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南沢寺での惰性的な日々はエモい。  作者: 濃紺色。
南沢寺にはよく「塵」が流れ着く。
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あの頃の俺には会えない。

南は何故、ヘラヘラと笑いながら生きるようになったのか。

ある涼しい夜、南は闇に沈めた過去を思い出す。

ベランダとリビングを隔てる掃き出し窓を開けた。今、外と中を仕切っているのは、網戸のみ。

網戸を背に、床に胡座をかく。夜の心地よい風が、Tシャツ越しに背中を撫でる。ロックグラスに入った水を飲み干した。空になったそれを床に置く。

静かだ。静かで暗い。真っ暗だ。部屋中の電気を全て消しているのだから当たり前だ。

現在時刻、1時10分。

同居人の水帆と湊は自室で寝ている。

風呂上がりの身体の火照りが夜の涼しさに少しずつ奪われていく。

別に毎晩こんなことをしているわけではない。というか、全くしていない。なんとなく思い立って、部屋の闇に紛れることにしただけだ。


「……『憂鬱軍』に光を……『憂鬱軍』に光を……」


左隣から、か細くか弱い少女の声が俺の耳に届く。


「まだ、言ってるのー?」


俺は思わず、笑ってしまった。


「……『憂鬱軍』に光を……『憂鬱軍』に光を……」


左隣には、濃紺色のガスマスクを被ったセーラー服の少女が立っている。彼女の手には、黒色のサブマシンガンが1丁。胸ポケットには黒文字で「少女兵」と縦書きされている。

俺が飼育している「塵」だ。飼育って言っても彼女が勝手について来ているだけだが。

右下から視線を感じ、そちらに目を向ける。床には元カノであり、同居人である水帆の、首から上がいた。彼女の額には「忘れられない女」と黒文字で横書きされている。こちらも俺の飼育している「塵」。


「……『憂鬱軍』に光を……『憂鬱軍』に光を……」

「さっきまで静かだったのにさぁ、急にじゃん」


俺には「塵」とコミュニケーションを取る力がない。ただ、見えるだけ。一般人に見えないものが。南沢寺にやって来る、得体の知れないものが。「変なもの」が。「塵」が。


「首子は静かだよなぁ、ずっと」


首子。水帆の首から上だけの「塵」に付けた名前。首だけの女子だから、首子。コミュニケーションが取れないから本人が自分の名前を理解してるのかは分からないけど。


「ねぇ、もっとさ、ガス子も見習ったらどう?」


ガス子。セーラー服を着た「塵」に付けた名前。ガスマスクを被った女子だから、ガス子。どっちも覚え易くて可愛いだろ? モテる男はセンスもあるのさ。

今やっているように、時たま同じ言葉を繰り返す、ガス子。何も言わずにただ俺を見つめるだけの、首子。この違いに何か意味があるのだろうか? さっぱり分からない。

ガス子が急に黙った。

1人と2体の静かな夜。

不意にデジャヴのようなものが俺を襲った。

知っている、この感覚。夜。静かで暗い。……寂しい。前にもこんなこと……。


「……あれ」


右頬に温かい液体が伝った。右腕で拭う。透明。夜色に染まっている。涙だった。暗い部屋に視線を戻す。

夜に溶けていた筈の記憶が、一気に俺を……。


「俺さぁ……家族に愛されなかったんだよね」


口が勝手に動いていた。他でもない。俺は首子とガス子に話しかけていた。会話も出来ない「塵」達に。


「愛されなかったんだ」


話せなくてもいい。でもどうか聞いて欲しい。それだけでいい。今夜はそんな気分なんだ。

相変わらず、無表情の首子と立ったまま微動だしないガス子。


「……まぁ、よくある話なんだけどね」


そう、これはよくある悲劇。


「俺の父親がさ、母親に暴力を振るうDV男だったわけ」


父親の怒鳴り声、母親の悲鳴が脳裏に蘇る。思わず、両手をぎゅっと握っていた。


「酒を飲んでは暴力を振るい、酒を飲んでは無理矢理母親を犯して、俺のことなんか気にも留めてなかった。父親は仕事のストレスがどうたら、って怒鳴り散らしてたけど……とにかく、俺にとっては父親がストレスだった」


網戸から漏れる夜風が少し寒く感じ始めた。


「俺はただその悲惨な家庭を眺めてるだけだった。小学4、5年生の時ぐらいからかな。父親がいない時に母親が俺に暴力を振るうようになった。テストで低い点数だったり、ちょっとでも歯向かうと馬乗りになって殴ってきた。……こんな綺麗な顔をさ、罪な人だよねぇー……ははは」


