生の真理、何だと思いますか?」
「それがわからねぇから尋ねてんだよ」
オレはちょっとふてくされた態度でそう答えた。それがわかったら苦労はしねぇわ。
「わからないか…そうだ、これを当てることができたら、うちのスペシャルブレンドを私がごちそうしましょう。いかがですか?」
賭け事が入るのなら話は別だ。オレはさっきの話をもう一度頭の中で繰り返した。未来を見る力を授かった安田だったが、それは未来を見る力ではなかった。確かやる気仙人は、安田課長が自分で未来を引き寄せたって言ってたな。未来はこうなるものだと信じ込めば、それは真実になる。あたりまえに起こると思えば、それはあたりまえに起こる。今のオレも、ひょっとしてそうだということか。世の中は不景気で仕事がない。だから職につくのはとても困難。日雇いの仕事につければラッキー。それがあたりまえだと思っていた。だからその状態が続いているということなのか。
「でも…」
ここまで考えて、つい口からその言葉が出てしまった。
「でも、なんなのでしょう?」
マスターはすかさずオレの言葉に反応した。オレは自分の思いを口にするのを一瞬ためらったが、頭にあった疑問をマスターに投げかけてみた。
「でも、世の中ってすべて思い通りにはなりませんよね。なんでもかんでも思うとおりにいけば苦労はしませんよ」
その問いにマスターはオレに顔を近づけて、小さな声でこう言った。
「ほら、結城さんの思った通りの人生になった」
どういうことだ? オレはそんな人生を望んでいないぞ。オレの不満気な顔を見て、マスターは続けてこう言った。
「結城さん、人生は思い通りにならないと思ったでしょう。だから思い通りにならないんですよ」
「うっ…」
マスターの言葉に私は反論できなかった。そうならないと思っているからそうならない。まさにその通りだ。オレは人生をあきらめていた。もう二度と前のように楽しく働くことなんかできないと思っていた。でも今の状況はイヤだった。イヤだけれど、未来に希望を持つこともしていなかった。だから今のままなのか。これがオレの望んでいた事実だったのか。
「じゃぁ…オレはどうすればいいんだ」
ぼそっとオレがつぶやいた言葉にマスターがこう答えてくれた。
「未来を見ればいいんですよ。結城さんが本当に心から望む、明るくて楽しい未来を。そしてそれが本当に訪れるとあたりまえに思えばいいんです。安田課長のようにね」
「でも、どうやって未来を見るんだ。やる気仙人の出した魔法のようなコーヒーでもあれば別だが」
「ありますよ」
オレは一瞬耳を疑った。そんなコーヒーが本当にあるのか? まさか、そう思ってもう一度オレはメニューを見直した。ひょっとしてこれがそうなのか。
『今よりも幸せな気持ちになりたい貴方に…シェリー・ブレンド』
オレがこれに目をつけたのがわかったのか、マスターはニコリと笑って首を縦に振った。本当にそんなコーヒーがあるのか。
マスターは黙ってオレにコーヒーを差し出した。飲め、ということか。しかし本当にそんな未来が見えるのか?
カップを手にしてゆっくりと口に運ぶ。黒い液体をのどに流し込み、安田課長と同じように目をつぶってみる。そのとき、目の前に映像が浮かんできた。まるで映画でも見ているかのように。そこではオレが元気よく数名の部下に指示を出している姿がうつっていた。何の仕事かはわからない。が、間違いなくオレはいきいきとしていた。何でも自分で決断して、周りのみんながそれについてきてくれる。全身から力があふれている。そんな姿のオレがそこにいた。
「いかがでしたか?」
その声でハッと我に返った。
「これが…これがオレの望んでいる未来なのか?」
「はい、そうです。そして、それは間違いなく結城さんの思うとおりになるんです。そうなることをあたりまえにさえ思っていれば」
「でも…」
オレはその先を言いかけてやめた。
この「でも」という言葉を言うことで、オレは知らず知らずのうちに自分の可能性を自分で摘んでいたんだ。さっきそのことがわかったばかりじゃないか。オレはもう一度目をつぶって考えた。
「マスター、本当に今オレが見た通りになるんだよな」
「はい。結城さんがそれをあたりまえに思ってさえいれば」
「そうか…」
オレはカップに残ったコーヒー、シェリー・ブレンドを一気に飲み干した。そしてまた目をつぶる。さっきと同じ光景が目の前に広がった。それだけではない。そこには家族の姿もあった。別れた女房と子どもが笑いながら一緒の食卓についている。そうか、オレはこれを望んでいるんだな。そうなるためにはまずは何か行動を起こさないと。
