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羽塚要の月曜日 後編

【夜 21時00分 退社後帰宅】


 どうしても避けられなかった残業をこなし、内心は疲労困憊、表向きは涼しい顔で会社を出た要は、寄り道などせずまっすぐに家へと帰宅する。


「ふう……」


 ネクタイを片手で緩めて息を吐く。

 鉄製の門を通りすぎても、要はまだスーツさんモードだ。


 スイッチの切り替えは『眼鏡(※伊達)を外す』『スーツの上着を脱ぐ』『家の玄関を踏む』『とくになにもせずとも素に戻る』などなど、タイミングはいろいろなのである。


「……あれは」


 暗くなると自動点灯するガーデンライトが、カラフルな石畳に倒れ伏す、三毛猫の姿を照らし出す。猫は死んだようにピクリとも動かない。



 要は数秒だけ観察して、それからへにょっと頬を緩める。

 素に戻った瞬間であった。



「早苗さんじゃないんだから、俺に死んだふりは通じないよ、ミント」

「にゃあ」


 屈んで抱き上げれば、あっさりと目を覚ましたミントが悪びれもなく尻尾を振る。「バレてましたか」とゴロゴロ愛想よく喉を鳴らした。


 これはミントなりのおかえりなさいなのかもしれない。


「ただいま。今夜は家に寄ってくの?」

「にゃ!」

「じゃあ一緒に部屋へ行こうか。秋の夜長は冷えるし、あったまろう」


 要はポンポンとミントの背を撫でながら、ゆったした足取りで、玄関口の方へと歩いていった。





【夜 23時40分 就寝前のティータイム】


 ほかほかと、カップから白い湯気が立つ。

 マグカップの中でゆらゆらと揺れているのは、ハーブも使った温かいミルクティーだ。


 ハーブティーは、実はハーブ同士でブレンドするだけでなく、ミルクと合わせて飲むのも相性がいい。よりまろやかな甘みになって、子供でも飲みやすい味になる。



 おススメはカモミールのホットミルクティー。



 胃にやさしくリラックス効果のあるカモミールを、ホットミルクにして飲むことで、一日の疲れをほぐし、体の芯から心までホッと温めてくれる。


「ああ……落ち着く」


 リビングでマグカップを手に、要はゆるみきった猫背と顔で、満足気にそう呟いた。


 残業ですべて片づけてきたので、急ぎの持ち帰りの仕事などはない。

 なのでのんびりお風呂や夕食を済ませ、だらだらとテレビを見たりゲームをしたりしていたら、いつのまにか日付は変わろうとしていた。


 今はこの就寝前の一杯を飲んだら、もうお布団にもぐり込もうかというところだ。


 ツリ目女子の『寝る前の一杯』といえば八割酒のことだが、要の一杯は九割ハーブティーである。

 要も実は、お酒に関しては早苗と張れるほど強いのだが、単純に好きではないので、仕事の接待以外では基本的に飲まない主義だった。


「やっぱり朝も夜も、出来れば昼も、飲みたいのはハーブティーだよね」


 ゆるゆるな気分のまま独り言を落とす。


 そんな彼の現在のTシャツは、使い回し中の『社畜の叫びシリーズ』。

 今夜は『なぜ働くのかという疑問がわきだしたら、一度休んで立ち止まって考えよう。とりあえずおいしいものを食べよう』という、実家のお母さんを思い出すような、シリーズで最も長いメッセージが書かれた一品である。



