2 RPGと偉大なる魔術師と
「捕まえたぞ……! って、あ! くそ!」
少年はミントに飛びかかるも、一枚上手なミントはするりとかわす。
勝ち誇ったように尻尾がふふんと振られた。
「うー」と少年は悔しそうに唸っていたが、やがて早苗と要の存在に気付き、目をまん丸に見開いたのち、サアッと青ざめる。
「ご、ごめんなさい! 人の家だなんて知らなくて、猫を追いかけるのに夢中になって……!」
「ああ、いいよ。ここはカフェだから。誰が来ても大丈夫」
「かふぇ……?」
「そう、お茶とかお菓子とか食べてまったりするところ」
要はマイペースに少年を迎え入れる。
意表を突かれて呆けていた早苗も、そこで我に返り、改めて少年を観察した。
半袖に短パン、短く刈った髪に早苗と同じつり目がちな瞳と、いかにも活発そうな印象だ。だけど己の不法侵入に、しっかり頭を下げて謝罪できるところから、礼儀はきちんとしつけられているらしい。
少年はもう一度頭を下げ直して、そそくさと去ろうとするが、その前にぐうううと獣の咆哮のような恐ろしい音が鳴り響く。
なんてことはない、少年の腹からである。
「……お腹空いてるの?」
「か、母ちゃんと喧嘩してっ! お昼を食べる前に家を出ちゃったから……っ!」
早苗の質問に、少年は真っ赤な顔でお腹を押さえた。
喧嘩して家を出たとは、どうやらワケアリらしい。
「シャーベットならまだあるから出せるよ。よかったら食べてく?」
「でもオレ、お金なんか持ってないし……」
「いいよ、初回特別サービス。それに君は、ミントの連れて来た『特別なお客様』だから」
『特別なお客様』
要がよく口にするワードだ。
要は早苗の前の空いた席を引いて、ここへどうぞと少年を案内した。早苗もつられて机の上のカップやシャーベットの器をずらす。
少年は要をじっと見て、早苗を見て、ミントを見て。
最後に自分のお腹を見下ろしてから、おずおずと席に腰を下ろしたのだった。
「……って感じで、母ちゃんに酷いこと言っちゃって」
「なるほどね」
少年はちびちびとレモングラスのシャーベットを舌で溶かしながら、ここまでやってきた経緯を語った。
聞き上手な要は、少年が母親と喧嘩したことだけでなく、ここ最近ついつい少年が母親に反抗的な態度を取ってしまうこと、その発端となった出来事まで聞き出してしまった。
「言うつもりなかったんだ……『本当の母ちゃんじゃないくせに』なんて。母ちゃん、すごい傷ついた顔してた。そんな顔させる気なんてなかったのに……。だけど、母ちゃんのあの青い目を見ていると、クラスの奴等にからかわれたことを思い出して……」
少年の母親は、ちょうど今日のハーブティーと同じ色合いの、透き通るような青い瞳をしているという。
以前、その母が少年のクラスに授業参観に来たとき。
おおむね同級生からは「綺麗なお母さん!」「金色の髪とかカッコいい!」「モデルさんみたい!」と評判だったのだが、少年の母ばかりがもてはやされていたのが気に喰わなかったのか。クラスの一部の性格のひん曲がった男子勢に、少年は「お前の母ちゃん、青い目とか気持ち悪い」とからかわれたそうだ。
血気盛んな少年は怒って、そこから男子勢と殴り合いに発展。反省文まで書かされる事態になった。
それ以来、母親の青い瞳と目が合うと、いろいろな気持ちがわっと込み上げて、反射的に素直じゃないことばかり口にしてしまうのだという。
「酷いこと言ったこと、本当はちゃんと謝りたい……もう変な態度も取りたくないんだ。でも上手くいかなくて……」
「……難しいね」
嫌いな上司へのプレゼント選びくらい、と早苗は心の中で付け足す。
思春期の少年の悩みは、まさに青く、だけど気持ちの問題だけになかなか解決しづらい。
あとおそらくだが……早苗はたぶん、少年の母親を知っている気がした。
いつもマンションのベランダから見下ろしているのは、なにもスーツさんだけではない。早苗は他にも近隣住民の様子を見ていて、毎朝長い金髪を靡かせて歩く、青い瞳の綺麗な女性も目撃していた。
あんな目立つ外国人さん、この辺にほいほい何人も住んでいるとは思えない。
九割くらいの確率で、あの人が少年の母親だろう。
「ゲームのことだって、俺が『一日一時間』って母ちゃんとの約束破ったから、無理やり取り上げられただけで……悪いのは俺だってわかってるのに」
「ちなみになんのゲーム?」
「え……ハッカさん、その質問いま要りますか」
テーブル横に立ったまま、少年の話にずっと耳を傾けていた要が、唐突にいらない質問をしてきた。
それ、本筋には関係なくない?
