ep.2「純血のミックスブラッド(2)」
「さーて、頭の中の整理整頓タイムだ。昨日あったことから今朝あったことまで、全部組み立ててアレコレ推論立てていくぞ」
誰に話しかけるでもなく、自問自答のような感覚で樹は声を出す。時は昼下がり。ディンブル城下町から帰ってきた後、樹は昨日アリスと出会った森の中に居た。
「魔族と人間の関係性はなんとなく見えてきたな。あっちの世界での、人種差別が未だに特定層に根付いてるみたいな感じだ。その根深さはまだよくわかんないけど、終戦から100年経って、ここ最近で停戦が結ばれたって考えるとかなりふわふわした状態なんだろうな。互いが互いに干渉しすぎない、暗黙の了解みたいなのがあって……冷戦状態に近い状況だったのかね?」
ぶつぶつと声を出しながら、和紙のような独特の質感を持つ紙に使いにくい羽根ペンを走らせる。これは、樹にとって、物事を頭の中でまとめる時に必要な工程なのだ。
頭の中でとっちらかった出来事とワードを紙に記し、それを線で結びつけては関係性を露わにしていく。声に出しているのは、より頭の中に情報を浸透させていくためだ。自問自答というよりも独り言に近いものなのだが、それだけでパズルを組み立てるようにすっきりと頭の中が整理されていく。
「それと、気になるのは魔術は人間でも使えるってことだな。魔素ってのがどんなもんかはわかんないけど、少なくとも身体に害を及ぼすものではなさそうだ。まぁ詳しいことは後でリオンから問い正そう。あと、一通り街を見回したけど……たぶんこの世界では科学が発達してない。科学の代わりに、魔術が発達した世界ってとこか。昔、アニメでそんなの見たっけなぁ」
幾つかの線を引き、ある程度の整理を終えたところで、樹はこれから先の事を考えつつ、この世界のことを推理していく。
「この辺はなんだかんだで生きてた頃の経験が活きてるなー。台本読みながら、色々役を解釈してくのと同じ感覚だ。爺ちゃんは学者で、父さんは探偵。頭を使うのが好きな家系なのかね」
そんなどうでもいいことを嘯きながら、
樹はスッと目を閉じて空を仰ぐ。
「(魔王になると決めたものの、これから先どうすればいいかはまだ不明瞭だ。クーガリアと外交?アリスを伝手にしてカイルって人と接触するか?……いや、いきなり魔王ですだなんて言って仲良しになれるわけもないな……なんとかして外堀を埋められればいいんだけど。城下町の人たちに協力……は、どうだろうな。アリスの口ぶりだと………)」
ふと、そんな時。草をかき分けるような音が鳴る。次いで、金属同士が擦れ、ぶつかり合う音。特別耳がいいわけではないが、それとなく判別はついた。…………というよりも、わかっていたからこそここに来たのだが。
「よう、アリス。こんにちは」
「……イツキ?なぜこんなところに……クーガリアに居るのではなかったのか……?」
「いや、あんたに会いたくてここで待ってたんだ。……クーガリアの騎士団長様が、気まぐれのお散歩でこんな所に来るわけはないって思ってさ。………毎日かどうかはわからないけど、定期的に見回りみたいなことをしてるんじゃないか?」
「…………驚いたな。騎士団長であることしか話していないのに、なぜそこまで……」
「そこはまぁ、親の遺伝みたいなもんかな。………ところで、まだちゃんと自己紹介してなかったっけな。改めて言わせてもらうよ」
浅く息を吸って、樹は被った。
今の樹にとって、一番都合のいい仮面を。
「…………俺は、魔族の調査で来た学者見習いなんだ。故あって詳しいことは言えないが、ディンブル城下町の魔族と人間の関係性……それを調査しに、ここまで出向いたんだ」
「……学、者。……………なるほど、そうか。ならば、わざわざこの街に来たというのも頷ける。旅人とはいえ、この街に自ら近づこうなどと思うのも、変だと思っていたんだ」
「隠すつもりじゃなかったんだけど、いきなり魔族の調査で来たなんて言って怪しまれるのもアレだと思ってな。…………昨日話をして、あんたは信用できる人間だって思ったんだ。だから、研究のために少し話を聞かせてほしい。………あ、今日はここで腰を落ち着けて、な?」
「………不思議な奴だな、キミは。なぜだか、キミのその柔らかい笑顔を見ていると、素直に断れないよ」
そう言って、アリスは腰元の剣を外し、近くの切り株に腰掛ける。
「私でよければ、なんでも答えよう。キミの力になれるというなら、なんでも聞いてくれ」
「……サンキュー、すごい助かる」
