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【書籍発売中】猫と週末とハーブティー  作者: 編乃肌
真夏のハイビスカスティー
7/33

1 犬系男子と常連さんと

「早苗先輩、最近なんか調子よさそうッスね」

「そう?」


 ガヤガヤと騒がしい、お昼の社員食堂。


 甘ダレのからあげ定食を注文し、適当な長机の席で味噌汁をすすっていた早苗のもとに、ひょこっと後輩の犬飼善治(いぬかいぜんじ)が現れた。


 愛嬌のある八重歯を覗かせる彼も、手にしているのはからあげ定食だ。善治は「横、失礼しまーす」と言って、よいしょと早苗の隣に座る。


「イライラしていることが減ったというか、なんか余裕が出来たというか……さっきだって、課長にまたいろいろ攻撃されていたのに、特に荒れていないじゃないッスか」

「あー……これのおかげかも。なんか鎮静効果があるんだって」

「なんスかこれ、クッキー?」


 スーツのポケットから、早苗は開封済みのビニールの小袋を取り出す。

 中身はもう二枚しかない、猫の顔を象ったクッキーだ。


「これね、ラベンダー入りなの」

「ラベンダー? それって、あのトイレとかで匂うやつッスか」

「はい、食事中! 犬飼の知識は芳香剤しかないわけ? すっごく落ち着く香りと味なんだから」


 クッキーの出所はもちろん、週末カフェ『ねこみんと』だ。



 ――――はじめてあのカフェを訪れてから、もう一ヶ月ちょっと。

 季節は変わり、夏も本番真っ只中。


 早苗は毎週、土日のどちらかは必ずカフェに通っていた。今ではすっかり常連で、他の常連さんとも顔見知りである。



 早苗の仕事の愚痴も、ゆるく頷きながらぜんぶ聞いてくれる要は、『これ、イライラしたときにこっそり食べてください』と、帰りにいつもこのラベンダーのクッキーをくれる。

 彼の言葉の通り、早苗はストレスがMAXに到達しそうになったとき、隠れて一枚ずつ齧っているのだが、ほんのり甘くて舌で溶かすと気分が安らぐのだ。


 微かに鼻孔を撫でるラベンダーの香りと共に、へにょっとした要の笑顔も思いだし、リラックス効果はバッチリだった。


「犬飼も食べてみる? おいしいよ」

「じゃあ後で頂きます。でもクッキーだけでストレスは消えなくないッスか? せっかく花金だし、久しぶりに飲みにいきましょうよ!」


 茶色がかった髪を揺らして、二カッと善治が屈託なく笑う。


 上背もありそこそこ顔が整っている善治は、小奇麗なモデル系の要とはまた種類が違い、アイドル系のイケメンだ。その人懐っこい性格も相俟って、男女共に好かれているし、取引先からの評判もいい。


 だけどそんな善治のキラッとスマイルも、早苗はあっさりかわして「うーん、今日は止めとく」と断る。


「えー! なんでッスか! あんなに飲んでばっかだったのに、ここ最近の先輩、誘っても来てくれないし……!」

「いや、止めていた読書を再開したら、本の続きが気になっちゃって……」


 『ねこみんと』に通うようになってから、善治の言うように心に余裕が生まれた早苗は、好きだった読書に没頭していた。


「ごめんね、また来週行こう。じゃあ」

「え!? もう行くんスか!?」


 みそ汁を飲み干し、早苗はラストのからあげを口に放り込んで席を立った。午後からは暑さにも負けず、すぐに外回りに出る予定なので、食事が終わればのんびりしている暇はない。


 不満そうな善治の前に、残りのクッキーを袋ごと置いて、トレーを持った早苗は迷うことなく食堂を突っ切って消えて行った。


 善治は名残惜しそうに、そんな彼女の背中を見送る。


「うう……早苗先輩がつれない……」

「あれは、新しい男が出来たわね」

「わあ!」


 善治は背後から突然声をかけられ、驚いて箸を取り落とす。

 振り向けば、早苗の同期である経理課の長谷川透子(はせがわとうこ)が、サラダセットを持って立っていた。


「あ、新しい男ってそんな……先輩、彼氏と別れたって言っていたばかりで……!」

「一ヶ月も前でしょ? もう次の彼氏ができていてもおかしくないわよ」


 赤い唇をつりあげて、透子は不敵に微笑む。

 黒髪ショートカットに、スタイルのいいエキゾチック美人な彼女は、妖しげな笑いも様になっている。


「女の勘であれは絶対、早苗に心許せる相手が出来たのよ。あの様子を見る分に、かなり上手くいっているみたいだし? これはあんた、またチャンスを逃したわね」

「う、嘘だ……これでようやく、俺のターンが回ってきたと思ったのに……っ!」

「なになに、犬飼くん、ついに足立さんにフラれたの?」

「いーや、どうせわんこは、告白すらせず散ったんだろう」


 密かに話を聞いていた社員たちが、ぞろぞろと善治と透子の周りに集まってくる。『わんこ』と社内共通のあだ名で弄られた善治は、「まだフラれていないッス!」と泣き声をあげた。



