「制裁者」。
この街の夜は、様々なものを引き寄せる。
ようこそ、摩訶不思議な南沢寺へ。
「あーあ、酔っ払っちゃったー……むー……」
「ほら、加奈子さん。いい歳なんだからちゃんと歩いてくださいよー」
「あー! やっぱり、私のこと、おばさんだって思ってるでしょー」
「違いますよ。俺よりお姉さんなんですから、って意味っす」
小さくて古びた道。気持ちよくなりながら2人で南沢寺の夜を歩く。
「私さぁー、この道好きなんだよねー。何て言うの? そのー……昭和ーって感じでー」
「レトロな雰囲気ありますよね」
「そうそれ! レロト!」
「レトロっす」
「南沢寺レインボー」。南沢寺の北東に位置する古くて小さな商店街。古びた居酒屋、カフェ、アパートが立ち並んでいる。昭和にタイムスリップしたような、懐かしい雰囲気で一部のサブカル好きには人気のスポット。特にカメラ好きがよく来る。
「カクテルって美味しいからさー沢山飲んじゃうよねー。次は気を付けるねー南君」
「加奈子さん、それ、毎回言ってます」
俺と加奈子さんは稽古終了後、行き着けの居酒屋、「深海魚」で飲んでいた。「南沢寺レインボー」にひっそりと並ぶ、隠れ家的な居酒屋だ。
「南君、全然酔っ払ってないー? もしかして」
「結構酔ってますよ。ま、加奈子さん程、酷くはないっすけどね」
「あーそういうことを言うーもーう」
加奈子さんは酔っ払うと、甘えん坊になる。素面の時とは大違いだ。彼女は俺と同じ劇団、「羊と夜。」に所属する先輩女優。褐色肌。艶々の唇。茶髪のショートヘアー。大きな胸と綺麗なお尻、太腿で多くの男性を魅了してきた。30代特有の色っぽい見た目から年上好き、お姉さん系好きな男性ファンが多数いる。そんな大人の女性がお酒だけで、こんなことになってしまう。
「ほら、もうすぐっすから、頑張ってください」
加奈子さんの住んでいるアパートは「南沢寺レインボー」を抜けたすぐ先にある。
「頑張るよー加奈子ー!」
突然、異様な雰囲気を感じた。
古びた居酒屋とカフェの間。暗く狭い、塵捨て場と化した隙間。
「南君、ボッーとしてるよー」
加奈子さんに顔を覗き込まれて、我に返った。
「すみません。行きますか」
千鳥歩きの加奈子さんを連れて「南沢寺レインボー」を抜けた。
そこで俺は足を止めた。止めてしまった。
「ん? どうしたの、南君?」
加奈子さんは眠そうな目で首を傾けた。
「あーあのさー」
どうしてこんなに気になるようになってしまったんだ。今までだって散々見ない振りしてきたじゃないか。現に、ずっと付いてくる飼育型「塵」、首子とガス子のことなんか視界に入れていない。
「ん? なーに? 何ですか? 南君」
「先、家行ってください。後で行きますんで」
「え、何々? ちょっと、浮気ー?」
俺は思わず吹き出してしまった。
「はははっ、俺達、付き合ってないじゃないっすか」
加奈子さんも微笑んだ。
「冗談よ、冗談」
なんとなく、目が笑っていないような気がしたのは……気の所為か。
「居酒屋に忘れ物しちゃったんすよ」
「あら、そうなの? じゃあ、先行ってるねー!」
加奈子さんはくるっと背中を向けると、早足で家に向かっていった。
俺は再び、「南沢寺レインボー」に入った。
先程、異様な雰囲気を感じた隙間へ走って向かった。
「あ」
奴がいた。
細身で低身長。アッシュグレー色に染まった、さらさらの髪。
アッシュグレー君がこちらに背中を向けて、古びた居酒屋とカフェの間に出来た暗闇を眺めていた。
「アッシュグレー君。どうしたの?」
アッシュグレー君は面倒臭そうな顔をしながら、こちらに四白眼を向けた。
「……また、てめぇですか? 黒髪マッシュさん」
「あら、イケメン君じゃない」
テニスボールぐらいの黒い球体が近付いてきた。アッシュグレー君の飼育型「塵」、「猫」だ。
「どうもー。南です」
そろそろ名前、覚えて欲しいな。
「今日はどんな『塵』が? あれだよね、地縛型だよね?」
「はい。そうですよ」
アッシュグレー君が前を向き、俺もそれに倣った。ポイ捨てされた塵が散らばった隙間。そこに誰かが立っていた。ただ、普通の形じゃない。皮膚と肉がブクブクに膨れ上がっている。肥満とかいうレベルではなく、醜く膨張した感じ。隙間に挟まっていた。そいつは豚のマスクを被っていた。着ている黒いダッフルコート。正面のド真ん中にデカデカと、「制裁者」と白文字で縦書きされていた。