そうだ。俺はこんな風にずっと、ずっと……。


「笑うようになった。俺は母親の機嫌をとる為に。笑うように。へらへらと。優しく、害なく、温かく。辛くても悲しくても泣きたくても、笑顔でいるようにした。痛いの嫌だったし……その、何て言うか……暴力を振るってる母親は本当に怖くて俺を、もう、どうでもいいって思ってるように見えて……臭いけど、愛されたかった。だから、演技を始めたんだ。笑っていつでも幸せそうに。抵抗の意思が見えないように」


そう。そうだ。こんな風に、夜1人で電気も点けず、暗い部屋で。夜の音を聞きながら笑顔の練習をしてたっけ。


「そうしたら、母親の暴力は少なくなり、クラスメイトの女子にチヤホヤされるようになった。自分が他人に必要とされているようで気持ちがよかった。だから、ずっと、笑って何でも誤魔化して、演技をしながら生きようと思った。……思ったんだ」


言葉がどんどんと溢れ出る。小さなバケツから溢れる大量の水のように。


「今じゃあ、もう、本当の自分が分からなくなったよ。笑ってるのが当たり前になってるし、演劇も始めて色んな役を演じたし……自分を完全に見失った。多分、2度とあの頃の俺には会えない。分かるんだ。確証はないけど、確実に。いくら探しても見付からない。もう、見付ける気もない。疲れちゃったんだ。……俺らしくないっしょ」


ほら、また笑ってる。もう癖なんだ。どうしようもない。

首子とガス子には当然、一切変化はない。

いい。それでもいい。


「だからさ、水帆の家庭状況を知った時、すっごい親近感が湧いて……あ、自分だけじゃないんだ、って。水帆は自分の心の拠りどころになってたんだよね。弟の湊君も放って置けなくなった。完全に自分のエゴだし、本人達にとっては迷惑だって分かってるけど、それでも、離れたくないって思ったんだ。……湊君は完全に俺を嫌ってるけどさ」


暗い天井を見上げた。

心地のよい静けさ。


「ふぅー……」


何だかスッキリした。思っていることを口に出すだけで、こんなにも気持ちが軽くなるのか。「塵」達に話してるっていう設定のお陰もあるのかな。


「……1人でボソボソと何を話してるんですか?」


驚いて声のした方に目を向けると、湊君が彼の部屋のドアの前に立っていた。不審なものを見るような彼の目が俺を捉えていた。


「よー、湊君」


湊君は表情を一切変えずに、


「よー、じゃないですよ。窓締めて、早く寝てください。……風邪引きますよ?」


強い口調で言った。が、眠気からか、いつもよりは緩やかだった。

俺は微笑んだ。


「お、何ー? 心配してくれてるの? 湊君」


湊君は顔を歪め、不快感を露わにした。湊君は表情筋が弱い。だから、何を考えているのかあまり分からないが、嫌悪、蔑み、といった負の感情だけの表現だけはどうやら得意らしい。ストレートに伝わってくる。


「……違いますよ。南さんが具合悪くなったら看病するの僕ですからね? それが面倒臭いだけです」


そう言うと、湊君はトイレに向かって行った。


「……で、結局、君達は聞いてくれたわけ? 俺の感動的ストーリー。全米泣くよ。間違いない」


何も言わない、首子とガス子。いつの間にか、どちらも俺を見ていた。さっきまで首子しか俺を見ていなかったのに。


「また、独り言ですか? 頭がおかしいんですか?」


用を足し終わったのか、湊君は自室のドアの前に立っていた。


「よー、湊君」

「だから、よー、じゃないですって」


湊君は溜め息を吐くと、ドアノブに手をかけた。

何だろう。何だかいつもと態度が違う気がする。少し丸いような……。気の所為か?


「取り敢えず、何でもいいから早く寝てください。……お姉ちゃんも心配します」


そう言うと、湊君はドアを開け、自室に戻った。


「……水帆が俺を心配、か……ふっ」


今の笑いは心からのだと思った。こんな夜も悪くない。悪くない気がした。


「おやすみ、首子。ガス子」


ソファーに横たわり、目を閉じた。

掃き出し窓も閉めてない。かけ布団もかけてない。でも、それでいい。それがいいんだ。

今は風邪を引きたくて仕方がない。

南君と湊君はどちらも不器用だけど、不器用なりに、信頼し合ってます。

湊「そんなの嘘です」

南「またまたぁー」

湊「……キモ」

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