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南沢寺での惰性的な日々はエモい。  作者: 濃紺色。
南沢寺での惰性的な日々はエモい。
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羊と夜。

水帆の元カレであり、湊が嫌う屑男、南君。

彼の、ちょっとした一夜の話。


ようこそ、南沢寺へ。

今までどれ程の役を演じてきたのだろう。

演劇を知ったのは中学生の時だった。1年に1度の学芸会。2年生の発表会で主演をやったら、注目される気持ちよさ、自分以外の何かになれる気持ちよさを知った。高校に入ってからは演劇部に入部。「演劇中毒者」と言われる程、没頭した。

好青年、殺人犯、優しいお父さん、工場長、ヤンキー、魔法使い……様々な役を演じていくうちに、いつの間にか、本当の自分が分からなくなった。

今の自分は何かを演じているのか、それとも素なのか、わけが分からなくなって頭がおかしくなりかけたこともあった。今では何だか吹っ切れて、何でもよくなった。どう言われが今の俺が、俺だ。

いや、よく考えてたら俺はもっと昔から必死に……。


「お疲れ様、南君」


突然、肩を叩かれて我に返った。

褐色肌。艶々の唇。茶髪のショートヘアー。30代ならではの色気。白Tシャツの下から張り出す2つの豊かな膨らみ。ジーパンがお尻と太腿のラインをいやらしく浮き彫りにさせている。


「お疲れ様っす、加奈子かなこさん」


加奈子さんはぷるぷるの唇を笑わせた。


「また、明日ね」


俺の頭をポンポンと優しく叩くと、加奈子さんは上着を羽織り、稽古場を後にした。

俺は南沢寺の小劇場を中心に公演をする劇団「羊と夜。」に入っている。加奈子さんは劇団の先輩女優だ。30代特有の色っぽい見た目から年上好き、お姉さん系好きな男性ファンが多数いる。


「……帰りますか」


まだ稽古場に残っている団員に挨拶をして、階段を上がり、外に出た。

寒い。

白い息がゆらゆらと暗くなりかけた空に浮かんで消えていく。

イヤホンを両耳に付け、音楽を流す。

俺達の劇団「羊と夜。」は、同じく南沢寺を中心に活躍する「夜と羊。」というバンドと提携している。彼等の歌を劇中歌として1曲以上は1つの劇に絶対使っている。

日常に潜む憂鬱を叫ぶ女性の歌が鼓膜を震わせる。今稽古中の「雨はうるさい。」という舞台の「傘とアスファルト。」という挿入歌を聴いている。

両手を上着のポケットに突っ込み、街を歩く。

小劇場、ミニシアター、ライブハウスが立ち並ぶ「南沢寺パフォーマンス」は表現者が集う道。独特なヴィジュアルの人々が白い息を吐いて南沢寺にいる自分に酔いしれるように歩いている。あぁ、表現者である自分がかっこいい、と。分かるよ、その気持ち。俺も同じだよ。

