ep.2「純血のミックスブラッド(5)」
共存派との会合を終え、樹はアリスと共にディンブルに向けて森の中を歩いていた。
「別に送ってくれなくてもよかったのに」
「そういうわけにもいかないだろう、ただでさえ魔獣騒ぎで荒れているんだ。武の心得がないイツキをひとりで帰すのはいささか不安だ」
「これでも色々心得はあるんだけどな……ていうか、まじゅーってなんだ?」
「知らないか?まぁ、魔獣が出ない国もあると聞いているしな……魔獣は特定の地域に生息している野生生物だ。それも、とびきり危険な」
「んー、まぁ詳しい話は知り合いに聞いてみるよ。にしても、普通の人間に、魔族に魔獣……この世界……いやこの国には色んなのがいるんだな」
「…………いや、それだけじゃない」
苦々しい顔で、アリスは続ける。
「半魔というものを知っているか?」
「はんま?」
「文字通り、魔族の遺伝子を半分持った人間のことだ。"渾血"とも呼ばれているが……」
「要するに魔族と人間のハーフってことか?魔族と人間の間に生まれた子供?」
「いいや、違う。半魔は人間の遺伝子が変質することで生まれるものなんだ」
「……突然変異種ってことか……待てよ?半魔の人らがいるなら、その人らと協力すれば共存に向けてのあれこれも色々有利になるんじゃ……!」
「……そういうわけにもいかないんだ。────────半魔の多くは、自分自身の存在を忌み嫌っているからな」
そんな話を、元の世界で聞いたことがある。混血というだけで周りから疎まれ、自分の出自や両親を恨む、そんな話を。
「人の身でありながら、人ではない。それだけで、彼らにとっては耐え難い苦痛なんだよ……それが、魔族の遺伝子だというなら、なおさらな」
「…………なんか、悲しい話だな」
「ああ、私もそう思う」
「……でもさ、そういう人たちがいるなら、なおさら人間と魔族が共存できる世界にしていかなきゃな。人間も、魔族も、半魔も。みんなが生きづらくない世界にするのが、俺の……俺たちの役目ってわけだ。だから、」
そう言って、樹はアリスに拳を向ける。ニッと笑顔を浮かばせながら。
「がんばろうぜ、お互いにさ」
「……キミは、本当に心優しい人間だな。……本当に、不思議な奴だ」
こつんと、拳を合わせる。
樹は知っている。人間には心があり、魔族にも心がある。人間は言葉を話せる。魔族も言葉を話せる。言葉を通して、心を通じてわかり合うことだってできるはずだ。そう生半な道ではないことはわかっている。────────それでも。
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「リオン!!リオーーン!!!どこ!?リオンちゃんどこーーーー!?」
「ふらっと昼間に出て行ってこんな夕方に戻ってきたかと思えば騒がしいですね。クーガリア王と共存派との会合を終えて何かありましたか?」
「あぁ居た!ていうかお前どこまで知ってるんだ……ってそんなことより、これ見てこれ!これなんだよ!今朝までこんなのなかったんだけど!?なんか帰り道でちくっと痛くなって見てみれば、なんなんだこれ!?」
樹は袖を捲り、左腕の手首を見せつける。そこには、真紅の異質な紋様が、手首に巻きつくように刻まれてあった。
「ああ、なるほど。定着が遅かったのか、或いは心境の変化に依るものか。いずれにせよようやくスタートラインに立ったというわけですね、おめでとうございます」
「スタートライン?なんの?」
「話が長くなってしまうので、またの機会に致しましょう。今はお腹が減りました」
「まためんどくさがりが発動しやがった!でも俺が帰ってくるまで晩御飯待っててくれたんだね!ありがとう!!晩御飯食べながらでいいからほんの少しでもいいから説明してよね!!」
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「魔王の証?」
「そうです、その腕に刻まれているのは、紛れもない"魔王の証"。先代の魂を埋め込んだので出るだろうとは思っていましたが……というより、それが貴方様の物なのか、先代による物なのかというのは微妙なところですが」
「……それで、これがあるとなんか不利益とかあるわけ?体がじわじわ魔族になってく呪いみたいな……」
「その証はあくまでシンボルに過ぎません。……と言っても、この世界のシステムを説明してからでなければ理解はできないでしょうが。………あぁ。説明、めんどくさいですね」
「やだもーこの子ってば俺の想像以上にめんどくさがり。ねぇユースさんや、この子は昔からこんななの?」