「マスター、まずは何から行動を起こせばいいんだ?」
目を開いてオレはそう尋ねた。
「まずは何から行動を起こしたいですか?」
逆にそう質問された。何から行動を起こしたい、か。起こしたい行動なんか考えたこともなかった。今までは何かしなければいけないという思いだけが強かった。
「私から提案です。まだ起こしたい行動が見つからないのなら、とりあえず片っ端からやってみることです。そうすることで、いつかやりたいことが間違いなく見つかりますよ。まずは自分の意志で行動を始めること。それが大事だと私は思います」
マスターの言葉は心に響いた。仕事は片っ端からやった。けれどそれは仕方なしにやっていたこと。やりたいことではない。
「本当に見つかるのか?」
マスターはニコリと笑って、黙って首を縦に振った。そこには何の確証もない。が、オレはなんとなく安心感を覚えた。とにかく動いてみることにしよう。きっとあの話の中の安田課長も同じ気持ちだったに違いない。
「あの安田課長、きっとあれから大活躍したんだろうなぁ」
「それなんですけどね、実はあの話にはまだ続きがあるんですよ」
「えっ、そうなのか? ぜひ教えてくれよ」
「はい、それからなんですけど…」
「よぉし、今日も一日前向きに楽しくいくぞ!」
そう言って張り切って会社に出かけた安田。あのやる気仙人とのやりとりがあった次の日から、安田は毎日前向きに楽しいことをイメージしてから会社にでかけることにした。そのおかげで、部長からとばっちりを受けたミスもうまく取り戻し、さらに取引先からも信頼されるようになり、忙しい毎日を送るようになってきた。おかげでやる気仙人の喫茶店へと足を向ける暇もない。まぁ大好きなお酒だけは続けているようだが。
そんなある日、アポを取っていた客先から突然のキャンセル。
「しまったなぁ、次のアポまで二時間もあるわ…そうだ、久々にあそこに行ってみるか」
安田が向かった先は、あのやる気仙人のいる喫茶店。
「確かこの辺だったよな…お、あったあった」
安田の目の前には、大きくて黒い木の扉があった。だが前に見た感じと違う。ともかくその木の扉を開けて中に入ったところ…
「ちょっとぉ、まだ開店前だよ」
厚化粧をしたおばさんがだみ声でそう答えるじゃないか。
「あ、すいません…あれっ、なんか違うぞ」
安田は謝りながらも店内をぐるっと見回す。あきらかにあの落ち着いた感じの喫茶店とは違う。場末のバーという匂いがプンプンするじゃないか。
「あのぉ…ちょっとお聞きしたいんですけど…」
「なによ、こっちは忙しいんだから」
忙しい、といいながらもたばこに火をつけてテレビに目を向けているおばさん。
「ここ、喫茶店じゃなかったですか?」
「なぁにいってんのよ。ここはずっと前から私がこのお店をやってるんだから。ほら、じゃまだからさっさと出て行ってよ」
追い出されるように店を出る安田。おかしい、確かにここのはずだったのだが。じゃぁあれは、やる気仙人は夢だったのか?
そのとき、頭の中で突然声が響いてきた。
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。ワシはいつもおまえさんの心の中におるわい」
「せ、仙人!」
それからの安田課長の活躍は、あなたが想像したとおりです。
「いやぁ、なんか不思議な話だな。じゃぁその先の安田課長ってのはオレがつくればいいんだな。つまりマスターが言いたいのは、オレも安田課長も同じだって事だろう」
「はい。安田課長の未来は結城さんの未来そのものですよ。楽しみにしています。でも、明日この店に来たらなにもかも消えてたりして」
そのときのマスターの笑顔はちょっと不気味だった。ひょっとして、明日ここを通ったらまったく別の店になっていた、なんてことが本当にありそうで怖い。
「しっかし、この五百円玉に感謝だな。こいつを拾わなければオレは今、ここにはいなかったんだし…」
そう言いながら、さっき拾った五百円玉を取り出そうとポケットに手を突っ込んだ。が、ない。あれ、おかしい。あちこちのポケットを探るが、五百円玉は出てこない。床に落としたか…いや、そうでもなさそうだ。
「おっかしいなぁ、どこにいったんだ?」
「ひょっとして、結城さんをここに導くために出てきた幻の五百円玉だったりして」
まるでその五百円玉がオレにとってのやる気仙人みたいだ。不思議なことだが、あれがなければオレは未来をつくることなんか考えもしなかった。
よぉし、明日から、いや今から生まれ変わってみるか!
<未来を見る男 完>