5 カフェタイムと驚愕と
「このミントティーは、レモングラスとペパーミントのブレンドです。ミントといっても種類は3000以上あって、大まかに分けてぺパーミントとスペアミントの二種。スペアミントは、ペパーミントより刺激が少なくて甘めかな? 今回は二日酔い解消に効くよう、清涼感強めのペパーミントですけど。他にも猫が好むキャットニップなんてのも……」
「ちょ、ちょっと待って!」
つらつらと説明をはじめた要に、早苗は慌ててストップをかけた。興味深いミント談義だが、それより今は気になる点がある。
「なんで私が二日酔いなことわかったんですか!? もしかして私……っ」
酒臭い!?
早苗はパッと口元を押さえた。酒に強い早苗は、今まで翌日まで匂うなんてなかったが、さすがに飲み過ぎた昨日はわからない。
しかし、要は笑って「今は大丈夫ですよ」と、猫っ毛の黒髪をふわりと揺らした。
「今はって……」
「はじめてここに来たとき、お酒を飲んだ後だったでしょ? 俺が顔を近付けたら酒の匂いしたから」
「……あれは、飲んだすぐ後だったので」
「スーツ姿だったってことは、仕事帰り。その日は水曜日で、まだ翌日も仕事のある平日の真ん中。それでも早苗さんは、夜遅くまでけっこう飲んでいたっぽい様子。たぶん、お酒にはけっこう強い自信ありますよね?」
「めっちゃあります…………ありました」
だからこそ、次の日が休みの昨日は、余計歯止めが利かずに飲み過ぎたとも言える。要はそのことも指摘した。
「土曜出勤だとも言っていたし、やっと一週間の仕事が終わって箍が外れて、昨日の夜は相当飲んでいる可能性高そうだなあって。あとはさっき、『あんまり食欲ない』ってこぼしていたし、メニュー見ているときもたまに頭を押さえて顔を顰めていましたし。食欲不振に頭痛だよね」
「そのへんの情報を合わせて……」
「総合判断、二日酔い。あってる?」
あっています……と、早苗は絶句しつつもポツリと答えた。
要は人のことをとてもよく観察している。
頭を押さえていたなんて、完全に無意識だった。どれも推測の域を出ないが、それでも早苗の体調を当ててきたのだからなかなかの洞察力だ。
当てた本人はただ「やった、当たった」と、ゆるいテンションで喜んでいる。
「さて、もう頃合いか」
いつのまにか砂時計の砂は落ち切り、要がポットを取って、カップにミントティーを注いでくれた。
並々と張った水面に、早苗は早速口をつける。
「あ、おいしい」
スッと喉元を通りすぎたミントティーは、抜群に飲みやすく香りもいい。
口の中もすっきりし、どことなく胃のムカつきや、頭の鈍い痛みが抑えられていく気もする。
「ペパーミントにはメントールっていう成分が豊富に含まれていて、これが脳の働きを活性化させるわけね。消化促進効果もあるから、胃の調子も整えてくれます。今回はレモングラスっていう、これまた消化に効くシトラス系の香りのハーブと合わせたけど、ペパーミントはどのハーブとも相性がいいから、ブレンドにも最適。おまけに」
「おまけに?」
「ペパーミントの精油には虫除け効果もあって、小うるさい蚊や、頭文字がGのあの暗黒生命体にも効果あり」
「マジで!?」
素で返してしまい、早苗はおっとと口をつぐむ。
独り暮らしをはじめてから、何度か遭遇した奴等とは、互いの命を削り合う激しい戦いをしたものだ。
ただミントの精油は、必ずしも効果覿面とはいかず、奴等がミントの匂いを嫌うことは確かだが、効く、効かないは意見が分かれるところらしい。
「それでも俺はワンチャン試してみればいいと思うよ。すみません、食事中にこんな話」
「いえ、面白かったので。ミントってすごいんですね……なんであそこの猫まで、ドヤ顔しているのかはわかりませんけど」
離れたところで、ミント(猫)は「にゃふぅ」とおすまししている。名前がおなじだけで、自分が褒められたわけではないというのに。
「ミントの種類のときにも言ったように、猫が好きなキャットニップってミントはあるにはあるんだけど、猫にとってはハーブの精油自体が危険だから、そこは注意ね。個体差はあるけど、中毒とか起こしちゃうんだ。俺も気を付けてる」
ふむふむと頷きながら、早苗は今度は、カップを置いてパウンドケーキの方にフォークを入れた。
こちらもしっとりした口どけに、ほんのりやさしいリンゴの風味がおいしかった。ミントティーのすっきりした味わいとも合っている。
「このパウンドケーキも、もしかしてハッカさんの手作りですか?」
