ep.2「純血のミックスブラッド(6)」
「バランス……特異点?つまり、その魔王と勇者が世界を支える柱ってこと?魔王と勇者なのに?本来敵対しあう間柄なのに?どっちかがどっちかを淘汰しかねないのに?」
「魔王と勇者が敵対するというのも、魔王が悪でそれを妥当する勇者が正義というのも、あくまでそちらの世界で形成された観念でしかありません……が、魔王の人柱と勇者の人柱。正と負。それぞれが相反する存在であるのも確か。敵対してしまうのも運命とも言えるのかもしれません」
「ふたつの人柱でバランスが保たれてるってことは、魔王の証を持つ奴の分、勇者の証を持つ奴もいるってことだよな。魔王の証を持つのは5人って言ってたから……」
「ええ。勇者の証を持つ者は5人いました」
「……………いまし、た?」
「はい。過去形です。証を持つ者は、不死の力でも持っていない限りは絶命した時点で証を持つ資格を失います。かつて証の所有者はたしかに5人存在していました。しかし現在この世界には、勇者の証の所有者は3人しか存在していません。残りの2人は死んだのか、或いは消息を絶ったのか……少なくとも、この世界に存在していないことは事実です」
「……なんだか含みのある言い方だな。別の世界に行ってるとでも?」
「少なからずその可能性はあります。まぁ、あくまで天文学的な数値の可能性ではありますが。"証持ち"が死んだ場合は、新たに証を持つに相応しい者が選定されるようになっています。じきに、新たな証の所有者が出てくることでしょう。当然……」
「死んでいればの話ですが、とか言いたいんだろ。この世界の仕組みみたいのについては、まぁだいたいわかったよ」
ゴキゴキと首を鳴らしてから、樹はリオンの目をしっかりと見据えて改めて問い質す。
「で。重要なことにはまだ触れてないだろ。勇者と魔王、それぞれの証を持ってる奴は5人ずつ。でも今は勇者が3人、魔王が5人でバランスが取れてない。……こうゆう場合は、何がどうなるんだ?」
「……端的に言えば、世界が変質します」
「変質って?」
リオンが指を鳴らす。
頭上に浮かび上がるのは、樹にとっては見慣れた映像。ニュース番組やドキュメンタリー番組に出てくるような、あっちの世界の歴史にまつわる映像だ。
「相反するふたつの概念の均衡が崩れれば、その影響を受けるのは世界そのものです。飢餓、戦争、恐慌……事象として起こるものが定まっているわけではありませんが、均衡が崩れれば少しずつ、しかし確かに世界が変わってゆくこととなります。それはこの世界だけでなく、あらゆる世界において存在する理です」
「つまり、今まで起きた戦争とか、不景気とか、そういうものは全部世界のバランスが崩れたせいで起こったと?」
「少なくとも起点はそこにあるかと。……『運命に偶然はない』……貴方様のお祖父様が仰っていたことも随分と的を得たものですね。物事には必ず因果関係が存在する、その根源が"人柱"というわけです」
「なら、あっちの世界にも紋様を持ってた人がいるってこと?」
「いえ、それはあくまで魔素の影響によって発現しているものなので、外世界ではそういった証に相当するものは存在していません」
目に見えない"人柱"という宿命。どこの誰とも知らない誰かが知らず識らずのうちにそんな宿命を背負わされ、生きていようが死んでいようが、世界を揺るがす天秤の皿に落とし込まれる。
わずかでも天秤が傾けば世界は変わる。良い方に変わるときもあれば、悪い方に転がるときもある。今まで世界は、そうやって進化と停滞を繰り返してきた。と、リオンは丁寧に説明した。そんな不可思議な話を聞いて、樹はすんなりと受け入れる。
ありえなくはない、と。漠然とした感想を抱きながら、祖父の言葉を思い出す。
戦争によって世界が壊れることも、荒廃した世界が再起することも、文明が成長していくことも、全ては運命であり、奇跡であり、しかし偶然の産物ではなく、必然に生まれた結果。
ならば────────樹の世界で魔術が扱われたという痕跡が、"世界の変質"の一端だとしたら?
