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私立探偵・山藤悠一の冒険

タイヤキ殺人事件 ~私立探偵 山藤悠一あらわる~

作者: ウチダ勝晃

一、



U・K サマ


 タイヤキ ニ マツワル キカイナジケン ハッセイス シキュウ オイデコウ 


ヤマフジ ユウイチ


 奇妙な文言の連なる電報を受け取ると、私は常日頃から支度してある旅行用カバンを持ち、ホームへ入線してきたばかりの上越新幹線へと飛び乗った。ちょうど七月上旬の、けだるい空気がまとわりつく午後のことであった。

「――にしてもまあ、わけのわからん文面だなあ」

 しらふで相手をするのも馬鹿馬鹿しく、放り込んでおいたウィスキーのポケット瓶に口をつけると、私は改めて、電報へ目を落とした。

 カタカナ書きの文面を平文に直すと、「鯛焼きにまつわる奇怪な事件発生す。至急御出で乞う」となる。鯛焼きにまつわる……? いったいどういうことであろうか。

「――まあ、悠さんとこにやってくるような事件だ、ろくなものではあるまい」

 酒臭い息をそっと吐きながら、私はおそらくホームで待ち構えているであろう若き盟友、少年探偵の山藤悠一(やまふじゆういち)とその有能なる部下たちの顔を脳裏に浮かべた。

 そして案の定、角瓶ですっかりほてった頬が東京の空気に触れたところへ、耳なじみのある声が二、三、ホームの端からこちらへと近づいてきた。

「U先生、突然お呼びして申し訳ありませんでした」

 ふんわりとした七三分けの頭の、四角いフレームの眼鏡をかけた仁科芳雄(にしなよしお)少年が、霜降り色をした夏ものの詰襟の袖を揺らしながら近づいてくる。

 その後ろでは、洗いたてらしい、開襟の半そでシャツを着けた猫目大作(ねこめだいさく)の相も変わらずふてぶてしい顔、そして、その最後尾には夏もののブレザーに身を包んだ、さわやかな顔立ちの二枚目、山藤悠一少年が控えているのを見つけると、私はかぶっていたカンカン帽子を上機嫌に振った。

「やあ、みんな元気そうで安心したよ。もう車、来てるんでしょ」

「ロータリーで絶賛アイドリング中ですよ。いつでも出発できます」

 猫目が得意げに言うと、山藤悠一が私の鞄を受け取るポーズを見せたので、悪いねえ、といいながら彼に荷物を預けた。

「んで、いったいオレを呼んだってえのはどういう流れなの?」

 社用車である黒のコンフォートに揺られて丸の内を出ると、私はピースへ火をつけながら、山藤悠一に疑問をぶつけてみた。

「事件のかなめは、電報にしたためたとおりです。――あとは、現場を見てもらったほうが早いと思います」

 山藤悠一が説明を省くというのはかなり珍しい。想像通りの難事件だな……とにらんでいると、右側に座っている猫目大作が、

「ちょいとばかり、今度の事件はややこしいことになりそうですよ。なんせ、金沢先生もかかわってらっしゃるんですから……」

「――おい、そりゃほんとうか」

 思いがけない名前が出てきたのに驚いて声を荒げると、猫目も弱った顔で、

「アレっ、探偵長、説明してなかったんですか」

「バカ、新聞でも伏せておくことになったから伝えてないんだ。――先生、隠したみたいで申し訳ありません。実は、金沢先生が一枚かんでらっしゃるんです」

「なんだってえ――」

 山藤悠一の落とした爆弾に、私はすっかり打ちのめされてしまった。金沢先生、こと金沢鉄平(かなざわてっぺい)というのは、私の大学の同級生で、昨今流行りのユーモア小説「トモエ御前のおでましじゃ」の作者である。

「なあるほど、タイヤキのどに詰まらせてマイリやがったな……」

「違いますよ、金沢先生はご無事です」

 ちょっかいをかけるついでに発した冗談に山藤悠一が困惑しきりなのを笑い飛ばすと、ふと、金沢鉄平と私が彼らと出会ったときのことが走馬灯のように脳裏をよぎった。

 ――もう、ずいぶんになるんだなあ。

 過ぎれば早く、しかし過ごした時にはずいぶん長く感じられた数々の事件に、私は感慨深いものを覚えた。

 さて――。

 お読みの諸兄姉の中に少年探偵・山藤悠一の存在を初めて知った、という向きの方もおられるだろうから、ひとつ彼のことを簡単に説明したいと思う。

 諸外国に遅れること幾十数年、世界中の私立探偵・興信業者によって結成された団体「国際私立探偵連合」に我が国も加盟してからというもの、以前にもまして、警察の捜査を外部から手助けする存在として、私立探偵や犯罪専門家、興信所というものが重要視されるようになってきた。

