3 色の変化と素直の魔法と
少年と早苗は、向かい合わせで身を乗り出し、食い入るようにカップを覗き込む。
「え、ええっ? オレが椅子に座ったとき、このお茶、青くなかったっけ? 母ちゃんの目に似ているなあって、気まずくて見ないようにしていたけど……」
「確かに青だったよ! 誰も触っていないはずだし、どうして……」
――――まさか本当に魔法?
いい歳した大人が、そんなファンタジーなことを考えてしまう。
だけど不思議なことに、アクアマリンのようだったブルーは、知らぬ間にアメジストのような薄紫に変わっていた。
なにかするとしたら、自称『偉大なる魔術師』しか考えられない。
「この魔法はもう一段階あるよ。この聖なるポーションを数滴加えると……」
要は猫背の身体をのそのそ動かして、ワゴンにポツンと置かれていた小瓶を摘まみ上げた。親指サイズくらいのガラスの小瓶は、蓋が猫の顔の形になっていて、『ねこみんと』らしいデザインだ。
中身は透明な液体。
要はそれを、ポツ……ポツ……と薄紫色になったハーブティーに加えていく。
「あ……! 今度はピンク!」
早苗は口元に手を当てて驚愕する。
要が落とした液体(彼いわく『聖なるポーション』)が、カップの中でピンク色に変わり、それが全体を徐々に染めていった。
あっという間に、はじまりは青で、次いで紫になっていたハーブティーは、最後は愛らしい桃色になってしまった。
「驚いた? びっくりした?」
「はい……でもなんで? どういうトリックですか」
「トリックなんてありませんよ、早苗さん。魔法です」
「いやそういうのいいから」
真顔で返せば、要は「もうちょっと魔術師やらせて欲しかったなあ」とへにょんと笑う。童心を忘れない彼は、ごっこ遊びを存外気に入っていたらしい。
早苗はなんとなく、黒いローブを着てステッキを持つ要を想像する。肩には使い魔のミント。似合いすぎて怖かった。
しかし今はそんな茶番より、このハーブティーの真相が知りたい。
少年はピンクの液体を覗き込んだまま、「スゲースゲー! オレ、魔法なんてはじめて見た!」と興奮中だ。
純粋な少年には魔法だと思わせておくことにして、早苗はこそこそと要から真相を聞く。
「じゃあ、種明かし。まずこのハーブティーの名前は、マロウブルーティーといいます」
「マロウブルー?」
「マロウは、和名で『ウスベニアオイ』っていう多年草のこと。可憐なのに力強い花を咲かせるよ。ハーブティーにして注いだときは青色。そこから空気中の酸素や温度の変化に反応して、紫色に変わるんです。そこにさらにレモンを加えると、今度は酸性に反応してピンク色になっちゃう」
「その小瓶……レモン汁ですか」
要は小瓶を「当たり」と揺らす。
瓶の中で、よく見るとうっすら濁りのある液体……レモン汁がちゃぷんっと跳ねた。
「この色の移り変わりが、夜明けの空に似ているってことで『夜明けのティザーヌ』って呼ばれているんだ。ティザーヌはフランス語で『お茶』って意味ね。おしゃれでしょ?」
「めちゃくちゃおしゃれです……しかも、とっても不思議です」
三色に姿を変えるハーブティー。
その美しさと楽しさから、『サプライズティー』とも称され、お客様をおもてなしするときにもよく使われるという。なるほど、遊び心のある演出が出来そうだ。
要もしてやったり顔で、早苗たちをびっくりさせられたことに満足そうである。
「水出しにしたのは、そっちの方が長く綺麗なブルーを保たせられるから。熱湯にするとすぐにブルータイム終わっちゃうんだよね。淹れる度に微妙に色が違って、同じ色にならないのも面白いよ。味自体はほとんど無味で匂いもないから……今はレモン味かな。効能としては、咳や気管支炎の症状に有効です」
解説を終えると、要はススス……と少年の方に移動した。
いまだ魔法を信じてはしゃいでいる少年に、そっと声をかける。
「こんなふうにさ、色なんて魔法で簡単に変えられちゃうんだ。どの色も綺麗だったでしょ?」
「うん! 青も紫もピンクもキレイだった!」