「ひとつ、聞かせてくれ」
「なんでしょう」
「外世界に魔術が持ち込まれたって話と、現世界から勇者が消えたって話。因果関係はないって確証はあるか?」
世界を渡る力が存在する。正義も悪も大衆が勝手に形成していった概念でしかない。この世界にいた勇者が外世界に行った可能性はある。全て、リオンの口から語られた言葉だ。
……例えば、の話だ。
例えば、この世界から消えた勇者が悪者だったとしたら。
例えば、その勇者が底知れぬ悪意を持っていたとしたら。
例えば、樹のいた世界を侵略しに行っていたとしたら。
「(あくまで憶測でしかない。けど、100%ありえないとも言い切れない。もしも、この世界の勇者とやらが俺のいた世界に行ってたとしたら……俺たちを殺したんだとしたら…………………………………俺、たち……?)」
「……可能性は、ないとは言い切れません」
「ならやっぱり……!」
「ですが、こじつけとも言えるレベルの話でもあります。世界を渡る力があったとして、それを現世界にいた勇者が持っていたとして、なぜ貴方様が居た世界へと赴く必要があるのでしょう」
「……それは………」
「なにも、外の世界というのはひとつではありません。多元宇宙論という言葉の通り、宇宙は無数にあり、世界も無数にあります。世界を渡る力を持っていたとしても、必ずしも貴方様がいた世界に行くとは限りません。先ほども申し上げましたが、この世界を離れた勇者が理由もなく世界を放浪していたのだとしても、貴方様が居た世界に辿り着く確率は天文学的なもの、限りなくゼロに近いでしょう」
「それなら、俺のいた世界に魔術が持ち込まれた話はどう説明する!?言ったよな、あの世界に魔術なんてないって。なら、魔術を使える誰かがこの世界を出て、あっちの世界で使ったとしか考えられないだろ!」
「では、魔術を使えるのはこの世界だけという確証はありますか?」
その言葉が楔となって、樹の喉からは音のない空気だけが吐き出された。
多元宇宙、異世界、魔術。実際に体験しているのだから、確かに実在している話なのだ。樹はそれを識っているからこそ、知らねばならなかった。この世界とは別の世界が無数にあること。魔術を使えるのはこの世界だけではないということ。この世界にいた誰かが犯人とは限らないということ。そして、あらゆる異世界のことを。
深呼吸をする。酸素と血液を循環させて、火照った頭を冷ましていく。
「……さっき、少しだけ思い出したんだ。思い出したってよりも、突発的に浮かんできたって感じだけど」
「?」
「死んだのは俺だけだと思ってた。自殺か他殺か事故か病気か、なんで死んだのかはわからないけど……いたんだ、俺以外にも。俺と一緒に死んでいったやつが、確かにいたんだ」
「………そうですか」
「確かめなきゃならない。俺は真実を知らなきゃならないんだ。…………『図書館』とやらに過度な期待はしない。知らないもんは知らないでいい。けど、俺がディンブルの王様である限りは手を貸してほしい。命令じゃない。強制もしない。けど、頼みの綱はアンタしかいない。だから頼む。リオンの力と知恵を貸してくれ。その代わり、俺もできる限りのことをする。平和の架け橋でも、人柱でも、なんだってやってやる。だから……」
「答えるまでもありません」
涼やかに、リオンは言う。
「貴方様が王である限り、私は仕えます。貴方様の従者として、私は貴方様に仕え、貴方様を導きます。立派な魔王になれるよう。貴方様が、真実へと辿り着けるよう」
樹は笑う。演技でもなんでもなく、心の底からの嬉々とした笑み。そして、立ち上がりスッと手を伸ばす。樹の様子を見て面食らうリオンだったが、くすりと笑ってその手を握った。
「今更だけど……よろしくな、リオン」
「ええ。せいぜい足を引っ張らないでくださいね、主様」
「…………今更だけど、従者にしてはちょっと生意気だよね、リオンちゃん」
平和を創る魔王となるため、自分の死の真実を知るため、決意を新たに、樹はリオンと手を結ぶのだった。