「まぁ、少なくとも10歳の時からこんなだわな。部屋に篭って本ばっか読んでたわ」
「あらやだこの子ってば見た目は可愛いのに根っからの引きこもり?お兄ちゃん将来が心配になってきちゃった」
「出会って2日足らずの立場で滅多な事を言わないでください。…………はぁ。すいませんが、一度目を閉じていただけますか」
「……?はい、閉じました」
「少し疲れるのでできれば使いたくありませんでしたが、仕方ないでしょう。…………──────視覚、完全遮断」
リオンの言葉の直後、瞼の隙間から滲んでいた光が突如として消え失せる。
「!?ちょっ、リオ」
「聴覚、完全遮断」
風の音、布の擦れる音、心臓の音、呼吸音、無造作に耳から脳に入り込んでいたあらゆる音が、突如として途絶えた。見えず、聞こえず、感じられるのは舌に残った料理の味と匂い、座っている椅子から反発しようとする皮膚と筋肉の感覚。
しかし、それすらも奪われる。
訪れるのは途方もない虚無。色も、音も、味も匂いも、何に触れているのか、触れていないのかすらわからない世界。時間の概念すら失せてしまう、絶対的なまでの無。
体に染みついていた記憶を頼りに、喉を鳴らす。出ているかどうかすらわからない声をひたすらに叫ぶ。
「…………ン。リオ、…………。…………リオン、リオン!!」
「お呼びでしょうか」
ハッ。と。瞬時に全ての五感が舞い戻る。目の前には真っ白な少女、リオンがいた。その声を確かに聞いて、リオンからは少女特有とも言える甘い匂いがして、その手は確かに地面に触れていた。
「……あ、な、なにしたんだ、今の………!?」
「先日説明致しました通り、貴方様と私は特別な共有関係にあります。端的に言えば、私から一方的に貴方様の五感を支配することも可能ということです」
「んだそれ……めちゃくちゃだ……」
「当然、常日頃からこのようなことをする気はありません。今回のように、口で説明することが面倒な場合は、このような手段を用いることもあるので、ご留意を」
「せめてそういうことは口で説明してくれ………。……で?これはなんだ?精神と時の部屋みたいなもんか?」
「ここは時間の概念が存在しない意識世界の中です。貴方様にもわかりやすく説明するのであれば、ここは互いの意識を通し、貴方様の脳に私が持つ情報を書き込むことで、貴方様は現実でその情報をそのまま取得出来る、という世界。端的に言えば、ここは貴方様の脳という名のファイル。私は私の脳から送られてきたプログラム。といった具合です」
「………………………ごめん、よくわかんない」
「ここはメールボックス。私はメール」
「わかりやすーい!」
「持っている知識を相手に理解できるように話すのは疲れるという話はご存知ですか?」
よくわかんないなら黙ってろという旨の皮肉をぶつけられ、樹はシャキッと正座になってリオンの声に耳を傾ける。
スゥ、とリオンが指を宙に舞わせる。すると、SF映画で出てくるような透明なディスプレイが現れ、ひとつの紋様を映し出す。
「……これ、この腕の……」
「はい。先程説明した魔王の証です。本題はここから」
再び指を動かす。宙に浮かんでいた樹の手首に巻きついていたものと同じ紋様が分裂し、別の紋様となって現れる。数は4つ。樹のものも含めて、5つの紋様が樹の頭上に浮かんでいた。
「この世界には、"人柱"というものが存在します」
「わあ、聞いただけで理解できちゃうろくでもない言葉」
「例えば、貴方様の世界には物語というものがありますね。まぁこちらの世界にもありますが。物語の世界を構成するものは決まっています。善と悪。正義と邪悪。正と負。そのふたつのどちらかが強すぎることもなく、弱すぎることもない。世界は天秤のようなもの……どちらかに傾きすぎないように、必ず世界はふたつの、同等のおもりを用意する。そのうちの一片が、貴方様の持つ"魔王の証"です」
「この浮かんでるやつ、5つあるけど?」
「はい。そのうちのひとつが貴方様のもの。魔王の証を持つ者は、この世界には5人います」
「5人……意外と多いのね」
「20億分の1でも多いと?」
「20億……はぁ!?この世界の人口100億もいんの!?」
「その話は、また後ほど」
リオンが淑やかに指を鳴らすと、浮かんでいた5つの魔王の証は砕け散る。そして、崩れたパズルを組み直すように、破片が再び集まって、また違う紋様となって構成される。
「この世界の中で、魔王の証を持つ者は5人。そして、対となる"勇者の証"を持つ者もこの世界には存在します。"魔王"と"勇者"……それが、この世界に在るふたつの"人柱"。────────世界の均衡を保つための、"特異点"です」