濃紺色のメリケンサック。
そうして、南沢寺にダークヒーローが誕生した。
ようこそ、血生臭い南沢寺へ。
目覚めると、どこかに横たわっていた。
濃紺色の夜空が視界いっぱいに広がっていた。
上体を起こし、辺りを見回した。
南沢寺にある唯一の寺、「沢寺」にいた。さっきまで、そこにある木製のベンチで気を失っていたのだ。
段々と思考がはっきりしてくる。記憶が戻ってくる。手に汗がジワリと滲む。
俺は監禁されていた。今でも信じられない。しかも、クラスメイトの北沢に。初めて、間近で人が死ぬのを見た。北沢が俺をゲームに参加させた。幼馴染の千代から離れるかどうか。俺が頷くまで、同じく監禁されていた4人が次々と拳銃で射殺された。結局全員が死に、俺に拳銃が向けられた。俺は、頷いてしまった。死に対する恐怖には、敵わなかった。ほぼ反射的に、何度も縦に首を振っていた。
北沢の満足そうな笑みを思い出す。
───警察になんて言おうとするなよ。
言うわけない。その時、俺は心からそう思った。
───言ってもいいけど、君が死ぬだけだからね? それに、証言や証拠があっても揉みくちゃにするから。
情けなくて情けなくて仕方がなかった。
───南沢寺の裏社会、舐めんなよ?
そこから記憶がない。目覚めたらここにいた。
俺は急いで家に帰った。時刻は0時26分。父さんが心配そうに「どこにいたんだ?」と何度も尋ねてきたが、気にしている余裕なんてなかった。亡き母親の部屋に入り、鍵をかける。父さんがドアを叩く。箪笥の1番上の段を開けた。中から立方体の黒い箱を取り出す。婚約指輪の入っている箱と同じように、真ん中から上を持ち上げる。中には、濃紺色のメリケンサックが2つ。
───俺の千代。
北沢のねっとりと纏わり付くような声を思い出した。
───俺の千代。
頭から離れない。
───警察になんて言おうとするなよ。言ってもいいけど、君が死ぬだけだからね?
話したら死ぬ。死にたくない。けど、千代は……千代だけは……。
───何かあったらこれを使って。あなたを必ず、救うから。大丈夫よ。
母さんがまだ生きてた頃、大事そうに持ったそれを俺に見せた。母さんの唯一の形見。母さんのだった部屋に、今の今まで大切にしまい続けていた。
───君が死ぬだけだからね?
もう不思議と怖さはなくなっていた。左手で箱を持ち、メリケンサックを上から撫でるようにして触った。得体の知れない力が湧いてくるような感覚だった。
「……父さん」
ドア越しに、俺は父さんに尋ねた。
「母さんは死ぬ前、何をしていた?」
あれだけ激しく叩いていた音は、すっかりと止んでいた。
「……正直に答えて。今が、その時なんだ」
数秒の沈黙の後、
「『南沢寺の処刑人』と呼ばれた……『メリケンサックの悪魔』、って知ってるか?」
父さんの低い声。
それだけで十分だった。俺は震えた。恐怖からじゃない。武者震いだ。
俺はメリケンサックを黒い箱に入れたまま、部屋を飛び出した。父さんはもう俺を追ってこなかった。悲しそうな目でこちらを見つめ続けていた。
家を飛び出す。階段を駆け下りる。「南沢寺ストリート」方面に向かって全速力で走る。スマホを取り出す。LINEを開く。クラスメイトのグループのメンバーからアカウントを探す。友達登録する。通知ボタンを押す。
「もしもし!」
俺には果たさなくてはならない使命がある。
「南沢寺ストリート」の裏側にある暗い住宅街で待っていると奴が来た。
「んーだよ。こんな時間によ、屑」
「……わりぃ、碧夜」
碧夜は南沢寺には住んでいない。が、歩いて来れる距離らしいので
「急用だ。ちゃんと報酬も払う」
と電話で言って来てもらった。
俺はもう下手に動けない。今から他の街まで行ったら多分、確実に殺される。いや、今のこの状況も見られているかもしれない。だから、早く、済ませなければ。
碧夜はサラサラの髪の毛をわしゃわしゃと掻いた。濃紺色のパーカーにグレーのスウェットパンツ。いつも以上に人を殺しそうな、眠そうな目。
「……聞いて欲しいことがある」
仲よくないとか、コミュ障とか、もうそんなこと、気にしている暇はない。千代のストーカーのこと。俺が監禁された話。嘘偽りなく全て碧夜に話した。碧夜はそれを疑うことなく黙って聞いていた。
「で……報酬は?」
「え?」
碧夜は変わらず眠そうな目をしていた。
「報酬だよ。殺ればいいんだろ? 北沢を。多分、ストーカーの犯人も北沢だよ。奴をやれば、お前の女もストーカーに悩まずに済む」
ストーカーの犯人が北沢なのは、なんとなく俺も察していた。しかし、まさかこんなにもすんなり状況を受け入れるとは。……後、千代はまだ「俺の女」ではない。
「……きちんと、やってくれるんだよな?」
「は?」
俺の問いに、碧夜は首を傾けた。
俺は続けた。
「『ガスマスク男子高生』に頼むことも考えた。あいつは正義のヒーローだ。無償で北沢を倒してくれると思った。でも、違う。あんなんじゃ駄目だ。あいつは悪を改心させたいんだ」
そうだ。そんなんじゃ甘い。
「もっと徹底的に、完膚なきまでに」
殺す。悪を排除する。救いなんていらない。「南沢寺高校の悪魔」と呼ばれた、お前なら……。
「2度と、表社会に出られないように」
碧夜は右側の口角を吊り上げた。
「当たり前だろーが、カス。屑の排除。それが俺の仕事だ」
こいつなら大丈夫だ。そう心から思った。
「……言ってた、報酬」
俺は右手に持っていた黒い箱を碧夜に手渡した。母さんの形見だ。
「……何だよ、これ。俺はゲイじゃねーぞ、屑」
そう言いながらも受け取り、箱を開けて、中を見た。
碧夜の眠そうだった目が一気に驚きの色に変わった。こちらを見る。
「それは、今からお前の物だ」
母さんの跡を継いでくれ。
濃紺色のメリケンサックを適合者に渡す。それが俺の使命だったんだ。
お前の使命は……。
「暴力と恐怖で南沢寺から悪を排除するんだ」
そして、どうか、お前を助けた千代と俺を救ってくれ。
「『南沢寺の処刑人』……『メリケンサックの悪魔』になってくれ」
南沢寺を支配する濃紺色の闇が俺達を包んだ。
それはとても冷たく、心地よかった。




