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【書籍発売中】猫と週末とハーブティー  作者: 編乃肌
風邪ひきさんのリンデンティー
19/33

2 看病と置き去りのレシピと

 なにこれ、なにこれ!?

 顔を羞恥で染めながら、早苗はパニックにおちいっていた。


 柔らかな黒髪が頬を掠め、熱い吐息が耳にかかる。覆い被さる要の体は、上背があるぶん細身のわりに大きくて、早苗は見事にすっぽり収まってしまった。

 はたから見れば、恋人同士の抱擁のように映るかもしれない。



 これはいったい全体、なにが起きているのだろうか。



「あ、あの、ハッカさん……!?」

「本当にごめん、早苗さん……」


 要がいつもより掠れた低い声で、早苗の耳奥を震わせる。


「俺、もう……」

「も、もう?」

「もう……ムリ……………しぬ」

「ハッカさんんんん!?」


 しかしながら、ドキドキタイムはそう長くは続かなかった。


 要は早苗を抱き締めたまま、力が抜けたようにズルズルと崩れ落ち、そのまま倒れかけたのだ。早苗を巻き添えにして。


 乙女スイッチの入っていた早苗は我に返り、ヒールでなんとか踏みとどまる。


「ハッカさん待って! 重い! 動けない! なんとか部屋に入るまでは頑張って!」

「どうか俺の代わりに……上司に、復讐を……」

「遺言残さないで! 復讐は自分でしてください!」

「ああ、ほら、早苗さん見て。羽の生えたミントが迎えに来てくれていますよ……」

「それついていっちゃダメなやつだから!」


 早苗は辛うじて動かせる手で、要の背を叩いて彼の意識を現世に戻そうとするが、要は熱に浮かされ幻覚を見ている最中だ。「ミントがコサックダンスを踊ってる、面白いなあ」などとうわ言を呟いている末期状態である。


 羽も生えていなければコサックダンスも踊っていないリアルなミントは、すでにドアの隙間から室内に入り、早苗に向かって尻尾を振っている。


「にゃあ」

「早くご主人を連れてこい……って、催促している気がしなくもない」


 こうなったらと、早苗は最終手段を取ることにした。



「ハッカさん……いえ、『羽塚さん』」

「ん……?」



 要がピクリと反応する。

 早苗は続けて、なるべく事務的な声音を使い、「あなたの仕事は、きちんと部屋に戻って寝ることです。ちゃんと業務をまっとうしてください」と、暗示のように繰り返し唱えた。


 秘儀、『強制的にスーツさんモードに切り替えさせて、意識を保たせよう作戦』である。


「仕事……業務……可及的速やかに実行しなくては……」

「そうです、さあ離れて。回れ右」

「ああ……」


 なんとか現世に帰ってきた要は、早苗を解放すると、覚束ない足取りで玄関から部屋を目指して歩みはじめる。


 ……くっついていたぬくもりが消えて、ほんの少し名残惜しいなんて。


 そんなことを無意識のうちに感じながらも、早苗は「お邪魔します」と小さく告げて、要の後を追いかけた。






「はあ……やっと寝てくれた」


 どうにか要を寝室まで誘導し、ベッドに押し込めることに成功した早苗は、ふうと息をつく。


 さすがに成人男性を、女性が一人で運ぶのにはムリがあったので、咄嗟の作戦が上手くいってよかった。質のいいシーツの上に横たわる要は、死んだように端正な寝顔を晒している。



 布団をかけ直してから、早苗は改めて室内を見回した。



 目立つものは、木製のクローゼットに、なにも置かれていない机、それからこのベッドと、キャスターつきのサイドテーブルくらいか。実にシンプルな部屋で、おそらく寝るためだけに使っているのだろう。