「うん。リンゴとカモミールの組み合わせは相性いいでしょ? カモミールはギリシャ語で『大地のリンゴ』って意味で、もともとリンゴに香りが似ているんです。お茶にしてもいいけど、デザートにも使いやすいのがカモミール。これまた胃にいいから、食欲不振も含めた胃腸トラブルに効くよ」
ミントティーを飲んで、リンゴとカモミールのパウンドケーキを食べて。
ティーのお代わりを注いでもらう頃には、早苗は全快とまではいかないものの、確実に二日酔いによる体の異常がマシになっていた。
それはハーブの力もあるが、要が『これを飲むとよくなります』と、早苗に信じ込ませた点も影響しているだろう。
彼の独特のリズムを持つ、のんびりした声で説明を聞きながらハーブティーを飲むと、身体中により浸透していく気がするのだ。
「ハッカさん……超能力とか使ってます? それか魔法?」
「ん?」
「ごめんなさい、変なこと言いました」
忘れてくださいと、早苗は二杯目のミントティーを飲み干す。
猫のミントはお客様を見守るのに飽きたのか、草に紛れるように丸まって寝の体勢に入っていた。
――――土日しか開かない、『週末カフェ・ねこみんと』。
週末の癒しを求めて、またここに来るのもいいかもしれないと、早苗はすっかり一風変わったこのカフェを気に入ってしまった。
チラッと、空になったパウンドケーキの皿をワゴンに下げる、要の端正な顔を窺う。
……またこのゆるだるなタレ目店長に、オススメの私だけのハーブティーを淹れてもらいたいし。
そう考えていた矢先だった。
プルルルッと、シンプルな着信音が、緑あふれる庭に響き渡る。
「あ、俺のが鳴ってるっぽい。すみません、エプロンにスマホを入れたままにしちゃって……しかも会社からだし」
スマホを取り出した要が、うげっとあきらかに顔をしかめた。
会社から休日にかかってくる電話の、なんともいえない嫌気は、早苗にも痛いほど理解できる。
「ここで出ても大丈夫ですよ。緊急かもしれませんし」
「そうですね……はあ」
深いため息をついた要が、電話に出るため、少し早苗のいるテーブルから距離を取る。
まるで歯医者を嫌がる子供みたいな。
そのわかりやすく嫌々な様子に、早苗はカップを手にクスクス笑っていたのだが――。
「え?」
スマホをピッと押し、耳に当てた瞬間。
要は猫背だった背を真っ直ぐに伸ばし、飛び跳ねていた髪を片手でかきあげた。
タレ目も心なしか目尻が上がり、ゆるふわな空気から一変、それこそペパーミントのような、キリリとした雰囲気を纏わせる。
鋭い眼光は、先程の陽だまりのような暖かさは微塵もなく、凍てつく氷のよう。
「――――俺だ、どうした」
いやお前がどうした。
要の変わりっぷりに、早苗は開いた口が塞がらない。のほほんな口調さえも変化して、本当に別人のようだ。
「は? そんなケアレスミスで、わざわざ休日に連絡してきたのか。俺のデスクにある書類を確認して、すぐ先方に謝罪に行け。先方が休み……? チッ」
舌打ちした?
ハッカさんが舌打ちした?
「……仕方がないから、俺も明日には一緒に謝罪に伺う。課長には俺から説明しとく。ああ、わかった、もういい。泣きそうな声を出すな。礼を言うくらいなら、二度とこんなミスをするなよ」
くいっと、要が鼻の上辺りを中指で押さえる。
何度か見たこの仕草、早苗はようやくその意図がわかった。
あれは、普段は眼鏡をかけている人が、フレームを押し上げる仕草だ。
「ん……? あれ?」
真っ直ぐ伸びた背に、かきあげられたことで撫で付けられた黒髪。
ここに眼鏡をかけて、スーツを着せて、シャツにネクタイを巻いて……と、早苗は頭の中で、とある人物と要を重ねていく。
「もう切るぞ。お前も休日出勤はほどほどにしておけ。それじゃあまた月曜な……っと、すみません、早苗さん」
早苗が「え、まさか。でも待って。やっぱりええ!?」と一人で混乱していたら、通話を終えた要が、あっという間にだらしのない猫背に戻る。
なんでもないふうに「せっかくのカフェタイムを邪魔してしまいました」と、早苗の知る『ハッカさん』の顔で、要はふにゃっと笑った。
「主任なんて役職に就いていると、部下の面倒が大変で。しかもうちの会社、休日出勤がわりと当たり前のブラックなんで。俺は死んでも休日は守りきっていますけど」
「私も休日出勤なんて死んでもやだ……じゃなくて」
「あ、パウンドケーキもお代わりいります?」
「いやいやいや!」