 そんな国内の探偵業の中でも最大手となる組織・さつき探偵社の探偵長である彼は、良き相談相手にして相棒の猫目大作や部下の仁科芳雄らとともに就任からしばらくは新聞沙汰にならない、しかし実に難解な事件の数々を首尾よく解決していたのだが、ある年の晩秋に起こった高校生続殺人事件の捜査を手がけたことがきっかけとなり、全国津々浦々にさつき探偵社の名をとどろかせた、日本が世界に誇る私立探偵の一人なのである。

 で、そんな彼と私がどうして顔なじみなのかといえば、とある事件で金沢ともども犯人扱いされたところを、偶然現場にかけつけた山藤悠一に疑いを晴らしてもらい、犯人捕縛の瞬間に立ち会ったことがあったためであった。

 以来、年齢の差など気にもせず、「先生」「悠さん」と呼び合いながら、時に旅行へ、時に事件現場へ、時に私の持っている知識を生かし、事件への見解を求められてそれにこたえたり、というようなことをしているのだが――。

「まさか、金沢が絡んでるとは思わなかったなあ」

 大手週刊誌・サンデー帝都の連載小説「トモエ御前のおでましじゃ」の作者にして、あるときは放送時評を、またあるときにはコメンテーターとして駄弁を巻いているわが悪友・金沢鉄平の運のなさは昔から語り草になっていたが、よもや今回も事件に足を突っ込んでいるとは思わなかった。

「今度の件では、金沢先生は完全な被害者ですよ。ひとまず、ご本人にお会いになってから結論を下されたほうが良いかと……」

 仁科芳雄が眼鏡を直しながら、私の表情を察して釘を刺す。

「君が言うんじゃ、しょうがないかなあ」

「信用ねえんだなァ、金沢先生って……」

 猫目が嘆く程度に、やつには信用がない。これだけは確かな話である。

 ともかく、現場となった千代田区浅草、仲見世から北へ引っ込んだ、背の高い塀が続くうらぶれた住宅街の一角で車を降りると、ものものしく張り巡らされたタイガーロープの向こう側へ、私たちは乗り込んだ。

「あっ、お前……」

「こらっ、指ささないの!」

 安アパートの草ぼうぼうになった庭先で出くわした、見覚えのある顔に思わず指をさすと、相手はこちらにつかつかと近寄り、眼鏡の奥に見せたおどけた瞳と調子でもってこちらの人差し指をはじいた。

 かつて私を犯人扱いして逮捕しようとした、警視庁・丸の内署の犬井刑事である。

 この調子だと、その相棒である山岸刑事もどこかにうろついているらしい。

「久しぶりだねえ、元気してた?」

「まあ、首にもならずになんとか生きてますよ。それより、金沢先生が奥にいらっしゃいます。お呼びしましょうか」

「じゃ、ひとつお願いしますかね……」

 犬井刑事がその場から離れていくと、私は事件の舞台となった安アパートをじろりと眺めた。

 すっかり塗りがはがれて赤さびの浮いた手すりや階段、灰色がかったクリーム色の壁面、留守なのか、住人がいないのかわからないが、むやみに差し込まれたビラやダイレクトメールの数々……。

 かろうじて、外に置かれた洗濯機のほうから洗剤の香りがするおかげで生活感が保たれているが、ほとんど廃墟になりかけているような場所である。

 それにしても、どうしてあの男はこんなところへ足を踏み入れたのだろう。金沢の住まいはここからさほど遠くない、浅草の閑静な住宅街にある。何度か彼の家に泊まって、一緒に散歩をしたり、神谷バーでデンキブランをあおったりしたことがあるが、こんなところへ来た覚えはない。