第一関門突破、と言った具合に、樹は安堵の息を吐く。今朝はリオンから魔族のことを詳しく聞いた。次は、この世界の人間のことを聞く番。整理した頭の中から問うべきことを浮かべていき、この世界を知るための、細やかな問答が始まった。
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「じゃあまず、一番気になってることを聞かせてもらう。………今の人間たちにとって、魔族はどういった存在なんだ?」
「……どうもこうもないさ、人間と魔族は違う生き物だ。生き方も違う。生まれも育ちも、それぞれ人間とは別たれたものだ。人間からすれば、違う世界を覗き見ているような気分なんだろうと思うよ」
そう語るアリスの目には、一種の諦念のようなものが感じられた。どうしようとも変えられないものを憂うような、そんな目だ。
「じゃあ次、と言っても、答えはほとんどわかってる。ディンブル城下町にいる人間たち、あの人たちは"少数派"だな?」
「……ああ。彼らだけじゃない、私の友人であるカイルもそちら側だ。…………人と魔族は相容れる、そう思って行動している少数派……人間の中では、浮いた人たちだ」
「その人たちの、人間の中での立場は?」
「目立って悪いということはない。他の人々にとっては『物好きな人もいるんだな』といった具合だろう」
「なるほど……人間の中で内部分裂があるとか、そうゆうのはないって解釈でいいんだな?」
「…………いや、そうとも限らない」
瞬間、アリスの表情が変わる。
樹と同年代の少女とは思えないような、厳しい表情に。
「あからさまな内部分裂といったものはない。だが、昨日話した王族の一部……国王を含めた上層部が、魔族を毛嫌いしているんだ」
「………なんでまた、そんな……」
「簡単なことだ。人とは違う。それだけで、忌避する条件としては十分なのだろう。魔族を嫌い、魔族に与する人間も嫌い、排斥する。それが今のクーガリアの王族だ。……ディンブルにいる人間の中にも、クーガリアの市民権を失った者も何人かいるはずだ」
「……!そんなの、いくらなんでも横暴すぎるだろ!!」
「だから言っただろう、『腐っている』と」
肌の色が違うだけで、或いは戦争の勝敗だけで、同じ人間が奴隷として扱われていた時代があったことを思い出す。その時代とは背景も違うし、そもそも前提すら違うのだが。
魔族は人間ではない。故に、人間どうしの差別とは考え方も変わる。人間からしてみればアリスの言う通り、魔族は別世界の住人のように映るのだろう。同じ生き物どうしの差別ではなく、違う生き物どうしの区別といったところだ。
けれど、同じだ。
一部の人間の常識から逸脱した存在が忌み嫌われ、支配され、蹂躙される。やがてそれが市民にも伝播していき、それが世界の常識に移り変わっていく。
今のこの国はおそらく、その戸口に立っている。一歩間違えれば凄惨な結末を迎えるであろう物語の、その戸口に。
「……お前は、どう思ってるんだ。この現状のことを」
「看過できないと思っている。だからこそ、私とカイルで王族たちの粗探しをしているんだ。奴らを陥れる為の機会を、ずっと伺っている」
「クーガリアって国の騎士として、か?」
「………いいや、違う。ひとりの人間として、魔族も人間も守りたいんだ」
けれど、と。アリスは震える華奢な手を握りしめる。
「…………魔族を十全に信じられるかというと、そういうわけでもないんだ。………信じたいとは思う。それでも彼らは、人間とは違う。深く根付いたその観念だけは、きっと、未来永劫捨てられない」
100年前に、魔族と人間で戦争があった。その事実はどうやったって変わらない。変えられない。歴史に刻まれた爪痕を、埋め合わせることはできても、消すことは叶わない。だからこそ、人は魔族を避けるのだ。万が一を、「もしも」を、永遠に捨てられないから。
(……そうゆうことか)
何かに納得したように、樹は息を吐く。
そしてもう一度、都合のいい仮面を被りなおして、アリスの手をそっと握り、覚悟を決める。
「人間たちを助けたい、魔族を助けたいって気持ちはわかったよ……お前は、本当に心優しい奴なんだな」
「イツキ……?」
「俺も手伝うよ。俺に何ができるかはわかんないけど、魔族と人間、その垣根をぶち壊すために、俺も手伝う。──────みんなが、笑顔になれる世界にするために」
樹が見た城下町の光景は本物だった。
笑顔に包まれた、それぞれの幸せと生活がそこにはあった。守るべきものがそこにはあったのだ。
だから、必ず救う。
この国の人々を。魔族を。
(俺はきっと、そのために────────)
そして、始まる。
魔王としての、天羽樹の初めての侵略が。