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【書籍発売中】猫と週末とハーブティー  作者: 編乃肌
真夏のハイビスカスティー
10/33

4 夫婦と特別な日と

 現れたのは、志保の旦那である御手洗誠人だった。


 早苗がはじめて会ったときよりは、身体に肉がついた気はするが、まだまだ細身でひょろっとしている。暑い中を走ってきたせいか、紺のポロシャツは汗で色が変わっていた。


 地味だがやさしげな面立ちに、必死な形相を浮かべていた彼は、志保を目に留めると「いた!」と大きな声をあげる。


「ああ、よかったここにいて……! 実家にでも帰っていたらどうしようかと……!」

「実家って……なに、どうしたの? あなた」

「まずは言わせてくれ! 僕は誓って! 浮気なんてしていないんだ!」


 誠人の決死の宣言は、『ねこみんと』の店内にエコーを伴って響き渡った。


 志保はきょとんと間の抜けた顔をし、ミントは「なんだ騒がしいな」と心なしか不機嫌そうに髭を揺らす。早苗も突然の誠人の登場には驚いた。


 ただ一人、己のペースを崩さない要は、いつのまにか用意したグラスをカウンターにトンっと置く。


「まあまあ、とりあえず冷たい飲み物でも」


 カウンター奥のミニ冷蔵庫に入れてあった、レモンバーベナで香り付けをしたお冷やだ。

 グラスの中で、氷がカランと音を立てた。





 喉が乾ききっていた誠人は、要の用意したグラスの水をあっという間に飲み干してしまった。それから一息ついて、ここに駆け込んできたわけを話す。


「……すでにもう、僕が料理教室に通っているのはバレているみたいなので、隠さずお話ししますが。午前中にモモコ先生の特別プログラムを受けて帰ってきたら、家に妻がおらず、いつもは置いてある行き先を書いたメモもなければ、スマホに連絡をしても出ないので心配になりまして」

「え、志保さん、旦那さんから連絡来てたんですか」

「早苗ちゃんがカフェに来る前に、三回くらい……でも腹が立っていたから無視していたの」


 早苗の問いに、志保はふいっと顔をそらす。

 浮気は誤解だとわかった今、とても決まりが悪そうだ。


「それで妻の行き先に心当たりがないか、電話で百合(ゆり)に聞いたら、『浮気者のパパなんかに教えない。どうせ今日のことも忘れているんでしょ、本当に最低』って、絶対零度の声で言われて……」

「あらやだ、百合ちゃんたらあなたに話したの!」


 百合は御手洗夫婦の一人娘である。

 スポーツ推薦で他県の高校に通っていて、現在は寮生活のため、親元を離れて暮らしている。


 志保は旦那の浮気疑惑を、娘には赤裸々に相談していたようで、憐れな誠人は娘にも軽蔑されたらしい。


「なんとか誤解を解いて、妻が行きそうな場所をいくつか教えてもらって……このカフェで当たりでよかったよ。いや、本当に焦った。寿命は確実に十年は縮んだと思う。だいたい百合のやつ、『今日のことも忘れているんでしょ』って、今日のためにがんばったのに忘れるわけないだろう」

「今日ってなにかあったかしら……?」

「まさか……本当に忘れていたのか?」


 わけがわからないという顔の志保に、誠人は呆れた調子で「君の誕生日だろう」と答えた。

 志保は完全に頭から抜け落ちていたようで、スマホで日付を確認してびっくりしている。


 ここまで来るとなんとなく、早苗はなにを思って、誠人が料理教室になんか通い始めたのかがわかってきた気がした。


「ここ最近、君は台所に立つのが辛そうだったし、それを見て僕も、もっと家事を手伝えるようにしなくちゃって考えてさ。男でも通いやすい料理教室があるって同僚が教えてくれたから、紹介してもらったんだ。ちょうど君の誕生日も近かったし、なにか作ってサプライズでも仕掛けようかとも思って……」


 今日の午前中、誠人がモモコから受けていた『特別プログラム』とは、事情を知った彼女(or彼)が協力してくれて全面指導の下、ホールのバースデーケーキを作っていたのだという。中身は王道のショートケーキだが、見目が華やかで女性らしいものが出来たらしい。


 モモコは「奥さんのために頑張るとかステキじゃなぁい! 羨ましいわぁ、ワタシもイケメンに作ってもらいたぁい!」とノリノリだったそうだ。


 早苗的には、誠人の影の努力に感動したいところ、モモコのキャラが濃すぎるため、そっちの方が気になるのが難点だが。


「そんな……わ、私、知らなくて。あなたがこんなに私のために頑張ってくれていたのに、浮気なんて疑っちゃって……本当にごめんなさい!」

「いや、僕も疑われるようなことをしてすまない。誕生日ケーキを出すときに、僕の手作りだって明かして、料理教室のことも言うつもりだったんだ。ケーキは家の冷蔵庫にあるよ。夕方には百合もこっちに来るらしいから、家族みんなでお祝いしよう」