なんのゲームでもよくない?
そう早苗はうろん気に視線で訴えたが、要は視線の意図を察しながらも、「ダメです、気になります」と強い意思を見せた。
「俺、実はわりとゲーマーなんで。この子がしているゲームに超興味津々です」
「母子の悩み聞きながらゲームに興味示さないでください! だいたい平日は仕事で休日はカフェやっているのに、一体いつゲームなんかしてるんですか!」
「夜の寝る前とか? 風呂の中とか?」
「一日一時間ですか?」
「やだなあ、早苗さん。大人特権でアンリミテッドですよ」
「ダメな大人!」
早苗と要の応酬に、「兄ちゃん、姉ちゃんに怒られてオレより子供みたいだな」と少年はケラケラ笑っている。
結果的に少年の重苦しい空気は払拭できたが、早苗はまだ、下手したら廃人プレイをしていそうな要に不安を覚えている。
素の要はだらしないゆるだる男子だが、ハーブティーを淹れているときの様子や、デザート一品一品の仕上がりといい、変なところ凝り性だと思うのだ。
ゲームも一度はじめてしまったら、凝りに凝って極めるまでやり込みそうで怖い。
「オレのやっているゲームは、『マジック&マジカル~賢者の紋章と魔王の侵略~』だよ。マジマジってやつ。兄ちゃんは知ってる?」
「あ、やってるやってる。古きよき王道のRPGでいいよね。ちなみにメインジョブは?」
「オレは『勇者』! 武器は剣! やっぱ一番カッケェもん!」
「元気な君には似合いそうだね。俺は『魔術師』。レベルは98で、『偉大なる魔術師』の称号を先日もらったとこ」
「は!? カンスト間近じゃん! 兄ちゃんヤバッ! じゃあもう『水晶ドラゴンの洞窟』はクリアした? どうしてもボス戦に辿り着くまでに、トラップに引っ掛かって進めなくて……」
「あー……あれの攻略法はね……」
異常な盛り上がりを見せる要たち(ゲーマーども)に、ゲームなんてほとんどしない早苗はちんぷんかんぷんだ。
犬飼あたりなら奴もゲーム好きなので話に入れそうだが、早苗はまったくついていけない。
「えー! あのボスドラゴン、それが弱点なのか!」
「俺の最大魔法で一発だったよ」
……置いてけぼりを喰らったようで、決して口には出さないがなんだか寂しい。
早苗は心なしか不貞腐れた気分で、残っていた溶けかけのシャーベットを掬って食べる。
パクパクと口に運んでいると、「じゃあ早苗さんは『暗殺者』だね」とか急に要が物騒なことを言い出した。
「なんですかいきなり。白昼堂々の殺戮宣言ですか」
「違うよ、早苗さんのジョブはなにがいいかなって話していたんだ。この『ねこみんとパーティー』で、少年が勇者、俺が魔術師、ミントが使い魔で、早苗さんが暗殺者」
「私だけ浮いてません……?」
「カッコいいですよ、暗殺者。主に倒すべき敵は社会の理不尽とかですかね。さて、パーティーがそろったところで」
要がわざとらしくパンッと手を叩いた。
またおかしなことでも始めるつもりなのか、舞台俳優のような芝居がかった調子で、胸に手を添えて優美に微笑む。顔がいいだけに様にはなっている。
「これからこの偉大なる魔術師が――――ちょっとした魔法をお見せします」
「まほー?」
「ですか?」
少年と早苗は瞳を瞬かせる。
要一人がノリノリでウィンクしているが、やはり出来ていなかった。『偉大なる魔術師』というより『半目の魔術師』である。
「俺のかける魔法は、ほんのちょっぴり、少年がお母さんと向き合いやすくなる魔法だよ」
「母ちゃんと……?」
「まずはこのカップを見て」
はしっこに追いやられたカップを、要が中心にトンッと置く。
注いでいる途中で少年が現れたので、半分くらいしか液体は入っていない。早苗はすっかり飲むのを忘れていた。
カップには青いハーブティーが――――
「あれ?」
早苗は揺れる水面を捉え、目を丸くした。
――――ついさっきまでは青かったハーブティーが、知らぬ間に薄い紫色に変わっていたのである。