 ――こりゃあ、かなりややっこしいぞ……。

 どうなるものかと、事の行く末を案じていると、犬井刑事に伴われて、件の金沢が姿を現した。

「おお、U。来てくれたのか」

 茶色がかった丸いサングラスから、人懐こい瞳を覗かせて、羽織姿の金沢がこちらへ駆け寄ってくる。すかさず、いつものように右手でハイタッチをすると、

「悠さんから電報もらって、新潟から飛んできたんだよ。んで、いったい何があったの……」

「いやあ、面目ない。実は、今度の事件の被害者からここへ招待されていたんだ」

 そう言うと、金沢鉄平はぽつぽつと、事件のあらましを語りだした。

 曰く――。

「ずいぶん前に、近所の喫茶店であった歌会に顔を出したことがあったんだが、そこでオレのファンだという、前中くんという青年と親しくなったんだ。

 彼、東帝大の邦文科にいるだけあって中々の才媛でね。

 すっかり意気投合しちゃって、家に呼んだり、住まいであるこのアパートへちょくちょく遊びに来たりしてたんだが……。

 奴さん、生まれついての左党でね。

 毎度毎度、和洋問わずにいろんなとこの甘味を手土産にしてたんだが、今日は行きがけに仲見世を散策してたら、うまそうな鯛焼きの屋台が出てるじゃないの。で、大袋に詰められるだけ買って訪ねて行ったら、ドアのガラスが割れてるんだ。

 これは只事じゃないとおもって中へ入ったら、彼が背中からひとつきにされて死んでる。で、なぜか窓のサンのところに鯛焼きが転げてあるもんで、いったいどうしたものか……と思って中へ踏み込もうとしたら、通りかかったお隣さんに犯人扱いされて、こうなっちまったわけさ」

「――なるほど、身から出た錆というわけか」

 冷たくあしらうと、そんな言い方ってあるかよ、と金沢は抗議した。おおかた、死亡推定時刻と金沢の現れた時間に食い違いがあって無罪放免となったのだろう。

「しかい変だなあ、サンのところに鯛焼きなんて」

「実は、それがちょっとした問題にになってるんです。だから、さつき探偵社のみなさんにおいで願ったわけでして……」

 割って入った、犬井刑事の同僚・山岸刑事の切れ長の瞳が視界に入り、やや驚くと、金沢の手土産らしい、しなびた鯛焼きをかじっていた山藤悠一がシッポを一息にのみこんでから、私にこんな話をしてくれた。

「一か月ほど前から都内で、殺人事件の現場に必ず鯛焼きが置いてあるっていう奇妙な事件が相次いでいるんです。最初は単なる偶然だろうということで片付けられていたんですが、三度目、四度目と数を重ねるうちに、同一犯による犯行ではないか、という可能性が高まってきたんです」

「で、記念すべき六件目の凶行に金沢先生が出くわしたってわけです。――先生、これうまいっすよ。食べます?」

 水色の紙袋から猫目が取り出した鯛焼きを受け取ると、私はいつものように頭のほうから豪快にかじりついた。湿気てずいぶん風味は落ちているが、皮の部分にも程よい甘さがあり、中に入った粒あんのほうはあっさりとして、上品な味わいだった。

「あ、ほんとだ。こいつはうまい。――で、現場にあった鯛焼きのほうはどうなったんです」

「仏さんともども、科捜研に運ばれていきました。見たところ、市販の冷凍鯛焼きらしいです」

 山岸刑事の報告に、私は二匹目のシッポを加えたまま、なるほど、と頷く。

「鯛焼きにまつわる奇怪な事件……とは言うたもんだねぇ」

「まあ、その通りだな。――しかし、誰があんなことを……」

 若い友人を失った金沢は、しきりに目元へ手を当てる。その光景を見ているうちに、なんだかその関係が私と山藤悠一のことのように感ぜられ、呑気に鯛焼きをかじっているのが悪いように思えてきた。 

「ひとまず、今後の捜査はさつき探偵社へ一任なったので、我々丸の内署の出番はここまで、というわけです。――山藤探偵、何卒、よろしくお願いいたします」

「お引き受けした以上、事件は必ず解決してみせます。あとはお任せください」

 深々と頭を下げる両刑事と少年探偵の間に挟まれた私は、ただ突っ立っているのも気まずく、三匹目へと手を伸ばした。


二、

 浅草の金沢邸に寝泊まりしながら、昼は銀座のさつき探偵社本部へ顔を出して進捗確認、そしてそれが済むと、昼日中からビヤホールで一人、ないしは金沢と共にビールを飲む生活が四日ばかり続いた。

