あいつが嫌い。
澄人のちょっとした、黒い心の中。
ようこそ、南沢寺へ。
右耳のイヤホンの栓をなくした。ポケットを探しても、普段かけない眼鏡をかけて部屋中を見回しても、どこにもなかった。
試しに左耳だけイヤホンを付けて、音楽を流してみる。半分以上の音量がなくなった気がして、心なしか胸に響いていた歌詞さえも聴こえなくなってしまったかのように思えた。
不意にあいつへの嫌悪感を思い出した。あいつの存在を感じるだけで、嫌い、あいつが嫌い、と、殺意に近い感情が湧いた。何となく、この紛失はそうやってあいつを嫌う俺への罰かと思った。神様が俺を怒っているんだと思った。
そんなことを人に相談したら、どうなるんだろう。
碧夜は、ブルーアッシュ色に染まった前髪の隙間から三白眼でこちらを睨み付けてきて、
「あいつが嫌い、って……お前そんなキャラじゃないだろ。キッモ」
と、鼻で笑うだろう。
かすみは、相変わらず死んだ目で、
「へぇー、そんなこと考えるようになったんだ。かっくぃー。……ってか、澄人って人を嫌いになれる立場なの? ねぇ、立場なの? ねぇ、ねぇ」
と、無感情な喋り方で馬鹿にしてくるだろう。
左耳の鼓膜を、鬱を叫ぶ女性の歌が震わせる。それでも響き渡りはしなかった。いつも俺を優しく儚く別世界へ誘ってくれた音楽は、そこにはいなかった。
逃げるな、現実を見ろ、そう、神様が言っているような気がした。それでも俺は逃げる、逃げ続ける。だって仕方がないんだ。どうしても身体中が叫ぶから。嫌い、あいつが嫌い、だって。俺を嫌う人間なんて好きになれる筈がない。俺もそれ以上に相手を嫌いになる。自分を嫌っている人間を好きになるだなんて、馬鹿みたいなお人好しにはなりたくない。そして、俺もお前が嫌いだ、大嫌いだ、って伝えてやりたい。
別にいい。イヤホンなんて何個でも買ってやる。どんなになくなっても、どんなに壊れても、買い続けてやる。
いや、これはもはや、逃げじゃない。むしろ、現実と戦っている。嫌いという感情を持ちながらも、幸せを手にする為に。1度嫌いになった奴なんて、もう2度と好きになれる筈がない。
音楽を止め、左耳のイヤホンを外し、そのまま塵箱に捨てた。
だから、神様。どうか、早めに諦めて。