に、しても、やっぱり、この曲……。


「何、聴いてるの?」


左耳のイヤホンを外され、そこから入って来たのは吐息混じりの甘い声。微かに聞こえる唾液の音にもドキドキしてしまう。


「加奈子さん、じゃないすか」


加奈子さんが持つ、俺の左耳のイヤホンからシャカシャカと音が漏れている。


「この曲、安っぽいわよね。まるで、自分は憂鬱、希死念慮の全てを知っている……みたいな」


俺は無言で加奈子さんを見た。

加奈子さんは口元を緩ませた。


「ふふふ、驚いた顔しちゃって。可愛い」


この人は分かってる。よく見たら、目は一切笑っていない。


「ちょっと、付き合ってよ」




俺達は南沢寺にあるお寺、「沢寺さわでら」の階段に腰を下ろした。南沢寺の由来は、南に「沢寺」がある街ということらしい。

夜のお寺はあまりにも静かで異世界に行ったような不気味さがあった。

ごくり、と一口、加奈子さんはアルミ缶に入った温かいココアを口に含んだ。ここに来る前に自動販売機で買った物だ。


「役者やってるとさぁー、自分って分からなくならない?」

「分かりますよ、今じゃ元の自分がどんな人か覚えてませんもん」

「南君って、彼女はいるの?」

「え?」


突然の質問に思わず、聞き返してしまった。


「え、いや、彼女」


キョトンとした顔で首を傾げる加奈子さん。

元カノとその弟となら一緒に住んでいるが、別に彼女は……。


「いませんね」

「ふーん……。ほれ」


加奈子さんがココアを渡してきた。


「え? いいんすか」

「飲みな、飲みな」


間接キスとかそんなのは気にしないんだな。そんな小さなことでやっぱり加奈子さんは大人だなって思った。


「あざっす」


俺も一口飲むと、加奈子さんにココアを返した。


「今じゃ私も何が本当の自分だか分からなくなっちゃった」


また一口飲んでココアを差し出してきた。


「そう、なんすね」


俺も一口飲んで返す。

加奈子さんはまた一口飲むと、


「君はいつから演じてるの?」


俺の目をまっすぐ見て、尋ねてきた。

これが、演劇の話ではないことぐらいすぐに分かった。

俺はココアを受け取った。飲み口は俺と加奈子さんの唾液が混ざり合っていた。


「ずっと、演じ続けてるんでしょ?」

「加奈子さんが質問する番じゃないっすよ」

「何それ」

「ココアを持っている人が喋れるってゲームっすよね、これ」


加奈子さんは唇を尖らせた。


「もぉー、じゃあ早く飲んでよ、ココア」


よく見たら、加奈子さん、俺と似たような目をしている。救いようもないぐらいに濁っていて、真っ暗だ。


「加奈子さんも……同じ、なんすか?」


ココアを飲む。唇を飲み口から離すのが何だか惜しくなってきた。ココアを差し出す。

加奈子さんは飲んだココアを差し出してきた。


「誰かに愛されたかった?」


その質問に思わず、固まってしまった。多分、加奈子さんに気が付かれた。加奈子さんは色っぽく微笑むと、差し出したココアを引っ込めて、


「あ」


一気に飲み干した。


「ん」


次の瞬間には俺と加奈子さんの唇の距離はゼロになっていた。加奈子さんの口から甘い甘い唾液が流れ込んできた。ココアだ。


「んんっ」


口に含んだものを飲み込まず、俺に口移ししている。甘い甘い甘い。俺はとろけそうになりながらそれを飲み込んだ。

ゆっくり、ゆっくりと唇と唇が離れていく。

お互いの鼻先と鼻先がくっつき合う位置で止まった。

ふふ、と加奈子さんの鼻息が僕の口元にかかった。温かく、いやらしく。


「寂しかったから、演じてたんでしょ? 1人に、ならないように」


もう、涙は流れない。とっくの昔に全て枯らした。でも、この気持ちをどうにか加奈子さんに伝えたくて。


「んんんっ」


再び、唇を合わせた。加奈子さんの声が口から漏れる。舌と舌が絡み合う。お互いを求め合うように。貪り合う。そして、再び、ゆっくり、ゆっくり、離れる。

気が付くと、俺と加奈子さんは抱き合っていた。さっきから加奈子さんは俺の左耳を甘噛みしたり、舐めたりしている。俺も真似をすると


「いやっ、くすぐったい」


と耳元で静かに笑う。その度に頰と頰が擦れ合う。

不意に同居人である元カノを思い出して、少し我に返る。本当にほんの一瞬だけ。後は謎の背徳感で興奮の波に飲まれる。


「どうして、俺と、こんな……」


加奈子さんは殆ど息のような声で囁いた。


「寂しい羊同士、慰め合うのもいいかなって」

「……いいっすね、確かに」


多分、俺達は似た者同士だ。

加奈子さんには、過去に何があって、何を演じたのだろう。


「でも、ごめんね。私、30代のおばさんで」

「まだまだ、綺麗なお姉さんっすよ」


加奈子さんは照れ臭そうに、


「もう、おばさんをからかわないで」


と笑った。


「……また、こんなこと、したいっす」

「いいよ。私も、したい」


それから、また無言で抱き合い続けた。

寒さなんて一切感じなかった。

悲しく演じ続けている羊同士、一緒にいれば、夜なんて寂しくない。

とても、いいアイディアだと思った。

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