「どうなんだ、捜査のほうは……」

 五日目の朝、洗面台で並んで歯を磨いていたところへ、金沢が質問を投げつけてきた。今まで事件のことなど聞いてこなかっただけに、その衝撃はすさまじかった。

「まるで進展がないらしい。ここまでの六件を洗いなおすところからのスタートだから、新発見はまだ先だろうよ」

 それを聞くと、浴衣の帯から上を脱いでもろ肌一枚になっていた金沢は、なるほど、と一言呟いてから、慣れた手つきで頬へ石鹸の泡を塗り付け、平刃の日本ガミソリをあて出した。

「なに、探偵長のことだ。きっと、すぐにホシを上げてくれるさ」

「そ、そうだな……」

 意外なまでにあっさりとした反応に却って困り、適当なことをつぶやくと、金沢は干してあった手ぬぐいで顔を拭き、さっさと洗面所を出て行ってしまった。

「――てなことが今朝あってねえ」

 十時過ぎに探偵社へ顔を出した折、差し出されたおしぼりで額や首筋の汗をぬぐいながら窮状を伝えると、山藤悠一と仁科芳雄はしばらく、気まずそうに顔を見合わせてから、申し訳ありません、とそっと頭を下げた。

「ご存知のように、初動捜査で得られた資料が少ないもので、すべて洗い直しになってるんです。ですから、すぐにというのは……」

 目を細めて弁解する仁科少年の姿に、私は発言を悔いた。

 彼らは必死に捜査をしているのだ。ただ、それと同時並行で残された者のケアをすることが出来ないがために、彼らは今、真綿を巻かれるような立ち場に置かれてしまっているのだ。

「わかってるさ。ただ、長い付き合いの友人としては、見ていて心苦しいものがあるんだ。一見、平静に見えても……」

「――心の内がそうとは限らない、というわけさ。いずれは時間が解決するだろうけど、そこに至るまでがなかなか難しいのよねー、これが」

 折よく、大判の白封筒を振りながら現れた猫目が、仁科少年へ助け舟を出す。

「ま、そのためにオレたちが出来ることはなにか、つったら、事件の早期解決だわなァ。先生、あんま仁科ちゃんをいじめてやらないでくださいよ?」

「すまんすまん、そんなつもりはなかったんだが……」

「でも、そういう湿っぽい話は今日でおさらば。――探偵長、例の鑑定結果、科警研から届きましたよ」

 科警研、という言葉を聞くと、山藤悠一は猫目の手から封筒をひったくり、デスクの上の筆立てにさしてあったレターナイフの刃を角に突き立てた。

 中から出てきたのは、「遺体と遺留品の劣化傾向一覧表」という、専門用語の羅列のあとに、何やら棒グラフが二、三続く、比較的薄手の鑑定書だった。山藤悠一はしばらく、その鑑定書とにらめっこをしていたが、最後の市業を読み終え、やはりか、という溜息にも似たつぶやきをその場へもらした。

「ひょっとしたら、とは思っていたが、どうもそうらしい」

「悠さん、いったいなにがそうらしい……んだい」

 私の問いに、山藤悠一は人差し指を立てると、

「先生、ごらんのとおり、外はこの陽気です。そんな状態で遺体が放置されたら、どうなると思います」

「そりゃあ、腐敗が促進するだろう」

「その通りです。発見が比較的早かった前中青年の事件は別として、あとの五件の遺体は冷房の効いていない室内で数時間以上経過していたせいで、遺体の劣化が激しくなっていました。ところが……」

「鯛焼きだけがそれより緩やかな劣化だった……ってことかい」

 私の当てずっぽうに、山藤悠一はええ、と肯定してみせる。

「もっとも、最初は発見の時点でもまだ内部が冷えていたことから、腐敗の度合いが緩いのは冷凍庫から出して間がないものを置いたせいだと思われていたんです。ところが、六件それぞれの発生当日の気象状況を再現して行った実験では、どれも奥まで熱気が染み込んでいました。そうなってくると、こういう答えが出てくるんです。『犯人はわざわざ、殺害後数時間ほど経ってから、現場に戻って鯛焼きを置いて行った』っていう、奇妙な答えが……」

