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南沢寺での惰性的な日々はエモい。  作者: 濃紺色。
南沢寺での惰性的な日々はエモい。
19/51

独占したい。

新たなキャラクター達が過ごす南沢寺を、どうぞ。


ようこそ、南沢寺へ。

「近くにあるものってずっと近くにあったからこそ、遠くに行ってしまった時、嫉妬みたいな感情に押し潰されそうになるんだよ。自分の知らない世界に行ってしまった、って」


父さんが優しい笑みを浮かべて言った。

当時、小学4年生だった俺は首を傾げるしかなかったが、その表情から何故か悲しさと切なさを感じた。




千代ちよとは幼稚園の時から一緒だった。マンションの部屋が隣で、家族ぐるみの付き合いだった。同学年なのにまるで俺のことを年下のように扱って、「ショウ君、ショウ君」と可愛がってくれた。千代が俺をショウ君と呼ぶのは、俺の名前が承哉しょうやだから。「承」を取って、ショウ君。

幼稚園生、小学生の時は何とも思わなかった。千代をただの仲のいい友達として捉えていた。ただ、中学生になり、思春期を迎え、段々、性というものを意識し始めた。そして、自分のフェチも。千代は童顔で身長が平均よりも低かった。それと反比例するかのように、胸は他の女子より大きかった。少しずつ女の身体になっていく千代を、俺は「友達」ではなく、「異性」として意識し始めていた。制服越しに膨らむ千代の胸がかなり好みで、千代にそれがバレないよう、意識しないようにすると逆に意識してしまい、何だか千代に対して素っ気ない態度をとるようになってしまった。それでも、千代は変わらず、おっとりした口調で「ショウ君は、反抗期なんだねぇ」とにっこり微笑むのだった。

童顔、低身長、巨乳、左目のすぐ下にある黒子、お姉さん気質、制服。どれを取っても俺の好みだった。千代が俺の中にあるフェチを目覚めさせたと言っても過言ではない。

当然、千代のことを好きになる男子は現れた。その度に何だか、千代が自分から離れてしまうような感覚に陥った。周りの人が千代の魅力に気付く。それがどうしても嫌だった。だから、同じ高校に入り、千代の隣にずっといることを決めた。千代を監視する。千代が遠くに行かないように。千代の外での生活を出来る限り全て、把握出来るように。

南沢寺高校。

俺は千代と同じ、家の近くにある高校に見事、合格した。


「凄いじゃーん。また一緒だねぇ、よしよし」


高校に張り出された合格発表の張り紙で、お互いの合格を確認し、千代が背伸びして俺の頭を撫でてくれた時は正直嬉しかった。

でも、


「止めろよ、人前で」


と、素っ気なく言い放ち、千代の手を振り払った自分を殴り付けてやりたかった。

まぁ、いい。これで、また千代と一緒に登校出来る。

更にはクラスまで同じになった。1年1組。踊りたい程、嬉しかった。千代も喜んでくれたことが更に嬉しかったが、俺は表情に出すことが何だか恥ずかしくて出来なかった。

問題は席だった。あいうえお順で、出席番号が早い人から並んで座った。千代の苗字は、相沢あいざわで出席番号が1番。俺の苗字は、綿矢わたやで出席番号が最後の38番。千代は廊下側の席の1番前、俺は窓側の席の1番後ろ。とんでもなくかけ離れていた。

住んでるマンション、高校、クラス。ここまで一緒なら、席だって隣でいいじゃん。

しかも、しかも、問題はそれだけではなかった。

出席番号7番、北沢きたさわ祥哉しょうや。こいつの存在がどうしても許せなかった。入学して初めて教室の席に座った時、千代の隣の席の北沢は千代と仲よさげに話していたのだ。高身長で爽やかそうな顔をしている割に、千代と喋る時はニヤニヤしやがって。そして何より許せないのは、祥哉という名前。俺の名前と同じ、「ショウヤ」という読み方なのだ。今はまだ、千代はあの糞野郎を「北沢君」と呼んでいるが、いずれ、「ショウ君」ポジションを奪われる可能性がある。それだけは避けたい。千代は他の誰のものでもない。俺のものなのだ。だから、同じ高校にも入ったのに。

なのに、何故……。


「ねぇ、このバンド知ってる?」

「えぇ、知らなぁい。なぁに、どんな歌があるの?」

「さっきの授業さ、寝そうになってたでしょ?」

「もーう、恥ずかしいから止めてよぉ」

「今日の小テスト、点数取れる自信ないわ」

「ちゃんと、勉強しないからでしょー」


イライラした。

高校に入ってから知り合った分際で、気安く千代に話しかける北沢に。

俺へ向けるものと、同じ笑顔を北沢にも向ける千代に。


───近くにあるものってずっと近くにあったからこそ、遠くに行ってしまった時、嫉妬みたいな感情に押し潰されそうになるんだよ。自分の知らない世界に行ってしまった、って。


母さんの葬式が終わり、車を運転しながら父さんがポツリと呟いた言葉を思い出した。

そうか。これは嫉妬、なのか。悔しい。悔しいけど、嫉妬なのか。千代は物じゃない。分かってる。そんなのは。でも、独占したい。千代の全てを。千代が欲しい。千代の気持ちも、身体も、丸ごと全部。


