ep.1「流転するリインカーネーション(6)」
────────言うまでもないことではあるが、
俺が生まれた世界に、魔術などなかった。
箒は空を飛ばないし、絨毯は浮かない。手のひらから炎は出ないし水も出ない、風を操ることなど出来はしない。手のひらを合わせるだけで物質の構造を組み替えたり、不思議なエネルギーで敵を吹き飛ばすなんてことも出来はしない。なんでも願いを叶えるなにかがあって、そのために命を懸けて争うなんてこともありはしなかった。
どこともないところから鳩を出すマジシャンはただ小細工を弄していただけで、さも人の頭を覗いているかのような読心術はただの演出でしかなかった。
それらはただ、魔術という奇跡に憧れた人々が、技術と演技で誤魔化し、欺き、それが現実であるかのように見せかけただけの、ただの虚構でしかなかったのだ。
だから俺は……俺たち人間は、普通に普通の、ありふれた世界で生まれて、育った。無から有を生み出すことは出来ず、有を無にすることすら叶わないまま、自然の摂理に則って生きていた。
『運命に偶然はない。奇跡という必然があるだけだ』
いつか、哲学者の祖父が言っていた言葉を思い出す。
人に奇跡は起こせない。だから運命に頼る。……俺のいた世界で魔術が使えないのは必然だ。そして、違う世界では魔術が使えるということも、きっとそういう必然なのだろう。
起こりえない偶然は奇跡となり、やがて必然へと昇華していく。いつだって世界はそうやって進歩し、そうして進化してきた。
……俺のいた世界に魔術はなかった。
それでも、あの世界でひとつの"異常"が起きた。
つまり、俺のいた世界は────────。
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豪奢な城には似つかわしくないような、城の中の古ぼけた一室にいた。余計な物は置いておらず、真ん中にはポツンと大きなテーブルがあり、そこには色とりどりの料理が置かれていた。見た目で言えば、樹のいた世界のものと大した遜色はないどころか、普通にパンまである。
リオンと食卓を囲みながら、樹は質問を重ねていた。
「どうやって俺のいた世界に魔術の痕跡があるってわかったんだ?………ていうか、あっちの世界とかこっちの世界とか、いちいち呼び名がめんどくさいな。こっち側でなんかそれっぽい呼び名とかないの?」
「この世界を『現世界』、貴方様が元いた世界を『外世界』と、学者たちは呼称しています。魔術を感知できたことに関しましては……そうですね、そちらの世界における"バグ"と同様のものと考えていただければと」
「……というと?」
「真っ白な地面に真っ黒なシミがあればすぐに気づくように、外世界では平坦だった波長が波打ったことを確認したため、魔術の痕跡を感知できたのです。何もない場所に突然"異常"が現れる。データにおけるバグと同様の見つけ方と思っていただければわかりやすいでしょうか」
「なるほど、『図書館』とやらの記録にノイズが走ってたとか、そうゆう感じか。……というか、現世界とか外世界とか、そんな言葉があるってことは、こっちの世界の人は俺のいた世界を認知してたってことでいいのか?」
「そちら側でも並行世界や多元宇宙を論ずる者もいたでしょう。それと同じで、こことは別の世界があるという論があるだけです。実際にあるかどうかを知る者は、ごく少数でしかありません」
「つまり、知ってる奴もいるってことは………外世界を見たやつもいるってことでいいんだよな?……当然、世界を行き来できる奴とかもいるってことでいいんだよな」
「この世界にも指折り数えるほどしか居ないでしょうが、居ることは事実です。まぁ、ひとりで国一つを滅ぼせる程度の大魔術師でもなければ、普通に行くことなど到底出来ないことではありますが」
「普通じゃない方法もある、と?」
「はい」
樹の言葉に肯定を示しながら、リオンは橙色の野菜を皿から取り、樹の皿に乗せる。
「この世界では魔術が一般的で、それに応じた"宝具"というものも存在します」
「それは、それ一つで世界を爆発できる魔術の道具……的な?」