 神妙な面持ちに、私はグイと唾を呑んだ。

「警察に発見されるの可能性を顧みずに、そんなことをするだけの意味合いがあるのだろうか? 金品目当ての強盗ならばまあわかりますが、それにしては盗られたものがちんけすぎる。わざわざ殺人罪を背負ってまで布の中の数千円、数万円を盗っておきながら、預金通帳や実印、有価証券の類には目もくれない。おかしいじゃありませんか」

「確かにそうだが……たまにあるじゃあないか、目立つことが目的のシリアルキラーって。そういう可能性も捨てきれないだろうよ」

 推理小説を書いている以上、ただただ本職のご高説を聞いているだけではつまらず、私が持論を展開すると、山藤悠一はいやいや、と指を横へ振った。

「押し込み方に殺し方、逃げ方がそろいもそろって違うんです。普通はいくら他人を装おうとしても、どこかでボロが出てくるものなんですが、どうも一連のそれを見るとその気配がない。つまり……」

「『殺しの犯人と鯛焼きを置いた犯人は別人』ってことかい」

「そういうことです。本当の意味で、事件は振り出しに戻ったわけです……」

 その一言に、私は握った拳からそっと、力が抜けてゆくのがわかった。


 しかし、そんな非情な宣告をよそに、思いがけず事態は好転した。

 山藤悠一による推理を待つまでもなく、自分が前中殺しの犯人だと、大学の同級生が良心の呵責に耐えかねて出頭してきたのである。

「なんでも、文学談義が白熱しすぎて、カッとなって刺したらしいそうです。で、それから数日、恐ろしくて家にも戻れず、ぶらぶら彷徨っていたようなのですが、鯛焼きが置かれているとかで連続殺人扱いになっているのを見て、とうとう決心がついたそうです」

 と、犬井刑事と山岸刑事からそれぞれ電話で知らせを受けた私と金沢は、前中青年の御霊の安らかなることを祈り、そっと仏前へ手を合わせたのだった。

 だが、肝心の鯛焼きについては、依然として謎のままであった。逮捕された同級生がそもそも、この件について見覚えがないと語っている以上、第三者による手口であることは確実である。

 しかし、その第三者が分からないままに、時間だけが滔々と過ぎていった。山藤悠一のほうでも、これ以上私を都内に拘束しておくのは忍びないと思ったのか、時折経過報告の手紙をよこすという約束のもと、帰りの切符を私へ手渡してくれた。

「妙な事件ですねえ、無関係の現場に鯛焼きを置くなんて……」

 新潟の住まいからほど近い場所にある、退役自衛官が営む小さな喫茶店の常連である私は、主人の投げかけた不意の一言に、全くだよ、と素っ気なく返した。晴れているのに人入りの悪い、土曜日の朝のことである。

「特別なものならいざしらず、そこいらのスーパーで売ってる冷凍ものだっていうから面倒くさいらしい。そこにも共通性がないかと調べたが、いわゆるOEMのシロモノらしくて、皆目見当がつかないそうな」

 ガムシロップを並々注いだアイスコーヒーをなめながら答えると、主人はなるほど、と相槌を打って、大量生産時代らしい問題ですね、とだけつぶやいた。

 それきり、勘定を済ませるまで一言も発さないままに家に戻り、しばらく天井を見つめながら煙草をふかしていると、机のわきへ引っ張ってきてある黒電話のベルがけたたましい音を立てた。

「ハイ、Uですが……」

 煙草を挟んだ手で受話器を握ると、山藤悠一の若々しい声が耳に飛び込んだ。

「先生、山藤です。――事件のカギを握っているらしい人物から、コンタクトがありました」

「なんだって」

 積みっぱなしの全集に頬杖をついていた私は、腕を滑らせてそのまま畳の上をこすった。ひりひりする手をゆらしながら、なおも電話にかじりつくと、

「で、どこの何者なんだ」

「千葉の銚子に住んでいらっしゃる横尾さんという三十代の男性なんです。明日の午後、最寄りの支局まで来ていただくことになったので顔を出すことになったのですが……」

「わかってるよ、オレならオール・オッケーだ。列車は『犬吠』かい」

「古いなあ、先生は。とっくの昔に『しおさい』になってるんですから。ま、切符のほうは任せておいてください。ひとまず、明日の朝十一時に、丸の内で会いましょう」

 了解、と軽快な調子で返すと、私は先だって戻ってきたときに減った品々を鞄へ詰め込んでから、駅へと上り切符を取りに自転車を走らせた。


三、

 東京駅から総武本線を経由して銚子まで向かう特急「しおさい」の心地よい横揺れでいつの間にか寝入っていた私は、猫目大作のしびれを切らした声にやっと目を覚まし、荷物を片手にプラットホームへと降り立った。見ると、同行してきた仁科少年同様、霜降りの夏服に身を包んだ少年が一人、こちらのほうへやってくるではないか。