「千代、帰ろ」


帰りのホームルーム後、帰る支度をして千代の席へ行く。


「お、早いねぇ、ショウ君」


やっぱり、この笑顔……可愛い。


「あ、そーいや、綿矢って千代ちゃんの幼馴染なんでしょ? 小学生からだっけ」


やっぱり、こいつの笑顔、嫌いだ。


「……幼稚園」

「幼稚園かぁ、凄いな。長いな」


北沢は机に頬杖をつきながら爽やかに微笑んだ。

あぁ。だから、もう2度と千代のことを気安く「千代ちゃん」だなんて、馴れ馴れしく下の名前で呼ぶな。


「あぁ……まぁ」


に、しても、北沢と初めて話した気がする。どんな返し方をしたらいいか、分からない。


「ごめんねぇ、北沢君。ショウ君、あんまり親しくない人と話すの得意じゃないのぉ」

「うっるせぇ、止めろよ」


こんな奴にそんなことを言うなよ、千代。


「へぇー。そうなの? じゃあ、今から親しくしようぜ。ショウヤ同士さ」


北沢が頬杖をついてる左手とは反対側の、右手を差し出した。

握手ってことか?


「よかったねぇ、ショウ君」


ちっ、仕方ねぇな。


「あ、あぁ……宜しく」


俺も右手を差し出して、その手を握った。

ぐいっ。

急に握った右手を引っ張られ、俺は前のめりになって思わず北沢の机に左手をついた。

北沢の吐息が右耳にかかる。

思わず、北沢の手を振り払い、後退った。

数秒の、沈黙。

千代が耐えられず、無理矢理、笑顔を作った。


「え……どうしたの、かな?」


北沢は爽やかな笑みを浮かべた。


「はははっ、冗談だよ」


俺も負けじと笑ってみせる。


「はは……分かってるよ」


ちょっと歪んだ表情になってしまったことは気にしない。

俺は北沢に背を向け、右手で千代の左手首を掴んだ。


「行こう。バイト遅れる」


教室を出て、上履きからローファーに履き替え、学校を出た。俺はその間、出来得る限り、千代の左手首を離さなかった。千代は何回も


「どうしたのぉ、ショウ君」


とおっとりした声で尋ねてきた。


「何でもない。バイト遅刻したくないから、早く」


バイトなんてどうでもよかった。というか今更遅刻なんて気にしてない。むしろ、遅刻回数、3桁代を目指してる。

遠くに行くなら、何度でも引き寄せる。知らない世界に行くのなら、俺はどこまでも付いていく。1人にさせない。独りにしない。俺が必ず側にいる。エゴとも自分勝手とも言われてもいい。俺はそうするって決めたんだ。

俺と千代のバイト先がある「南沢寺ストリート」という商店街まで来た時、右耳がくすぐったくなった。あの、生温かい吐息を思い出したのだ。


───千代ちゃん、いい身体してるよねぇ。


北沢は俺を引き寄せ、耳元で囁くように言った。ねっとりと、絡み付くように。


「ちょっと、ショウ君!」


俺は北沢の言葉を振り払うように頭を振った。

独り善がりでもいい。

俺は……俺は……。


「ショウ君!」


我に返った。南沢寺特有の、街の音、匂い、温度、全てが一気に戻ってきた。

目の前に、千代がいた。心配そうな目で俺を見つめていた。俺を自分のことのように心から思ってくれていると、一瞬で分かった。


「大丈夫? ショウ君」


いつもと変わらない千代。俺の顔を覗き込む。母さんが亡くなってから、今まで以上に、まるで姉のように俺を支えてくれた。千代が近くにいると安心した。笑顔も温もりも何もかもが俺には嬉しかった。ずっとずっと、近くにいて欲しいと思った。


「……何でもない。バイト……」


それでも素直にはなれない。何だか気恥ずくしくて。だが、信頼しているから千代には冷たく出来る。離れないでいてくれるって分かってるから。そういう考え方、自分は子供だなと思う。


「バイトは」


千代は優しく微笑んだ。


「今日はないでしょー? シフト入ってないよぉ。明日だよぉ」


え?

千代は背伸びして、俺の頭を撫でた。


「今日はよく頑張ったね。北沢君と話せて偉かったね」


思わずにやけそうになるのを、そっぽを向いて誤魔化した。


「……止めろよ。街中で……恥ずかしい」


そうは言ったものの、手は払わなかった。


「ほら、帰ろ?」


千代は笑顔で言った。

落ち着く、大好きな表情。

北沢の本性を知らない千代。それでも何だか先程感じた怒り、焦りはいつの間にか消えていた。変わらない千代を見るだけで、いつもの俺に戻っていた。


「……おう。帰る」


俺と千代は「南沢寺ストリート」に入らず、住宅街に向かって歩き始めた。


「あ、今日、家にアイスあるよぉ。ショウ君の好きな、コーラ味ぃ」

「食べる。絶対食べる」


大丈夫。俺なら千代を、この笑みを、変わらず暖かい下校を、絶対守れる。そうだ。そもそも、その為に同じ高校に入ったんだ。


「千代、太らないように気を付けて」

「あぁーっ! まぁた、そういうこと言うー」

「いてててっ、ほっぺ、つねらないでよ、痛い」


今度はどこにも行かせない。母さんの時みたいに。

俺が千代を守る。

ずっと、千代の隣にいる。いるんだ。

千代ちゃんが可愛い。

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