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【書籍発売中】猫と週末とハーブティー  作者: 編乃肌
記憶の中のローズマリーティー
17/33

4 思い出と泣きたい日と

「お待たせしました」


 白シャツとスラックスはそのままで、ペパーミントグリーンのエプロンだけサッと巻いた要は、普段より迅速な手際で準備を進め、ワゴンにティーセットを乗せて持ってきた。


 カップもポットも二つ分。


 いいと断ったのに、「姉さんが迷惑かけたお詫びに」と、早苗のぶんも結局ハーブティーを用意してくれたようだ。


「本日のデザートは、『一口サイズのシナモンラスク』。シナモンはお菓子によく使われるハーブで、体を温める力があるから、これからの寒い季節にはオススメです。気軽にサクッと摘まんでください。ハーブティーの方は、ローズマリーを中心にしたブレンドで、テーマは『若返り』かな」


 ローズマリーは古くから様々な逸話のあるハーブで、学名の『Rosemarinusu』は『海のしずく』を意味する。地中海などに多く生息し、しずくを思わせる淡いブルーの花を咲かせることから、そんな名がついたそうだ。


 じゃあ……ケンスケさんの写真に写り込んでいたあのハーブは、もしかしてローズマリー? と、早苗は要の説明を聞きながらふむと考える。


「でも、なんで『若返り』なんですか?」

「いやあ、ローズマリーって本当に伝説が多くてさ。ハンガリーの女王様が七十を過ぎた高齢になってから、ローズマリーを浸けた水を飲みはじめたところ、どんどん若返って昔の美しさを取り戻したんだって。奇跡のアンチエイジング。しかもそのおかげで、二十代の隣国の王子からプロポーズされたっていう……」

「王子が熟女趣味だった可能性はー?」

「姉さん黙って。そんなわけで、ローズマリーは『若返りのハーブ』なんだ。ローズマリーティーは香りがちょっと強めで、味はすっきり。仕事中の集中力アップや気分転換にもいいよ」


 要はトントンと、早苗と鞠のそれぞれの前にポットとカップを並べ、真ん中に砂時計とラスクの乗った皿を置く。


 今回はどちらのハーブティーも、ローズマリーを中心にしたもののようだが、わざわざポットを別にしたということは、ブレンドが違うのだろうか。


「より味わいがすっきりするよう、ペパーミントとブレンドしたんだけど、甘党な姉さんの方にはステビアもほんの少量加えてあります」

「ステビアって……?」

「ステビアは自然の甘味料だよ、サナエさん」


 帰国する度にいつもこのハーブティーを頼むという鞠が、要に代わって説明してくれる。


「甘さは砂糖のなんと300倍! だけどカロリーはほぼゼロ! 使い勝手がとってもよくて、甘みを加えたいときにはお役立ちのハーブ……だったよね、カナメ?」

「だよ。ダイエットの強い味方で、ハーブティーの味調節では定番。それがステビア」

「へえ……」


 鞠はにこにこと機嫌よさそうに、「ステビア入りのローズマリーティーが私専用なの」と、緑メッシュを秋風に靡かせる。笑っているとあどけなさが増すので、やはりアラサー感は微塵もない。



 もしや彼女の見た目の年齢詐欺っぷりは、この若返りのハーブの力なのだろうかと、ふと早苗は思った。



 そんな魔性のハーブティーを、砂時計が落ちきったので、おそるおそる透明なカップに注いで飲んでみる。


「……あ、確かに香りは薬草っぽさ? が強いですけど、すごく飲みやすくて、頭がハッキリする感じしますね。シナモンのラスクもこれ、食べる手が止まらないやつだ……あれ? 鞠さんはまだ飲まないんですか?」


 飲むのを今か今かと楽しみにしていたようなのに、鞠はいっこうにポットからローズマリーティーを注がない。頬杖をついて、ただただ早苗が飲んでいるところを見守っている。


「んー、いいんだ。サナエさんが先にティータイムを楽しんじゃって」

「でも……」

「早苗さん、食事中にごめんね。その一杯を飲み干したら、ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけど。俺とカウンターの方に来てもらってもいいかな?」


 唐突に、要がそんなことを早苗に耳打ちした。

 跳ねまくりな要の黒髪が頬に触れて、ほんのりくすぐったい。


 なんだろう……と意表を突かれつつも、早苗はカップを一度空にして立ち上がる。


「少し早苗さんを借りますね。姉さんはのんびりしていてください」

「なになに? こっそり逢い引きですか?」

「発言が親父くさいよ。じゃあこっち来て、早苗さん」

「あ、はい」


 導かれるまま、ウッドデッキから室内に入り、カウンター奥まで進む。

 早苗はカウンターの中にまで来たのははじめてだ。


 いつもは離れたところにある棚の中を覗き、ラベルつきのドライハーブが詰まった瓶を見比べる。カップも透明なものだけじゃなく、いろいろな種類があって面白い。おおむね猫柄だが。


「それで、ハッカさん。私はなにを手伝えばいいんですか?」

「ん? あれは嘘だから、なにもしなくていいよ」

「はい!?」

「ただあそこに、姉さんを一人きりにするための嘘。ああでもしないと、姉さんはあのハーブティーが飲めないから」



 それは、いったいどういうことだろう?



