馬鹿になる。
かすみから見た、夏祭り。
ようこそ、南沢寺へ。
「なぁ、夏祭り行かぬ?」
澄人がそう提案した時、私は即座に「行きたい!」と賛成した。心の中で。
言える筈がない。こんな死んだ目の女子が恋愛してるなんて知られたら、しかも、相手が澄人。君なんだって知られたら、恥ずかしくて死んでしまう。それだけじゃない。絶対、澄人に引かれる。かすみに恋愛は似合わない、そもそも俺はかすみが好きじゃない、って。澄人は優しいからそんなこと口にはしないだろうが、確実に、心の中で思うだろう。
「ぬ、ぬ、ぬ……」
突然しりとりを始めた碧夜。
「沼」
同時に、彼がLINEで私にメッセージを送ってきた。
『夏祭り、行けよ。行きてぇんだろ。』
「ま、ま、ま、ま……」
私はしりとりをしながら即座に返信した。
「真っ裸」
『うん。でも……。』
「いや、だから、そうじゃなくてさ……」
呆れたような顔をする澄人。
碧夜はしりとりを続けた。
「さ、さ、さ……刺身を食べたいが、貧乏だから回転寿司にも行けず、嘆き悲しむ糞みたいな塵人間、澄人」
『でもじゃねぇ、これはチャンスだろうが、塵。』
口は悪いが、碧夜には優しい部分がある。「澄人が好きでどうしようもない」って、彼に相談してよかったと心から思う。
『チャンス……でも、2人で夏祭りって、デートっすか、碧夜先輩』
「と、と、と……」
碧夜は別に先輩じゃない。恥ずかしくなってふざけてみた。しりとりしないと。
「取り敢えず、真っ裸の澄人」
澄人が何か喚いている。うるさい。本当に真っ裸にするよ。……あ、いや、それは私が照れる。
「よ、よ、よ……」
碧夜はしりとりをしながらメッセージを送ってきた。
『お前……本当にどうしようもねぇ野郎だな。』
野郎じゃない。乙女だ。
「ヨチヨチ歩きのす」
「もういいよ!!! 夏祭りだよ!!!」
碧夜のしりとりに被せるようにして澄人が叫んだ。
夏祭り……2人で? どうしよう、どうしていいか分からない。いつも大学生活は澄人と2人で過ごしているのに、どうしてこういう時だけ、こんな……。
「……俺はいいや、面倒い、怠い、帰りたい」
碧夜はスマホを弄りながら面倒臭そうに言った。
え? え? 本当に? 本当に2人になるの?
ロフトの階段に腰かけている澄人がこちらを向いた。
「かすみは?」
恥ずかしくて緊張して、澄人の顔を見られない。
「私は、私は別に……」
『おい。カス。』
碧夜はメッセージと共に、 チッ、と小さく舌打ちをした。その舌打ちがやけに耳に響いた。
『最後のチャンスだ。』
碧夜のメッセージが鋭く胸に刺さった。
「俺は1人でいたいんだよ。出てけや、お前も」
スマホから顔を上げられない。どうすればいいのか分からない。頭が回らない。心臓がばくばくうるさい。
『お前の澄人に対する気持ちはその程度だったんだな。』
思わず顔を上げ、碧夜を見た。碧夜も同じく、こちらを見ていた。黙ったまま見つめ合いが続く。睨み合いに近い。
その、程度。その程度。私が澄人を想う気持ちは……。
澄人が申しわけなさそうに口を開いた。
「そ、そんな嫌なら別に……」
「行くよ」
「え?」
ほぼ反射的だった。後先考えず、今、すべき事をした。もう、どうにでもなってしまえ。動かなきゃ、何も始まらないぞ、私。
「行ってあげる……夏祭り」
澄人は瞼をパチパチと何度も開閉させて、驚いた顔をしたまま固まっていた。
そんな、びっくりするのかよ。
夏祭りをやっている、南沢寺にある唯一の寺、「沢寺」に着いても私は喋れないでいた。2人で来たことを後悔した。無理にでも碧夜を連れてくるべきだった。澄人を意識し過ぎて全く話せないし、顔も上げられない。
「かすみ、何か、食べたい物ある?」
こちらのご機嫌をとるかのように、優しい声で尋ねてくる澄人。
今は、澄人のその優しさが痛かった。くっそ。何をやってるんだ自分。澄人と夏祭り行けて嬉しいだろ。笑顔で喜べよ。いくら目が死んでいても、無感情な喋り方になってしまっても、最大限に、微笑めよ、かすみ!
私は何かないかと少し、辺りを見回した。
「ちょっと、歩いてみるか」
澄人が人混みの中を歩き始めたので、私も急いでその後を追った。
何やってるんだろう、本当に。私は馬鹿だ、救いようのないぐらい。
『お前の澄人に対する気持ちはその程度だったんだな。』
碧夜の鋭い言葉が私の胸をズタズタにする。
違う。違うよ、そんな程度じゃない。私は……私は!