「やあ、ご苦労様。――先生、こちらは桜庭くんといって、銚子支局長をしている子です」

 日焼けした、いかつい顔にいがぐり頭といういでたちの桜庭支局長は、山藤悠一の簡単な説明を聞いてから、私に頭を下げた。

「桜庭くぅん、そろそろ行こうや。暑くってかなわない……」

 眉をハの字に曲げたまま、しきりに扇子を使う猫目大作に、桜庭は慌てて、参りましょう! と張り切って我々を案内しだした。

 ロータリーで待ち構えていた社用車に乗り込み、駅前から少し離れたところにある「(株)さつき探偵社 千葉県支部 銚子支局」と、壁面にあつらえてあるいわゆる看板建築の煤ぼけたビルに入ると、私と猫目はクーラーの効いたオフィスの一角、パーテションともども据えられたソファの上にへたりこんでしまった。

「――猫目、あまりのんびりしてられないぞ。なにせ、もうじきご本人がいらっしゃるんだからなあ。桜庭くん、約束は午後の一時だったね」

「はい、そうです。あと、二十分は余裕がありますね」

 気を効かせた桜庭が、ほかの探偵員に命じて運んでこさせた麦茶を飲みながら、十分ほど談笑していると、不意に、パーテションの向こうで黒電話がけたたましく鳴り出した。

「はい、こちらさつき探偵社銚子支部……ああ、どうもお世話になっております。はい? はい……少々お待ちください。桜庭さんっ、本署の糸成警部からです」

 探偵員から電話を取り次がれると、桜庭は急いで仕切りの外へ出て、受話器を受け取った。そしてしばらく、何やら深刻そうな調子で話を進めていたが、やがてそれが済むと、一目散に元の場所へと戻ってきた。

「やあ、なんかまた事件?」

 猫目が菓子盆のなかからとったチョコレートをつまみながら聞く。

「ええ、すぐそばの喫茶店で殺しがあったそうです……」

 ふと顔を上げると、目の前の桜庭の顔が嫌に青いのが目についた。どうかしたのかい、と突っ込んでみると、桜庭はおもむろに、

「被害者の身元がすぐにわかったそうなんですが、その相手というのがどうやら、今日いらっしゃるはずだった横尾さんらしいんです」

「なんだって――」

 山藤悠一が思わず立ち上がって尋ねると、桜庭少年は黙って首を縦に振り、被害者の財布の中から、自分が渡した名刺が出てきたから間違いないそうだ、と付け加えた。

 解決に一歩前進とも思われた鯛焼き事件は、ここで思わぬ障害にぶち当たってしまったのである。


 銚子支局から徒歩で数分ほどの距離にある食堂「まつぼっくり」は、押し寄せた野次馬と警察官、パトライトの瞬きで、すっかり平穏を失っていた。

「この顔、横尾さんで間違いありません……」

 シートをめくり、覆われていた被害者の顔を確認すると、桜庭はがっくりとうなだれ、肩をゆらしながら嗚咽した。その様子を銚子署の糸成警部と共に見ていた私は、なんとも言い難い、屈辱のようなものを覚えた。

 被害者となった横尾啓介は、市内在住の某大手生命保険会社外交員であった。どうやら今日の探偵社への訪問は仕事の合間に行われる予定であったらしく、発見時は夏物の背広といういでたちで、倒れた時に座っていたテーブルの足元には、商売道具である資料が詰まった鞄が置かれていた。

 店員の話によると、注文したカレーライスが来るのを待って煙草をふかしていた横尾は、いきなりのどをかきむしり、口元へ血をにじませながら倒れたのだという。

「ここにきて、とうとう事前にブツを忍ばせておいてからの凶行という具合になったわけか。――桜庭くん、気を落とすな。君に落ち度があったんじゃない、犯人のほうが卑劣だった、というだけのことだよ」 