 首を傾げる早苗に、「静かにね」と要は人差し指を唇に当て、カウンターのはしっこに移動する。室内と外を隔てるガラス戸越しだが、ここからは一人で座る鞠がよく見えた。

 ただ向こうからは、早苗たちが見えにくい位置のようだ。


 ぼんやり虚空に視線を馳せていた鞠は、しばらくして、ようやくポットを持ってティーを注ぐ。

 なんとなく、早苗は息を潜めて、そんな鞠の様子を要と窺っている。


「ふぅー……」


 耳を澄ませば、辛うじて鞠の声も聞き取れた。

 彼女はローズマリーティーを一口飲み、なにかを噛み締めるように息をつく。


 二口、三口、異変が起きたのは四口目だ。


「えっ……!」


 早苗は思わず、小さく驚愕の声をあげてしまった。



 ――――急にボロボロと、鞠が大粒の涙を流して泣き出したのである。



「うっ、ううう、うううう!」

「ま、鞠さん……!?」


 つい反射的に、早苗はカウンターを飛び出して鞠のもとへ行こうとするが、要に手首をつかまれ引き留められる。


 このままで大丈夫だから、と。


「うっ、ひっく……なんで……なんで先に死んじゃったのよお、ケンスケェ! ずっと一緒にいようって言ったくせに……事故なんかで、あっさり私をおいていって……ううう!」


 鞠の瞳から溢れた涙が、テーブルの上に点々と染みを作る。すでに顔は人目に晒せないくらいぐしゃぐしゃだ。


 決して綺麗な泣き方などではなく、泣くことでしか感情を表せない幼子のように、わんわんと声を張り上げて、鞠はひたすら泣いている。


「ばかぁ、あほ! ……ケンスケの、裏切り者ぉ!」


 嗚咽とともに吐き出されるのは、亡くなった旦那であるケンスケを悼む言葉だ。


 今の彼女の様子は、あっけらかんと彼の死を笑い飛ばしていたときとは、180度かけ離れている。


「……ローズマリーはね、花言葉が『記憶』や『思い出』でさ。ローズマリーティーは、姉さんにとっても、旦那さんとの思い出のハーブティーなんだ」

「思い出の……?」

「旦那さんが姉さんによく淹れていたんだよ。旦那さんはハーブの中で一番、ローズマリーが好きなんだって。『マリ』って、姉さんの名前が入っているからなんて、案外ロマンチックな人だよね」


 要もケンスケとは仲がよかったのか、寂しげにタレ目を伏せて小さく微笑む。

 鞠はローズマリーティーを飲みながらも、ずっとずっと泣いている。


「姉さんは意地っ張りだから。旦那さんがいなくなって、悲しいとか寂しいとか、人に素直に言えないんだ。でもときどき限界がきて、急に帰ってきては、ローズマリーティーを俺に注文する。そういうときはね、姉さんが『泣きたい日』なんです。大人にもあるよね。それこそ若いときに戻って、とにかく泣きたい日」

「そう、ですね。私もたまにだけどあります。鞠さんも……泣きたいんですね」


 強い女性な鞠は、旦那さんが亡くなっても平気なんて、そんなことはなかったようだ。


 ……さすがは姉弟。

 互いのことをわかっているし、またどちらも、素を隠すのが上手い。


 どこかに逃げていたミントが、草をかき分け戻ってきて、ひっくひっくとしゃくりをあげる鞠の足を、慰めるように尻尾で叩く。 

 鞠が存分に泣き終わるまで、早苗は要と並んで佇んでいた。



 ※



「今日は貸切りのところ、お邪魔してすみませんでした」

「いいの、いいの。またいつでも来てね、サナエさん!」


 門のところで、早苗は鞠からお見送りを受ける。要は食器の片付けをしているところでこの場にはいない。

 鞠の目が赤くなっていることには最後まで触れず、早苗はペコリと頭を下げて去ろうとする。


「あっ、これ! 一応渡しとくね!」

「名刺ですか……?」


 だが去り際に呼び止められて、ポケットから出した名刺を鞠から渡された。

 デザインはいたってシンプルだが、メールアドレスや電話番号の他、名前の上に『写真家』とついているのがカッコいい。


「私、明日から仕事の依頼で、神社仏閣撮影めぐりの旅に出るんだけど。しばらくは日本にいるから、なんかあったら気軽に連絡して。例えば主に要関係で」

「は、はあ」


 連絡する機会があるかは微妙なラインだったが、鞠になにやら早苗は気に入られたようなので、名刺はありがたく受け取っておく。

 代わりに早苗も自分の名刺を渡しておいた。休日なのにまるで仕事の取引のようだが、そこはご愛嬌だ。


 そして鞠に「弟をよろしくね」と笑って手を振られ、今度こそ早苗は『ねこみんと』を後にしたのだった。



 ……あの写真の、要の隣にいた女性のことは、あえて考えないようにして。





【ねこみんと(貸切り中) 本日のおまかせコース】


 ・奇跡の若返りブレンド

 (ローズマリー+ペパーミント+甘味がほしいときはお好みでステビアを)


 ・一口サイズのシナモンラスク




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