「発想としては近いですが、実際にはほとんどが魔力増幅器のような役割でしかありません。厳密に言えば、増幅器というよりも魔力の貯蔵タンクと言った方が正しいですが」
「その宝具とやらを見つければ、俺も元の世界に帰れるわけ?」
「可能です。見つけられれば、ですが」
緑色の野菜を樹の皿に移し、リオンはなんとも言えない顔をする。
「アカシックレコードと接続できるっていうなら、その宝具とやらの場所もすぐわかるんだろ?それに、あのワープみたいな魔術だってある。お茶の子さいさいじゃんか」
「『図書館』と接続できるのも魔術の一種です。人を攻撃する武器もあれば守るための盾もあるように、魔術を弾く魔術というのも存在します。端的に言えば、『図書館』からも探知できない記録が存在するということです」
「……なんだ、アカシックレコードなんていうもんだからどんなもんかと思えば、意外と大したことないのな」
ムッとした顔で、リオンは赤い野菜を次々と樹の皿に放り込む。
「……ともあれ、現状私が知り得る貴方様の死因に関しての情報は、全てお教え致しました。残念ですが、これ以上の記録に関しては、なんとも」
「いいや、進展があっただけでもマシさ。というか、昨日のうちに教えてくれればよかったのに」
「本を読むのに時間がかかるのと同様、記録を読み取るにも時間がかかるのです」
「あっそ」
息を吐いて、リオンは細切りにされた白い野菜を樹の皿に運ぼうとしたところで、樹がリオンのフォークを自分のフォークでせき止めた。
「………食器で食器を受け止めるのは行儀が悪いですよ」
「ひたすら野菜だけをこっちに持ってくる方が行儀が悪いと思うんですけど?」
「………………食べたくないものは食べたくありません」
「子供かっ!!!」
無感情なようでいて、しかししっかりとした年相応の表情を見せるリオン。
ますます彼女の人となりがわからないと思いつつ、渋々樹は野菜の大群を口に運んでいったのだった。
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「ところで、この飯は誰が作ったわけ。この城に他に誰かいるの?」
「俺だよ」
食事を終えたタイミングで、透明でオシャレな皿に盛りつけられたアイスを持った長身の男が部屋に入ってきた。
「はいよ姫様、食後のデザート。そっちのあんたもな」
「ご苦労様、ユース」
「………どーも」
「…………にしても、姫様。こんなパッとしない坊ちゃんに、本当に魔王が務まるんですかい?」
樹の顔を覗き込みながら、ユースと呼ばれる男は言う。
色の抜けた浅い茶色の髪は、ボサボサと寝癖のように跳ねており、服装は緑系の色で統一され、その上からエプロンを纏っているような状態だった。何より目につくのは、耳。樹が漫画やアニメで何度も目にした、とある伝承の種族のような……。
「……あんた、もしかしてエルフとかなのか?」
「おお、よくご存知で。しかし、あんたっていうのは随分礼儀がなってないな。俺はこれでも30歳越えてるんだが?」
「無礼な奴に礼は払わないってのが俺の信条だ。パッとしなくて悪かったな、エルフのおっさん」
「……ハッハッハ!おい姫様!こいつ気に入ったよ、中々良い肝してるじゃない」
快活に笑いながら、エルフの男は樹の肩をがしりと掴む。
「これから先、お前がつくる世界がどんな世界になるのか、楽しみだ」
「……世界をつくるって、俺はまだ……」
「そんじゃ、皿洗いがあるんで、俺はこの辺で」
「……結局、なんだったんだあいつ」
「彼はユース。貴方様が仰った通り、エルフの青年です。この城では炊事と、この城の主の護衛役を担っています」
「主って?」
「もちろん、これから貴方様が座るポストです」
「……………………」
目の前に置かれたアイスに、ブスブスとスプーンを突き刺す樹。気まずい表情をした後、なんとか決心して言葉を切り出した。
「…………なぁリオン、悪いけど俺は────────」
「それを食べ終えましたら、外に出る支度をお願いします」
「…………どっか行くのか」
「はい」
いつの間にかアイスを平らげていたリオンが、スプーンを置いて立ち上がり、告げる。
「貴方様が知りたがっていた、この世界の違う側面をお見せします」