 善治が早苗に片思い中なことは、社員間で有名な事実である。


 入社時から、善治は犬のようにわんわんと早苗に懐いており、惜しみなく好意を向けていたので、周囲には彼の気持ちはバレバレだった。ただ一人知らぬ者は、仕事中だと恋愛回路が全面停止する早苗だけだ。


 アタックしてもスルーされる善治を、皆は「いつかわんこの想いが叶うといいね……」と微笑ましく見守っていた。



「足立さん、自覚ないけどモテそうだしね。元気出しなよ、犬飼くん。ほら、焼きプリンあげる」

「あの手のタイプは、もっとハッキリ言わなきゃ伝わらないって言っただろ? 出張土産で余った最中やるよ」

「わんこ、とうとうフラれたんだって? チョコでも食う?」

「業務中にしけた面はすんなよ、犬っころ。あーほれ、飴やるから。イチゴ味だぞー甘いぞー」

「子供をあやすみたいになぐめさないで……! というか、まだフラれてないって言ってるじゃないッスかー!」


 トレーを貢ぎ物でいっぱいにしながら、食堂に響き渡る声で善治が叫ぶ。

 完全に大型犬の遠吠えだった。


 やれやれとそんな善治を見下ろしながら、透子は「それにしても……」と、早苗が置いていったクッキーの袋に目を留める。



「あの子のお相手って、いったいどんな人なのかしら……」




 ※




「いらっしゃいませ、早苗さん。今週も来てくれたんですね」


 あっという間に平日が過ぎて、日曜日の午後一時。

 通常営業中な『ねこみんと』で、カフェスタイルの要がへにょりと笑って早苗を迎える。


 照りつける太陽の日差しから逃れるため、今日はウッドデッキの方ではなく、室内のカウンター席を選んだ。外ではミーンミーンと蝉の声がうるさいが、中は冷房が効いていて涼しい。白のノースリーブから覗く早苗の汗ばんだ腕を、冷たい風が乾かしてくれた。


 隅っこを見れば、ミントも丸まってそよそよと涼んでいる。


「あら、早苗ちゃんこんにちは! こう毎日暑いと、なんにもする気がおきなくて困っちゃうわよねえ。こんなときは、クーラーの下で要ちゃんの綺麗なお顔を拝むに限るわ。あ、隣来る? どうぞ座って!」

「こんにちは、志保さん」


 先客に椅子を引かれ、早苗はコンコルドで束ねた髪を直しつつ、「ありがとうございます」とそこに座る。


 常連の御手洗志保(みたらいしほ)は、近所に住む四十代の主婦だ。ふっくらした体型に、パーマのかかった髪をいつも右肩でまとめている。顔立ちはタヌキっぽく、人好きのする印象で、実際にフレンドリーで誰にでもお喋りである。


 そんな彼女がこのカフェに通うようになったきっかけは、今は涼み中などこぞの三毛猫が、洗濯中だった靴下をくわえて逃走し、追いかけたらここにたどり着いたとか。


「ミントちゃんも、夏場はもふもふの毛が邪魔そうよね。私たちはおいしいものでも食べてやり過ごしましょ! 私はさっき、本日のおまかせコースを頼んだところよ。デザートは『レモンバーベナとオレンジのすっきりゼリー』ですって」

「いいですね、涼しそうで。私もそれで」


 といっても、おまかせコース以外を頼んだことはないのだが。


 カウンターの向こうに佇む要は、かしこまりましたと微笑んで用意に取りかかる。


「ふんふーん♪ アは明日になっても帰れない~♪ イはいつからこの案件してたっけ~♪ ウは嘘だろ終わらない~♪」

「ハッカさん、なんですかその滅茶苦茶な歌詞と音調の歌は。聞いていて悲しくなってくるんですが」

「俺作詞作曲『社畜のアイウエオ~残業バージョン~』です。エは『え? 今更追加案件ってなんですか』で、オは『遅すぎる帰宅』。別の『理不尽な上司バージョン』や『生意気な後輩バージョン』で、カキクケコとサシスセソもあるよ」


 このあとさらに追い詰められる歌詞になっていくらしい。

 謎の鼻歌を口遊みながらポットを手にする姿からは、一昨日の金曜の朝に早苗がベランダから見た、きっちり決めたスーツさんの姿とは重ならない。


 相変わらず、すごい変わり身だなと感心してしまう。


「はあ……」

「……どうかしたんですか、志保さん?」


 早苗が苦笑しつつも、何気なく要を見守っていると、いきなり横で志保が特大の溜息をついた。

 感情の起伏が激しい彼女の顔は、さっきまではにこにこと元気そうだったのに、今はなにやら憂鬱そうである。頭上に黒い雲でも漂っているみたいだ。


 あからさまに『話を聞いて欲しい』オーラを醸しだされ、素直に早苗が尋ねると、案の定、志保は「聞いてくれる、早苗ちゃん!?」と食い付いた。



「実はね……うちの旦那が浮気をしているみたいなの!」



 

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