 白テープで囲われた、横尾啓介殺害の凶器となった煙草の吸殻を指して、糸成警部は白い頬を硬直させる。まだ乾ききっていない、真っ赤な血で染まったセブンスターのチャコールフィルターは、犯人が不意に忍ばせた殺意の象徴のようなものだった。

 そしてそのそばには、まだ霜がはりついたままの、パッケージに一切れだけ詰め込まれた冷凍鯛焼きが鼻先を袋から覗かせている。つまり――。

「七件目でとうとう、自分から殺しをしやがったわけか」

 私のつぶやきに、仏に手を合わせていた山藤悠一はこちらを向き、

「どうも、今までと毛色が違いますね。殺しの現場に現れこそすれど、殺しだけはしなかったのですから……」

「なんでだろうなあ、ここにきて実力行使ってのは……」

 犯人の意図が読めず、腕組みしたまま食堂の空き椅子に腰を掛けていると、巡査に伴われて、六十がらみの日焼けした、どこか酒臭い老人が店の中へと入ってきた。

「横尾啓介さんのお父様、ですな」 

「け、啓介……!」

 糸成警部に問いに答える間もなく、老人はシートのかけられた息子のもとへ駆け寄り、おんおんと声を張り上げて泣き出した。

「刑事さん、いったい、倅が何をしたっていうんですか。うちの倅が……」

 事情を説明しようと桜庭が口を出そうとしたが、却って面倒ごとになりそうだと思った糸成警部が、代わりに事情を説明した。

「あの鯛焼き事件の犯人を……倅が?」

「そのようですね。こちらにいらっしゃるさつき探偵社の皆さんがあの事件を手掛けているのですが、息子さんから事件について知っていることがあるという相談を受けて、今日これから、事情を伺う予定だったそうです」

 キュウリに服を着せたような、背が高くて細身の体躯の糸成警部が淡々とした口ぶりで語るのを聞くと、横尾老人はますますひどくわめきだし、最後は巡査になだめられながら、店の外へと連れていかれてしまった。

 ひとしきりの取り調べや捜査上の打ち合わせを終え、私たちが最終ののぼり「しおさい」へ飛び乗ったのは、とっぷり日の暮れた頃合いであった。

 満身創痍で口もきけず、三人とも黙り込んだまま、買い込んだ駅弁をつつき、舟をこぎかけたままに時間が過ぎる。そして、ぼちぼち錦糸町の駅へ着こうかという段になって、山藤悠一がこんなことをつぶやいた。

「あの父親、ちょっと怪しいと思いませんか」

「――へっ?」

 鞄に放り込んであったウィスキーをピーナッツをあてに一杯ひっかけていた私は、酔いが聞かせた幻かと、まじまじ山藤悠一の顔を覗き込んだ。

「だって妙でしょう。いくら警察からの通報があったからって、顔も見ないうちから自分の息子の名前を叫びますか?」

「言われてみりゃあ……」

 山藤悠一の言葉通り、確かに妙だった。普通は顔を見るまで確証が得られそうにないものだが、あの親父は「啓介!」と断言していたではないか。

「じゃ、横尾啓介殺しの下手人はあの親父だってのかい」

「そうかもしれない、という次元の話です。いずれにせよ、彼を野放しにしておくのだけは避けたほうがよさそうです。明日さっそく、千葉支部へ捜査指令を通達しておきましょう」

 ――こりゃあ、意外な展開だぞ。

 窓際においたポケット瓶を手に取ると、私はほんの数ミリばかり積もっていた琥珀色のそれをぐいと飲み干す。

 タイフォンの音も軽快に、「しおさい」は錦糸町の駅目指して速度を保ちながら走り続けていた。



四、

 翌朝の新幹線で新潟へ戻ると、夕方にはさっそく、市内の探偵社支局を通じて私宛に捜査の進捗状況がもたらされた。結果からいいえば、山藤悠一の見立ては見事に当たっていた。

 横尾啓介の父親・銀造は地元では有名な遊び人で、入ってくる金を次から次へと博打につぎ込むため、妻子ともども悲惨な生活を送っていたと、昔から銀造を知っている人間は口をそろえて、