 誕生日おめでとう、志保。

 いつもありがとう。



 そう朗らかに微笑んで告げた誠人に、志保はきゅっと唇を噛んだ。

 涙を耐える泣きそうな顔が、ハイビスカスティーの赤い水面に映り込んでいる。


 黙ってことの成り行きを見守っていた要は、「ね? 俺が出したハイビスカスティーよりも、旦那さんの気遣いの方が効果覿面でしょ?」とタレ目を緩めた。

 早苗はやれやれと肩を竦め、要に同意する。


 なんであれ、これですべて解決したようだ。


「要ちゃんに早苗ちゃんも、バタバタしちゃってごめんなさいね」

「妻がご迷惑をおかけしました」


 お騒がせな夫婦は、誠人は来たばかりだったが、早々に仲良く寄り添って帰っていった。

 夕方には家族水入らずで、きっと誠人作のバースデーケーキを囲みながら、志保の誕生日を祝うのだろう。


 気を回してか、要は特別にハイビスカスティーの茶葉も、小袋に入れて志保に渡していた。誕生日プレゼントに、家でケーキと一緒にどうぞと。

 夏バテ対策に毎日少しずつ飲むのもいいかもしれない。



 そして嵐が過ぎ、静かになった『ねこみんと』で、ミントがくあっとアクビをこぼす。



「……急に平和になりましたね」

「ですね。何事もなくてよかったよかった」


 んーと猫のように伸びをする要に、早苗は笑って改めてハーブティーをすする。


 早苗のためのリラックスブレンドは、騒動の合間でだいぶ冷めていたが、それでも落ち着く味で心が安らいだ。残っていたレモンバーベナのゼリーも、スルッとすべて食べきってしまう。


 戻ってきた穏やかなカフェタイムの合間で、ポツポツと話題にのぼるのは、やはり御手洗夫婦のことだ。


「あの二人には冷や冷やしましたけど……私はやっぱり、少し羨ましいです」

「羨ましい?」

「はい。旦那さんは奥さん想いだし、志保さんだってあんなに浮気疑惑に怒っていたのに、『もう別れる』とか『離婚してやる』なんてことは、一言も言わなかったんですよ? お互いのこと、ちゃんと好きなんだなって」


 普段の早苗なら、意地でも素直に口にしない他人を羨む言葉も、ねこみんとの緩い空間にほだされて、存外すんなりと喉から滑り出た。


 ハイビスカスティーのポットとカップを片付けつつ、要は「そうですね」とやんわり頷く。


「相手のことが好きだから、隠し事に怒ることはあっても、離れようとは考えなかったんだろうし。今回はすれ違っちゃってたけど、そもそも相手を想っての隠し事ですもんね。……俺も、少し羨ましいかも」

「ハッカさん……?」


 太陽が雲で陰るように、要はほんのり暗い顔を覗かせた。

 早苗が初めて『ねこみんと』に来たとき、自分の二面性を『詐欺みたい』と称して、しゅんとしていた要と同じ表情だ。



 やっぱり彼にはなにか、スーツさんモードと素のモードとの差で、トラブルでも起こした過去があると見て間違いない。



「あの、ハッカさ……」

「そうだ。早苗さんにも、またお土産にラベンダークッキー渡しますね。特別なお客様にはお土産は必須だから。あ、その前に、早苗さんもハイビスカスティー飲んでみたい? 今からもう一杯サービスで淹れようか?」

「……ありがとうございます、飲みたいです」


 踏み込んで聞いてみようかと思ったが、調子を取り戻した要に、早苗は下手に踏み入るのは止めておいた。

 なんとなく……これ以上彼のことを知ってしまうと、戻れなくなる気がしたのだ。



 なにから戻れなくなるのかは、まだわからないけれど。



「おっと、会社からの連絡、無視したまま忘れてた。んー、まあいっか」

「よくない! よくないから、ハッカさん! すぐ出て!」

「えー。まあ早苗さんがそう言うなら…………毎週毎週、そんなに休日出勤が好きなのかお前は。今度はなんだ、さっさと用件を述べろ。は? 例の取引先からまた無茶を言われた? そんな私情の入った個人的な頼み、どうして俺たちが聞く必要がある。そこは強気で返せ。一度要求を呑むと次からも来るぞ」


 背筋を伸ばして目尻をつり上げ、スーツさんモードで電話をする要は、どこを取っても仕事の出来る男である。

 

 外では蝉が鳴き続け、真夏の眩い日差しはハイビスカスティーのように鮮烈だった。

 僅かに複雑な気持ちを残したまま、『スーツさん』を横目に、早苗は残ったカップの中身も飲み干す。



 そんな二人を見守りながら、ミントはゆるゆると尻尾を振っていた。





【ねこみんと 本日のおまかせコース】


 ・心を休めるリラックスブレンド

 (ラベンダー+カモミール+レモンバーベナ)


 ・夏バテ解消ブレンド

 (ハイビスカス+ローズヒップ)


 ・レモンバーベナとオレンジのすっきりゼリー




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