サイド ???
「巨大な炎の柱が上がったと言うからわざわざ足を伸ばして来てみれば。これは面白い。面白いではないかっ」と倒壊を免れた建物の上で、男が話している。
両椀だけが以上に発達したその男は癖なのだろう、首をポキポキ鳴らす。
男の話しかけた先に佇むのは一匹の黒豹。しかし、その黒豹には、四対八本の脚が生えている。
当然、男の話し声に無言のまま対峙する黒豹。多すぎる脚を器用に折り曲げ、お座りをしている。その瞳には高い知性を思わせる輝きを宿し、話し続ける男を見つめている。
「小生の可愛い虚無鳩を殺し尽くしてくれたのは、あれのようだな。片翼の人型か。見たことも聞いたこともないぞ。小生達とは別に、スキル持ちがいたという訳だなっ。これは楽しくなるぞい」
男の手には不釣り合いなほど小さな望遠鏡。通常サイズのはずのそれは、巨大な男の手の中にあると、子供用に見えてくる。
「のう、喰豹。お前もそう思うだろう?」男は黒豹に手を伸ばし、巨大な手で器用に喉をくすぐる。
大人しくそれを受け入れる黒豹。ごろごろと喉を鳴らす音が響く。
「ほう、消えたぞ! あれはなんだ。紙切れか? 面妖な。式神の類いか? とすると、あの紙切れを拾った少女が術者か。ふむ。イドの総量は人並み。しかし、なかなか巧みなイド運用だ。あの靴が補助具か何かかの。移動の度にイドが一度あの靴を経由しておるわ」と移動を始めた冬蜻蛉を眺めながら。
「なかなか見所のある若者だが、あれほどの破壊を起こした式神の術者には見えぬのー」と再び黒豹へ話しかける男。
黒豹も男の話を理解しているのか、そろりと首を縦に動かす。
「喰豹もそう思うじゃろ。どれ、それならちょっかいをかけてみるかの」
と、ごそごそと懐を漁る男。取り出されたのは一本の万年筆。男の巨大な手に、ちょうど収まるそれは、通常の品の何倍もの大きさだ。
「どれ、ちょうどよいから、あれにしようかの」その視線の先には一匹の蚊が飛んでいる。
男の持つ万年筆は、その巨大さにも限らず、そのペン先は針のように鋭い。ペン先を男は自らの左腕に突き刺す。
切割りを通してハート穴へと吸い上げられる男の血。
自らの血を十分吸ったペン先を腕から引き抜く男。ペン先で出来たはずの腕の穴があっという間に見えなくなる。
男はそのままペン先を目の前を飛ぶ蚊に突きつける。
「『ペン入れ』開始」男のその声で、ふらふらと飛んでいた蚊が、空中に固定されたかのように動かなくなる。
その蚊を中心に、まるでコマ割りされた原稿のような半透明の枠線が浮かび上がる。
枠線の中に、男は万年筆を走らせる。
さっきまでの饒舌が嘘のように寡黙に。
万年筆から産み出された繊細な線が、信じられない速度で枠線の中を彩る。
完成する一対の羽。元々の蚊の羽と似て否なるそれは現実ではあり得ない異形。しかしグロテスクな造形の中に美しさが感じられる。
次に描き出されるのは口吻。血を吸い、唾液を送り込むそれに、ごてごてとしたものが付け足されていく。まるでブドウのような球体が十数個も根本に描きたされていく。
あっという間に完成した二つの絵。
「『ペン入れ』完了」男のその声を合図に、枠線が消える。描き込まれた絵が、蚊に吸い込まれたかと思うと、変質が始まる。
現れたのは、羽と口吻が異形となった新しい存在。
その元蚊であった虫に男が命令する。
「あれだ。やりたまえ」男がペン先を突きつけた先には、走り続ける冬蜻蛉。
異形の蚊は、銃弾のようなスピードで、飛び出す。
まるで狙撃のように。
一直線に向かう先には、冬蜻蛉の首筋。
あっという間に冬蜻蛉に近づくや、その首筋に口吻を突き刺す。
冬蜻蛉がばっと首筋を押さえる。
手のひらで潰れる異形の蚊。
しかし、その命と引き換えに役割は果たされてしまう。冬蜻蛉が手のひらで潰したことで十二分に首へと注入された特性の蚊の唾液。
それは冬蜻蛉に深い深い眠りをもたらす。
がくっと膝をつき、地面に伏して失神するように眠りこむ冬蜻蛉。
そこへ、黒豹に跨がった男が近づいてくる。
冬蜻蛉を見下ろし、男は呟く。
「よし、無事に仮死状態になったな。後は主様にお目通りが叶った際に献上するだけだ。主様のエンブリオホルダーの力を受け入れられるだけの器があれば、よし。そうなれば待望の七人目となろう。万が一、器が足りなくとも、なに、死ぬだけのこと」