「でもこれは、もとは一つのお茶なんだよ。……もしさ、君がお母さんの青い瞳を見て、からかわれた嫌なことを思い出しても、このハーブティーのことを考えてみて。瞳の色なんて問題じゃない、お母さんはお母さん。ちゃんと瞳を見返して、心を落ち着けて。素直な気持ちを話してごらん」
――――きっと、上手くいくから。
そう告げて、要はにっこりと微笑んだ。
彼が独特のテンポで少年に語りかけた言葉の方が、マロウブルーティーの色の変化より、早苗にはよほど魔法をかけているように感じた。
少年が素直になる魔法だ。
要が「ね?」とタレ目を細めれば、呆けていた少年は遅れて「う、うん!」と勢いよく頷く。
「オ、オレ、ちゃんと母ちゃんに謝るよ! 酷いこと言ってごめんなさいって……仲直り、する。からかってきたあいつらにも、母ちゃんの目はキレイだって、今度は殴らず言い返す!」
「そうそう、その調子。偉大なる魔術師との約束だよ」
「うん!」
要は猫背をさらに屈めて、少年の小さな指と指切りを交わしている。
存外、子供の扱いが上手な彼は、子供好きないい父親になりそうだなあ……と、早苗はそのほのぼのした光景を眺めて密かに感じた。
「嘘ついたら、社会の荒波にもまれる~指切った!」という歌詞はいかがなものかと思うが。
「ねえ、兄ちゃん。オレがちゃんと母ちゃんに謝れたら、オレを兄ちゃんの弟子にしてくれる?」
「弟子かあ……いいよ。そのときは、他にもお茶の魔法を教えてあげる。ハーブティーにはたくさんの力があるからね。あと一緒にゲームもしようか。通信プレイで」
「やった! そっちも約束だからね!」
それから少年は、早く帰ってお母さんに謝りたいと、元気よく席を立った。
要は去り際、なにかカードのようなものを少年に渡し、「今度はお母さんと来てね」とまたできもしないウインクをしていた。
「……ハッカさん、あの子に渡していたものってなんだったんですか」
「ん? これ」
少年が秘密の庭を去ったあと、早苗が気になって尋ねてみれば、要はポケットからサッとカードを取り出した。
受け取ってみれば、それはショップカードだった。
名刺サイズで、緑を基調とした爽やかなデザインになっている。カードにはミントらしき猫のイラスト、『ねこみんと』の店名、お店の場所、土日しか開かない週末カフェであることなどなどが記載されていた。
「いつのまにこんな……前までなかったですよね、こんなカード」
「うん。最近家のパソコンを使ってちょいちょいっと作ったんだ。デザインは会社の休憩中に考えました。部下の尻拭いで残業を一人強いられた日に。自分の仕事は全部終わっているし、取引先から修正が来るまですることなくて、孤独に待機していて……休憩中も暇だったんだよね」
「あ……辛いやつですね」
残業で一番嫌なパターンは、己の業務はすべて終了しているのに、他のところで進行中の仕事が終わるまで、ひたすら待機して帰れないことである。
暇だ。とにかく暇だ。
帰りたいし帰れるのに帰れない苦しみは、早苗にもよくわかる。それに部下のミスまで絡んでいるなら、やるせなさは倍増だろう。
「そんな悲しみの中で生まれたショップカードなんですね、これ……」
「でもほら、『ねこみんと』の営業には役立ったから」
これで少年が、また母親と一緒に来てくれるなら、わざわざ作った甲斐もあるというものだろう。
そのときは早苗もぜひ、ベランダからではなく、近くで青い瞳の美人なお母さんを見てみたかった。
「魔法タイムは終わったところで、視覚で楽しんだら味覚でもどうぞ。味は薄めかもだけど、レモン風味を味わってもいいし、はちみつを入れるのもアリだよ」
「あ、いただきます」
そういえばまだ飲んではいなかった。
カップの取っ手に指先を絡め、早苗はピンクのマロウブルーティーに口をつける。
ほんのり広がる、レモンの味。
どこかの家で、息子の「ごめんなさい」を聞きながら、綺麗な青い瞳がやさしく緩まった気がした。
【ねこみんと 本日のおまかせコース】
・マロウブルーティー
(+レモンで色の変化を楽しみ、味が薄ければはちみつをお好みで)
・レモングラスのシャーベット