治療
切られた右手をくっつけるという荒業を終え、俺は周囲を見回す。
どうやら敵の襲撃は退けられたようだ。
そこかしこに築かれた、小山。ぷにっと達が敵を押し潰した時に出来たもの。当然、下の方にいたぷにっと達自身も、圧力に耐えられず。
そのままバラバラになって小山の一部となっている。
俺はその場で目を瞑り、気休めにしかならないが黙祷だけ、捧げる。ただただ、一心に。真剣に。感謝と、その小山の連なる景色を心に焼き付けるように。
そして、捕まえた革靴をはいていた猫の元へ急ぐ。
残っていたぷにっとに案内されて進む。着いた場所に居たのは、どこから拾ってきたのか鎖でぐるぐる巻きにされ、柱にくくりつけられた猫の姿だった。周りには沢山のぷにっと達。
猫の顔色はよくわからないが、その瞳にはいまだ強い輝きを宿している。
特に俺が切り飛ばした両手は念入りに縛られている。どうやら止血も兼ねているようだ。しかし、相変わらず出血が続いている。
──このままじゃあ話を聞く前に出血死してしまいそうだな
俺はそこで、初めての事を試してみる。先程イド生体変化を使うためにカニさんミトンを外した左手でぐったりしている猫の頭を掴む。
俺はイド生体変化を、猫に対して発動する。
俺のイドが猫の体の表面を流れる。
強い抵抗感。
本能的に、このままでは無理だということがわかる。
かつて、元の世界でダンジョンの外でスキルを使用しようとしたときに感じた抵抗に似ている。その何倍もの抵抗、というだけで。
そのまま俺のイド生体変化は不発で終わる。猫の体の表面で留まっていた俺のイドが四散していくのが、見える。
俺はためしにじっとこちらを見ている猫に話しかけてみる。
「止血をするから、力を抜いてもらえるかな?」
「お断りにゃ。このまま死なせてもらうにゃ」と猫。
「ふむ……。なあ、俺が聞きたいのは、冬蜻蛉とお前の主とやらがどこにいるか、なんだが」
「……」無言の猫。
「もともと、俺を連れてこいって命令されてたんだろう?」
「……そうにゃ」と猫。
「で、俺は今、自分から出向いてやるって言っているんだ。そこはいいか?」
「だからなんにゃ?」
「ほら、このままお前が死んだら、お前の主とやらはどうするんだ? お前の敵討ちをするために俺を殺しにくるか? それとも別の奴を使いに出すのか?」
「……」
「それだったら俺に、お前の主の居場所を言っても大差ないだろ? そしたら俺は自分からそこへ行くんだから」
「いや、騙されないにゃ。それじゃあ裏切ることになるにゃ」と猫。
この会話中、俺はこっそりイド生体変化をかけていた。時たま、ガードが緩んで俺のイドが入り込めそうだったのだが、結局失敗。ただ、どうやらこのイド生体変化は受ける側の意思が関係しているっぽいことは間違いない。
猫の止まらぬ出血に時間がないことを理解しつつ、俺はどうしたものかと途方にくれる。
「朽木、終わったようね」と、背後から江奈さんの声。
「江名さん! ああ、とりあえず襲撃は退けたよ。子供達は?」
「皆、無事よ。朽木、その手、無茶したでしょ」と俺の右手を見ながら。
──何故ばれたっ?! 修復は完璧……。あ、袖か
俺は右手を体の後ろに隠しながら目を反らす。
「はぁー。で、それが今回の襲撃の?」とため息だけつき、猫を見ながら。今はお説教はないらしい。多分時間が無いこともその観察眼で読み取ったのだろう。
ほっと胸を撫で下ろしつつ答える。
「ああ。冬蜻蛉にあげたGの革靴を装備していた。ただ、冬蜻蛉の居場所は聞き出せていない」
「……任せて貰える?」と何か考え込んだ様子の後で江奈が呟く。
「え、いいけど?」と猫の前から横へと退きながら。
江奈はじっと立っていたかと思うとゆっくりと両手を掲げる。その手に、蒼色のイドがうっすらと現れる。
ちらりと見えた右足のアザも蒼色を帯びている。
それは江奈が得たアクアの力。強力で、しかし使うと体への負担も大きいはずのそれ。
俺は思わず制止しようとしてしまう。前に江奈さんが俺を助けるために振るったその力で、暫く寝込んでしまっていたのを見ていたから。
しかし、俺の制止の声は喉で止まってしまう。目の前の江奈さんの横顔。その瞳にあるのは、多分、後悔と怒りの色。
俺がすべきはその後の全力フォローだと、自分に言い聞かせる。
前に振るわれたアクアの蒼色のイドは、絶大な暴力となってゴブリン達を殲滅するものだった。
しかし、今回は様子が違う。
掲げられた江奈さんの両手はまるで手の平で水を掬うかのよう。
実際に、手のひらの上に蒼色のイドがたまっていく。
溜まったイドがぽやんっと手から分離すると、球体を形作り。すぐにお饅頭のような、スライムのような形へ。
江奈さんが手を掲げたまま、一歩前に踏み出す。
手の上の蒼色のイドで出来たスライムが、猫の顔にぺちゃっと張り付く。
猫の瞳に初めて浮かぶ恐怖。
何か言いかけ口を開くも、声にならない。
その間にも猫の顔に張り付いたイドのスライムは移動していく。
猫の左耳にたどり着き、そのままその中へと。
白目をむき、ガクガクと震えだす猫。
「今なら大丈夫のはず。治せたら手もつなげてあげて」と江奈さん。その瞳は蒼色のまま。
「手?」と呟く俺。横を見ると、何故か俺が切り飛ばしたものを、ぷにっと達が持ってきている。
そのまま、猫の鎖をほどき始めるぷにっと達。後ろ向きに倒れこんだ猫を支え、猫の腕に切り離された手を添えると、さあどうぞとばかりにこちらを見てくる。
俺は腑に落ちないものを感じながらも、再びイド生体変化を発動する。
──あっ! イドが通る。
猫の表面で留まっていた先程までとはうってかわって、イドが猫の中へと進んでいく。
──これはアクアのイドで通路がこじ開けられている?
まるでトンネルのようなものが形成されているのを感じる。それを通して、俺のイドは容易く猫の中心へと至る。不思議な感覚。自分とは全く異なる存在なのに、まるで自分自身のようにその詳細が感じ取れてしまう。
そこで特に目立つ違和感へとイドを伸ばす。
俺の切り取った手が、切り取られた腕が感じられる。
後はいつものように。
何度も自分の怪我を治したように、イドを変性させ、手と腕を繋いでいく。
神経を。骨を。筋肉を。血管を。エトセトラエトセトラ……。
収集しつむっていた目を開ける。
そこには完全に手が治った猫の姿。
「江奈さん、こっちは終わった」と蒼色のイドを放出し続けている江奈さんに急ぎ声をかける。
「こちらも。憑依完了、よ」と江奈さんの声に、改めて俺は猫へ、目を向ける。
──猫の中にアクアのスライムらしきものが見える……
何をしたのか聞こうと、振り替える俺。
江奈さんの冷や汗がすごい。
俺は急ぎその肩に手をかける。
ふらっとよろめく江名さんを支える。
「江奈さんっ!」俺は再び江奈さんを横抱きにして、こっそり重力軽減操作。
ネカフェへと急いだ。