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【書籍発売中】猫と週末とハーブティー  作者: 編乃肌
あなたのためのハーブティー
26/33

6 彼女の話と要の言葉と

「公園なんて、大人になってから来るのすごく久しぶりだわ。早苗さんは、ここの公園来たことある?」

「いえ……通りすがったことはありますけど、入ったことはなかったです」

「そう、じゃあ一緒ね」


 にこっと微笑んで、千早はブランコの傍のベンチに腰かけた。 

 早苗も倣って隣に座る。緊張のためか、一時的に二日酔いの辛さは吹き飛んでいる。


 要の家からほどほど歩いたところにあるこの公園は、小さく廃れていて、日曜日の昼間だというのに子供一人いなかった。遊具も錆びたブランコに砂場だけなので、今どきの子はこんな場所では遊ばないのかもしれない。


 だけど早苗は、ポツンと俗世から切り離されたこの静かな公園が、要の庭のカフェスペースを思わせて、どことなく落ち着いて嫌いではなかった。


「まずね、きっと誤解しているだろうから伝えておくけど。私と要さんは、もともと同じ職場の同期ではあったけど、別に恋人とかではないの。勘違いさせて嫌な思いをさせたならごめんなさい」

「あ、いえ。その、私も別にハッカさ……要さんとは、恋人同士ではないので」

「? そうなの? 要さんがあなたのことばかり気にしていたから、私ったらてっきり……」


 驚いたように、千早は細く白い手を口元に当てる。


 その様子から、千早はまだ要に未練があって、わざわざ早苗をけん制しようとここに誘った……というわけではなさそうだ。

 でもまだ真相はわからないので、女の腹の探り合いなんて苦手分野な早苗は、もう開き直ってズバッと聞くことにした。


「あの……さきほど、恋人ではなかったとおっしゃいましたけど、要さんに気はあったんですよね? 今はそうではないんですか?」

「ん? ふふ、それはないから大丈夫よ。私、現在お付き合いしている人が他にいるし。昔だって要さんへの気持ちは、純粋な好意ではなかったから」


 そういえば電話で鞠も、『あれは純粋な好意というよりは……』と、濁すように千早のことを語っていた。下から早苗の顔を窺うように、千早は「ちょっと私自身の話をしてもいい?」と聞いてくる。


 千早の身に付けている香水だろうか、甘い花のような香りに誘われるように、早苗はコクンと頷いた。


「私ね、家がとっても厳しくて、母も父も兄も、お堅い職業に就いている見栄っ張りな人たちだったから、なんでもかんでも制限されてきたの。学校も、習い事も、友達も……『この家の娘にふさわしいもの』を勝手に選ばされて。それは家を出て就職してからも続いてね。このままだと結婚相手まで決められちゃいそうで、そうなる前に自分で、両親が納得する『完璧な人』を探そうって考えたの」

「完璧な人、ですか」

「そう。とにかく両親が気に入ってくれそうな、完璧な人。そんなことを考えている時点で、私がそもそも親の押し付けから逃げられていなかったんだけど。そのときはただ、条件を満たす人を探すことに必死だった……それでね、要くんを見つけたの」



 千早の目から見て、スーツさんな要は、すべての条件に見合う完璧な人だったという。



 仕事が出来て、容姿が整っていて、プライベートも隙がなくて。

 ……真実を明るみにするなら、プライベートは隙だらけなのだが、社宅時代でオフでも気を張っていた要は、なるほど列挙してみれば、非の打ちどころのない男だ。


「だけど……アポなしで一度、仕事関係で、要さんの社宅の部屋を訪れたことがあって」

「もしかして、変Tを着て髪ボサボサで、猫背がヤバくてタレ目全開なあの姿を……」

「うん、別人みたいだった」


 踵の低いミュールで、千早が座ったまま小石をえいっと蹴る。飛んでいった小石は、ブランコに当たってギィギィと軋んだ音を立てさせた。


 ……おそらく要はたまたま、スーツさんモードを解除していたところだったのだろう。

 そこを運悪く、千早に目撃されたのだ。


「私は、私の身勝手な都合で、『完璧な要さん』が欲しかった。だからこれ以上ないほどガッカリしたわ。それで、つい本人を前に言っちゃったの……『こんなの要さんじゃない、騙された気分だわ』って」