「かすみ、離れないようにして……ほら、手」
時が止まったような気がした。私の胸の高まりが私を夢のような現実に引き戻す。
澄人の右手が、私の左手首を掴んだ。
とても大きくて、温かく感じた。
『お前の澄人に対する気持ちはその程度だったんだな。』
違う! 何をしてたんだ、私は! 澄人はこんなにも優しく、温かいんだ!
もう、この気持ち、止められない。
私は立ち止まった。
澄人も立ち止まり、驚いた顔をしながら振り返った。
何だか澄人の顔がかっこよく見えて、目を合わせることなんて出来なかった。
それでも私は勇気を振り絞り、
「……かき氷、食べたい」
不意に視界に入っただけのかき氷屋。何でもいい。何でもいいから、澄人に、一緒にいて楽しいってことを伝えたい。
「何味がいいの?」
澄人のこの、お兄さんのような優しい喋り方が好きだった。
「……苺」
澄人はかき氷の屋台のおじさんに注文をした。
「あの、苺とブルーハ」
「苺味、1つください」
気が付いたら、私は前に出て、わけの分からないことを言っていた。
「え……は?」
案の定、困惑した表情を浮かべる澄人。
「スプーンは、2つで」
何を言ってるんだろう。何をしてるんだろう。どんどんおかしくなる。頭がぐるぐるぐるぐる。馬鹿になる。
「はいよ!」
と、おじさんはかき氷を作り始めた。
澄人はおじさんに100円を払い、苺味のかき氷を受け取った。
「ありがとねー!」
と、笑顔で手を振るおじさん。
澄人が苺味のかき氷を持って、2人で「沢寺」の中にある木製のベンチに座った。
「ほい」
澄人がストローの先を切って作ったスプーンを1本、渡してきた。
「……さんくす」
私はそれを受け取り、澄人が持つ、かき氷を食べ始めた。むしゃむしゃしゃりしゃり。やってみたかった。恋人らしいこと。1つの食べ物を仲良くシェアする、的な。付き合ってもないのに気持ち悪いって思うかな。それとも、私の気持ちに気が付いてくれるかな。
澄人もかき氷を食べ始めた。何か考え込んでいるような顔をしていた。
「……かすみ、別に100円ぐらい気にしなくてよかったんだよ」
……え、何? 何の話? 気にするって……。私の気持ち、全然伝わってない?
私はかき氷を食べる手を止めず、
「……別に」
何なんの、まじで。気付いてよ私の気持ち。あぁ、本当、さっきまでの自分が恥ずかしい。この怒りは鈍感な澄人にとってはあまりにも理不尽だって分かってる。
「なぁ、かすみ」
分かってる、のに。
澄人はかき氷を食べる手を止めた。
「ごめんな。無理矢理、連れて来て。本当は、碧夜と行きたかったんでしょ? ほら、明日もここで祭りあるしさ、明日は、碧夜と2人で……」
無理矢理? 碧夜? 何の話? 確かに、私が黙ってたのは悪かった。けど……けど……。
「気付けよ、馬鹿澄人」
口が勝手に動いていた。言葉がボロボロと溢れてくる。止まらない。
「鈍感、阿保、馬鹿」
何だか、澄人の顔がぼやけて見えた。
「え……かすみ?」
「い、一緒に2人で来れて」
私は夢でも見ているのだろうか。
「……嬉しかった」
何を言ってるんだろう。さっきからそんなことばかり考えている。
「嬉しかった、んだよ……馬鹿」
自分の知らない自分が、爆発したみたいに。
苺味のかき氷が口の中に残っていた。
甘くて、甘くて仕方がなかった。
「……あり、がと……馬鹿澄人」
それからのことはよく覚えていない。
気が付いたら、澄人と夜道を歩いていた。
何を言っても、澄人はぎこちなかった。
それでも、私はすっきりしていた。
不思議と恥ずかしさなんてなかった。今まで隠し続けてきた感情をやっと、澄人に伝えることが出来た。それだけで、十分だった。
「澄人、可愛い可愛い私と夏祭り行けて、楽しかったか?」
今日はもう、何だか吹っ切れていた。
「え……う、うん」
澄人は相変わらず、そわそわしているが、それでも、嘘を吐いているようには見えなかった。
「うん、だけじゃ、分からない」
「た、楽しかった……です」
何故、敬語?
「ふふふ」
柄にもなく私は微笑んでいた。何だ、私も笑えるじゃないか。
馬鹿になるのも、悪くない。
澄人とかすみがどういう関係になったのかは、私は知らないし、知りたくもありません。
ちなみに、湊君は、姉の水帆と2日目の夏祭りに行ったらしいです。姉の元カレの南も一緒だったらしいです。可哀想。(笑)