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【書籍発売中】猫と週末とハーブティー  作者: 編乃肌
あなたのためのハーブティー
23/33

3 電話と不味さと

 

 ――――早苗が『ねこみんと』に行かなくなってから、あっという間に一ヶ月近くが経過した。


 暦は変わり、今日はもう社員旅行の前日。

 金曜日の夜、早苗はマンションの自室で、旅行のための荷造りをしていた。といっても、一泊二日で近場の温泉旅館に行くのに、それほど荷物は必要ない。


 キャリーバッグなど大仰なものは用意せず、赤チェックのボストンバッグに必要最低限の物を詰め込んでいく。


「携帯の充電器はOKだし、替えの服は入れたし、化粧水や乳液も持った……こんなもんか」


 一通りのチェックを終えて、早苗はバッグを置いて床から立ち上がる。

 休憩しようと、ベッドに放り出していたビニール袋を手に取った。中身は本日の仕事帰りに、わざわざデパートのお茶専門店に寄って購入した物で、いくつかの透明なパックには、それぞれハーブ名の書かれたラベルが貼られている。



 これらは、ハーブティーの茶葉だ。


 『オートムギ』、『カモミール』、『ローズヒップ』、『ラベンダー』……などなど、その他合わせて十種類ほど、疲労に効きそうなハーブばかりをそろえている。



 ……『ねこみんと』に通うのを止めてから、早苗は担当企画の件もあり、まさに仕事の鬼と化していた。

 しかし仕事をバリバリこなすのはいいが、週末の癒しがなくなってしまったため、疲労だけが拭われることなく、しんしんと雪のように降り積もっていったのだ。


 友人と遊びに出掛けてみたり、一人飲みを復活させてみたり、エステ体験に行ってみたりと、いろいろとやってみたけれど、疲れがすっきり消えることはなかった。現在は積もった疲労という雪で雪崩が起きかけているところである。


 そこで苦肉の策として、ハーブティーの茶葉を探して購入してみた。

 一度、要の看病のときに淹れて成功しているし、セルフでブレンドして飲めばいいだろうと。


 『ねこみんと』には意地でも行かないあたり、早苗の意地っ張りな性格が出ている。


「このために、百均でポットもカップも買ったんだから。ぼっちでもハーブティーライフを満喫してやる」


 どうせハッカさんは私が来なくなったって、ツリ目の常連が一人減ったなくらいの感覚だろうし!

 などと不貞腐れた気分で、早苗はキッチンに立ち、『オートムギ』と記されたハーブのパックを素手でバッと開けた。


 つい力が入って、茶葉がちょっと四散したがまあ許容範囲だ。


「お茶請けもあったよね。CMで見て美味しそうだった、市販のチョコクッキー」


 要作のデザートに代わるお菓子だって準備万端だ。

 早速、早苗はハーブティー作りをはじめる。


 とりあえず疲労に効きそうで、知っているハーブを大人買いしてきたが、唯一『オートムギ』だけは初耳だったため、スマホで軽い概要を調べてみた。

 オートムギは別名『オーツ』とも呼ばれる、食物繊維やミネラル類など、栄養たっぷりな穀物類。神経系にプラスな効果があり、ストレスなどの精神疲労や、体力が低下したときに飲むと元気をもらえるハーブらしい。


「なんか難しいな……」


 ハッカさんなら、もっとゆるい口調でわかりやすく説明してくれるのに。


 そんなことを意図せず考えて、ハッとして頭を振る。とにかくちゃちゃっと淹れちゃおうと、早苗は買ったばかりの安物ティーポットに手をかけた。



 それから、程なくしてハーブティーが出来たわけだが。



「なんか……マズイ」


 早苗は一口飲んで、カップをコースターに戻した。

 飲めないこともないが美味しくない。元気も出る気がしないしまったく癒されない。


「ブレンド、適当すぎたかな。だってよくわかんないし……」


 すでにブレンド済みの茶葉を買えばまだ安牌だったのを、早苗はバラで買ってきて、わりと直感でめちゃくちゃに組み合わせてしまった。

 自分でもどれをどの程度淹れたかわからん、という杜撰っぷりである。


 風邪引きの要に作ったときは、彼のレシピ通りだから問題なかったのだと思い知らされる。


「茶葉のブレンドだけじゃなくて、もしかしてお湯の量を間違えた? 蒸らす時間もミスった? ……意外と難しい」


 ついでにCMではあんなに美味しそうに見えたクッキーは、食感が固すぎるしチョコの味が強すぎてイマイチだった。


 一人きりの部屋でマズイお茶が揺らめいて、情けない気持ちになったときだ。

 プルルルッと、けたたましく着信音が鳴る。


 ミニテーブルの上に放置してあった、早苗のスマホだ。



「サナエさん? ああ、よかった出てくれた!」

「鞠さん……?」



 テンションの高い女性の声は鞠だった。要の看病をした以来の電話に、早苗はなんの用だろうと首を傾げる。


「サナエさん、ここ最近『ねこみんと』に来店してないんだって? 要がすっごい落ち込んでたよー」

「えっ……」

「『姉さん……どうしよう俺、早苗さんに嫌われたかも』って、死にそうな声で私に電話よこしてきてさ。マジ爆笑……じゃなかった、お姉さん、とても心配で」



 ハッカさんが?

 私が来なくて落ち込んでる?