「ろくでなしのところにあんな秀才と美人の嫁さんがいるんだから、因果なもんだなあ」

 と、後年、学費免除の特待生として大学を出た啓介と、二十数年前に家出したきりの妻・和代のことを不憫がるのであった。

 そして、山藤悠一がとくに訝しがったのは後者である和代の失踪であった。

「――失踪宣告も出て、もうとっくの昔にどこかで亡くなったものと思われているようなのですがね」

 晩にかかってきた電話越しに、山藤悠一はこう切り出した。

「当時の警察の捜査記録を閲覧して気づいたんですが、最後に目撃されたのが駅前だとか、繁華街ではなく、移動販売の肉屋との会話をしているところなんだそうです」

「ってことは、家の敷地内が最後の目撃場所ってことか」

「ええ。もっとも、日中は銀造は家にいませんでしたから、犯人という風には思われなかったようです」

「しかし、それが今度の事件とどう関係あるって言うんだね。鯛焼きだよ、鯛焼き。鯛焼きが犯人の目印なんだぜ」

 少し意地悪くけしかけてみたが、次の瞬間に飛び込んできた情報に、私はすっかり打ちのめされてしまった。

「失踪の前日、和代さんは屋台の鯛焼きを買い物帰りに買っているんです。近所の人もいってましたよ。啓介さんは一緒に食べた鯛焼きが、母親との最後の思い出だったって。きっと、そのことを思い出させるために、あんな真似をしたんでしょう」

 あんな真似、という山藤悠一の言葉に私はしばらく戸惑っていたが、やがてある結論に達すると、思わず声を荒らげてしまった。

「悠さん、もしかして今度の鯛焼き事件の犯人って――」

「――さすが先生、もうお気づきになられましたか。真犯人は保険外交員の横尾啓介、そして、二十五年前の横尾和代殺害事件の下手人にして息子殺しの犯人は、横尾銀造とみて間違いないでしょう」

 山藤悠一の一見突拍子もない推理の証明が果たされたのは数日後、横尾銀造の証言通り、家の床下深くから横尾和代の骨が発見されてからであった。同時に、銀造は倅である啓介の吸う煙草に農薬を混ぜ、殺害を図ったことを認め、ここに二十五年前の事件と現在の事件が二つ、無事に解決するという思いがけない展開が待ち構えていた。

「鯛焼きを置いて回っていたのは、外交員の啓介だったんだね」

「ええ。銀造の話では、幼かった啓介さんに奥さんを絞殺する瞬間を目撃され、『これがばれたらお前も同罪だから黙っているんだぞ』と口止めをしたんだそうです。やがて、殺人事件としての時効も過ぎてしまったが、啓介さんにはずっと、優しい母親を見殺しにしたというしこりが心のどこかに残っていたでしょうね。で、ここから先は僕の推測なんですがね――」

 探偵社の日当たりが良い南向きの応接間で、山藤悠一は私にアイスコーヒーをすすめながら、横尾啓介が一連の事件を起こすに至った経緯を語って見せた。

「おそらく、第一の事件とは別に、突然死した住人に出くわしたことがあるのでしょう。それで、その光景が過去の母親との死別にダブった啓介さんは、その前夜に母親が買ってきてくれた鯛焼きを置いて、目的不明のシリアル・キラーによる犯行として、世間に大々的に報じさせようとした。そうすればいやでも、銀造の目につきますからね」

「たしかに保険の外交員なら、日中にうろうろしてても怪しまれはしないからなあ。しかし、それがどうして銀造にばれたんだろう」

「遊び人というのは得てしてめざとい神経をしていますからね。なんでも、啓介が買ってきた冷凍の鯛焼きが、本人が食べているそぶりがないのに消えているのを訝しんで、問い詰めたんだそうです。そこで息子の真意を知った銀造は、すぐでなくてもいいだろうと、物置にしまってあった古い農薬を用いて毒殺を図った――」

 ふと、そこまで聞いていた私は、走らせていたペンを止めて顔を上げた。

「おい、まさかその農薬って……」

 私の問いの真意がわかったのか、山藤悠一はさあ、どうでしょう、と前置きをしてから、

「和代さんは骨だけになってしまっていますから、今となっては殺害に農薬も用いられたかどうかはわかりません。ただ、母子ともに同じ毒のえじきになったかと思うと、これほどむごたらしい偶然はないでしょうね」

 窓の外で喪砲のように鳴り響く和光の大時計の音に、山藤悠一はどこか儚げな表情を浮かべながら耳を傾けていた。

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