南沢寺の夜は屑の排除にちょうどいい。
南沢寺のダークヒーローが、動き出す。
ようこそ、血生臭い南沢寺へ。
空気を目一杯吸い込む。
「ふぅー……」
全て一気に吐き出す。
「はぁー……」
身体の中が浄化された気分になる。
いい。夜はいい。南沢寺の夜はいい。
俺は両手に付けている濃紺色のメリケンサックを握り直した。
壁に背中を預け、辺りを見回す。ここは南沢寺の、街灯のあまりない住宅街。
そりゃあ、身を隠すのにはもってこいだよな、屑が。
俺は濃紺色に染まった夜空を見上げた。
南沢寺の夜は屑の排除にちょうどいい。
昔からずっと屑が嫌いだった。屑をこの世から消したい。そんな願いが俺を突き動かしていた。学校や街中で屑と思われる者がいれば徹底的に排除した。殺すまでは出来なかった。やろうとしてもその前に誰かに見付かり、止められてしまう。
でも、今夜は違う。
昨夜、クラスメイトの綿矢って奴から連絡が来た。南沢寺で会うと、綿矢は意を決したような目で何が自分と幼馴染の相沢に起きたかを語り始めた。そして、この、濃紺色のメリケンサックを渡してきた。
濃紺色のメリケンサックは俺の指にぴったりはまった。まるで元から俺のだったかのように。そして、俺には相性がよかった。俺は機敏に動けるのだが、殴る力が弱かった。だから素早く動き、どれだけ相手を殴ろうと、中々倒せないことが多々あった。そんなことをしているうちに体力が尽き、ボコボコにされた。だが、メリケンサックを付けた俺は違う。俺の一撃は、相手の肉にめり込み、切り裂く。最高の器具だ。これを幼少期から持っていれば、俺はあの屑共を……。
まぁ、そんなこと、今はいい。
今夜、俺は、相沢のストーカーであり、綿矢を監禁した犯人を殺す。
「もしかして……僕を待ってる、とか?」
左側から声が聞こえた。爽やかなのに、どこかねっとりとした粘液のような……。
既に、暗闇に目が慣れていた。壁に寄りかかりながら、そちらを見ると、5メートル程先に奴がいた。
「なんてロマンチックなんだ。でも、残念。僕はゲイじゃない」
北沢祥哉。一体、どれ程の人を傷付ければ気が済む。
屑は排除する。
「生憎、俺もそっちの趣味はねぇんだよ」
北沢は楽しそうに微笑んでいた。
「でも、僕に会いにきたんでしょ? 分かるよ、それぐらい」
「あそこ……」
俺は顎で右側にある5階建ての古い建物を示した。
「地下に拷問部屋があるらしーな」
「ふふふ……」
北沢は尚も楽しそうに笑った。が、急に真顔になり、首を傾けた。
「それで何? 正義のヒーロー振ろうとしちゃったわけ? 『ガスマスク男子高生』みたいに? お前は……『南沢寺高校の悪魔』、だっけ?」
「南沢寺高校の悪魔」、か。確かに昨日まではそうだった。両手に収まった2つの器具を手に入れるまでは。
俺は右拳を前に向けた。腕を伸ばし、肩から水平に。
「……何? それは」
北沢が右手のメリケンサックを見て、訝しそうに尋ねた。
俺は、ニヤッと右側の口角を吊り上げた。
「……『南沢寺の処刑人』って知ってるか?」
「まさか……」
北沢は信じられないと言いたそうな顔をした。
「あり得ない」
「お前が殺したからか?」
北沢は俺を睨み付けた。
「……あぁ……そうだよ。殺したさ。あの女、僕を殺そうと必死だったよ。僕がまだ小学4年生だった時にだよ? 僕がちょっと殺人衝動を抑えられないからって理由で……。だから、殺してやった。あそこの拷問部屋に監禁して、拷問して、犯して、拷問して、犯して拷問して犯して……最後はショック死しやがった! 僕がイク前によぉっ! もうすぐイキそうだったのによぉっ!」