 早苗は固いクッキーを手にしたまま、パチパチと瞬きを繰り返す。


「しかも……千早さんに遭遇しちゃったんだって?」

「あ、はい。……あの、千早さんって」


 要とはどんな関係なんですかと、もうここまできたら聞いてしまえと、早苗は思いきって尋ねてみた。


 鞠はうーんと電話の向こうで悩ましげに唸る。

 話すべきか話さないべきかで天秤が揺れていたようだが、鞠も思いきることにしたようだ。「じゃあ話すね」と、内緒話のように声を潜めて教えてくれる。


「千早さんの方はもう退職したみたいなんだけど、もともとはカナメの職場の同期。入社したての頃、どっちも優秀だったから、なにかと二人で組まされることが多くて……仕事上のパートナー的存在?」

「パートナー……」


 ひとまず恋人的な関係ではなかったことに、早苗は無意識にホッとした。

 ただ、周りは二人をお似合いのカップル扱いしていたし、千早の方はカナメを狙っていた節があることも、鞠は明かす。


「昔の話だけどね。二人が職場の先輩への昇進祝いだったかを買いに、休日に会っているとこに私がたまたま遭遇して。あの写真はそのときにノリで私が一枚撮ったの」

「あ……だから写真だと、スーツさんモードなのに私服だったんですね」


 仕事関係のお付き合いだったなら納得だ。


 真相が明かされた今なら、若干だがスーツさんなのにスーツじゃない私服姿の要を、早苗はもうちょっとよく見ておきたかった気もした。


「千早さんはわりと、わかりやすくカナメにアピールしていて……あーでも、あれは純粋な好意というよりは、って感じだったから、姉的には微妙なとこなんだけど」

「えっと、それはどういう……?」

「これは千早さん側の事情だから割愛するね。ごめん! カナメの方は、千早さんをそういう目では見ていなかったよ。サナエさん風に言うと『スーツさん』なカナメは、仕事のことしか頭にないし。千早さんのことはパートナーとして信頼はしていみたいだけど。あとあの頃、カナメは絶賛お悩み中の頃だったから、恋愛どころじゃなかったというか……」


 当時、仕事をはじめてまだまだ間もなかった要は、二面性ともいえる素の自分と、仕事時の自分の差に悩んでいたという。

 仕事で評価を得ても、それは本当に自分の評価なのか。周囲を騙しているんじゃないか……と。


「まあ、あのモード作った私にも責任はあるんだけどさ。私からしてみれば、誰にだって裏表くらいあるし、そこまで悩まなくてよくない? って」

「どちらもハッカさんですし、得た評価は紛れもなくすべてハッカさんのものですよ」

「ね、だよね。だけどあの子、根が素直というか、嘘のつけない子だからさ。気にしちゃうんだろうね」

 

 早苗もたいがい不器用だが、要もなかなかに不器用な性質だったようだ。


 もしかしたら、あの『ねこみんと』という緑あふれる場所で癒されていたのは、訪れる客だけでなく、マスターである要自身もだったのかもしれない。


「あーあ、あの頃、サナエさんがアイツの傍にいてくれたら、バシッと背中を叩いてくれそうだったのに。そのお悩み関係で、千早さんとなんかあったみたいで。そこは聞いてないから知らないんだけど、それからますます後ろ向きになっちゃったのよね。でも私も……ケンスケが事故に遭ったの、ちょうどその時期だからさ。カナメを支えるどころじゃなくて」

「鞠さん……」

「今は私もカナメも、だいぶ吹っ切れてはいるんだけどね!」


 そう言いながらも、鞠がローズマリーティーを飲みながら、定期的に泣いていることを早苗も知っている。そこはもちろん、余計はことは言わなかったが。


「……こんなこと、私から頼むのもおかしいんだけど、また『ねこみんと』に行ってあげてくれない? サナエさん」

「え……」


 もうクッキーを食べる気が起きなくて、片手でごそごそと片付けていた早苗は、間を空けて頼まれた言葉に意表を突かれる。


「カナメはあのお綺麗な顔だし、昔から女の子にはモテたよ。スーツさんのときも死ぬほどモテていたっぽいし、素のときは素のときでモテた」

「……つもり、どっちでもモテモテだったんですね」

「我が弟ながら嫌味なほどにね。女の子は大抵あっちから寄ってきたし、より取り見取り」

「非モテ男子が聞いたら、ハッカさんこそアーティーチョークを食わされそう」


 アーティーチョークは、いつぞや要が上司に食わせたいとぼやいていた、死ぬほど苦いハーブだ。

 ふふっと、鞠は実年齢のわりに、少女染みた可愛らしい笑い声をこぼす。


「だけどね……カナメが誰かに会えなくて落ち込む姿なんて、私は初めて見たよ」


 早苗は思わず、大きくツリ目を見開いた。


「あ、あの、それって……!」

「あ! ごめん、仕事先から電話入った! もう切るね。よかったらカナメに会いに行ってあげてねー!」


 看病を押し付けられたときと同様、鞠は軽いフットワークで電話をぶちぎった。

 ツーツーと耳に残る音を聞きながら、早苗は頭に氾濫する情報と様々な感情を整理しつつ、はああと深い溜息をつく。



 長電話で喉が渇いたため、カップに余っていた自作のハーブティーを飲み干す。


 やっぱり不味かった。



「『ねこみんと』でおいしいデザート食べて、ハーブティーが飲みたい……。ハッカさんに、会いたいな」


 

 その気持ちをちゃんと自覚すれば、早苗の望みはすんなりと口から出てきた。

 ただあともうひとつ、一度離れた場所に向かおうという勇気が出なくて、早苗はいったん逃げるように、明日の旅行に思いを馳せながら、ポットの中の不味いハーブティーまで胃に流しきったのだった。



 

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