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猫のミントはかく語りき

 ミントは野良の三毛猫である。


 ただ生まれたときから野良というわけではなく、ほんの少し前までは、とある金持ちの家の飼い猫であった。立派なお屋敷で高価なキャットフードを食べていたのだ。

 しかし、そのときの主人がどうにも傲慢で気に入らず、隙を見て逃走し、自ら野良猫になったのだった。


 最初の名前は『アンダーソン』だったか。野良になってから『ミケ』やら『タマ』やら、いろいろな人から名前をつけられたが、いまのところ『ミント』が一番気に入っている。



 ミントは野良でも強く賢くたくましく生きてきた。

 ちなみに誰にも触れられていないが、れっきとした貴重なオスである。



「にゃ、にゃ」



 ミントはトコトコとアスファルトの道路を渡って、大きな門の前で立ち止まった。華麗な跳躍を披露してもよかったが、小さな頭で門を押し開けて隙間から侵入する。


 今日は週末。

 冬が近付く秋の最中の日曜日。


 空は雲ひとつなく晴れ渡り、風がやさしく猫の毛を揺する、とてもよい天気だ。



 そう、まさしくデートに行くにはぴったりの。



「にゃ」


 敷地内に入ったら、庭のウッドデッキの方を目指す。いつもどおりエサは配置されていたが、今はスルー。

 素だと抜けている家主が閉め忘れたガラス戸から、今度は家の中へと進軍する。


 ピクピクと耳を動かし、標的を補足。


 お風呂場とつながっている洗面台の前では、ミントの一応の現在のご主人様が、鏡とにらめっこをしていた。


「にゃあ」

「ん? ああ、ミントか。あれ俺、もしかしてまたウッドデッキにつながるドア閉め忘れた?」

「みゃ!」

 

 気を付けろよ、不用心だぞ。


 そうミントが忠告してやれば、言葉が通じずともなんとなく理解してくれるご主人は、「ごめん、あとで閉めとくよ」とタレ目を細める。


「今日はお店も休業で出掛けるし、ちゃんとぜんぶ戸締まりしなくちゃね……ところでミント、俺の格好って変じゃない?」

「にゃ?」


 ゆるいご主人は、猫相手に己のトータルコーディネートの是非を真剣に尋ねた。


 白無地のカットソーに、ネイビーのテーラードジャケット。下は黒ボトムスで、いい感じにかっちり決める部分とラフさが交じっている。

 ちょうど『スーツさん』と『ハッカさん』が融合している感じだ。


 もとよりミントのご主人は顔とスタイルは一級品なので、心配などせずともモデル並みの着こなしである。


 いんじゃね? と、ミントは適当に尻尾を振っておいた。


「はあ、それならよかった。服屋で店員さんの着せ替え人形になった甲斐があったよ。必殺マネキン買いしようかと悩んでいたら、ギラギラした目でぐいぐい来られて怖かったなあ……」

「にゃあ……」

「あとはこの髪のハネをなんとかするだけか」


 鏡に向き直り、ご主人はハネまくりの髪との格闘を再開する。


 現時刻は九時。

 出掛ける時間は十時。


 しかしながらこの男は、休日なのに七時くらいから起きて、こんな不毛な身だしなみチェックを幾度となく繰り返している。


 なお、ミントはここに来る前に、同じようにマンションのエントランスの隅で、手鏡を手に何度もメイクチェックするツリ目女子を目撃している。

 ご主人がその女子を車で迎えに行く手筈のはずだが、その女子はその女子で、ずいぶん早くから外で待機しているようだ。



 やれやれ……とミントは肩を竦めた。

 だいたい、その女子をここに最初に連れてきたの自分だし、感謝しろよと言いたい。



 ミントは自由を愛する猫だが、世話になった恩はきっちり返す義理堅い猫でもあった。


 例えば。

 この寝癖と戦っているご主人は、この家でハーブティー専門の週末カフェなるものをやっているのだが、店をオープンした当初、マジで客がゼロだった。オリジナルの看板を作るだけ作って満足し、チラシや情報誌への掲載など、宣伝行為を一切しなかったのだ。


 住宅街から少し離れたところにある自宅、週末オンリー営業というスタイルでは、固定客を掴まえないと運営は難しい。


 だがご主人は、スイッチさえ入ればいくらでも客を呼べる能力を持っているくせに、素のポンコツモードだと『集客』という二文字が浮かばないのか、「今日も誰も来なかったねえ」と、のほほんと一人でハーブティーをすすっている始末。