「ん?」



 ミルクを半分ほど飲み干したところで、テーブルの上に置いてあったスマホが振動した。

 画面を見れば、神社仏閣撮影めぐりの旅に出ている鞠である。


「――――姉さん?」

「カナメ? ああ、まだ寝ていなかったのね、よかったよかった」

「今から寝るところだけど、どうかしたの? というか今どこにいるの」


 電話の向こうでは、なにやら波がさざめく音が聞こえる。


 鞠は「近場にある夜の海を撮影しに」と短く答えた。相変わらず姉さんは行動力あふれているなあ……と要は感心する。


 自覚がないだけで、「そうだ、写真家になろう」「そうだ、カフェをやろう」と思い付きと衝動で行動するところは、羽塚姉弟は似たり寄ったりなのだが。

 要は片手でカップに口をつけながら、姉と自分の違いに肩を竦めた。



「それで、用件なんだけど――――あんた今週末、サナエさんとデートに行くんだって?」

「ぶっ!」


 ベタに吹き出してしまった。



「げほっ、な、なんで姉さんがそのことを知っているの」

「あんたから聞いたんじゃなきゃ、出所なんてひとつしかないでしょ。サナエさんに電話して聞き出したの。ちゃんと仲直りできたか気になっていたからさ」

「……姉さん、サナエさんに迷惑かけちゃダメだよ」

「失礼な。私は生まれてこの方、人様に迷惑かけたことないわよ」

「弟にはあるよね」

「弟は別」


 姉の理不尽さに、要は口元を拭いながら脱力する。猫背がさらに猫背になった。


 鞠は昨日の夜の時点で、名前の出た『サナエさん』から半ば無理やり、要にハーブ園デートに誘われた情報を入手していたらしい。


「映画でも夜景の見えるレストランでもなくて、ハーブ園っていうところがあんたらしくて気が抜けるけど。もしかして、カナメから女性を誘うなんてはじめてなんじゃない? モテるからって、いつも受け身だったし」

「そんなこと…………あるかも」


 決して女性経験が皆無なわけではないが、モテる故の弊害で、要は自主的なアプローチの仕方のわからない残念仕様だった。


 急に不安になった要は、「デートにハーブ園って変?」と小声で尋ねる。


「サナエさんならたぶん喜んでくれるから、まあアリでしょ」

「そうだといいんだけど……」

「本当によかったわね、サナエさんがあんたのところに戻ってきてくれて。カフェに来ない間は相当落ち込んでいたものね。……それに、自分の二面性がどうとか、もう悩んでいないみたいだし」

「……うん、我ながら、過剰に気にしていたなとは思うよ」


 詐欺ともとられかねない素と外面との激しい差に、周囲を騙しているんじゃないかと苦悩していた時期は、要には確かにあった。

 過去に元同僚の女性に吐き捨てられた一言も、やたら重みを持って心中に沈殿し続けていた。


 だけど、今は馬鹿らしいことで負担を感じていたのだなと、すっきりした思いで己を顧みれる。


 それは、いつも生きにくいほど裏表がなくて、ハキハキと物を言う彼女のおかげだろうなと、要は思うのだ。


「お互い、いい歳して過去を引きずるもんじゃないわね」

「姉さんは俺よりアラサーだもんね」

「ぶっ飛ばすぞ。それじゃあ、私は撮影も終わったし、ホテルに戻って寝るわ。あんたも夜更かししないでさっさと寝るのよ」

「それこそ何歳児扱いなの……」


 そうぼやきつつ、姉に心配をかけるようでは自分もまだまだだ。


 この電話はほぼ弟をからかうためとはいえ、要の様子を確認するためもあったのだろうから。


「またね、おやすみカナメ」

「おやすみ、姉さん」



 通話はそこで途切れた。 



 カモミールのホットミルクティーを飲み干して、スマホを手に立ち上がる。ぶらぶらと揺れる猫のストラップが視界に入ると、要の口元は自然と緩んでしまう。


 頭の中では、お昼に会社の女性社員たちから教えてもらった、メンズファッションの極意がぐるぐると巡っていた。


 要の現在持っている私服では太刀打ちできそうにないので、土曜のカフェの営業時間を少々早めに切り上げたら、すぐに街中の服屋に買いに行かなくてはいけない。

 よくわからなければ、最終的には店員さんに丸投げする覚悟である。


「早苗さんの好みに合うといいんだけど……」


 どこまでも真剣な顔でそうこぼして、要は二階への階段を上り、寝室のドアを開けた。


 いつもなら布団に入っても、マロウブルー少年とやっているゲームを進めてから目を閉じるのだが。今日はいさぎよく止めておく。

 質のいい睡眠を取るにはゲームはよろしくない。週末に仕事を持ち込まれないためにも、明日も気合いを入れて業務に取り掛かる必要があるのだ。


 しかし、いざ寝ようとしたら。



「……ベッド、乗っ取られてる」



 要のベッドのど真ん中では、ミントが丸まってすやすやと寝入っていた。

 まるでここは自分の陣地だと言わんばかりだ。


「うーん……」


 悩んだが、起こすのも悪い気がして、要はベッドをそのまま譲ることにした。この家は部屋数が多いので、どこか空いているとこで布団を敷いてもいいし、ソファで寝てもいい。



 この賢い猫様には、いろいろなお客さんを……なにより早苗を連れてきてくれた恩があるのだ。


 ベッドの一つくらい、猫への恩返しである。



「おやすみ、ミント」

「にゃ……」


 気のせいでなければ、寝言なのか小さく返事をしたミントに、要は少し笑って、それこそ猫のように別の寝床を探しにいった。



【夜 00時00分 就寝】



 羽塚要の月曜日は、こうして過ぎていく。



次のミント視点は来週末に更新します。

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