「徹底的に完膚なきまでの制裁を。徹底的に完膚なきまでの制裁を。徹底的に完膚なきまでの制裁を。徹底的に完膚なきまでの制裁を。徹底的に完膚なきまでの制裁を」
徹底的に完膚なきまでの制裁を。
地縛型「塵」、「制裁者」は同じ言葉を何度も繰り返していた。
視界の隅で、首子とガス子と「猫」が遊んでいるのが見えた。空中で「猫」を追いかける首子。それを見ながらあたふたするガス子。
「……逃げろ」
アッシュグレー君が小さな声で呟くように言った。
「え? 何て?」
「いいから逃げるのです!」
アッシュグレー君の大声が夜道に響き渡った。
俺はわけの分からぬまま、アッシュグレー君の気迫に負け、彼と一緒に走り出した。突如、後ろでパァンッ! という爆発音が聞こえた。
「振り向かないで走り続けるんです!」
と言うアッシュグレー君の指示に従った。「南沢寺レインボー」を出たところで2人して立ち止まった。後からゆっくり飼育型「塵」、3体がやってきた。
「南沢寺レインボー」の前で乱れた呼吸を整えた。
「……一体、何が?」
「爆発ですよ」アッシュグレー君が俺の言葉に被せるように言った。「さっきの地縛型『塵』は悪い気を溜め過ぎて限界まで膨張していました。で、さっきの爆発音……」
俺は目を見開いた。身体が震えていた。
「まさか……」
「そう、そのまさかです。地縛型『塵』が爆発しました。つまり、あの付近に悪い気が散らばりました」
悪い気が人間に降りかかると、理性を失い、暴走する。
「だから、逃げたのか……」
「そうです。それに悪い気はどんな壁もすり抜けます」
「南沢寺レインボー」から「ああぁぁああぁぁああぁぁっ!」という絶叫と何かと何かがぶつかり合う音が聞こえた。
俺とアッシュグレー君はそちらに目を向けた。それからお互いを見合った。
この震えは恐怖からじゃない。興味だ。圧倒的な好奇心。
アッシュグレー君は俺の心中を察してから、ゆっくり首を横に振った。
「行かない方がいいですよ。止めはしないですけど。巻き込まれますよ。暴走した人間は強い。怖いものがないですから」
未だに激しくぶつかり合う音が聞こえた。
「……行きたかったなー」
「別に止めてないですよ。ただの忠告です。てめぇのお好きにどうぞ」
「そんな冷たいこと、言わないでさーもっと……あ」
そこであることを思い出した。
「……どうしたんですか?」
「いやー……全く関係ないんだけどさ、これ、あげるよ、美味しいやつ」
俺はリュックサックから淡い黄色のアルミ缶を1つ取り出して、アッシュグレー君に渡した。
「何ですか、これ」
「さっき行った居酒屋でもらったんだよ。酎ハイ。『宵宵』って知ってる? それ、期間限定のパイン味」
嘘だ。本当は、マヨネーズ味という罰ゲームみたいな飲み物だ。
「へぇー、ありがとうございます」
アッシュグレー君は蓋を開け、躊躇なく飲んだ。アッシュグレー君が吹き出す光景を想像して、思わず、笑ってしまいそうになる。
が、予想に反して、ぐびぐびと休憩もせず、アッシュグレー君はそれを一気に飲み干した。空になったアルミ缶を「南沢寺レインボー」に投げ捨てた。
「黒髪マッシュさん! これ、マヨネーズ味じゃないですか!」
「……あれ?」
アッシュグレー君の目は、何故かキラキラと輝いていた。
「え、あぁ……うん、そうだけど」
「どこで……どの居酒屋で貰ったのですか!?」
え、何その食い付き具合。
「『南沢寺レインボー』にある……『深海魚』って居酒屋で……」
「へぇー凄いですね! 今度行きます!」
そもそも、アッシュグレー君はもう成人なのだろうか。
「あぁ……うん」
もう、その頃には、「南沢寺レインボー」は静まり返っていた。
「じゃ……じゃあ、またね」
何か、反応つまらなかったし……もういいや。
「でめたし! でめたし!」
アッシュグレー君は「猫」と共に、元気よくその場を去っていった。
俺も加奈子さんのところへ早く行かないと。
その時ふと、「南沢寺レインボー」に誰かが入っていくのが見えた。濃紺色のパーカーを着て、フードを被っている。両手をパーカーのポケットに突っ込んで辺りを見回していた。
「……可哀想に」
俺は微笑んでいた。
あーいう、何も知らない馬鹿が「塵」の被害者になっていくんだろうな。そう思うと、おかしくて仕方がなかった。
今日も楽しい夜だ。これだから、南沢寺は止められない。
俺は早足で、加奈子の待つ家へと向かった。
僕も30代ぐらいの年上女性と遊びたいし、遊ばれたい。
加奈子さんは自分のタイプです。