 ただクローゼットの取っ手には、早苗の見慣れたグレーのスーツがハンガーにかけられており、それが『要の空間』という感じがして、早苗はなんだか少し気まずくなった。


「え、ええっと、氷枕とか冷却シートとか……なにか探してきますね。おとなしく寝ていてくださいね」

「……うん」


 まだぼんやり起きていた要が、小さく「ありがとう、ごめんね」と呟く。

 早苗は「気にしないでください」と返して、どこか逃げるように部屋を出た。


「なんか……調子狂うな」


 せめてミントでも傍にいてくれたら、弱った要と二人きりで、ここまで変に緊張することもないのに。


 あの猫は要たちが寝室に着いた瞬間、「じゃ、あとはよろしく」といった態度で、トトトッと走ってどこかへ行方をくらませてしまった。


 鞠もミントも、早苗に要を任せすぎである。


「普段お世話になっているし、別にいいんだけど……」


 不意に先ほどの抱擁を思い出して、早苗の頬はじんわり熱くなる。



 ――――そもそも自分と要は、今さらだがどんな関係なのだろう。



 普通に考えれば、ただの客とお店の店主。

 しかも週末にしか会わない、言葉にするとずいぶんと稀薄な関係だ。



 だけど、それだけじゃないような。

 それだけだと……寂しいような。



 度しがたいごちゃついた感情が、早苗の胸をぎゅうぎゅうと締め付ける。

 今はまだ、そんな想いに気付きたくはなかった。

 気づいてしまったら、あの心地のよい空間で、二度とハーブティーが飲めなくなってしまうような、そんな嫌な想像をしてしまったのだ。


 ふるふると首を振って、早苗は思考を切り替える。


「……キッチンを探そう。ハッカさんの看病しなきゃ」


 といっても、捜索しようにもこの洋館は広い。


 内装も外装に違わずカントリー調で、ところどころ見かけるインテリア品は鞠たちが住んでいた名残か、とてもアーティスティックでおしゃれなのはいいのだが。

 とにかく部屋数が多くて困りものだ。


 要の寝室がシンプル過ぎたのも、仕事をする部屋やくつろぐ部屋が、きっとそれぞれ別なのだろうな、と早苗は推測する。


「とりあえずキッチンは普通一階だよね」


 階段を下りてしばしさ迷えば、目論み通りダイニングキッチンを見つけられた。当たり前だが、カフェスペースのキッチンよりでかい。


 四人がけのテーブルの上には、菓子パンの袋と市販の風邪薬の箱がおいてあり、要がここで簡易的に食事を済ませたことがわかる。

 お昼に薬は飲んでいたようだが、まだ効き目は出ていないみたいだ。



 そしてキッチン台には、見知った透明なティーセットに、ハーブティーのレシピメモ。



 薬を飲んだがなかなか寝付けず、要がみずから淹れて飲もうとしていたものだろう。


「……レシピさえあれば、私でもハーブティー、作れるかな」


 お店の方から持ってきたのか、三種のドライハーブの瓶を睨み、早苗はレシピを手に取る。


 猫の肉球マーク入りのメモ紙には、要のゆるゆるな文字で『風邪回復ブレンド』とあり、スプーンでどのハーブをどのくらいぶん調合したらいいのか、きちんと記されていた。

 これに沿って作れば、なんとかイケるかもしれない。


 ラベルに書かれているのは、『リンデン』、『エルダーフラワー』、『タイム』。


 どれも聞いたことのないハーブだ。

 改めてこんなに種類も効能も豊富なハーブたちを、細かく把握して、おいしいお茶に変えている要はすごいなと、早苗は尊敬の念を抱いた。


 レシピを読み返し、要がいつものカフェスタイルで、『ねこみんと』でハーブティーを淹れている姿を思い返す。


「よし」


 冷蔵庫をあされば、氷枕はなかったが冷却シートは発見。要があとで食べようとしたのか、作りおきのお手製ヨーグルトもあった。ミントの葉が乗っていて、ちょっと胃に入れるのにはよさそうだ。



 これらと合わせて、風邪に効くハーブティーを持っていこうと、早苗のはじめてのハーブティー作りが幕を開けたのだった。




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