 風邪をひいたとき、要は確か「千早さんにはあんなこと言われちゃったのに」とこぼしていた。『あんなこと』というのはきっと、この言葉のことだろう。


 自分の二面性に悩んでいた時期に、その言葉はおそらく要の胸に鋭く突き刺さったに違いない。しかもパートナーとして信頼していた千早からだ。なおさら堪えただろう。

 現に千早は申し訳なさそうに、「あのときの要さんの、ショックを受けた顔が忘れられなくて」と瞳を伏せた。

 そのことを、彼女もとても悔いているようだ。


「それから程なくして、私は思うところがあって仕事を辞めて。それ以来、要さんには会っていなかったわ。だけどあの発言に対してずっと謝りたかったの。だからあの猫ちゃんが、たまたまとはいえ、私を要さんの元に連れていってくれたことには感謝している」

「あの猫、たまに信じられないくらい賢いんですよ。人間のこと、怖いくらい観察していそうで……」


 とにかく侮れないことは確かだ。

 それとまったく関係ないし今さらだが、結局ミントはオスなのかメスなのか。


 もしオスだったら、三毛猫のオスの希少価値は高いがどうなのだろう……と、つい早苗の意識は逸れていったが、最終的にはどっちでもいいかというところに着地した。


 要がハッカさんだろうとスーツさんだろうと、要であることに変わりないように、ミントもオスだろうとメスだろうとミントだ。


「猫のことは置いといて、あの、謝れたんですか? 要さんに……」

「ちゃんと謝れたわ。もう気にしていないからって許してもらえた。それでね、仲直りの印に『お客様』としてハーブティーを淹れてもらったの」


『お客様』の部分をやけに強調して、千早は『タイム』を中心としたブレンドティーを出してもらったのだと言う。


 タイムといえば、風邪ひきさん用に早苗が作ったリンデンティーに、加えた覚えのあるハーブだ。咳や喉の痛みに有効だと要が説明していたが、千早が振るまわれたタイムティーには、別の意味が込められていたらしい。


「タイムって、古くから『勇気』の意味を持つハーブなんですって。ヨーロッパでは戦いの際に、持ち主に勇気を与えるためにタイムを持たされたとか。私がこれから、親と戦いに行くことを話したからね、きっと」

「ご両親と戦うんですか……?」

「今のお付き合いしている彼との、結婚を認めてもらうため。私の彼ね、まったく両親が認めてくれそうにない、高卒で見た目は熊みたいで、年収も高いとはお世辞にも言えない人なんだけど。すごく優しくて誠実で、とても素敵な人なのよ」


 青い空を泳ぐ雲を見上げて、『彼』のことを口にした千早の横顔は、早苗が見た中では一番キラキラしていて綺麗だった。


 それは彼女が、親がどうとか、外側の完璧さがどうとかなんて関係なく、自分自身でその人を選んだからなのだろう。


「でもまさか要さんに、あんな特技があったなんてね。手作りのデザートもおいしかったし、びっくりしたわ。本当は今日、これから私の彼と親に会いに行くから、もう一杯だけタイムティーをもらおうかと思っていたんだけど……早苗さんと話していたら勇気が出てきちゃったから、このまま行くことにする」

「い、いいんですか? まだお店はやっていますし、今からでも……」

「いいの。聞いてくれてありがとうね、早苗さん。お礼にいいこと教えてあげる」


 千早はそっと早苗の耳に、ピンク色のリップが塗られた唇を近付けた。その近さと強くなる花の香りに、早苗は妙にドキドキしてしまう。


 千早はゆっくりと唇を動かす。


「あのね。要さんのハーブティーが想像より効いたから、私、冗談交じりにこう言ったの。『また元同僚のよしみで、ハーブティーを淹れてくれる?』って。そうしたら『お客様としてここに来てくれるなら、いつでも』って素っ気なく返されて。そのあとにね――――」



 ――――続けられた言葉に、早苗は目を見開いて固まった。


 

 次いで、じわじわと這い上がる熱に、耳までほんのり赤く色づく。そんな早苗の反応に満足したらしい千早は、軽やかに微笑してベンチから立ちあがった。


「要さんが待っているから、もう行ってあげて。私もそろそろ行かなくちゃ。引き留めてごめんなさい、本当にありがとう。またね、早苗さん」

「あ、千早さん……!」


 長い髪を遊ばせて去ろうとする千早に、早苗は迷ったが「がんばってください!」とだけ声をかけた。もちろんこれから勃発するであろう、ご両親との戦いに向けてだ。


 千早は「あなたもね」と悪戯っぽく笑うと、その場から姿を消した。


「……がんばろう」


 残された早苗も、半分走っているような早歩きで、公園を出て『ねこみんと』を一目散に目指したのだった。 



 

次が最終話です

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