間違いない。こいつは完璧な屑だ。綿矢の母親はこいつに殺されたんだ。
「……あれ」
北沢は急に落ち着き、キョトンとした顔で尋ねた。
「どうしてあそこに拷問部屋があるって分かった? 情報源は?」
「言うわけねぇだろーが、屑」
今日は学校に行っていない。顔見知りの情報屋に会っていた。そこで、北沢が借りている拷問部屋のこと、「南沢寺の処刑人」と呼ばれた「メリケンサックの悪魔」の活動のこと、綿矢の母親が「メリケンサックの悪魔」だということ、綿矢の母親の死はあまりにも不自然過ぎる、屋上からの転落死に偽装されたことを教えてもらった。きちんと金を払って。
「何故……僕に会いにきた」
何故、って……。決まってるだろーが。
「俺が、『メリケンサックの悪魔』だからだ」
「ふっ、ははははっ!」
北沢はお腹を抱えて笑い出した。
「ははははははははっ!」
俺も何だかおかしくなり、頬が緩んだ。
「はははははははは」
「あっはははははは」
俺と北沢の笑い声が暗い夜道に響き渡る。
急に、北沢が真顔になった。
「南沢寺の裏社会、舐めんなよ?」
気が付くと、周りに大量の人影。あちこちから殺気立った視線を感じる。
いつの間に……。
どれぐらいの人数がいるのか、全く見当も付かない。闇夜に紛れて覆面を被ったスーツ姿の人々が俺と北沢を囲んでいた。
「皆ぁ、やっちゃって」
北沢のかけ声を合図に覆面スーツ集団が一気に動き出した。全員、俺をめがけて走り出した。北沢は彼等の間を抜けて、外側から俺達の戦いを傍観した。
奴等はサバイバルナイフや拳銃、棍棒等の武器を持っていた。俺にはそんなもの効かなかった。持ち前の俊敏さで彼等の攻撃を避けていく。サバイバルナイフで襲ってきた奴の攻撃を避け、顔面にメリケンサックを食らわせる。ふらついたそいつを盾にして、俺に発砲された銃弾を食らわせる。死体を、拳銃を持った奴に投げて、時間を稼いでいる間に後ろから襲ってきた奴にメリケンサックを食らわせる。メリケンサック、蹴る、避ける、避ける、メリケンサック、メリケンサック、避ける、蹴る、蹴る、蹴る、メリケンサック、避ける、メリケンサック、メリケンサック、蹴る! メリケンサック! 避ける! メリケンサックメリケンサックメリケンサックメリケンサックメリケンサックメリケンサック!!!
「……ぐがっ!」
後ろから襲ってきた棍棒を避け切れず、後頭部に直接ダメージを食らってしまった。視界がぼやけ、気を失いそうになるのを必死に堪える。
「んぎぃ、ふぐっ、がっ!」
そこから次々と攻撃が俺を襲った。サバイバルナイフと包丁で斬り付けられ、棍棒と金属バットで殴られ、銃弾が掠り、鞭に打たれ……わけが分からなくなってきた。もう、体力の限界だった。敵の数があまりにも多過ぎた。倒しても倒しても暗闇から奴等は現れた。遠くで楽しそうにこの光景を鑑賞している北沢に辿り着けるなんて、微塵も思えなくなっていた。
いつの間にか攻撃をすることより、いかにして攻撃を避けるかに全神経を集中させていた。
「あぁぁぁああぁぁあぁっ! 糞がぁぁああぁぁっ!」
苛つき、痛みに耐え、叫び、メリケンサックを握った両手を振るが、誰にも当たらない。逆に攻撃を受ける。
ボロボロだった。奴等には勝てない。そう、確信した。
背中に金属バットが当たった。
「んがぁっ!」
地面に両膝をつく。
ドスッと鈍い音が辺りに響く。
終わりだ。
両目を瞑る。
わりぃな、綿矢。どうやら、俺はここで終わりそうだ……糞。