 ……確かにそう焦らずとも、自宅カフェの最大の利点は、なんといってもコストを抑えられるとこにある。ご主人は大手企業勤めの高給取りで、資金繰りの心配はない。

 マイペース運営でもいいっちゃいいのだが。


 それでも連日の客ゼロは、『ねこみんと』始まって早々の大ピンチなはずだ。



 そこで、危機感のないゆるだるなご主人に代わって、一肌脱いだのがミントだった。



 ミントはこのあたりのご近所事情なら、町内会長より格段に詳しい。

 最初にターゲットにしぼったのは、やさしい旦那のいるタヌキ顔の主婦だ。彼女が干していた靴下をくわえて逃走し、『ねこみんと』まで誘導した。


 一度カフェにさえ案内出来れば、ご主人のイケメン顔と癒されオーラで、きっとカフェを気に入って常連になってくれるだろう……と踏んだのだ。


 その主婦を一番に狙ったのは、口コミで広めてもらうため。


 案の定、おしゃべりな主婦は、『週末しか開かない素敵なカフェがある』と、ご近所中に伝えまくってくれた。



 ミントの目論みどおりである。

 効果あって、週末にはご新規の客もチラホラ来るようになった。



 あとはさらなる若い女性客ゲットのために、癒しを求めるお疲れ気味な社会人女性を。

 ファミリー層ゲットのために、母親と本当は仲良くしたいのに反抗期中な小学生男子を。


 他にも数人、ミントは『ねこみんと』にぴったりなお客様を一人一人狙い打ちしていった。後にご主人が『ミントが連れてきた特別なお客様』と称する人々である。


 誤算だったのは、連れてきたお疲れ気味な社会人女性……つまりツリ目女子が、ご主人と案外いい感じになったことか。



 まあこれは嬉しい誤算なので、ミント的には問題などない。



 あのタンポポの綿毛のようなご主人には、しっかりしていて芯のある女性がお似合いなのだ。

 たぶん。


 ミントも自分を抱っこさせるほど、ツリ目女子のことは初めから動物のカンで気を許しているので、万事OKである。



 ――――つまりは。



『ねこみんと』がご近所の憩いの場として地位を確立できたのも。

 ご主人がデートに浮かれるお相手ができたのも。

 ほぼ一匹の三毛猫のおかげであることを、ミント的には忘れないで頂きたいのだった。



「うーん……やっぱりここの寝癖が直んない……困ったな」


 ご主人がうんうん悩んでいると、玄関の方からピンポーンと、軽快なチャイムの音が鳴り響いた。


 回想モードに入っていたミントも、髭をひくつかせてピクリと反応する。


「なんだろう? 最近たまに来る勧誘とか訪問販売かな?」

「にゃあ?」

「俺、昔からそういうのによく迫られるんだ。チョロイって思われるみたいで。こんなときに参るよね……がんばってお断りしなきゃ」


 ふうと溜め息をついて玄関に向かうご主人の後を、ミントもてってってっと続く。

 ご主人は断るためか、背筋を伸ばし目つきを鋭くさせたスーツさんモードで、冷たい声を出し「どちらさまですか?」とインターフォン越しに尋ねた。

 

 

 しかし、モニターを覗いてドアの向こうにいたのは、怪しげな勧誘でも訪問販売でもなかった。



「あの……おはようございます、ハッカさん」

「早苗さん……?」



 ご主人は遅れて「え!?」と驚き、急いでドアを開けた。

 焦ったあまり、せっかく服装はカッコよく決めたのに、足元は履き潰した健康サンダルだし、髪の寝癖はそのままだ。


「ごめんなさい。早く用意できたんで、迎えに来てもらうのも悪いし、自分で来ちゃいました……」


 小さくうつむく女性は、いつもの大人女性の落ち着いたファッションとは、少々趣が違った。ベビーピンクのニットワンピースに、シンプルなネックレス。長い髪の毛をバレッタでまとめ上げ、ちゃんと『デート服』なことがわかる。


 惚けているご主人の足を、ミントは「ていやっ!」と尻尾で叩いた。

 かわいいとかキレイとか思ったなら、さっさと褒めろの意である。


 ハッとしたご主人は目許を緩め、「素敵ですね、早苗さん」と微笑む。ツリ目女子はうう……と唸って頬を赤く染めた。

 またしても一仕事したミントは息をつく。



 やはり、うちのご主人はやれば出来る子である。



「ハッカさんも素敵……なんですけども、寝癖、まだついていますよ」

「ああ、これはですね。ええっと」

「いいですよ、そのままで。ハッカさんらしいですし。その、もう行きますか? 用意がまだでしたら、ここで待ってますけど……」

「いや、大丈夫です。いきましょう」


 バッグだけ取りに戻って、二人はそのまま出掛けていく。途中、ご主人は戸締りだけは辛うじて覚えていたようだ。

 ミントも玄関から出て、そんな二人を見送ってやる。


「じゃあね、ミント。またカフェでね」

「行ってくるね」


 手を振るツリ目女子とタレ目男子に、ミントは尻尾を振ることでエールを返しておいた。手のかかる人間たちだが、これもミントの愛すべき日常である。



 空は青空。

 天気は良好。

 ハーブのミントの香りを運ぶ風は、どこまでも温かく穏やかだ。



「にゃあ」


 ――――いってらっしゃい、よい週末を。



 燦々と降る日差しを浴びながら、ふにゃあと欠伸をこぼして、ミントは茂る緑の中へと、ゆったりした足取りで歩いていった。




予定していた番外編もこれにて終了です。

ただまた機会があれば、追加の話で好きなハーブティーを紹介できたらなと思います。


ここまでお付き合いくださり、あらためてありがとうございました!

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