裏社会と機密。
結局、碧夜はどうなったのか。
ようこそ、血生臭い南沢寺へ。
気が付いた時には警官とパトカーに囲まれていた。
赤と白と怒号と……あまりの眩しさに目を細めた。
俺が北沢を痛め付けている間、俺の名前を何度も呼んでいたあいつは忽然と姿を消した。
抵抗する体力は残っていなかったし、そもそも、警官を傷付けても何の意味もなかった。
北沢の両手首を掴んでいた右手を離し、左手に付けていた濃紺色のメリケンサックを地面に置いた。
北沢の腹に馬乗りになったままの状態で両手を挙げ、抵抗の意思がないことを示した。
俺は数人の警官に押さえ付けられ、南沢寺署へと連行された。当然、2つのメリケンサックは没収された。
だが、何故か2時間ぐらいで俺は警察署から出された。メリケンサックもきちんと返された。傷の手当てもしてもらった。わけが分からなかった。北沢はどうなったのか。俺は何故逮捕されなかったのか。何1つ、分からなかった。
深夜1時27分。ボロボロの身体を引きずりながら家を目指した。何かを考える体力はもう殆ど残っていなかった。
暗い夜道を歩いている時、背後に気配がした。が、いざ対応しようとした時には、右の脇腹に何か硬い物を押し付けられていた。
「動かないで。静かに」
とても魅力的な声だった。同性の俺からしても色気を感じた。低く、それでいて、柔らかく、心地のよい声が背後から耳に届いた。
誰もいない住宅街。佇む俺とそいつだけが暗く静かな夜道に存在していた。
ふっ、と低い声が小さく笑った。
「聞き分けがよくてありがたいよ」
「……要件は何だ、く……」
屑、と言えなかった。謎の威圧感が背後から犇々と伝わった。
「おっと……そちらからの質問はなしだ。今から僕が言うことを聞いて欲しい。そして、きちんと守って欲しい」
俺はゆっくり頷いた。
男性の声は続いた。
「どこから話そうか……。結論から言うと、今回の君が起こした事件には、表に出てはいけないことばかりが絡んでいる」
……表に出てはいけないこと?
「北沢家……『南沢寺X』……そして、濃紺色のメリケンサックを持った君。様々な裏社会と機密が絡んでいる。一筋縄ではいかない」
……何だ? 何の話をしている? 北沢家は分かる。だが、「南沢寺X」は何だ? 南沢寺に以前から存在する、ただの都市伝説ではないのか?
「よって、今夜……いや、正確には昨夜、君が起こした事件はなかったことになる」
なかったことに? だから、俺は警察から解放されたのか。
「今回、『南沢寺X』の見習いがこの事件に絡んでしまった。だから、僕達は君を助けることを決めたのだ。警察から解放した」
駄目だ。頭の中がごちゃごちゃだ。整理をしたい。昨夜、俺は北沢をボコボコにした。それを誰かに見られて、通報された。俺は警官に連行された。だが、2時間程で解放された。その理由は、北沢家、「南沢寺X」、そして、俺。「南沢寺X」が俺を助けた理由は、「南沢寺X」の見習いがこの事件に絡んだから。つまり、その見習いは……俺を助けた、あいつ?
「そして、もう1つ。君が『メリケンサックの悪魔』の後継者であったから」
こいつ……そこまで……。
「僕達は以前の『メリケンサックの悪魔』にお世話になった。僕達にとって、母親のような存在だった。彼女のメリケンサックを君が持っていた。そこには深い理由がある筈だ。君を後継者として選んだ理由が」
2つのメリケンサックをくれた綿矢の母親も「南沢寺X」に入っていたってことか? そこまでは知らなかった。
「そこで提案がある。Yesだったら頷く。Noだったら首を横に振って欲しい」
……何なんだ。
「君には、『南沢寺X』に入って欲しい」
俺は思わず固まった。
俺が……「南沢寺X」に? 南沢寺の殺し屋集団に?
そもそも、本当に彼等が存在していたことにも驚きだ。見習いまでいたとは。ただの都市伝説ではなかったのか?
「……あまり時間がない。答えを欲しい」
そんなもの決まっている。
俺は、首を横に振った。
当たり前だ。集団として活動したら俺の楽しみが少なくなる。俺は屑を最初から最期まできちんといたぶりたいんだ。他人に邪魔されて堪るかよ。
「そうか……残念だ」
声は本当に残念そうだった。
「では、仕方ない。最後にこれだけは守ってくれ。君が起こした事件、今の僕と君の会話……つまり、昨夜から今に至るまでを全てなかったことにして欲しい」
俺は頷いた。
「その代わりと言っては難だが、君の口座に毎月、生活費を入れておく。勿論、死ぬまで。君の生活の足しにしてくれ。これは、君と僕との取引だ。これには、謝罪の意味もある。君には南沢寺高校を退学してもらうからだ。もう、明日から君の席はない」
退学、か。あいつの秘密を知ったから当たり前か。まぁ、別に学校なんてどうでもいい。ただ、澄人とかすみにあまり会えなくなることが、少しだけ、ほんの少しだけ、心残りなだけだ。それと、養護教諭の滝沢に礼を言えてない。何回お世話になったんだ……。
しかし、生活費だなんて……まるで、俺の家庭環境を知っているかのような口振りだ。
「これから君は闇の中で生きる。あまり人に関わらず、秘密を守りながら。……いや、君の存在を社会から消したわけではない。その方がいいというアドバイスだ。君がこの街の闇に消されないように」
そんなもの怖くない。むしろ、ご馳走だ。これから俺は思う存分、「メリケンサックの悪魔」として生きることが出来る。そんなありがたいことはない。立ちはだかる屑は誰振り構わず処刑する。「南沢寺の処刑人」として。
「もし、耐えられないことがあっても、君には僕達がいる。大丈夫。僕達はこの街を影から見守っている」
そんなもん、いらない。
「僕達はいつでも君を歓迎する。『メリケンサックの悪魔』の後継者である君を。『南沢寺X』に迎え入れる準備は出来ている」
俺は南沢寺の闇に1人で立ち向かう。
「秘密をしっかり守ること。じゃないと……いくら君であっても、僕達は君の命を……」
急に静かになった。右脇腹に感じていた硬い感触もなくなっていた。
恐る恐る周りを見回す。まるで最初から俺しかいなかったかのように、暗い夜道には人影なんてなかった。
急な展開の数々に状況を整理するのが大変だった。
……まぁ、いい。何とかなる。いつかは慣れる。
落ち着く為に、夜空を見上げた。
「……退学、か」
澄人とかすみには、人と喧嘩して警察沙汰になったって適当な理由でも伝えとこう。
今夜は星が綺麗に見える。
北沢がどうなったのかは知らない。北沢家か何かの権力でシャバに出れたかなんてどうでもいい。あいつの顔にはしっかりと重い重い罰を刻んだ。2度と表社会に出られないように。あんな醜くなった顔……学校にだって行けない筈だ。それでももし、まだ、屑であり続けているのならば……。
もう、今はいいだろう。俺にはまだ時間が沢山ある。
どうしようもないぐらい。死ぬ程、沢山。
空気を目一杯吸い込む。
「ふぅー……」
全て一気に吐き出す。
「はぁー……」
身体の中が浄化された気分になる。
いい。夜はいい。南沢寺の夜はいい。
次回で、
第2章【南沢寺の夜は屑の排除にちょうどいい。】
最終回です。